第一章 参幕⑥ 

ごうごうと燃え盛る宅邸を駆け抜け、八神一族は逃げ惑う。

「りな、どこに行ったのですか?りな?」

叫ぶ妻の伊弉諾と共に八神凪は先ほどから姿が見当たらない娘の姿を探しあぐねていた。

「りな!りな!」

誰かれ構わず次々に人々が外へと逃げ出していく中、凪と伊弉諾は懸命に炎の中へと語り掛ける。だが、そうこうとしているうちに火の手は次々に家やその周囲を囲んでいる森林へと燃え移り始める。

八神夫妻が娘のりながこの場にはいないという考えにようやく至ったのは数分後、屋敷から逃げ出してきた従者の一人の数人の護衛を付けてりなが山を下って行ったのを見た、という証言からだった。

「伊弉諾、りなはもう逃げているに違いない今はそう、信じよう」

屋敷を抜け、麓へと向かって逃げ出そうとする総勢50名に至る八神家関係者の列の一端、憔悴しきった妻伊弉諾の体を支えながら凪は呟く。きっとりなは大丈夫。元気な姿を見たら抱きしめてやろう。勝手に家を抜け出し、夜間に歩き回っていたことを叱るよりも今はとにかく無事でいて欲しい、という娘への愛情が凪の情緒を波立たせる。だが、凪達が燃え盛る八神家から数百メートル程離れたとき、突如としてそれは起きた。

「ぎゃああああああああああああ」

自分達の背後からうめき声のようなものが聞こえ一同は疑念と共に振り返る。赤い色の皮膚を纏った女の下に転がる炭の塊。誰が予測せずともその悲鳴の正体は黒く焼け焦げ煙が発されている物体の物であった。

「な、何が起こったんだ……?」

想像だにできないような事態が視界と鼻腔をくすぐり、観る者の動きを躊躇わせる。しかし、女だけは違った。赤い皮膚の少女は固まることなく至ってスムースに自身の手を動かす。少女の両手に宿していた蒼炎は素早く主の元から離れ周囲にいる者を焼き尽くす。

「ぐぎいやぁぁぁぁああああ」

一人、また一人。少女の放つ炎の色に魅入ったかのように喚いていた肉塊は次々に無機質な声なき者へと変換されていく。

「う、うわああああああああああああ!!!!!逃げろ!!!!」

数人が灰になった後、ようやく誰かの声が響きわたり、時が加速したかのようにそれまでその場に留まっていた人波が動き始める。

「押さないで!」

「ゆっくり焦らずに!!」

「おかあさん!!」

皆誰も彼もが各々声を聞くことなく一目散に山の下へ、下へと雪崩のように駆け出していく。そうしているうちにもまた一人また一人また一人。パニックに陥った人々を味わい尽くすように炎が人々を包み込み、それらは焼き尽くされていく。

数刻が経ち、誰の悲鳴も聞こえなくなった頃、伊弉諾を庇うようにその体を抱きしめ目を瞑っていた凪は薄っすらとその瞳を開ける。

私は死んだのか?首を左右に動かし凪は周囲を確かめる。しかし、前にも後ろにも何かが焼け落ちた後のような白い煙が立ち、嗅いだことのない独特な匂いが周辺には充満していた。

「ここは……地獄か……?」

凪はもう一度首を動かし周りを確認する。いや、私はここを地獄だと思いたいだけなのだ。ここは、見慣れた景色。惑うことなき現実……不意に伊弉諾を抱きしめる手が恐怖に包まれていくのを凪は感じる。

