第一章 参幕①
「痛って」
「じっとしてろ」
痛みに耐えきれず悲鳴をあげるレオに向け、シロウサギは容赦なくレオの下腹部にある傷口へと薬を塗りこみ手当てをする。シロウサギとレオが世界連邦の強化個体「ミナミ」と激戦を繰り広げて早数日。二人は世界連邦に居場所が特定されているのにもかかわらず、レオの自宅で過ごしていた。
「にしてもよ。なぁシロ」
「なんだレオ」
畳み部屋でうつ伏せになり、治療を受けているレオは自身の背中に何やら怪しげな薬を塗りたくっているシロウサギへと剣呑なまなざしを向ける。
「俺達、本当にこのままでいいのか?」
「どういう意味だ?」
薬を塗り終わったのかシロウサギは円形に巻かれた包帯を取り出しながらレオへと目を配る。
「どういう意味ってこのままここでゆっくりし続けていいのかってことだよ」
「構わない」
コクリとシロウサギは頷き、レオの体へと包帯を巻きつける。
「俺と仲間の計算だと奴らはしばらくここには来ない」
「一体どういう理屈でそう確信してるんだ?教えてくれよ」
今度は訝し気な眼差しをレオはシロウサギへ向ける。
「今は教えれない。何、時期に分かることだ」
「時期に時期にって……昨日聞いた時もそんな事言ってたけどよ。俺の家はもう世界連邦に特定されちまってるのは事実だろ。あいつらと全く遭遇したことない場所ならともかくどうしてまた同じ場所に戻って居座り続けて……」
「だが、ここ数日奴らが現れていないのも事実だろう?」
これ以上レオが文句を言うのを遮るようにシロウサギはレオの独白を強引に中断させる。
「だけどよ、シロ。これだけの期間あいつらが現れてないってのはどうも何か変な気はしないか?例えば俺達を簡単に仕留めれるように何か大掛かりな計画を立てていて、わざと俺達をここに居座らせてるとか……っつ!っ痛ってぇ!」
考えを思い浮かべようと反射的に上体を起こしてしまい、必然的にレオの体と傷口に包帯を巻きつけようとするシロウサギの掌がぶつかる。
「じっとしていろ」
少しだけ浮き上がったレオの上体を右手の掌で抑えシロウサギはレオの体を再び畳へと接触させる。
「じっとしてろって何かあいつらが考えてるって思ったら変に体がこう、動いちまうんだよ。俺を動かせないようにしたいんだったら、隠してるその考えの一つや二つ教えてくれても構わなんじゃないのか?シロ?」
じっとレオはシロウサギを睨みつける。だがそんなレオの顔前でシロウサギは幼子を落ち着かせるように右手の人差し指立を顔の前に立て先鋭な口角を開く。
「レオ、今お前にできることはあまり考えすぎず体を休めることだ。今のレオは正直言って疲労が蓄積されていてとても俊敏に動ける状況ではない。つまるところレオの回復が俺達にとっての最優先事項だ。そうでなければまたあいつらが現れた時、お前は何も守れやしないぞ」
「確かにそうだけどよ……」
「安心しろ。今は回復に務めるんだ。奴らがどう動くかは全て俺に任せろ」
「……」
何か諦観が着いたのかレオは視線をシロウサギからひび割れた天井へと向ける。
守れない。何もできやしない、か……数日前に目の前で起こった惨劇がレオの脳裏を過ぎる。それはレオにとって重責を纏った言葉。自らの手の届く範囲であるならば誰かを守りたい。いや、守らなければいけない。自然とレオは両の手の拳を強く握りしめる。何せ自分は今それができるほどの力を手にしているのだ。レオはふぅ、と強張っていた肩の力を抜いてそれ以上、上を見るのを止める。
「わかったよ、シロ。そういわれちゃ敵わねぇな。ほんじゃぁ、お言葉に甘えて俺は休むとするかな」
レオは目線をシロウサギへと向け微笑みかける。
「あぁ」
うつぶせの状態から横に寝転ぼうとするレオにシロウサギは深く頷く。
「痛ってぇ!」
「だからじっとしていろと言っただろう」
世界連邦中央制御室内大型スクリーン。
「あの化け物たちの正体は掴んだのか?」
「何故対策はまだ進んでいない?」
「このまま変化がなければ我が国から費用を捻出することは難しくなるだろうな」
「早急に奴らを始末しなければ次は我が国が……」
頭を垂れなければいけないほど放たれ続けている重役の一言一句にエグゼクティブチェアに座っているミコト長官は顔を曇らせ頷き続ける。
数日前の出来事を境に今に至るまで。画面からは連邦に対して不透明な未来に対する不安や非難する声が間髪を入れずに漏れ出していた。
もう何度も聞き飽きた言葉の数々に対し、されども長として聞く耳を持たなければいけない立場のミコト長官はその硬い表情を崩さずに一しきりの文句を聞き終えた後に皆さん、と一言置いてから言葉を紡ぐ。
