第一章 参幕⑦
「お前か?」
坂道を駆け上がったせいで切れそうになる息を殺し、レオは憎しみを対象へと向ける。赤みがかった皮膚にヘビのような目つき。右手からはシロウサギに炎がかき消されたことを示すように煙がもくもくと出ている女。
「間違いない。奴がこの惨状を生んだ発端だ」
レオの前に立ち尽くし体の周りから小さな氷の粒を浮かび上がらせながらシロウサギは呟く。
「てんめぇ」
一層目つきを鋭くさせ、レオは両腕の拳を震わす。
「あら、そんなに怒らないで頂戴。一体私が何をしたって言うの?」
女は首を傾げ、レオに向かって挑戦的な目つきで微笑む。
「とぼけてんじゃねぇ!!」
レオは全身の力を震わせ声にありったけの怒りを込め、女へと語気を飛ばす。
「ここに来る途中で大勢の人が無残に焼き殺されているのをみた。全部お前だろ?なあオイ?全部てめぇの仕業だろ!??」
「ふふッ」
漏れ出した笑みに耐え切れず女はあっはっはっはっはと声高らかに笑う。
「貴方いいわね。骨がありそうで。そうよ。私が殺したのよ全員」
さもそれが当たり前とでもいうかのように女は優しい声色で答える。
「てめぇ!!!」
レオは腕を後ろへと引き大気中に存在する物質の流れを掴もうとする。
「レオ!!」
何かを掴み上げレオの中で一つの形を形成しようとした時、突如として前方にいるシロウサギの声が辛うじてレオの耳へと届く。
「伏せろ!!」
「なっ!!」
シロウサギの叫び声にレオは反射的に地面へと転がり込む。手の中にあった掴みかけていたものを失い、よろめきながらレオは体を起こす。さっき自身がいた場所を見ると弾丸のようなものが深く地面に食い込んでいた。
「一体どこから……?」
レオが疑問を呈するのも束の間、周囲を取り囲んでいた林の中から数多の足音が聞こえる。
「惜しかったわね。当たれば楽に向こうにいけていたのに」
女がレオに向け口角を上げるや否や足音は止みその存在が姿を現す。
「さあ、始めましょうか」
レオがあたりを見回すと大勢の兵士が前も後ろにも連なりレオ達を囲んでいた。
「躊躇っている暇はない!やるぞ!レオ!!」
自身の体中に浮かばせていた小さな氷を肥大化させシロウサギは対象を目の前にいる兵士たちへと定める。
「氷槍 グレイシャ!!」
放たれた氷は緻密な指令を受け丁寧にレオとりなを躱し、敵の急所へと向かう。数発は炎で相殺されたものの周囲からは徐々に弾丸と血の雨が噴き出し始めた。
「レオ!りなの元に行け!!」
絶えずシロウサギは全身から氷の粒を飛ばしながら前方へとレオを向かわせる素振りを見せる。
「ああ!」
氷の刃がりなの目の前にいた女を追従し、女は数歩後ずさりをしつつ両腕から炎を出し迎え撃つ。そのタイミングを見計らい、レオは走って座り込んでいるりなの元へと向かう。
「りな、行くぞ!!」
レオはりなの腕を取りシロウサギがいる方へと引っ張り上げる。
「み……などうし、て。全部、私の、せいで」
何とか手を取って走り、シロウサギの後方へとレオがりなを誘導した途端、気力が切れたかのようにりなはどっと地面へと膝をつく。
「りな……」
自然とレオは世界連邦が初めて平坂市に現れた時、周りにいた人や親友を守れなかった自分と今のりなを照らし合わせる。目の前で簡単に奪われていく命に自分はただ何もすることができず傍観しているだけ。やるせなかったあの時の気持ちが蘇り、無意識のうちにレオは拳を握り締める。
「レオ、りな避けろ!!!」
「へ?」
