第一章 二幕

  高度数万フィート地点。軍用ヘリの後部ハッチが開かれ空へと飛び立つ直前。耳元では先程から劈く機械音が児玉し続ける。

「これより 作戦名イーカロスの翼を開始する!奴らは我々人類が決して到達してはならない禁忌へと近づいた。捕らわれた人々の救助を優先するとともに関係者は即連行、抵抗した者はやむを得なく抹殺せよ。これは我々世界連邦の最初にして最大のミッションである。繰り返す これより作戦名……」

「ミコト」

「なんだ?アデリ―」

顔が青ざめ、冴えない様子の男、ミコトの肩を自信ありげでボディービルダーかと思うほど筋肉質な男、アデリーは力いっぱい叩く。

「痛い」

「AHAHAHAHA!痛みがあるのは生きている証だ!よかったぜ。お前。さっきから死にに行くみたいな顔してたからよ」

「冗談はよせ。大事なミッションの最中なんだぞ」

「だからこそだよ。大事な時ほど肩の力入れすぎねぇ方がいいぜ。こんなに優秀な俺という隊員がいるんだからな。心配するなってことだよ、隊長さん」

彼なりの労いにミコトは少し笑みを浮かべる。そうだ、我々は死へと特攻するのではない。明日に繋ぐため。未来ある子供達を因果の鎖から断ち切るためにここにやってきたのだ。頭の中でミコトは強固にした決意を繰り返す。不安が浮かんでいた拳を強く握りしめていると、ヘルメットに取りつけていた無線が鳴り響いた。

「予測降下地点 オールグリーン。シキシマ隊降下開始せよ」

「ラジャー」

出撃命令に頷いたミコトは自身を取り囲むように待機している同僚達と顔を合わせる。

「行くぞ、皆」

「ラジャ―」

勢いをつけ上空へと飛び立った男達の背から複数の影のような帆が浮かび地へと向かう。いくつもの白い雲を通り過ぎ、目の前には何かが見える。ここでミコト長官の回想は途切れた。

 

  目を開け、ミコト長官は現実を直視する。

「現時刻をもって、アデリ―隊長含めたアデリ―隊計二十三名全員の死亡が確認されました」

重苦しい空気が立ち込めた制御室内ではため息と焦燥と共に淡々と被害状況が報告されていた。

「アデリー……」

死の淵へと旅立った同僚を近くで見ることができなかった歯がゆさかそれとも変貌を遂げた友を救い出せなかった虚しさか。ミコト長官の顔はあの映像から自然と下を向いてしまったままだった。だが、

「そんな事後報告はどうでもいいのだ!奴はどうなっている?」

「遺体の回収、並びに死亡解剖を我が国で行いたいのだが、いったいいくら出せば叶うかな?」

「つ、次の手立てはちゃんと考えているのであろうな?」

今制御室にいる誰もがアデリーや他の隊員、大勢の一般市民が犠牲になったことには触れもしない。皆思い思いに言葉を口にするのみだ。前線へ向かうのだから犠牲が出て当たり前。脳である我々が無事であればいくらでも立て直すことができるのだ。そんな内容ばかりの言葉しかミコト長官の耳には入ってこない。既に壊死した脳であるからお前たちこそ前へと赴くべきだ。噛みしめたミコト長官の唇からは見えない程度の血が滲み出る。

「で、結局あれは一体何なのだね?ミコト長官!?」

怯えた声を出しながらルーシェンコの問い詰めた声が室内に響き渡り、ミコト長官は意識を外側に送り込む。

「映像で見た通り、奴は我々人類が倒すべき敵であります。唯一私が確信を持って言えるのは、周知の事実ですが例の負の遺産から生じたものということでしょうか?」「負の遺産……『イーカロスの翼作戦』か。ふんっ。子供じみた名前をつけよって」

「失礼を承知でなのですが、そのイーカロスの翼作戦?とはどのようなものでしたのかな?」

二人が問答を繰り広げていると別の声が混ざる。声の主はスクリーン右端の男の映像から。無精ひげにマジックで書いたようなふと眉のフランス国防長レジムだった。

「何しろ先の大臣が汚職で解雇され、なり立てですので」

詫びるようにレジムは頭を上下させる。その姿を見てに同じく画面右端にいるルドナルが仕方ない、と言わんばかりにため息を付いて口を開く。

「端的に言うと、この世界連邦が発足した要因となった事件ですな。なにやら怪しげな生物兵器を作っていた団体を各国の防衛機関が手を取りあって壊滅させたのですよ。表向きには大規模なガス爆発という形にして事態を収束させたわけですが。まぁ、私が言うよりもミコト長官に聞いた方が良いでしょう。何せあの事件の数少ない当事者ですので」

一同の目線が途端にミコト長官に集まる。ルドナルめ……面倒くさいことを言いおって。次から次に訪れる問題にミコト長官は思わず目尻を抑えそうになった。

「ええ。確かにルドナル国防長の仰る通り私はあの時、隊員として実際に戦地に赴いていました。ですがそこで私が目撃したのは炎に包まれた数々の建物だった。我々が向かうのをわかっていたのかあの団体は施設を爆発させ証拠を隠滅させようとしたんですよ。しかし、それが仇になり逃げていた関係者の大方を捕らえることに成功したわけですが……」

「ならば負の遺産と呼ばれるのはどうしてなのでしょうか」

「逃げたんだよ。爆発に乗じてその生物兵器の一部が」

ミコト長官がレジムの問いに答えを見出す前にどこからか声が聞こえてくる。どこだ、誰が、一体どこから。次々に飛び交う疑問を見計らって、オノがミコト長官の側に寄って耳打ちをする。

「最上位機関からの通信です」

「用件は?」

なぜこんな時に?ミコト長官は眉を顰める。

「ふふっ。声が聞こえてるよ長官」

オノに耳打ちさせるのを止めさせ、ミコト長官は天井を見上げ、睨みつける。

「そんなに怖い顔しないで。今日は助言をしに来たんだから。貴方達にあの子の名前を教えてあげた方がいいかなって思ってわざわざここまで声をつなげたんだよ?ほら、『ふめいせいぶつ』とか『やつ』とか名前が定まってなかったら言いづらいでしょ?」