「昨日の緊急会議でもお話いたしましたが、先日我々が実地へと投入した強化個体番号05 ミナミは相手の力量やその異能の力を推し量り、次の対策を講じる一手として盤上に駒として配置したものであります。従って、ミナミは決してあの場での勝利を収めるためではなかったということをご理解いただきたい。確かに、皆さんがおっしゃる通り、あの映像で目撃した個体名レオ・ニワとシロウサギの行動や能力は我々の想定範囲をはるかに上回るものでありました。そして、対治したミナミに全治半年の重傷を負わせたことは紛れもない現実です。ですから、次点の対応として」
「では、その次とやらはいつになるのかね?ミコト君」
長々とミコト長官が弁明を垂れるのに痺れを切らしたアメリカ国防長 ルドナルが画面内に映る自信の机を両手で大きく叩いて体を前のめりにする。
「次、次と期間を決めずに安々と気休めにしかならない言葉ばかりを吐いているから皆不安になるのだろう。具体的に述べたまえよ。具体的に」
ルドナルの声に対し画面の中にいる皆が一応に頭を上下させる。んんッとミコト長官は少し咳ばらいをし、何かを考えるように天井を見つめた後、画面を堅実な瞳で凝視する。
「では、分かりました。具体的に述べさせていただきます。正直に申し上げると具体的な作戦内容については、現在各世界各国の関係機関と秘密裏に連絡を取り調整を進めている最中です。本来であればあと2、3日程皆さんのお時間を頂いた後に決定事項として御見せするつもりでした。ですが進捗を確認したい、と皆さんがおっしゃるのであれば現時点での草案を送らせていただきます。 オノ、頼めるか?」
ミコト長官が自身の背後に立つ秘書のオノへと指示を出すとオノが制御室内にいる各員に音頭をとり始める。数十秒と立たないうちに目の前の大型スクリーンに草案と題された数百ページにもわたる資料が展開された。
数分後、誰もがひとしきり始まりと終わりのページを確認した後に、ミコト長官は画面を見つめ、沈黙を破る。
「防衛に精通した皆さんならご理解いただけるとは思いますが、ご閲覧の通り我々世界連邦は大規模作戦の展開を予期しております」
資料の端端に目を光らせ唾を呑み込む画面越しの男達に向け、淡々とミコト長官は説明を試みる。
「この数分で資料全体に目を通すのは難解な作業になりますので、私の口から端的に申し上げると、大規模作戦の決行は約二か月後、場所は北極大陸。ここで世界連邦が所持している運用が可能な全個体を投入し奴らを一網打尽にする、というのが今回の作戦の主旨になります」
二か月後だと!?
そんな短期間でこの大規模作戦が可能なのか!?
一同に次々と不安な声が飛び交う中、病的にやせ細った男、ロシア国防長官ルーシェンコが悩まし気に手を上げる。
「ルーシェンコ様どうぞ」
オノがルーシェンコの名を呼ぶと室内の空気が一斉に静寂へと至る。
「作戦概要はおおむねこちらとしても理解はしたが、果たして二か月もあの人間離れしたモノが待ってくれるのかね?この二か月、奴らがほとんど動かないということが前提でこの作戦は進んではいないだろうか?」
ルーシェンコの回答が終わるが否やオノが何かを述べようと口を開こうとする。だがそれをミコト長官は手で制し毅然とした面持ちで画面に向き直った。
「ルーシェンコ長官の仰る通りです。勿論我々はその手筈で事を進めてまいっています」
「なっ……」
「どういうことだ……?」
さも自身があるようにきっぱりと口に出したミコト長官の態度にスクリーン越しの驚嘆の声が周囲を覆う。
「ミコト君、説明したまえ。一体どういう根拠で君は奴らが二か月もの間騒ぎを起こさないと断言しているのかね?」
悩まし気に問いかけるルーシェンコに対しミコト長官は泰然と態度を崩さない。
「掻い摘んで説明するとこれまで収集した二回に及ぶシロウサギ、レオ・ニワのデータから奴らは既に人間の体で言うエネルギー切れのようなものを起こしていると判明しました」
「エネルギー切れ、だと……?」
ルーシェンコは更に顔の堀を深くする。
「ええ。そうです。言葉で言うと実感が得にくいと思いますので、まずはこちらをご覧ください」
ミコト長官が再度オノに指示を出すと、画面が切り替わる。互換された映像からは数日前に起こった場面の一部が流れ始める。場面はミナミの眼前で円形の氷壁を築くシロウサギと少し距離を置いて仁王立ちで右手の拳を握っているレオ・ニワの姿から。
肉薄した対戦が数十秒ほどスムースに流れた後、少し映像がかくつき、シロウサギ達の体が徐々に赤や黄色、青色と絵具が混ざったような色に点々と変わり始める。
「映像をここで止めろ」
一定の着色漬けがなされた後、ミコト長官の一声でかくついた映像の動きがより鈍くなり止まる。
「今皆さんに御覧いただいているのは先日のシロウサギ達との交戦時における遠隔ドローンを用いたサーモグラフィー越しの映像になります。今からスローモーションで映像を再開させるのでシロウサギの全身、並びにレオ・ニワの右腕を注視して見いてください」