現実と切り離されていたレオの思考が発砲音と共に引き戻される。前方へとレオが顔を向けると眼前で何かがぶつかり弾け飛ぶ音が聞こえる。
それは間一髪で氷の刃を飛ばしシロウサギがレオに向けられていた弾丸の軌道を変化させた音だった。
「レオ!!集中しろ!!」
シロウサギは弾丸や炎を氷で捌きつつ背後にいるレオへと顔を向ける。
「今はりなのことを気にしている暇はない!目標を定めて少しでも敵の数を減らせ!!今のお前は昔のお前じゃもうないんだ!!守られる側ではない!今度はその力を使ってりなを人々を守る側なんだ!!」
「そうだ。そうだった」
レオは握り締めていた拳を見つめ先程よりも深く握りしめる。
「今の俺は」
右腕を後ろへと引き、レオは拳に少しだけ空間を作る。
「俺なら」
女の両腕からシロウサギ達へめがけ青色の炎が放たれる。
「頼んだぞ。レオ」
シロウサギは高く舞い上がり空中で両腕を合わせる。
「皆を!!守れる!!」
シロウサギの真下にいるレオが叫び、その拳から眼前に向けられた炎めがけて激流が放たれる。
「圧水弾!!!」
高温の焔と高速、超高圧の水流が激突し大きな爆発音と共に炎と煙があたりを包み込む。
「いくぞ!!!」
シロウサギは組み合わせた両腕を高く上げ、地面へと勢いよく叩く付ける。
「パウダ=スノー!!!!!」
レオ、シロウサギ、りなを円の中心として巨大な氷の円壁が築かれる。
「レオ!!」
シロウサギは自身の背後で膝をつき肩で息をするレオを見やる。
「まだ、やれるか?
」「おう……よ」
力を振り絞るかのようにレオは立ち上がる。
「へへっ……前よりかは悪くねぇな」
薄ら笑いを浮かべレオはシロウサギに向けて親指を立てる。
「よくやった」
その姿を見て、シロウサギは深く満足げに頷いた。
「だが、」
「『とりあえず』を作ったってだけで状況は改善してねぇ、ってか」
「ああ。その通りだ」
シロウサギとレオは目の前に築かれた巨大な氷の壁を見上げる。
「加えて、りなは……」
二人がりなのいる方向へと目を向けると、そこには地面に横たわるように倒れているりながいた。
「さっきの爆発の衝撃波で気絶しちまってる。俺は辛うじて動ける程度だ。逃げ出そうと思ったらお荷物にしかならねぇ。んで周りは敵さんだらけ。さて、どうするかねぇ」
倒れそうな自分の体を元に戻すようにレオは腕を組んで姿勢を正す。
「一つだけだが、方法はないことはない」
シロウサギはりなの元へ行きしゃがみこんでその手首を取り、脈を測る素振りを見せる。
「レオ、またお前の力が必要だ。数秒だけでいい、場を持たせろ」
「行くぞ、レオ」
「ああ」
シロウサギに提案した作戦から数刻後、レオとシロウサギは氷の壁に向かって構えをとる。
「氷槍」
シロウサギが両腕を胸元にかざして唱えると胸元から巨大な氷の塊が生成されていく。
「グレイシャ!!!」
何かを投げるように両腕を前方へとシロウサギが向けると勢いよくその巨大な氷塊が壁に向かって放たれる。氷塊は壁を打ち破り内から外へ。ドゴ、ドゴ、ドゴと数度大きな音を立てた後、人ひとり通れる程度のトンネルが出来上がる。
「今だ!!突っ込め!!道は俺がカバーする!!」
「おう!!」
レオがトンネルへと駆け出すのと同時にシロウサギは指先ほどの大きさの氷の刃をいくつも生成してレオへと向かわせる。
「よし」
レオの背が見えなくなると共にシロウサギはりなの元へと駆け寄り心臓部へと手を当てた。
り……。……な。り……な…………。り、な。
あれ、ここはどこだ?