「後は貴方達だけね」

「はッ!?」

八神邸へと繋がる山道。凪は声がした方へと顔を振り向かせる。距離にしてあと数十歩の先にこの現実を地獄なぞ生ぬるい場所へと変貌させたものがそこにいた。


「安心して。まだ殺しはしないわ。私と少しお話をしましょ?」

恐怖で立ち上がれない八神夫婦の前に赤い皮膚の女は立ち尽くす。

「何故だ……何故こんなことを!?」

圧倒的な力の差を見せつけられても尚八神家当主としての眼光は揺らぐことなく、凪はその女を射殺すような瞳で睨みつける。

「?何故ですって?そんなの、楽しいからに決まってるでしょ?」

躊躇することなくさも当たり前であるかのように女は声を弾ませ続ける。

「ヒトの悲鳴を、最後のわななきを聞くのはとても、それはとても」

恍惚な顔を浮かべる女に対し、凪は目を見開かせ体を震わせる。

「美しいもの、だからよ」

目をとろけさせ女は満面の笑みを浮かべ、人とは思えぬ白い八重歯を露にさせた。

「はっ…はっ…はッ…」

これ以上関わってはいけない。早く逃げなければ。本能的な衝動が凪をこの場から遠ざけようとする。しかし、それに反して、体は恐怖で怯みつくしていて動けないでいた。

「だから、本当ならすぐに殺したいのだけれど、貴方達とは少しゲームをして楽しみたいの」

数秒の静寂ですら無限に思わせる時間を経たのち女は凪に向かって微笑む。

「ゲームだと……」

かろうじて凪は喉の力を振り絞り声を震わす。

「ええ。ほら、観てごらんなさい。もうすぐ準備は整うわ」

女は凪の後方へと指を指す。

「お父様!?お母様!?」

恐る恐る凪がそちらへと振り向くと、今一番いては欲しくない愛娘が肩で息をしながらこちらへとやってきていた。


「り、な……」

無事だったのね、という震えた妻の声が凪の耳を掠めとる。無事だ。本当に怪我も何もしていない。よかった。本当に良かった。心の中で安堵のため息を凪はひとまずつく。だが、

「こっちに来るな!!りな!!」

それは最悪な結末へと導かれる予兆であることを凪の脳内は瞬時に導き出してしまった。

「ふふッ。役者はそろったわね。じゃあゲームを始めましょうか?その前に」

眼前に転がる死体の山をみてりなの顔面が恐怖に満ちた頃、正解を得たように女はりなの背後へと炎を飛ばす。

「オーディエンスはいらないわよ」

「きゃああああああああああ」

音を立てずにりなの背後を暗闇から駆け上がってきたそれに瞬時にして明かりがともされる。

「な、つみ???み、ん……な???」

どさりと音を立て自身の背後で崩れ落ちていく塊を唖然とりなは見つめる。

「終わったわね。じゃあ始めましょう」

地面に必死で手を当て何かを探ろとするりなに対し、女は交互に生き残っている人間を見やり粛々と事を運んでいく。

「ルールは簡単。今から貴方達三人で話し合いをして一人だけ生き残れる人間を選ばせてあげる。勿論選ばればなかった人間は死んでもらうわ」

「え?」

必死になって地面をかき分けていたりなの顔に更に影が宿る。

「ま、待てよ。誰がそんなの決める権利が……」

瞳孔を四方八方に散布させながらりなは自身の前にいる女を見る。

「私よ。私が貴方達の死生を決める権利を持ってるの」

口角を吊り上げ真っ白な八重歯を覗かせ女は笑う。

「さっき貴方の後ろにいた殺気だったお友達が焼かれるの、みたでしょ?それとも一瞬で三人纏めて灰になりたい?」

「そ、それだけは!!?」

凪の胸元から伊弉諾が女の元へと飛び出し頭を下げる。

「お願いします。どうか、娘の命だけは。どうか」

「いい面構えね。貴方。気に入ったわ」

女は満足げにその姿を見つめ、また笑みを浮かべた。

「この状況だと、もう誰が生き残るのかは目に見えてるわね」

女は挑戦的な瞳を伊弉諾から凪へと向ける。

「無論だ」

その試練を、差し出された地獄への片道切符を強引に奪い取るように凪は顔を険しくさせ立ち上がる。

「ま、待って。まだ私の意見は……」

「りな」

体を震わせ絶望に阻まれ立ち上がることすらできないりなの頬を凪は優しく撫でた。

「お前にそんな残酷な決断はさせたくないんだ」

「なん、で……どうしてなの……?」

「それは私達がりなの親だからだ」

「どうして、どうして」

「りな」

「私はそういうことが聞きたいんじゃない!どうして私を皆いつも対等に扱ってくれないの?私が後付きだから?八神を支える後釜ってそんなに大事なことなの?どうして皆いつも私を」