「聞き耳を立てるとは相変わらず性が悪い女だ。奴らを倒す算段くらい立ててもらいたいものだな」

「性格が悪いのはお互い様でしょ?私達に黙ってこんなことしておいて?いつだって貴方達をおもちゃみたいに遊んであげれることくらいその小さな頭につめこんどきなよ」

「……わかった。用件が済んだらすぐに帰れ」

「言えばわかるじゃん!普段からそうしてもらいたいものだよ。え?何?ジャックできるのあと少し?むぅ。仕方ない。じゃああの子の名前、言ったら消えるね!」

慌てふためく人間達の中、明るい口調の少女のような声が響き渡る。

「シロウサギ。裏切り者の名前だよ。」

 

 「アァ、タ……る。わ……た。引き続……よう……んだ。」

「んっ、んん」

霞む視界の中、目をこすりながらレオは起き上がる。目の前には黒い靄のようなものと白い結晶のようなもので覆われた化け物がいるように思えた。

「目を覚ましたぞ、ウサギ」

黒い靄のようなものが上空へと向かい始める。

「あぁ。メザメタカ」

シロウサギはしゃがんで目線をレオへと合わせようとした。

「今、誰かいたのか?」

「協力者だ、俺の」

「そうか」

レオは頷きすぐにまた瞳を地面へと向かわせる。だが、地面へと顔を向けた途端に自分の身に起こった出来事がフラッシュバックのようにレオの脳内を駆け抜けた。「どうなったんだあの後……」

「俺が倒れたお前を連れ出して今は逃げている」

「連れ出した?隠れてる?」

ぼんやりとした頭でレオは考える。眼前の景色は見覚えのない路地裏のような暗い細道。自分の意識が途切れる前にいたのは燃え盛るような炎の中。次々に音を立て崩れる建物、倒れこむ人間……段々と点が一つの線になっていきレオは顔を上げる。「翼!翼はどうなったんだ?」

「ツバサ?」

シロウサギはギギという錆びた鉄のような音と共に首を傾げる。

「俺のダチだよ。俺の側にいた血だらけの!」

「あの人間か」

「そうだよ!どうなったんだよ。というか、なんで俺が!お前とこうして逃げなきゃいけねぇことになってるんだ?」

「落ち着け。心配するな冷静になれ」

「なってるだろ!大分!本当だったらてめぇに殴りかかりたいところをこちとら我慢してんだ!もとはと言えばお前がここに来なければこんな大惨事にはならなかったはずだろ!」

「少し冷静になれ」

「うるせぇ!冷静になれなんていわれる筋合い……」

ブロロロロというヘリの羽がけたたましく回転する音がし、シロウサギを掴もうとしていた手をレオは引っ込める。

「俺のことを言うのは何だっていい。今騒げば、お前がまた狙われるぞ。奴らが本気を出せば数時間で見つかる。その時、さっきのように俺がお前を守り切れるかはわからない」

「くっ……そが」

ため息のような声と共にレオは項垂れる。

「心配するな。あの人間は生きている」

「なんでそんな確証がとれるんだよ」

「少し氷柱を飛ばすのが遅れたが腹の肉に掠った程度だ。そんなに重症でもないだろう」

「お前……」

「心配するなと言ったはずだ。彼は無事だ」

「本当に信じていいんだろうな?」

「あぁ、構わない」

真剣な、だが表情がまるで見えない顔でシロウサギはその尖った眼光をレオへと向ける。

「わかった。俺の負けだ。お前を信じる」

「助かる」

コクリとシロウサギは頷いた。

「それで、これから俺達、どうすりゃいいんだ?」

今だ頭上を飛び交い続ける飛行物体をレオは見上げる。少し動いてしまえば見つかってしまいそうなほどそれは空に溢れかえっていた。

「ここじゃない、どこか隠れる場所を探すしかない」

「申し訳ないが今の俺は立つのだって精いっぱいだ。移動するのにも時間がかかると思うぜ」

「問題ない。俺がお前をさっき見たく持ち上げる」

「さっき持ち上げてここまで来たのかよ……」

「そうだが?」

普通だろと言わんばかりにシロウサギは正面を向く。救急車や警察車両、消防車のサイレン音がドップラー効果と共に徐々に二人の元へと近づいてきていた。

「見つかるのも時間の問題だ。動くぞ」

「お、おい!」

シロウサギはレオの腹を肩に乗せ動き出した。

 


「で、なんで俺ん家なんだよ」

シロウサギがレオを抱えて動き始めてから数分が経ち、二人は何の変哲もない一軒家の一階。即ち、レオの自宅に来ていた。

「ここがお前が一番安全な場所だと言うからだ」

中庭と通じる大きな障子がある畳み部屋に置かれた食卓を挟み、二人は向き合って座る。

「確かにそうだが……」

いつも帰っている場所はどこだと聞かれれば家と答えるだろう、とレオは頭の中で突っ込んだ。

「しばらくはここで落ち着かせてもらう」

「はぁ……こうなったからにはなんだっていいぜ。いろよ」

「恩に着る」

座ったままシロウサギはお辞儀をした。

「だが、隠れた場所でも何でもねぇしここもすぐに見つかるだろうがな。ま、切り替えは大事だ。とりあえずなんか飲むか?え~と……そういやお前、名前は?」

「さっきも言っただろうシロウサギだ」

「シロウサギ……」

レオは頭の中でその言葉を再び反芻させる。何かが引っかかるものの思い出せない。あぁ!そうか!あの訳の分からない暗闇で言われた名だったのだ。ポンとレオは掌を拳の上に載せる。