暗闇の中、八神りなは目を覚ましあたりを見回す。
リナ、リナ。
どこからか聞き覚えのある声が耳にこだまし続け、徐々にりなは意識が明瞭になっていくのを感じ始める。
「その声、ウサギか!?」
閃いたかのようにりな立ち上がり、先程から自分を呼び続けている声の主を探す。「おい、どこにいるんだよ?てかなんでこんな暗いとこに?ここはどこなんだよ?お~い」
りなは必死に手を振ったりジャンプしたりとにかく動作を試みる。
「落ちツケ、リナ」
声の主は諭すようにりなへと言葉を向けた。
「ココはイシキのハザマ。オマエは今、ゲン実では気を失っている」
「意識の狭間?なんだそれ」
眉を八の字にさせりなは首を傾げる。
「マダ、ゲンジツとカンカクが共有デキていないようだが……まあいい。リナ、タントウチョクニュウニ聞こう」
「ん?なんだウサギ?」
りなは顔を上げ暗闇へと目を凝らす。
「ダレにもシバラレナイ自由ガホシイカ?」
「自由……?」
「アア。ソウだ」
「自由、ね……」
自由、自由か……う~んとりなは頭を悩ませる。
「欲しいな」
ニカっとりなは空へと笑顔を向ける。
「私は誰にも気にされずに空が飛べるような自由が欲しい」
「ソウか」
声の主は少し間を置いたのちに結論を下す。
「ナラ、オマエがイキヤスイセカイへハバタケルように羽を付けよう」
「羽を付ける……?それってつまりどういうことだ?」
「ふっ。使ってみればわかるさ」
声の主が微笑んだような声色を見せる。
「そら、もう意識が現実へと帰り始めている。りな、この力を使って、お前が勝ち取った自由を手に取って、あいつを助けてやってくれ」
「力、助ける……?なんだよ、それ?おい!ウサギ?どういうことだ?」
先の見えない暗闇へとりなは一歩踏み出す。踏み出した途端、暗闇から光が見え、りなは現実へと戻った。
シロウサギを信頼し、レオは全力疾走で氷のトンネルを抜ける。道中、いくつもの弾丸が頬を掠め体に衝突しそうになっても速度を緩めることなくレオは走り続ける。数十秒が経ち、視界が開けレオは列をなして銃を構える男達とそれを従える女の前に出る。
「あら?籠城戦は終わりかしら?」
先が見えないと言わんばかりに頬を人差し指にのせ、女はレオへと一歩踏み出す。
「あの化け物とセットじゃないの?どうしたの?仲たがいでもしたのかしら?」
「そうかもな」
レオはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「ふ~ん。まあいいわ。本当は先にササっとあっちから片付けて貴方とあのアホづらしたお嬢様はじっくり時間をかけて悲鳴を聞こうと思ってたのだけど」
ジャキっという装填音が次々に鳴り銃口がレオへと向けられる。
「気が変わったわ」
女もレオを真似るかのように不敵な笑みを浮かばせ両手に火を灯す。
「さっき私の炎と力比べをしようとしたのは貴方よね?」
両手に炎を滾らせ女は一歩一歩レオへと近づく。
「相手してあげる。出しなさい貴方の力を」
女はレオへと両腕を向け炎の色を赤から青へと変貌させた。
ぼんやりとした視界の中、りなはシロウサギに支えられトンネルの中を歩く。自分が今何をすべきか。体は遠く及ばずとも心がその答えを見出していた。
「レオ、今助けてやる」
視界が開け、りなの眼前には炎を向ける女と息をのみ佇む少年が現れる。
「頼むぞ、りな」
「ああ」
シロウサギがりなの肩から自身の腕を解き、レオの側へと立つ。よろめく体を奮い立たせ、りなは二人の前へと足を踏み出した。
「あら?思ってもないことだわ。てっきり怖気づいてると思ったのに。つくづくつまらない女ね。どうしたの二人を庇いに来たの?それとも」
女は自身の体の中に宿る炎を更に滾らせ全身へと火をつける。
