胸の内

 雪がしんしんと降る中、私達は商店街近くの公民館にいた。

 部屋の真ん中に小学校でよく見た石油ストーブが置かれ、取り囲むように長机が並べられている。 

 私はいつものパイプ椅子に腰掛け、組合長と銭湯の亭主、駄菓子屋のおばあちゃんと会議が始まるのを今か今かと待っていた。


「酒屋さんは来ないとして、今日も呉服屋さんは遅いですね」


 中年太り選手権があれば優勝して殿堂入りした後、審査員側にまわれそうなほど立派なお腹をもつ組合長が苦笑いで呟く。

 いつも独り言なのか問いかけているのか曖昧な声量はなんとかしてほしい。


「あそこはお忙しいですしね、まぁ組合会を休むことはないので先に始めておきませんか?」


 私は銭湯の亭主に目配せし、急かすように言った。


「そうしよう、今日はおもしろい話があるんです!」


 銭湯の亭主は立ち上がり、子どものように目をキラキラさせている。


「わかりました。駄菓子屋のおばあちゃんもいいですね?」


 組合長が呼びかけると駄菓子屋のおばあちゃんは頷く。ここでの最高齢、白髪交じりで会うたびに腰が曲がっていくおばあちゃん。たまにとても美味しい煮物を作ってくれる。


「八百屋のおかみさんの提案なんですが、うちで柚子風呂やって商店街盛り上げようって、テレビでも特集してましたし絶対いけますよ!」


 立ち上がったまま銭湯の亭主はさらに目を輝かせ続ける。頭も輝いてるしとにかく全てが眩しい。


「組合にも協力してもらってドカンとやって、SMS?とかもバンバン使って」

「いい案だとは思いますけど、初めての試みですしどうなんでしょう?」


 組合長は目を泳がせながら呟く。完全に銭湯の停主の勢いに飲まれて可哀想にはみえるがここで勝負を決めてしまいたい。あと、SMSじゃなくてSNSな、個人じゃなくて世界を相手にさせてくれ。


「商店街のためを思ってのことなんです、私が言い出しっぺですし諸々の準備はさせて頂くつもりです」


 私も立ち上がり畳み掛けるように続けると、組合長は腕を組み目を瞑って「うーん」と絞り出すように声をだす。ちなみに駄菓子屋のおばあちゃんは誰がしゃべってもうんうんと頷いている。


 このまま押し切って言質をとれると思った矢先、玄関からぎぃー、ぎぃーと床の軋む音が徐々に近づいてきた。数秒間があき扉を3回ノックする音が響く。


「失礼いたします」


 扉がゆっくり開くとひんやりした空気が流れこむ。その冷気に部屋だけでなく、議論で盛り上がっていた私達の熱気も冷めるように感じた。


 部屋の入口には、いかにも高級そうな花が刺繍された紫色の着物に袖を通し、目筋の整った凛とした佇まいの呉服屋のおかみが立っていた。


「遅れてすみませんね、少々立て込んでまして」


 呉服屋のおかみは軽く会釈したあと、ゆっくりとした足取りでいつもの席に移動し腰を下ろす。

 それを見た私と銭湯の亭主も同じタイミングで着席する。もう少しで沸騰しそうなほど熱かった部屋の空気が一気に冷めた。


 私が八百屋に嫁いだ数日後に呉服屋のおかみは嫁いできた。

 私と同い年で似たような境遇だと聞いたときには運命を感じずにはいられなかったが、彼女は看板娘として経営難であった呉服屋を立て直し、すぐに商店街のみんなが一目置く存在となっていった。