「あの暗闇で聞いた名前だな?そういやどんな力を使って俺を暗闇に呼び出したんだ?あの気持ち悪い感覚の」

「それも言っただろう。お前の潜在意識の中に潜らせてもらった」

「潜在意識ね……」

本当にSFの世界から抜け出したような奴だなとレオは目の前にいる者を見る。こうして改めて見ると、頭部に生えている白い尖った二本の角のようなものがウサギの耳にも見えないことはない。にしてもシロウサギ……シロウサギか。やっぱり妙に聴きなれた言葉だな。レオは今度は口に出してその名を読んでみる。

「シロウサギ、シロウサギ、シロウサギ。ずっと呼び続けるには長いとかか?……なぁ、シロウサギ。渾名とかないのか?」

よいしょという掛け声と共にレオは立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。

「アダナ……なんだそれは?」

「あぁ~名前を略して親しみやすい呼び方にするみたいな?」

冷蔵庫の扉を開け、レオは二リットルの麦茶を出す。

「お茶でいいよな、ほれやるよ。飲めるか?」

シロウサギがいる机の上へとコップ並々に注がれた麦茶をレオは差し出した。

「ないな、そんなもの」

慎重に人差し指でコップをつついたり、中の液体に指を突っ込ませたりしてシロウサギは答える。

「お前……なにやってんだ?」

「これはなんなんだ?」

シロウサギはコップを見つめ首を傾げた。

「何って、お茶だよ」

「オチャ……?」

「飲み物だよ」

「ノミモノ?」

「飲むもんだよ、飲むもん、口に入れて流し込むやつ、もしかして口に食べ物とか入れたことないのか?」

「入れたことがない……俺は経口摂取せずとも動き回れる体だからな。だが物は試しというやつだ。口に入れさせてもらう」

「そんな高度な会話ができてなんで飲み物みたいな単純な言葉を知らなかったんだ……」

ごくごくごくと言う音ともにシロウサギは麦茶を体内へ吸収させる。

「味はわからんが、よくはできているな」

「わからねぇのかよ。水分補給もいらないんじゃ飲む意味がねぇな」

「そんなことはない。何事も経験は大事だ」

「深いな……」

自身のコップに麦茶をつぎレオも畳に座って一口啜る。ようやくひと時の安堵が訪れ、レオは全身から力が抜けていくのを感じた。

 


「そういえば、お前の名前、俺はまだ聞いていなかったな」

コップの中の水分を枯らした後、数刻が経ちシロウサギは呟く。

「丹羽レオだ」

両手を畳に置いてレオは天井を見上げた。

「では、レオでいいか?」

「いいぜ」

「お前も俺に呼びやすい名前を付けてくれ」

「じゃあ、シロってのはどうだ?」

「シロ……?」

「あぁ。呼びやすいだろ?二文字で」

「構わない」

「お互いの呼び名が決まったとこで、シロ、一つ質問いいか?」

上を向いた顔を正面に戻しレオはシロウサギを見る。

「なんだ、レオ?」

「少し落ち着いて頭が冷静になったから思い出したんだけどよ。お前、俺の体になんか手ぇ加えただろ?」

「そうだ。お前に力を与えた」

「やっぱりな」

瞳を閉じ、レオはほんの数時間前に自分の体に起こった異変を思い出す。あの時。体がやけに素早く動いて、終いには腕から光線のようなものが出たのだった。

「あれは何だったんだ?」

じっとレオはシロウサギから答えが出るのを待つ。

「あれは、」

待たされることなく相手からは解が発される。

「お前に眠っている潜在能力の一部を呼び覚ました。」

「潜在能力?」

レオは首を傾げる。あぁ。とシロウサギは頷いた。

「人間は誰しも潜在能力を秘めている。それがどんな場所であれ必ず一人に一つは芽生える。レオの場合はたまたま生かすべき場所が……」

シロウサギが言いきる前にレオは自身の掌を額に当てる。

「待て待て待て待て。じゃあなんだ。俺は眠ってたもんを強制的に引き出されたってことか?」

「そういうことだ」

「俺がこんなことできるってことはあと地球上に何千、何億とこんな力がでてくるって訳か?」

「いや、そういうことではない。その力の源は俺の後押しがなければ開花しない」「そんなことができるお前って一体何なんだ?」

「俺は……今はやめておこう時期にわかる。」

「時期って何なんだよ……」

「追々共に行動するにつれということだ」

「そうかよ。んじゃぁ結局俺はこれからどうなる?」

「どうもならない。お前はいつも通り過ごせばいい」

「そんなの……そんなのできる分けねぇだろ!」

バンと食卓を叩きレオは立ち上がる。

「もう既に俺たちは仲間として目をつけられてるんだよ!今から普通の生活に戻れだなんて、」

「そうですわ~貴方達は既に突然変異体として個体識別までされていますの~」「は?」

顔を見合わせレオとシロウサギは咄嗟に自身の左手にある障子を見る。頭は羊の頭蓋骨、体は亀の甲羅のような硬化した皮膚に熊のように鋭い爪、ヤギのように急斜面でも闊歩できそうな足。見てくれから化け物、と呼ばれそうなものがそこに張り付いていた。

 


  数時間前、世界連邦 南極本拠地。

「長官、先程シロウサギと共に行動していた男の詳細が判明しました」

履歴書の束のようなものを局員の一人がミコト長官へと差し出す。

「ご苦労」

束を受け取るなりミコト長官はすぐさまそれに目を通した。

「レオ・ニワか……」

資料に張り出されている数枚の顔写真をミコト長官は眺める。一見すると普通の、強いて言うなら目つきの悪い不良のような外見の少年。だが、少年には世界を脅かすだけの力が秘められている。ふん。まるで御伽噺の主人公のようだな。ふぅ、とミコト長官はため息を付き、今後の世界連邦の命運を決定する言付けを皆に伝えるために大きく息を吸い込む。

「共に行動していた男の情報は資料を通じて把握した。総括するとこのニワという男もシロウサギと同じく我々の捕獲並びに討伐対象だ。よって奴らをおびき寄せるために次の段階へと移行する。オノ」

