第15話 イヌビトのブーフ
二人がオサの船家に着く頃には、すでに料理が用意されていた。しかし、先日のメニューとは異なっていた。豪華な祭のための料理と違い、今日は質素な家庭料理のようだ。
「生肉に脳みそが乗っているやつはないんですか?」とマーザはフェリスに通訳させる。
「アレは獲物が捕れたときにしか出さない特別なものなので、今日はありません。私たちもめったに口にできないのです」と料理を持ってきてくれたイヌビトがいった。
マーザは落胆し、サクロを睨んだ。期待させてしまったオレが悪いのかとサクロは心の中で自問した。マーザはがっかりしたものの、スーと二人で出された料理をペロリと平らげていた。二人と始めて会ったとき、ハンバーガーを食べていて、そのあとさらにまだ何か食べるといっていたので、大食いのコンビなのかもしれない。
「旦那は飲めないのか?」と、イヌビトの一人がサクロに話しかける。よく見ると、最初の日に飲み比べを仕掛けてきたイヌビトだった。
「味が嫌いなだけで、飲もうと思えば、こいつと同じくらい飲めるさ」
隣にいたルルアを指す。
「本当か? それは失礼した。オレの名はブーフ」
「サクロだ」
「ルルアです。今日も勝負するの?」
ルルアは片手にウィスキーのボトルを握っている。
「あの夜は悪夢を見た。お前たちと飲み比べをするのはやめておこう」
ブーフはルルアからボトルを受け取り、手酌を始める。
「ほう、これほど熱くなる酒は飲んだことがない。オレはお前たちの持ってきたこの酒が気に入った。何という酒だ?」
「ウィスキーだ」
「どうやって作る? なぜ煙の匂いがする?」
「燻した麦を醸してもろみを造り、さらにジョウリュウして作っているからだ」
「ジョウリュウ?」
「酒を熱して、湯気を集め、再び酒を集めることだよ」
「そうか、難しいのだな。しかし、こんなにうまい酒があるとはな。生きていて良かった」
「そんなにうまかったかな? ブーフを見ているとオレも久しぶりに飲んでみたくなった」
サクロはそう言って、ブーフにモルトウィスキーを注いでもらい、味わうようになめた。豊かな香りが広がり、工廠衛星で造った即席の酒とは思えなかった。
「ウィスキーは無理でも、似た強い酒は造れると思う。ジョウリュウする道具が欲しければ用意しよう」
「本当か? それはありがたい。ぜひ、お願いしたい」
アルコールの蒸留器は、工廠衛星ですぐに作ることができる。無償で提供しても良かったけれど、サクロは少し考えて貨幣と交換することにした。イヌビトをリゾート地で雇用するためには、彼らを連合機構の経済システムに組み込む必要がある。そのためには、連合機構のクレジットと呼ばれる貨幣システムに慣らし、連合機構のクレジットを欲しがるようにしておく必要があったからだ。連合機構のクレジットがあれば、派手なプリント布や蒸留器といった素晴らしい商品と交換できることを印象づけたかった。
「少し値が張るけれど、かまわないか?」
「ああ、わかった。値段については、まずモノを見て、それから話し合おう」とブーフは即答する。
「え? ただで作れるのに、お金取るんですか?」と逆にルルアが驚く。フェリスがそれを通訳する前に、サクロは通訳しなくていいとフェリスに言って、ルルアにサクロの考えを説明してやる。ルルアはなるほどと感心した様子だった。
「ブーフ。あんたは値段といったけれど、この世界にもカヘイとかカネのようなものはあるのか?」
「あるさ。当たり前だろう。これだ」
そう言って、ブーフは首飾りを指さした。いくつもの青い石に孔を開け、植物の繊維をより合わせた糸を孔に通して作られている。
「ヨブウが手に入るたびに、これを長くしていって、一オルドになったときに、一人前と認められる」
察するに、ヨブウとは青い石のことで、それが集まったオルドは長さか通貨の単位のようだ。
「一人前として認められるとどうなるの?」
「男が女にオルドを渡して、つがいになる」
「へえ、なんだかステキ」
「そのオルドで他にどんなものが買えるんだ?」
「一度にそうたくさん質問するな。オレにもお前たちの話を聞かせてくれ」
「そうだった。すまない」
「お前たちの国にもカネはあるのか?」
「ああ、これだよ」
そう言って、工廠衛星に造らせていた合金製のコインを見せる。表面に構造色が出るような加工を施しているため玉虫色に輝いていた。
「孔がないな。どうやって保管するんだ?」
その素朴な質問に二人は思わず笑ってしまった。ブーフにとってカネとは、あくまでも孔を開けたヨブウに糸を通してオルドにしたものだったから。しかし、次に製造するときは真ん中に孔を開けようと思った。
「箱に入れて保管している。それで、そのオルドで他に何が買える?」
「そうだな。いくつかあるが、主には船や家だ。それらは船大工にしか作れない。だから俺たちは普段はヨブウを貯めてオルドにしておき、特別なときに使う」とそこまでいってブーフは「ああ、そうか」と何かに気がついた。