画面の中の男達がエネルギー切れとどういう因果関係があるかを脳内で結びつかせる間もなく映像が少しずつ動き出し、シロウサギとレオが纏う色が変化し始める。
「シロウサギの全身は円壁を築く前よりも黄色に。レオ・ニワの右拳は全身の映像と比べると紫色になっているのがわかりますか?」
ミコト長官の発した声におぉという感嘆の声が漏れ始め何か納得がいったような空気が場を包み込む。
「確かに……」
「言われてみればレオ・ニワは一点集中のような形で熱がまるで、籠っているような……」
誰かが口に出した言葉にそう、熱です。とミコト長官は大きく頷く。
「シロウサギの全身、レオ・ニワの右拳には技を放つ前と比べて熱が籠っているのです。更に、です」
ミコト長官が話している間にも少しずつ動きが生じている映像がタイミングよく止まる。
「この瞬間」
レオ・ニワが何かを叫びながら青色の塊を放出する場面で映像は止まった。
「これをサーモグラフィー越しに切り替えると」
映像が数秒まで、放たれた塊とレオ・ニワの右手が乖離する瞬間に巻き戻され、再開される。拳から塊が離れるまでの僅か数コンマ間。塊がレオ・ニワの体から乖離された直後。それまで紅色に籠っていたレオ・ニワの手先が僅かに青みを帯びる。初めは爪の先程度だったその青は映像が進むにつれ次第に全身を塗りたくるように侵食していきものの数瞬でレオ・ニワの体を染め上げていった。
「察しのいい方達ならもうわかりましたかな?」
ミコト長官は挑戦的な眼差しを画面越しにいる男達に突き付ける。
「この映像から分かること、それは彼らは自身の体内にある熱ないしエネルギーを利用して能力を行使しているのではないか、ということです」
一同がまたもやざわめきを起こす。そのざわめきに呑み込まれる前にミコト長官は足早に口を開く。
「皆さん、驚かれるにはまだ早い。続きをご覧ください」
ミコト長官に急かされるようにして一同は画面を再度注視する。
次の画面では全身が真っ青に包まれた直後、琴の線が切れるようにして倒れこむレオ・ニワが映し出されていた。
「映像にある通り、レオ・ニワの体は青色の塊を放出した途端に体温が急に下がり、気絶したような素振りを見せています。このことからも彼らが自身の体内エネルギーを利用して技を放っていると仮説づけるのが妥当かと考えます」
「待て、じゃあシロウサギはどうなるのかね?奴は氷を放った後も動けているがこれはどう説明するんだね?」
ざわめきの合間を縫うようにして気難しい顔をし、黒縁の眼鏡をかけた細身の男 中国国防長官 チェンが声を発する。
「ミコト長官の考えを基準にして述べるなら、そこは単純にレオ・ニワとシロウサギの間で保持しているエネルギーのリソースが違うと考えるのが順当でしょうな」
顎に手を乗せ考えに耽っていそうな面持ちのルドナルが顔をしかめ回答する。その素振りをみて確信したようにミコト長官は頷く。
「なるほど。長官達が言わんとしていることはわかりました。すみません、いらぬ話で本題を遮ってしまいましたね」
「いえいえ、チェン長官。疑問に思うことは口に出すべきです。聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥と言いますからね」
ミコト長官はニコリとチェン長官へ笑みを浮かべる。
「では話は先に戻りますが」
一区切り言葉を置き、ミコト長官は自身の目の前にある机の上で指を組んだ。
「彼らが体内にあるエネルギーを利用して能力を発動させていると仮定したとして失ったエネルギーを補填するのに私は充電期間が必要であると考えます」
ミコト長官が言い放った直後、まさかと制御室内外の誰もが一様に同じ考えに至る。
「その充電期間となるのが二か月というわけです」
ミコト長官は確信を纏った眼差しで画面を見つめる。
「加えてレオ・ニワは前回の戦闘で下腹部に銃弾を受けています。エネルギーの補充に腹部の傷の寛解、それらが満たされるまで彼らはしばらくの間この平坂町に留まり続けるだろう、というのが私がそう考えるもう一つの理由です」
なるほど。確かにミコト長官のいうことには一理ある。だが、そうやすやすと上手く事が運ぶだろうか?期待と焦燥が入り混じった各々の考えが閑散を産み室内を満たす。
「ただ、最悪の事態を想定しなければいけない、とも私は考えます」
ミコト長官は深く呼吸をし、一石を投じる。
「最悪の事態、それはこの男のポテンシャルを引き出してしまうことにあるのでなないだろうかと私は思うのです」
大画面の映像が変わり、男の姿が映し出される。長身の目つきの悪い顔立ちに細身だが筋肉質な締まった体。レオ・ニワ。この男が最大の障害になると私の感が告げている。歴戦の死地を掻い潜ってきた猛者は静かにその出で立ちを見上げた。
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