「はい」

いつの間にか隣にいたオノがタブレット端末を操作してスクリーンに先刻のアデリ―と戦っているシロウサギの映像を映し出す。

「前回、対象個体名シロウサギ、レオ・ニワはアデリ―隊長と接触した後黒い液体のようなものが入ったアンプル瓶を巻いて逃走を図りました。この影響により現在平坂市一帯に取りつけた探知型サーモグラフィーが起動できない状態になっています。ですが、県境付近の防犯カメラ並びに航空カメラ、ドローン、海上からの深海レーダーを使用し大方の逃走経路を割り出したところ対象はまだこの平坂市に潜んでいる確率が大幅に高いという結論に達しました。よって対象の捕獲、並びに殲滅段階へと移るための前段階として強化個体05 ミナミの運用をこの場にて正式に決定させていただきます」

「強化個体……先程の男のような物か」

「一体どんなものなのか心躍りますな」

「手早く解決してもらうにはぴったりですな」

また制御室内のスクリーンが黄色い声に包まれる。そんな中ルドナルが不安げな表情で手を上げた。

「ちょっと待ってくれ」

「アメリカ国防長ルドナル様、どうぞ」

オノが丁寧にスクリーンの中にいるルドナルへと手を向ける。

「我々は早急にあの不明生物を消すか研究対象として解剖するか、とにかく安全が確保できる状態が欲しいのだ。相手はいつ何をしてくるのかわからない。現に君が勧めた強化個体の一匹は死んでしまったではないかね。ぐずぐずせずにここは早めに巡航ミサイルのような大型兵器を用いるべきではないか?」

「貴重なご意見ありがとうございます。ルドナル長官。確かに貴方のご意見はもっともです」

オノが何かを発する前にミコト長官が口を開ける。

「ルドナル長官の仰る通り仮に相手が世界を一瞬にして破壊できる力があったとします。しかし、現実では我々はこうして世界各国の地にて席について話し合うことができている。何故か?それは相手がそうできる手段をまだ持ち得ていないからです。よって今は勝つという結果よりもどれだけ相手に手数があるのかを調べる必要があり、そうして相手の挙動や持ちうる武器に探りを入れるには犠牲がつきものだと私は考えます」

「心配はありませんわ。直ぐに世界連邦に欺く族を仕留めてまいりますの」

スクリーンの画面左端に映像が新たに加わる。それは鉄で覆われた牢獄のような映像。中には四人程の武装した人間が座っている。かすかに揺れるその中で一際目立ち、顔以外が人間でない者が画面越しでもわかる満面の笑みを浮かべていた。

「ひっ!化け物!化け物が映り込んでいるではないか!!」

先程までの厳格さをおいてスクリーンに映る男達は逃げ腰になる。

「ミナミか。準備は整ったのか?」

「ええ。後はこの被り物をするだけですわ」

特殊合金で覆われた車両の中から羊の頭蓋骨を右手に掲げ、強化個体05ミナミは笑顔で答えた。

「それに此度は私達世界連邦だけでなく、ほんの少しの加勢も加わっておりますので更に準備万端といえますわ!」

「そうか」

「ミコト様、もっと私を褒めてもいいんですのよ?」

「追加報酬は後でやる。今は任務に集中しろ。頼むぞ、ミナミ。危機を感じたらすぐに引き返せ。アデリ―と同じ轍は踏むな」

しっかりとミナミを見つめミコト長官は呟いた。

 

 

 「やっと見つけましたの。元居た巣が恋しくなる気持ちわかりますわ~」

窓ガラス越しでもわかる異形の姿から物腰の柔らかい女性の声が発されるのをみてレオは固まる。

「レオ、下がっていろ」

いつの間にかシロウサギは立ち、ミナミをじっとみつめていた。

「あいつもさっきの足がめちゃくちゃ速いやつみたく俺達を追う敵なのか?」

今だ引け腰になって立ち上がれないレオは顔を上げシロウサギを見る。

「あぁ。そうだ。奴の名はミナミ。世界連邦の差し金だ」

「世界連邦……?なんだそりゃ?疎いからわからんがなんかそういう国際機関か?」「元は正義の名を冠した善の組織だ。今は大国のおもちゃだがな」

「もしかして、お前そっから抜けてきたとか?」

「感がいいな。簡潔に言えばそうなる」

「裏切者ってそういうことかよ……」

「大事な話は相手に聞こえないようにするものではなくって?」

お互いに顔を見あっていた二人は前へと振り向く。障子は押し倒されミナミを含め、武装を施した人間が二人を円になって取り囲んでいた。

「いつの間に……」

「伏せろレオ!!!!」

凍えるような風と共に白銀の拳がミナミの胴体めがけて叩き込まれる。

直撃

受ければ常人なら内臓まで届いて絶命する一撃だった。

「おほん。奇襲を仕掛けて拳を振りかざす姿、敵ながら天晴。見事ですわ!流石アデリ―様を倒しただけありますわね」

衝撃で壊れた天井の塵が舞い落ち、晴れた視界からは無傷のミナミが現れる。

「一旦、落ち着きなさってはいかがかしら?」

「否!」

もう一撃。今度は顔面へ向けてシロウサギは拳を叩き込む。だが、

「おほほほほ。野蛮な方ですこと。嫌いではないですわね。そういう方」

獣のような爪がそれを阻む。

「ちっ。やはりここでは駄目か」

反撃を呈される前にシロウサギはすぐさま拳を引いた。

「まぁまぁ。落ち着きなさってくださいまし。ここでは私、貴方達に危害は加えない腹積もりできましたのよ」

「どういうことだ?」

ようやくその外見に慣れたレオは立ち上がってミナミを睨む。

「まぁまぁ、そんな怖い顔しなさらないで。お互いこんな辺鄙な場所で戦りあうのも不憫ですわよね?そこで私、従者にお願いして戦う土地をご用意させていただきましたの。よろしければそこでやらなくて?」

おっほっほっほっほと右手の甲を左頬に乗せミナミは笑った。

 


