続きは明日でいいや

浅賀ソルト

続きは明日でいいや

 固定電話から固定電話に着信があった。着信音は昔ながらのベルの音だ。俺は店内にある代表電話の受話器を取った。

 電話をかけてきたのは同業の嬉野うれしのさんだった。他人ではないが電話をするのは年に1回か2回。あとは忘年会で顔を合わせて世間話をするくらいの間柄だった。用件の想像はできないが、重要な用件だということは予想ができた。俺よりも年上で業界の先輩。俺に対してなんとなく偉そうで感じの悪い人だった。

 ずいぶん急いでいた。偉そうに挨拶をして急な電話の非礼を詫び、いかにも社交辞令といった感じにもしよかったらなんだけどと前置きした。古物商こぶつしょうの業界は狭い。先輩の頼みを断ると村八分むらはちぶにされて商売がやりにくくなる。お願いのていをしているが半分は命令だし、断ったらどうなるか分からない脅しの要素が無いとはいえない。というか半分以上が脅しだ。

きんの出物が入ってきたんだが今日中に買い取ってくれないか?」

 純金のインゴットではなく大黒様に加工してあるという。

 資産運用できんを所有している人はそれなりにいる。またインゴットではなくなんらかの加工をした形で所有する人も多い。運用という意味では加工に金もかかるし貴金属としての価値も下がるから——扱いにくいから——あまり意味はない。それでも長期間保有するときにインゴットでは味気ないという人がいるのだ。価値が下がるといってもきんそのものの価値から比べると誤差の範囲内だ。

 話を聞くと重さは350グラム。2024年3月現在、ニュースでちょうどグラム1万を越えたので350万以上の価格だ(※筆者注:2024年6月では1万3千円前後、455万以上)。

 といってもグラム数を聞いてその相場価格で買い取っていては商売の意味がない。昨今の相場の動きからみて値上がりは確実なのでそれで買い取っても損はないが、急な電話には意味がある。固定電話も通信の秘密のためだ。LINEで話すのとは意味が違う。

 最終的に320万前後だろうと俺は狙いをつけた。「290万でどうです?」

 急に声のトーンが変わった。「お前ふざけんなよ」ヤクザかというような低音脅迫ボイスだった。

 相場価格で買い取れという命令の意味が込められていた。さらにこれに応じなければどうなるか分かってるんだろうな、という脅迫の意味もしっかり伝わってきた。固定電話でも、嬉野さんの細くなった目と横に伸びて固くなった口が見えるようだった。

 とはいえ、こちらも若手とはいえ独立前からだとそこそこ業界では長い。こういう“圧”を受け流して商売しないとジリ貧になってしまう。

 それまでは代表電話の前に立って通話していたが、俺はそこでやっと椅子に座った。俺の店、森高屋もりたかやの事務机は先代から譲って貰った時価100万はする年代物だ。店頭の接客受付用の机もハッタリ用に年代物で、銘は大したものでははないが一目で古物と分かるようになっている。装飾のレリーフと塗りがいかにも明治大正といった雰囲気だ。そこから奥の応接室に通されたときにこの机で二段構えのハッタリが効くという仕掛けだ。電話を受けながら座った椅子はニトリの丸椅子の方である。机には同じく譲ってもらった年代物の椅子がセットになっている。これに腰を下ろすとさすがに痛むので接客以外では座らない。

 丸椅子に尻を乗せて事務机にある紙とペンを手元に寄せた。ちなみに机の上の固定電話も黒電話ではないが最新型でもない。30年前のプッシュホンである。そこそこ長くこの商売をやってますよというアピールとして丁度いい。

 ペンで350gキンと書きこむ。以降、本文でも分かりにくいのできんはキンと書いてかねと区別する。よろしく。

「それじゃあ駆け引きなしで310万ですよ。さすがにそれ以上は出せませんよ」俺は申し訳なさそうな声を出した。話しながら引き出しから取引用の書類を出した。この金額の取引だと正規の記録作成が義務付けられている。同業者相手だと説明不要なので作成はスムーズだ。

「駆け引きなしってのは320万からの話だ」嬉野さんは電話越しでも容赦がない。「どこまで誠意を見せてくれるんだ?」

 向こうの都合で嬉野さんから電話してきて、買ってくださいとお願いしている立場であるはずなのに、嬉野さんはその立場のケーキの上に誠意を見せろというイチゴを乗せてきた。一般常識から見るとイカれてるが、この業界はこういう交渉をしてくる人間が多い。誰の立場が上なのかさっぱり分からない。