「りな」

止めどなく涙があふれだすりなにそれ以上言葉を紡がせまいと凪は優しく娘を抱きしめる。

「父さんも母さんもお前を跡継ぎとしてなぞみていない。一人娘のお前を。産まれたときから手を取って父さんと母さんと一緒に歩き続けてくれているお前を」

一呼吸置き凪は強くりなを抱きしめる。

「愛しているからだ」

アイシテル。愛してる。真っ暗だった暗闇の中でその甘い言葉はりなの心を縦横無尽に駆け、満たしていく。

「ほんとに……?」

「ああ」

「ええ、そうよ。いつだって片時も忘れることなく」

いつの間にか抱きしめあっている二人に覆いかぶさるようにして伊弉諾も手をくべる。

「愛してるわ、りな」

「お母さま」


「さあ、貴方」

りなと凪を抱きしめていた腕を開放し、伊弉諾はそっと優しく両手で凪の手を包み込む。

「ああ」

意を決したかの如く凪もりなの体から腕を引き上げ伊弉諾の手の上に自身の掌を重ねる。

「ふふっ。準備はできたかしら?」

「ああ」

女へと睨みを効かせながら、そっと優しく配偶者の手を握り取りながら、娘の前に凪と伊弉諾は立ちはだかる。

「待って、お父様、お母様行かないで」

涙を頬に滲ませ、りなは目の前へ手を差し伸べようとする。

「りな」

凪は優しく呼びかけ、背後にいるりなへ振り返ることなく伊弉諾と手を取り合って女の前へと歩き出す。

「最期に聞いてほしいことがあります。いいですか」

「最期ってそんな、待っていかないで」

何かに怯える手をりなはわなわなと震わせ前方にいる両親へと近づけようとする。「りな、古いしきたりにとらわれることなく新しい道に進むのです。それが父と母の最期の願いです」

「違うのお父様、お母様。私は皆が生きていればそれで」

何かに満足したように八神夫妻は更に前へと足を踏み出す。

満足したような笑みを浮かべ女は両腕から青い炎を飛ばす。

直後、その焔は二人を包み込み音を立てることなく灰を夜空へと舞い上がらせた。


「さて、次は貴方ね」

ワタリアは詰まらなさそうにして目の前でしゃがみこんでいる女を見る。

「それにしても貴方って本当。しがらみに囚われていると勘違いして今まで生きてきたなんて滑稽な女なこと」

「なんで、約束と違う。私は自由に生きて、いいって。お父様と。お母様に」

自我崩壊を起こし涙すら流さなくなった少女に対しワタリアはわずかに残っているであろう最後の希望の灯を消しにかかる。

「惨めよね。やはり子は親に似るのかしら?」

少女の瞳から哀しみが消え、その色が絶望に変わる。

「似て……る……?」

少女は顔を上げ首を傾げる。

「ええ、似てるわ。滑稽に命を散らせるところがね」

「お、お」

少女の瞳から涙が溢れだし瞳からは憎悪が溢れでる。

「お前、今、なんて……」

「そうそう、それよ。それ。見たかったのはその顔」

ワタリアは満面の笑みになり偉くも力もない少女の額へと右手をかざし赤の炎を灯す。

「貴方で最後だからじっくり甚振ったあげる。精々もだえ苦しんで生きている姿を先に逝った家族に見せてあげることね」

紅蓮が少女へと放たれ、少女の全身へ淀みなく襲い掛かろうとした時。


 突如としてその背後から鋭利な氷の刃が現れ全てをかき消した。


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