「結局、相手の思う壺かよ」

鉄で覆われた車両の中、いくつもの武装した軍人に取り囲まれてレオは指定された席へ座る。

「奴の言う通りあそこでは俺の最大限の力が出せない。それは向こうも同じ。双方に利がある提案だから乗ったまでだ」

そう言いながらレオの向かい側へとシロウサギは足を組んで座った。

「お前……足組んで座るなよ。いざという時逃げづらいだろ。もうちょっと緊迫した感じもたねぇといつ何があるかわからねぇんだから」

「すまないが足を組まないと座れないんだ。それに到着するまでは向こうも手出しはしないと宣誓を立てた。だから安心しろレオ。そのいざという時は訪れない」

「こんな状況下なんだからそんな約束いつ破られるかわからねぇだろ」

「ミナミはそういうことをしない」

腕を組んでどかっとシロウサギは深く座席に座り込んだ。

「元仲間かなんだか知らねぇが今は敵同士だ。何をしてくるかわからねぇだろ」

「いいえ。私はそんな卑怯な真似は死んでも致しませんわ」

シロウサギの隣、レオから見て左斜めに座っているミナミが答える。

「ほら、やらないと言っているだろう?」

頭でミナミを指しシロウサギは満足げに頷く。

「ナチュラルに会話へ入ってくるなよ。調子狂うだろうが」

少しリラックスしたのかシロウサギ同様、レオも腕を組んで背もたれにもたれかかった。

「うふふふ。失礼いたしましたわ。なんだか楽しそうだったのでつい」

熊のような毛深く鋭い爪をミナミは刃物で研ぐ。

「それにだ、レオ。本当に万が一そうなった時は奥の手があるから安心しろ」

「奥の手?そんなのあるのか」

「あぁ」

首を傾げたレオにシロウサギは深く頷く。

「全員コロセバいい」

「は?」

コロス、ころす、殺す。急に向けられた残酷な言葉の刃にレオの頭は租借するのに時間がかかる。

「殺す……?」

「あぁ」

再度、シロウサギは深く頷いた。

「まぁ!面白いこと!そうならないように努めますわ!おほほほほほほ」

研ぎ切ったのか掌を叩いてミナミは甲高い声で笑う。こいつら……正気か?やはり人間と化け物。それぞれの価値観の溝は埋められないほど大きなものであるとレオは痛感する。同時にシロウサギが次々とアデリ―隊を小さな虫を叩き落とすかのように全滅させていった事実がレオの脳内を駆け巡った。

「うっ」

手で口元を覆い必死に何かが上がってくるのをレオは必死に抑える。

「まぁ貴方、大丈夫ですの?この車両、車酔いしやすいんですわよね……良かったらバケツでも持ってこさせましょうか?」

屈み気味になったレオの背にミナミはそっと手を乗せる。

「いや、いい」

その手を払いのけレオはゆっくりと座り直した。

「それよりもだ。お前達、世界連邦とか言ったか。お前らの目的は一体何なんだ?」「うふふふふ。気分が悪そうだと思ったらすぐさま私に質問なさるだなんて。レオ様ったら情緒不安定ですわね。いいですわ。その心意気に免じて答えて差し上げましょう。私達の目的はシロウサギ様とレオ様、お二人の命をいただくこと。ですが私、無暗な殺生は嫌いですの。だから命までは取ろうとは思いませんわ。だから貴方達を生け、」

「待て、お前」

ミナミの話を遮り、シロウサギは氷の刃を右の人物へと向ける。

「なんですの?」

その刃に怯むことなくミナミはシロウサギへと振り向く。ガシャ、と言う音がし二人を囲むようにして座っていた軍人が一斉に二人へと銃口を向けた。

「おい!何してんだシロ!?ここで戦いはしないんじゃなかったのかよ!?」

突然向けられた銃口に惑うことなくレオは両手を上に掲げる。

「なぜ、俺の名を知っている?」

「はぁ?」

突然訳の分からないことを言い出したシロウサギをレオは目を点にして見つめる。

「なんでって、お前ら二人知り合いじゃなかったのかよ?」

「違いますわよ。レオ様。私達今日初めて会った仲ですわ」

嬉しそうな声で喉元に突き付けられた刃を瞳のない躯が見つめる。

「俺が一方的にこいつのことを知っていただけだ」

更に相手の肉に接するようにシロウサギは刃を近づけた。

「なんででしょう。風の噂かしらね」

「今答えれば命まではとらない」

「ふふ。自分がそれを一番できないことを知っていますのに」

ほんの数秒の間で一気に車内へ緊迫した空気がなだれ込む。

「ミナミ様、目的地に到着いたしました」

だが、すぐさま淀んだ空気をかき消すように車両を運転していた男の声がレオを脱力へと至らせた。

「丁度会話が終わる潮時でしたわね。ささ。皆様降りてくださいまし。シロウサギ様、続きは降りてからにいたしませんこと?」

「チッ。いいだろう。降りるぞ、レオ」

ドアが開き、深緑色の軽装甲機動車から氷の刃を溶かしたシロウサギがレオより先に軍人に連なって降りる。

「はぁ。何が何だかわかんねぇし、死ぬかと思ったし今日は散々だ……」

レオは肩を落とし猫背気味になって車両を降りた。

 