 電話をしながら俺は自分の頭を掻いた。相手に見えなくてもちゃんと困り笑顔を作る。「参ったなあ。嬉野さんにはかないませんよ。315万でどうですか?」

 時計を見る。言い忘れていたが現在は午後4時。古物商の閉店は早い。嬉野さんとしても今日中に取引したいなら俺の店のあとにあと何人、交渉できるかといったところだろう。1人、多くても2人といったところだ。

 電話の向こうの嬉野さんは沈黙している。呼吸と間の感じから相手の心理を読まなくてはならない。怒ってはいるだろう。同時に焦ってもいるはずだ。

 嬉野さんの誠意という言葉もまるっきり非常識ではない。どんな場合でも足元を見て買い叩いていると思われたらいいことはない。そういう恨みは長く尾を引く。

 俺は自分から助け船を出した。「318万、これがうちの限界です。お願いしますよ、嬉野さん」

 これで舌打ちでもされたら俺の負けだ。恨みを買ったことになる。これが俺の限界であると信じてもらえなかったということだ。嬉野さんは350万の相場どころかそれ以上で買えとまで言っている。言葉には出していないがそういう交渉だ。

 360万が俺の本当の誠意だろう。

 そして俺はここで本当の誠意は見せない。金額としては小さいが交渉しているのは俺の利益という一番削ってはいけない部分だ。削ることは俺にとって痛い。恨みという話なら、利益を削られたという俺自身の恨みも過小評価してはいけない部分だ。

 そして質屋をやっていると学ぶ。360万というとんでもない誠意を見せても相手はそれに見合うような感謝をしない。370万じゃないのかよと不満を抱く。同業の人間だろうとそこは同じだ。適正価格というのは満足する価格のことではない。

 それでも俺は318万まで譲歩した。この俺の誠意が伝わって欲しい。他のどんな人間が318万で買い取ってくれるというのか。そこを分かれ。分かってくれ。

「よし、これから行くから書類を用意しておけ」電話から静かな声が聞こえた。怒りや不満はなかった。あとに俺への礼の言葉もあるかと思ったがありがとうはなかった。

 俺は言った。「分かりました。ありがとうございます」

 俺はすぐに書類を作成した。350グラムと自己申告があってもはかる必要がある。道具も用意した。嬉野さんの店からうちまでは車で15分ほどだ。時刻で言えば4時半には来るだろう。それまでに買取用の記録書類を揃えていった。全部は無理なので到着までにできるだけだ。高額な貴金属の取引は決まりが多い。最近は故人の財産として持ち込まれることも増えた。しかしどんなに慣れていても油断するとトラブルになってしまう。決まりを守ることでトラブルを避けることができる。

 書類の準備をしているうちに表に車が到着した。営業用のハイエースである。“質”という漢字をロゴにした嬉野さんの店のマークが描かれていた。

 嬉野さんは純金製の大黒様のほかに自分でも取引用の記録書類を持ってきていた。準備ができていないといけないからなと彼は言った。こういうときのために自分が買い手の書類だけじゃなく売り手の書類も作っておいた方がいい。急な取引というのはいつあるか分からない。

 嬉野さんは55歳で、まだ顔に精気のあるエネルギッシュな肌をしていた。愛想はよく笑顔を浮かべている。業界が長く、人を疑うことと裏をかくことばかりしてきたせいで、目は笑ってない。体型は痩せ形だ。白いシャツにチノパンというラフな服装で、それでいて清潔感を残している。このあたりは接客業としてのプロ意識の産物だろう。

 俺は木箱の中の絹に包まれたそれを取り出した。確かに純金製だ。古いものではなく、前述のようにキンの運用をしていた人が加工品として手元に置いていたものだろう。大黒様としてのデザインは妙に普通で、カタログから選んだものだろうと思った。書類によると持ち込みによる買い取り。持ち込み人の身分証はなかった。割と多いのが、金に困ったドラ息子が祖父や祖母の実家からこういうものを盗んで質屋に持ち込むといったパターンだ。それにしたってドラ息子の免許証の確認と記録は義務になっている。持ち込んだ人間の身分証がないということは、あとで話すが318万でも高かったかもしれないということだ。俺はめんどくせーという気分になった。顔には出さないよう努力した。嬉野さんは書類を見る俺の顔をジロジロと見ていた。俺は普通の遺産処分と同じですが何かという顔を続けた。

 メーターで正確に計測して——当たり前だがお互いに手袋をして商品の受け渡しをした——重量は正確に350グラムとちょっと。未達ではない。これなら提示した318万で問題ない。

 俺は商品を預かり、ケースに入れて、そのケースに鍵をかけて、その場を離れずに用意しておいた現金を数えた。318枚の一万円札を数えると嬉野さんにそれを渡した。取引の全体が監視カメラに映るように意識していた。嬉野さんもその場で318枚を数え直し、最後にパチンと札をはじいた。