 毎晩帳簿をつけ、ため息をこぼすだけの私とは違うのだ。


「今日はいつもより盛り上がってるみたいですけど、なんの話しをされてたんですか?」


 呉服屋のおかみは笑顔で話し出したが、その裏には仲間はずれにはされたくない強い意志を感じた。


「銭湯の亭主と八百屋のおかみさんが協力して柚子風呂をしようって、商店街にも盛り上げてほしいと言われてどうしようかと話してたんです」


 組合長が助けてほしいと言わんばかりに呉服屋のおかみを見つめて訴えかける。今日1番の声量だ、いつもそれぐらい頑張ってほしい。


「柚子風呂は私も好きですしいい案だと思うんですけど、商店街の協力がないとできないものなんですか?」


 呉服屋のおかみが言うことはもっともだ。今にもなくなりそうな商店街の財源などたかが知れているが、みんなからつのった大切なものである。理解が得られなければ使用するのは難しい。組合長と駄菓子屋のおばあちゃんも頷いている。


「テレビでも取り上げられてますし世間の関心はあると思うんです、それで銭湯だけ盛り上がるのではなくて商店街も一緒に活気づけれたらとてもいいのかなと」


 私は銭湯の亭主を説得したように話したが、呉服屋は少し首をかしげ不満げな様子だ。


「柚子はこの街の特産品でもないですし、目立ってお客さんがいらっしゃるとは思えないの、それに・・・・・・」


 呉服屋のおかみは含みのある言い方をしたが、小さく「まぁいいわ」とこぼし私の目をじっと見つめる。深く吸い込まれそうなその目に臆してしまいそうになるが、ここで引くわけにはいかない。


「柚子だけでなく他の果物でもできないかなと思ってるんです」


 一同目を丸くし私を見る。駄菓子屋のおばあちゃんは頷いている。


「き、聞いたことないけどできるものなのかい?」


 組合長がたどたどしく話す。不安なのは無理もない、私も昨日テレビを見たあと調べて初めて知ったのだから。


「柑橘系の果物は分かりやすいのですが、りんごを使った例もあって種類は豊富です、日によって果物を変えればリピーターも増えると思います」


 私は自信満々に浅い知識を披露した。ハキハキとした喋りとは裏腹に細かくは聞かないでくれと心底願っていたが、呉服屋のおかみも納得しているように見えたので説得力はあったみたいだ。一応八百屋だし。


「素晴らしいね、これは決まりでしょう」


銭湯の亭主は声を張り上げ私の意見に賛同する。どうやら初めの勢いが戻ってきたようだ。


「組合が出せる分にも限りはありますし、本当に用意できるんですか?」


「任せてください、食用の必要はないので、売りに出せない不揃いな果物を農家のみなさんにお願いしようと思っています」


 私の追撃の提案に呉服屋のおかみの顔がぱっと明るくなる。


「今年は天候の荒れた日が多く、商品にできなかった果物も多かったと聞いているので」


「それなら商店街だけでなく町のためにもなりますね。八百屋のおかみさんがここまで言ってくれてるので私はいいと思いますけど、組合長さんはどうですか?」


 呉服屋のおかみが組合長を真っ直ぐ見つめると、まるで捕食されまいと逃げる小魚のように目が泳ぎ出し、私と呉服屋のおかみの顔を高速で行き来しだした。


「呉服屋のおかみさんが言うならーー」

「決まりですね」


 組合長がおどおどしながら話すのを被せるようにして呉服屋のおかみが締めくくった。


「ああそれと」


 呉服屋のおかみが笑顔で私と銭湯の亭主の方をみる。


「商店街をあげてのことですし、私の店のタオルセットを銭湯で使っていただいて、見やすいところに商品として置いてもらってもよろしいですよね?」


「ええ・・・・・・」


 呉服屋のおかみの満面の笑顔と対象的に、銭湯の亭主は引きつった笑顔をみせる。さすがは商売上手抜け目ない。


「うちの店の商品も置いといておくれよ」


 終始話しに頷いているだけだった駄菓子屋のおばあちゃんが、今日初めて口を開いた。ちゃんと話し聞いてるんだ。



 おおまかな段取りや経費について話し合い、本日の組合会は解散となった。

 しんしんと降っていた雪は止み、あたり一面薄い膜が張られたように雪が積もっている。

 今後の準備のため少しでも早く家に帰りたかったが、公民館を出たところで呉服屋のおかみに呼び止められた。


「八百屋のおかみさん、一つ聞きたいことがありまして」


 組合会の堂々とした姿はなく、穏やかな表情の呉服屋のおかみの目は嬉しさと優しさに満ちているように見えた。


「どうかされました?」


 不思議そうに私が尋ねると呉服屋のおかみは目をそらし少し頬を赤らめている。なんだ告白でもするのか?