 「なんだここ?」

久しく浴びていなかった澄んだ空気を味わいつつレオはあたりを見回す。そこはレオのような学生にはよく見慣れた土のグラウンドと白い建物だった。

「今は使われてない廃校舎ですわ。この方達がご用意してくださいましたのよ」

「この方達?」

レオは自身の前にいるをミナミを見る。そこには明らかに連邦軍の人間ではなさそうな黒いスーツに身を包んだ男や女達が数人横になって整列していた。

「あれは誰だ?」

顎に手をのせシロウサギは首を傾げる。

「あいつらは……」

レオはじっとこの状況にふさわしくない出で立ちの人物達を見つめる。レオにとってそれもまたこの町ではよく見かける者達だった。

「八神家……」

「ハチガミ?なんだそれは?」

シロウサギは後方にいるレオへと振り向く。

「八神家ってのは端的に言うと古くからこの町を収めてる一族のことだ」

「イチゾク……」

シロウサギは逆方向に今度は首を傾げる。

「あぁ~一族ってのは血縁関係の、言うなれば家族のことだな」

「家族か……」

「確か俺の学校に同級生だったかなんかで八神家のご令嬢がいるんだぜ」

「そうか」

興味なさげにシロウサギは頷く。

「話は済みました?」

両手を組みミナミはレオ達へと振り返った。

「あぁ」

まだ何か言いたげなレオの静止を振り切ってシロウサギは前へとその足を前進させる。

「ふふっ。威勢がいいですわね。嫌いじゃなくってよ。さぁいらっしゃって」

ミナミは体をまた前方へと戻し運動場へ一歩踏み出す。

「いくぞ、レオ」

「はぁ……わかったよ。行けばいいんだろ!行けば!」

半ばヤケクソ気味になったレオと何食わぬ顔のシロウサギはそれに続いて相手が用意した闘技場へ侵入し身構える。次の瞬間、二人の視界を捕らえたのは数多の砂塵であった。

 


 「さぁ、かかってきなさいまし!」

土が抉れ砂埃が空を包み込む。数メートル先ですら視界が霞む中でミナミの声だけが二人の意識を明瞭にさせる。

「くっそ。前が見ねぇ!」

想定外の奇襲に会いようやくレオは意識を相手へと向ける。しかし、立つのがやっとでその瞳は対象を捕らえることができないでいた。

「レオ!」

シロウサギの声が聞こえ、レオの視界が透明な結晶体で覆われる。

「ぐっ!」

ざざっという大きく後ずさりする音がレオの耳に届き、体ごとレオは強制的に後退させられる。

「シロ!」

「問題ない」

身を挺してレオの盾になったシロウサギはめり込ませた足を再び平端な地につけた。「それよりレオ!気をつけろ!次の攻撃が飛んでくる!」

「なっ、」

前方の景色の大半を占めていた大きな背が消え、代わりに獣の強靭な蹄がレオの視界の端から現れる。

「ふんっ‼」

熱波が包み込んでいた周囲を一線の冷気が貫き、豪脚と相対する。シロウサギの拳はミナミのヤギのような蹄のある健脚を捕らえ、重低音を唸らせた。

「いきなり地の利を使った勝負にでたか」

少し視界が開けミナミの姿がようやく露になる。

「ふふっ。ここで貴方達を逃さない為。これも戦略の内ですのよ」

シロウサギへと蹴りこんでいない左足がめり込みミナミの右足には更に力が籠る。「くっ!」

両手を交差させその一撃を受け切っているシロウサギの両足がめり込み、爪先が額へと迫り始める。

「そのまま芥になってくださいまし~」

一段と互いの地面がめり込み矛と盾が強度を押し計りあう。

「氷槍」

「……?」

シロウサギが呟くと胸辺りから小さく散りばめられた鋭利な氷の刃が現れる。グレイシャとシロウサギが小さく言い放つとそれらは眼前にいる標的を認識し、更に細分化されて襲い掛かった。

「これはまた拝見したデータとは異なるもの!!」

力が入ったシロウサギの両手をバネにしてミナミは退く。だが、それを拒むように流氷は速度を落とすことなく追従する。

「あぁもう!めんどくさいですわね!」

レオとシロウサギと一定の距離を取りミナミは長く研ぎ澄まされた腕の爪を使って一粒一粒を捌いた。

「周りも見えるし距離も取れた!これで奴をぶん殴れる!」

シロウサギの背後にいたレオは意気揚々と拳をミナミへと向けようとする。

「本当にそうかしら?」

人差し指で顔をなぞった後、ミナミは再び大きく地面を抉る。途端に周囲がまた土煙に包み込まれ、レオ達の視界は一気に狭まる。今度はどこだ?どこからくる?拳を胸の前へと戻しレオは脇を占める。パカラ、パカラという野生動物が草原を駆け抜ける音が風の音と共に奏でられ場を満たす。

「お次はここからですのよ‼」

「何?」

先程とはまったく次元が違う方向からの声にレオは呆気にとられた。

「上だ!」

レオの耳元からはシロウサギの声が聞こえる。だが視覚や聴覚が認識していても思うように体は動かずレオは呆然と立ち尽くしていた。

「避けろ!レオ!」

上空から襲い掛かる一振りに脳の処理が追い付かずレオは反射的に目を閉じる。突如として銃声までもが鳴り響き、レオの腹部からは急激な熱が放出される。

「レオ‼」

シロウサギのがなるような声と共にレオの体は地面へと転がっていった。

 

 僅かに淀む視界の中レオは腹部に手を当てる。

「つ……ばさ……」

手を放し眼前へと赤く染まった自身の掌をレオは見つめる。脳内に響き渡る銃声、膝に寝転ぶ友人、止まらない血。全てがあの時と重なって見え、レオは今自分がどこにいるのかわからなくなる。

「ちょっとどなた?私が合図するまで手出しは無用と言いましたわよね?」

めり込ませた自身の右手を地面から抜き、レオの右側数歩先にいたミナミは立ち上がる。

「運がいいのか悪いのか。あの一撃を喰らってたらお釈迦になっていたな」

「し……ろ……?」

徐々に視界が明確になり始め、レオは今いる場所を把握する。眼下には乾いた土、むせかえるような硝煙の匂い、視界の左端にはもう見慣れた骨格の化け物。

「安心しろ。少し弾が掠っただけだ。止血ももう済ませてある」

「ほんとう……か?」

「あぁ」

もう一度、腹部に手を当てレオは感触を探る。服にはべったりとした血がついているもののその赤は止めどなく流れ出てはいなかった。

「レオ」

シロウサギがレオへと手を向ける。

「……」

その手を掴もうとするものの自信の掌についたものを見てレオにはまた拭いきれない後悔が押し寄せてきていた。

「レオ!」

パチンと弾ける音をさせシロウサギは血だらけのレオの手を掴む。

「お前が今考えていることはわかっている、レオ。だが、今は過去を振り返るな。目の前を見ろ。今できることだけを考えろ。他人を心配する前に自分を労れ。話はそれからだ」

「でも、俺は……」

握られた手をわなわなと震わせレオは涙を流し始める。

「でも俺はあの時も今も何もできていない……」

「否、そんなことはない」

シロウサギは震えたレオの手を自身の体へと引き寄せる。

「お前にはお前しかできないことがある。力を示せ、レオ。ここを突破できるのはお前しかいない。耳を貸せ」

 