「犬死にしに来たのかしら?」
「いや、違うな」
りなは目の前にいる敵に向けニヤリと笑みを浮かべる。
「お前の放つ火を吹き消しに来たんだよ」
「………………………………………………………………は?」
目を血走らせ女はりなを見る。目先にいる人物はどうしようもなく心も体もボロボロで何も持っていない。弱弱しい人間のまま変わりなかった。
「うふふ」
青く光る炎を前進に纏わせ興奮が抑えきれぬ様子で獲物を捕らえる瞳を宿した女、ワタリアは笑う。
「うふふふふふふふふ」
ワタリアの瞳から笑みが消え、衝動的な殺意が宿される。
「いいわ!いいわ!!いいわ!!!いいわ!!!!!」
炎の温度が上がり、全身が見えないほどの青い光にワタリアは包み込まれる。
「お望みの通り灰にしてあげる」
再度、ワタリアは燃え上がるその両の手をりなに向ける。
「消え失せろ!!クソ女!!!!!!!!」
蒼の獄炎がワタリアの掌から射出され辺り一帯を燃やし尽くしながらりなへと向かう。
「やってやるよ」
りなは全身に与えられた力を呼び起こし体を奮起させる。
プツン、と体の内側で何かが弾ける。
心臓の鼓動が早くなり全身からはそれまで満ち足りていたはずの何かがこと切れる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
瞬間。
体を燃やし尽くすかのような熱がりなの体を駆け抜ける。
全身から抜け出した熱は風となり駆け出し、疾走する風は周囲を巻き込む竜巻となり、やがてすべてを無へと運ぶ嵐となる。
数歩先まで全てを焼き尽くしていたはずの紅蓮は嵐に照らされ、命の歓喜を帯び元居た主の元へと還る。
「は?」
敵へと向けていたはずの執念の業火が自身へと向けられ、咄嗟にワタリアはその炎を辺りへと散らす。
「ぎやああああああああああああああ」
ワタリアの周りにいた兵士達へ次から次に炎が燃え移り、阿鼻叫喚の声が場を包みこんだ。
「おま、え……」
先よりも大きな炎を宿し、理解できぬ怒りを抱いたままワタリアは眼前にいる敵へと両腕を向ける。
「お前お前お前お前お前お前お前お前!!!!!!!!!!」
「レオ!!」
シロウサギが叫ぶと同時にレオは右腕を後ろに引き自身の中に残っているすべてのエネルギーを引き出すイメージを作る。
「全てに恵まれた人間が!!!調子に!!乗ってんじゃ!!!!ねぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええ!!!!!!」
ワタリアの全身を包み込んでいた炎が両腕へと乗り移り放たれ、地面が抉れ全てを焦がす熱が大地を枯らしつくす。
「圧水弾!!!!!」
その炎めがけレオは渾身の一撃で迎え撃つ。蒼と青が互いの中間点で相対し新たな熱を生む。どちらともに優劣をつけることなくそれは溶けあい、全てを吹き飛ばすほどの爆風が生じる。
「ふざけるなよ……この私がこんな奴に負けるなんて!!」
爆風の背後。僅かに揺れる視界の中でレオは正面にいる敵の体がわずかに燃えていることに気づく。
「あいつ……まだそんな力が……」
右腕を後ろへと引きレオは新たな水を生成しようと試みる。
だが、そうしようとしていた腕はそれ以上動くことなく地面へと項垂れたままになっていた。
「く……そがっ……」
足元がほつれ激しい爆風の中レオの体は後ろへと倒れようとする。
「まだ……俺は……」
体が倒れないように気力を絞り、辛うじて意識を保ちながらレオは相手を見やる。再び敵の全身を炎が包み込みレオ達へ向けられようとしたその時。
白兎の氷がその全身を射止めた。
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