「なぜサクロがそこまでオルドを気にしているのか、今分かった。さてはお前、ルルアとつがいになりたいのだな。だからオルドが必要なのか。気づくのが遅くて済まなかった」
ブーフの意外な発言にサクロは飲んでいたウィスキーでむせた。
「えー、違いますよ」とルルアは笑っている。「昔はつがいというか結婚制度があったけど、今はそういうのはないんです」
「そうなのか。つがいのあり方は、それぞれということか」
「そういうことだ。しかし、蒸留器を売って得るオルドのことをもっと知っておきたい」
「もっともなことだ」
「オルドのもとになる青い石のヨブウはどうやって得ることができる?」
「人それぞれだ。オレは漁師だから漁に出れば成果に応じてコハがくれる。それに船大工たちは食べ物を作らないから、船大工の持っているヨブウと食べ物を交換したりもする」
「なるほど。普段必要なものはヨブウで買うんだな」
「いや、ヨブウで買い物をするのは船大工や鍛冶師だけだ。俺たちはヨブウを貯めてオルドにする。オルドで買うのは自分では作れないものだけだ。蒸留器は俺たちでは作れないから、オルドで買うことに異論はない」
「それじゃあ、食料品や日用品はどうやって手に入れるんだ?」
「それは自分で捕まえたり、作ったり、お前たちが色々と贈ってくれたように人にあげたり、もらったりするものだろう。なぜカネが必要になる? それともお前たちは違うのか?」
「ああ、違うな。贈り物をすることもあるけれど、基本的には必要なものはすべてカネで買う」
「干し魚もか?」
「ああ」
「酒も?」
「もちろん」
「それではいくらあっても足りない」
「そうだな」
「不便ではないのか?」
「カネが足りなくて困ったことはあった。けれど、そういうものだから、それが当たり前だと思っていた」
ブーフは哀れみの表情でサクロを見た。
「なら、ここで暮らせばいい。食べ物はいくらでもある。ここには家族、仲間、生きるのに必要なものがすべてある」
ブーフは、ここにはすべてがあるといった。連合機構の基準からすれば、ここには物資を始めとして、教育、医療、インフラなどありとあらゆるものが不足している。しかしブーフの発言を、連合の豊かさを知らない原住民の勘違いだと笑い飛ばして冷やかすことができなかった。連合は豊かな反面、なにかが決定的に欠落している気がするからだ。連合では膨大な物資に反比例するように、おそらく生きる意味そのものが欠落しているのだ。
「もうすぐ、二人目の子どもが生まれる。この首飾りが一オルドになったとき、その子のために舟を買ってやるつもりだ。生きるのに困らないようにな。オレの父やその父もそうしてくれた。だからオレもそうする。先祖が残したものを子どもに引き継いでいくのがオレの役目だ」
そう話すブーフの横顔は、魚の脂から作られたろうそくの明かりに照らされ、神秘的で誇りに満ちていた。サクロとルルアは神妙に耳を傾けている。
「みな、お前たちには感謝している。うちの女房は、あんな上等な布は見たことがないといって、何度も布を触ってはうれしそうにしていた。あんなにうれしそうな女房を見るのは久しぶりだった。お前たちがここに逗留したいといって反対するものは誰もいないだろう」
「そうか、ありがとう」
サクロは、微笑んだ。
リゾート開発が始まれば、ここの生活は連合のやり方で確実に物質的に豊かにはなる。しかし、それ故に、先祖から受け継いだ家や舟、生活は貧相な物にしか思えなくなるだろう。過去や現在を否定し、今、ここではない未来のために、果てしなくカネを必要とする生活へ移行するだろう。それはこの人たちを不幸にすることはあっても、幸せにすることは決してない。そう考えると、こみ上げてくるものがあったけれど、原住民にそれを気取られるサクロではなかった。こんな感傷的になるなら、やはり酒など飲むべきではなかった。
そうして宴もたけなわのとき、サクロたち四人の情報端末にミロウンガ号からの通信が入った。ミロウンガ号は方舟と戦闘した海域を目指していて、そこまでは最短でも一週間かかるけれど、まだ四日しか経っていない。緊急の連絡を必要とする事態が発生していると直感し、ルルア以外の三人は緊張した。続いて、ナウラス大尉の声が通信端末から響いた。
『ミロウンガ号はクマ大陸西の海域にて新たに出現した不審船と交戦し、これを撃沈。想定外の事態が起こっていると思われる。ミロウンガ号で迎えに行くまで不測の事態に備えよ』
スーとマーザは食べるのをやめ、一目散でかけだした。戦闘車に戻ったのだろう。
新たに出現した不審船とは方舟のことだろうか? 方舟は一隻ではなかったのか? さまざまな疑問が頭を巡る。
突然聞こえた謎の声と、マーザたちのただ事ではない雰囲気にイヌビトたちも興が冷めてしまったらしい。宴会は中止となり、サクロたちも戦闘車へ向かった。
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