「あなたが商店街のために進んで行動してくれるなんて意外というか、今ままで組合のこととか仕方なく付き合ってくれていただけだと思っていたからーー」


 呉服屋のおかみの頬だけでなく耳まで赤く染まる。その熱で辺りの雪が溶けてしまいそうだ。


「どうして今回のことをやろうと思ったのか教えてほしくて」


 呉服屋のおかみの真意は完全には理解できなかったが、私の心の奥底に閉まってある気持ちを伝えると全てが台無しになることは容易に想像できた。 


「商店街のことを好きになってくれたのかなって」


「私はーー」


 呉服屋のおかみの真っ直ぐな言葉と向けられた眼差しに、私は言ってはいけない禍々しいものをこらえるのに精一杯だった。


「もちろん商店街のためですよ、もうここが故郷みたいなものですし恩返ししたいなって」


 作り笑いをうかべ、いつもの調子でうわべだけの言葉をならべる。

 毎日やってきたことなのに、今この瞬間はなぜか取り返しのつかないことをしたような気がしていた。


「それならよかった、私はこの商店街が大好きだから」


 呉服屋のおかみは私がうわべでも言えなかった言葉を混じり気のない笑顔で告白してくれた。

 同じ時期に嫁いで同じだけの時間を過ごしたはずなのに、同じ年齢で同じおかみという立場で頑張ってきたはずなのに。


 あなたはなぜこんなにも眩しいのか。


「ーーどうしてそんなにこの商店街のことを?」


 私とは違う何かを掴めるかとすがるような思いで尋ねる。


「えーと、子供の頃にこの商店街のお祭りに来たことがあったんです。その時は商店街の通りを埋め尽くすほどの人が歩いていて、夜でも凄い明かりでキラキラしていて、みんな笑顔で、こんなに楽しい場所があるんだって」


 呉服屋のおかみは商店街の通りを寂しそうに見つめた。


「・・・・・・こっちに嫁ぐ前にお祭りはなくなったんですけど、きっと私みたいに商店街を好きになった人がいて、ーーいつかまたあの光景が見れたらと思うんです」


「もう一度お祭りができたらいいですね」


 細身の背中に向かって思いを伝えると呉服屋は振り返り笑顔で返してくれた。この言葉だけは本心で語れたと思う。


 私は生まれてからなんとなくで生きてきた。

 短大卒業後やりたいこともなく、当時本当に好きだったのかも思い出せない今の旦那のプロポーズを受け、流されるようにこの商店街と一緒に歳をとってきた。


 仕事が終わると毎日、未来のないこの生活を選んでしまった後悔に押し潰されそうになり、次第に一日一日が死に向かって進んでいるだけと強く実感するようにもなった。


 なにより、こんな状態でも流れに身を任せているだけの自分が嫌いだった。


 活気を失い時間とともにただ朽ちていくだけの商店街と私は何が違うのか。

 呉服屋のおかみにはこの商店街が違ったかたちに見えているのだろうか。

 私も何かきっかけがあれば同じ景色を見ることができたのだろうか。


 呉服屋のおかみの告白に、無くしかけていた感情が呼び起こされそうになったが、すぐに冷めた自分が頭の中を支配するのがわかった。


「ありがとう、これから頑張りましょうね」


 呉服屋のおかみは軽く会釈し商店街に向かって歩いて行く。


 遠ざかる背中を見つめ、私は呉服屋のおかみと同じところへは行くことができないと痛感していた。


 二十年という歳月は取り返しのつかないほどの長さだったのだ。

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