 「終わりましたか?」

「あぁ」

息を揃えてレオとシロウサギは立ち上がる。

「先程は私の配下が失礼いたしましたわ。非礼をお詫びさせてくださいまし」

羊の頭蓋骨を取り、ミナミは丁寧に頭を下げた。

「あれらにはもう手出しはさせませんわ。正々堂々と決着をつけましょう。あっと。その前に。貴方達がどういった認識で私と戦うか少々確認をしてもよろしくて?私は貴方達が動けなくなるくらいがベストなのですけど貴方達は私が動けなくなっても拳を奮い続けますのよね?」

「いや」

シロウサギが何か言い切る前にレオは首を横に振る。

「命までは取らない 俺達の力をここで示せればいい」

「うふふ。そうですか。隣の御仁に何を吹き込まれたのか知りませんが私も舐められたものですわね」

「舐めてんのはてめぇもだろうが。俺達を生け捕りにする?はっ。目標設定が低すぎんだよ。殺す気で来い」

「うふふふふふふふふふふふふふふふふ。いいですわ。気分が高ぶりましてよ。ならば、」

目の前にいる獲物へ向けてミナミは全身の毛を逆立てる。亀の甲羅のような皮膚はその硬度を際立たせ体が一層巨大なものになる。

「全力で行かせていただきますわよ!!」

高らかに蹴り上げた地面が抉れ、茶の狼煙を上げながらレオ達へとミナミは猛進した。

 


 「人のような格闘技に加えて氷の刃のようなもの。まだなにか隠し札があるのかもしれませんね」

画面に流れる映像を分析しつつリアルタイムでデータをまとめ上げている局員が同じくデータを凝視するミコト長官に声をかける。

「あぁ。我々としてもなるべく相手の手の内を知っておかねばならん。そのためにミナミをわざわざ出撃させたのだ」

「骨折れる情報収集の所、少しいいかな?」

しばらくミコト長官が画面越しにいる男達のやり取りをみつめているとルーシェンコが画面から圧のある声を発する。

「構いません。どうぞ。映像を映せ」

「はい」

局員はすぐさまスクリーンの映像を敵の詳細なデータから各国の人間が集っている映像へと切り替えた。

「先程からミコト君は我々とコンタクトをとってきたあの化け物……ミナミ?と言ったかね。それを偉く信頼しているが一体どういう力があれには秘められているのかね?見てくれは勿論我々人類と違うというのは理解しているのだが」

「ルーシェンコ様、回答をさせていただきます」

ミコト長官の背後にいたオノが体を前に切り出しミコト長官の隣に現れる。

「強化個体05、ミナミは世界連邦の強化個体臨床研究における唯一のゲノム編集成功個体です」

「ゲノム編集……?」

「はい」

呆然と映像の中にいるルーシェンコにミナミは頷く。

「簡潔に申し上げるとヒトに熊、山羊、亀の遺伝子を混ぜた個体、人為的ないわゆるキメラというものです」

「ヒトに他種の遺伝子を……」

「そんなこと倫理的な問題ではないか!」

「どうなっている禁止されているはずだろ!」

「人類はよもやここまで発展したか!」

「素晴らしいではないか!わが国にも……」

オノが告げた途端にスクリーンからは怒号や歓楽で包まれた声が飛び交う。

「では、なんだね。君達はまだ人類の禁忌であり、採用するには今後何十年とかかるであろうとされていた動物の遺伝子を人間に組み込む技術を手に入れているということかね」

「大きく解釈を捕らえるとするのであればそうなります」

にこやかにオノは画面へと頷いた。嘘だ。そんな技術などあるわけがない。あそこから逃げ出した個体を機関から譲り受けただけだ。隣で嘘方便を巻く男に先を越されたせいで口元まで出ていた事実をミコト長官は呑み込む。

「皆様、お話し中の所、申し訳ありません!ミコト長官!対象が動き始めました!画面、切り替えます!」

「何だと!?」

スクリーン端へと追いやられていた蚤のように小さな映像が拡大され画面いっぱいに映りこむ。異形の化け物同士が拳をぶつけ合う瞬間が捉えられ映像が物理的に乱れるほどの風圧が観るものの意識を引き込ませる。

「動き出したのは個体名シロウサギです!個体名レオ・ニワは今だ動いていません!」

釘づけにされた人々を現実に戻すように局員の一人が大声を出す。その声に促され、ミコト長官は状況を確認するために瞳孔を動かし始める。

「この場に奴らを引き込んでからシロウサギばかりがミナミへの迎撃を図っている。それに加えてシロウサギがまるでニワ・レオが動けないかのように彼に向けられた攻撃も庇っているように見える」

「もしかすると、ニワ・レオは何らかの条件が重ならないと自身の力を発揮できない、と考えるのがいいかもしれませんね……」

隣で腕を組み考え込んでいるオノが呟く。数時間前。アデリ―が死ぬ直前。歴然とした力の差があると思えたレオとアデリ―の間に突如として一閃が叩き込まれた。それは消防車のポンプのように圧縮された水。レオの腕から放たれた拳大の濁流はアデリ―の肉を貫き左足の健を粉砕するに至った。何か条件がないと使うことができない……?だとするとなんだ、何が条件なんだ。ミコト長官は頭を回転させる。まさか……