「確かに」

 嬉野さんは現金をハンドバッグに入れた。それから手元の書類に必要事項を記入し、捺印なついんもした。身分証の記録については、それもやっておいた。

 嬉野さんと取引をするのは初めてではない。しかし、前回がいつだったか覚えてないくらいには間があいている。

 時計を見る。時刻はまだ午後の4時半。予想よりは余裕があった。

 俺は必要書類一式を嬉野さんに渡した。彼はそれを受け取って最終チェックをした。目つきに鋭さが戻った。書類の不備がないかきっちり確認していた。上から下まで目を走らせている。普段は店同士での商品のやりとりは珍しいことではない。客層が違うし取り扱いジャンルも棲み分けがあるので商品のやりとりはそこそこある。だから書類の項目をチェックしたりはしない。いつもと同じだからだ。もし不備があったも連絡して修正することだってできないことはない。しかし今回の取引には、これ一回限りとでもいうような迫力があった。

「うん、問題ないね」嬉野さんは判子はんこを押した。

 取引が成立した。

 ここで、「どうだい最近は?」などと長話をするのが古物商の習性だったりする。それまで礼をまったく言わなかった嬉野さんはやっとありがとうなと言うと、そのままハイエースに乗って走り去ってしまった。

 俺は定型句として、今後ともよろしくどうぞと言って嬉野さんの見送ってから、純金の大黒様を店の奥の保管庫に移した。

 鍵をかけて大きく息を吐いた。はー。

 自分が思ったより緊張していたのが分かった。まだまだだな。古物商としてはもっと高額の商品を取り扱うことだってあるのに、400万程度であたふたするとは。

 時計を見る。5時10分前。そろそろ閉店の時間だ。

 いつまでもあんな正体不明の代物を店に置いておけないだろう。5時を過ぎても連絡がつく同業者はたくさんいる。俺はもう一度深呼吸をして時計を見た。秒針は回っている。

 今日はもう遅い。明日、350万でどこかに譲ることにしよう。貴金属に強いところってどこだったかなー。

 俺は気にはなっていたし、すぐに次にバトンを回すべきだと理解していた。理解していた。繰り返すが分かってはいたんだ。そして17時というのは次を探すのに無理な時間帯じゃない。やれば見つけられたと思う。やった方がいいと分かっていたし、それがそんなに難しいことじゃないことも分かっていた。

 ただ俺はめんどうくさかったんだ。今日はここまで。続きは明日にしよう。そんなにおかしな判断ではない。明日できることを今日しない。褒められた行動ではなくても悪行ではないだろう。

 それに、あの大黒様の“本当の持ち主”が、紛失に気づくのも今日や明日ではないだろう。ああいう物は目につかないところにしまっている。毎日チェックしたりはしない。そうだそうだ。そうに決まっている。

 俺はもう一度時計を見た。5時5分前。電話をかけるならすぐ目の前にプッシュホンがあった。

 しかし俺はスマホを出してSNSを見たりして時間を潰した。もう一度時計を見たときには5時半になっていた。

 まだ誰かに連絡をしようと思えばできた。だが俺は本格的にその日の業務を終了させ、店を閉め、電気を落とした。

 保管庫には黄金の大黒様が絹にくるまれて鎮座している。俺はそっちを見た。保管室の扉の前には格子が付いていて二重になっている。格子にも扉にも2つの鍵がついている。銀行の金庫室ほどではないが、うちの設備も立派なものだ。扉の中には確実に純金の大黒様がいる。

 俺は店に住んでいるわけではないがたまに寝泊まりして、その日に人がいるかいないか分からないようにしている。今日は自宅に帰るつもりだ。

 誰かが盗んでくれた方がいいのかもしれない。俺はそんなことを考えた。時計はまだ7時前。今からでも連絡すれば転売の取引はできるかもしれない。わざと鍵を忘れてもよかったのかもしれない。しかしそんな度胸は俺にはなかった。

 そして翌日。

 朝には警察が来ていた。任意同行を求められた。嬉野さんの買取価格は180万。それを俺に318万で売ったわけだ。200万以下の買取なら出所や客の記録義務は発生しない。だが、まあ、それは建前であって、相場が350万のものを180万で買い取ったのは不自然だし、その値段で承知した売り手の方だって不自然だ。

 俺は嬉野さんが去ってから7時の時計を見るまでの2時間のことを考えていた。

 なぜあそこで次の行動を面倒くさがってしまったのか。明日でいいやなどと考えてしまったのか。

 面倒だったからだ。面倒だったからやらなかった。そもそも面倒とは何かということを考えると、俺が間抜けだったということだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

続きは明日でいいや 浅賀ソルト @asaga-salt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