「すまない。君」

ミコト長官は近くに座りパソコンを操作していた局員に声をかける。

「なんでしょうか?長官」

両手でキーボードで何かを打ち出しながら局員は振り返った。

「今、ミナミ達がいる場の気温や気圧、これから予想される天候を調べ上げてくれないか?」

「了解しました。直ぐに調べます」

カタカタカタと音が聞こえ、完了しました、という言付けが聞こえる。

「衛星のアクセス権を連邦命令で強制的に握ることができたので直ぐに閲覧できました。東京都平坂市、現在の気温は……これはっ!?」

「どうした?」

腰を屈め、ミコト長官は画面を覗き込む。

「周囲の気温、気圧共に現在進行形で大幅に低下中!」

「なっ……」

「どういうことだ?」

オノまでもが緊迫した声でパソコンを覗き込む。

「映像、現在交戦中の強化個体名ミナミに切り替えます。……ッ!」

「今、日本の季節は?」

画面を凝視し、ミコト長官含めたその場にいる人間の表情が強張る。

「五月……です」

恐る恐る画面を前のめりで観ていた局員がミコト長官へと振り返る。

「どういうことだ……これも奴の能力なのか?」

頭を抱えて全てを投げ出したくなるのをミコト長官は我慢する。周囲の天候は雪。本来ならばこの季節に日本の気候上、在り得ることがない現象を目にし一同の思考は瞳に映り込む白銀の世界へと放棄された。

 


砂塵が止み、先程まで砂漠のように枯れ果てていた土壌に水が滴り落ちる。

「なんですの?これは?」

突如として舞い降りた雪にシロウサギと拳をぶつけ合っていたミナミはすぐさま後ろへと下がり周囲を見渡す素振りをする。植物など微塵も生えていない地に舞ったそれは数瞬の間に豪雪となり辺り一帯を覆い始めた。

「いくぞ、レオ」

「あぁ、シロ」

真正面で混乱し立ち尽くす標的を定め、レオとシロウサギは構える。

「今のお前が掴めるチャンスは一度きり。だが臆する必要はない。次の手立ては考えてある。恐れるな、レオ。飛び越えろ」

「わかった」

レオの打った相槌を見ることなく、シロウサギは自身の持てる速度を最大限維持してミナミへと向かう。

「また来ましたのね!!」

自身の元に再び来たチャンスを今度は逃さぬよう掌を極限まで広げミナミは獲物をしとめる態勢に入る。

「お前の相手は、俺ではない!!!」

あと数歩でミナミの拳が届く範囲。そこでシロウサギは両腕をめいいっぱいかかげ地面へと振り下ろす。

「なっ!?」

野生の感なのか人間由来の悪寒なのか。危機を嗅ぎ取ったミナミは数十メートル後退し、すぐさまシロウサギとの距離をとろうとする。だが

「パウダ=スノー!!!」

後ろへと下がるミナミを追い詰めるようにシロウサギとレオを中心にして氷雪の巨大な円壁が築かれる。

「一体何なんですのよ?次から次に‼」

氷壁の外側から中心へ向けて籠ったような声が聞こえる。

『チャンスは一度きり。恐れるな、恐怖を飛び越えてその先に辿り着け』

円の中心。計算されたように美しいその重心部でレオは目を閉じ、心の中で自身に暗示をかける。あの時。レオはアデリ―に向けた拳を思い出す。無我夢中で相手の興味を引こうとした体からは何かが放たれた。それが何だったのか。レオには微塵もわからない。しかし、この感覚だけは。頭では理解せずとも体は何をするべきか、わかっている。仁王立ちで立ち竦んでいたレオの体に力が入る。意識せずとも全神経は右の拳に注ぎ込まれ体を流れる血の速度は速くなる。血液を送り出す心臓の鼓動が急速なリズムを刻み握りこんでいたはずの拳からは「何か」が発生する。

「なんですのよ!?もう!?こうなれば力づくで突破いたしますわ‼こんのぉぉぉぉ!!」

雪の山から唸る音がレオの意識を切り裂いて耳へと届く。次々に氷が砕け散り、籠った唸り声は次第に明確な敵意を持って鮮明にレオへと向けられていく。もう少し、もう少しだ。レオは右腕を引き、大気中に存在する別の「何か」を引き込む。引き込んだ「何か」と自身が発生させた「何か」の交差点。レオは意識してそれらを一つにしようと試みる。

「そこに居るのはわかっていますのよ!!!」

氷薄の壁。その最後の層を勢い任せに体当たりでミナミは突破する。温められていた円の中心に一気に寒々とした空気が雪の塊と共になだれ込む。

レオの拳の中で一つになろうとする「何か」の塊。眼前へと迫ってきた獲物。仕上げをかけるようにレオは全身を駆け巡るエネルギーがその塊を叩き割るイメージを作る。

「見つけましたわ!レオ様!シロウサギ様これで貴方達も」

「今だレオ!」

シロウサギの声と共にレオは引き込んだ拳を正面に向け、放つ。

「圧水弾(あっすいだん)!!!!!!」

放たれた拳から突如として拳大に圧縮された水が飛び出し、その轟音は一切をかき消す。

「かっはっ!!!!!!!!」

青の鉄槌が巨躯へと襲いかかる。それは人工的に作られた模造の硬皮を貫通し、その背後にある雪の層までもを削り取る。

「ふんぐっ。ぐぅぅぅぅぅぅう」

体の中央を抑えながら流れ出る赤い血が信じられないと言わんばかりにミナミは膝をついた。

「今だシロ!!」

自身のエネルギーを使い果たし、ミナミと同じく地面へと膝をついたレオが慟哭する。

「氷槍」

前にいるミナミを躱し、開けた雪の軌道を潜り抜けてシロウサギは円形の氷壁を取り囲んでいた軍人達の前へと出る。

「グレィ」

何であれなるべく人を殺すな。戦う直前にレオが耳打ちした言葉がシロウサギの意識を乱す。

「……わかっている。グレイシャ!!!!!!!!」

シロウサギの全身から白刃の氷が現れ周囲を取り囲む人間達へと飛び交う。いくつかの発砲音のようなものが轟きカランカランと何かが割れ落ちる音がする。

「俺ができるのはここまでだ。行くぞ!」

シロウサギは小さなアンプルのようなものを割る。周囲の温度が途端に上昇し辺りは黒煙へと包み込まれた。

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