潜入
アリサの屋敷へと帰るとすぐにケイが僕の腕を診てくれた。
食い込んだ爪の跡が残り、少しだけ血が滲んでいたが、そこまで痛くはない。
そこにアンがやってきて、「大丈夫ですか?」と心配の表情を見せる。
「ローウェンの連れている女、クラリスがーー」
僕の腕を掴んだポニーテールの少女の名前は「クラリス」というらしい。
ケイが何があったかを話しているうちに腕の痛みは消えていた。
◇
食卓に座り、話題はローウェンのことに移る。
「それで、どういたしますか?」
ケイが尋ねる。その右手にはフォークが握られ、パスタをつかんでいる。
「そ、そうですね。ひとまず……報告を聞けただけで充分です」
アリサが食べていたパスタを飲み込み、言った。
「とりあえず、先に食べましょう!」
◇
食事の後、皿を洗いながらアンが口を開く。
「私が忍び込みましょうか?」
僕はすぐにはその言葉の意味が理解できなかったけど、アリサとケイの二人は違ったようだ。
なにやらしばらく考えた後、「アン、それいいですわね」とアリサがそれを受け入れ、強気にもローウェンの執務室に忍び込む計画を立てることになる。
アリサが立てた計画はこうだ。
「四日後、兄のシュバルツが前線から帰ってきて、パーティが開かれることになっています。男爵は私とケイで彼を見張りますから、アン、そしてコウキの二人で証拠を掴んでください。お願いします」
顔が城の人たちにあまり広まっていないことと、証拠を探す際、二人の方がいいだろうということで僕も選ばれた。
役に立てるだろうか、
それから、付け焼き刃であるが、忍び込むための足運びをアンから簡単に教わり、見つかった時のために逃走経路の確認を行った。
◇
そして、その日がくる。
「では、行きましょうか」
アンと共に、歩いて城へと向かう。
彼女はいつものメイド服ではなかった。髪と同じ、黒の薄い着物を着ており、夜と同化している。
「着きましたね。ここからは警戒してください」
軽く息を呑む。
二人だからだろうか、深くは緊張していない。
城から、シャンデリアの明かりが漏れる。
辺りの闇に紛れて玄関ホールを避け、城門近くの塔の入り口から、中へと潜入した。
中にはパーティが開かれていることもあり、誰もいなかった。
一度アリサの執務室へと足を運び、様子を伺い呼吸を整える。
「この調子なら大丈夫そうですね」
アンが小声で言い、再び、廊下へと出た。
夜の学校みたいで少し怖いな、と思っていると誰にも見つからないまま、ローウェンの執務室にたどり着いた。
「見張りをお願いします」
小声で言ったアンが、細長い棒を取り出し、鍵穴へと差し込む。
やがてガチャリと音が鳴り、鍵が開いた。どこで習うんだ、と心の中で呟く。
恐る恐る足音を立てないよう忍び込んだ。中は暗く、よく見えない。
窓から差し込む月明かりを頼りに、物音を立てないよう慎重に机や棚を漁る。
ローウェンの机の奥に一冊の本を見つけた。
日記のようではあるが、パラパラとめくってもよく見えない。
その時、
「何者だ!」と声が聞こえてきた。
聞いたことのある声の女性が扉を開け、そこに立っているようだった。
僕はひとまず机に隠れてやり過ごそうとする。
心臓の鼓動が早い。
焦っていた。
アンが着物の裾に手を伸ばし、足についたベルトから短剣を取り出したのが目に入る。
扉からは逃げられないし、ここは仮にも塔の中で窓から逃げようものなら、無事では済まない。
僕の方へ声を上げた人物が警戒しながら近づいてくる。
距離が近くなり、顔が見えた。
クラリスだ。
その手は腰に添えられ、チャキ、と何かを握るような音が聞こえてくる。
以前会った時には外していたそれは、刀だった。
だんだんと近づいてくる。
もう机を挟んですぐ側にいた。
僕は息を殺し、足を抱えてしゃがみ込みひたすら見つからないようにする。しかし、
「貴様、この前のーー!」
見つかってしまった。
刀を抜き、僕の方へと左手を伸ばそうとする。
その瞬間、暗闇に身を潜めていたアンが切り掛かる。
物音に気がつき、クラリスが刀で対応する。
「もう一人……いたのか」
彼女は慌てて壁際へと下がり、二人が距離を取りソファーを挟んで睨み合う。
「今です!逃げてください!」
アンのその発言で僕は我に帰った。
一冊の本を抱えて走り出す。
後ろから金属のぶつかる音が聞こえてくるが、僕にできることは「頼む、無事でいてくれ……」と祈ることだけだった。
◇
屋敷へと無事に帰ってきて、一時間ほど過ぎただろうか。落ち着かない。部屋を歩き回ってしまう。
やがてアンは帰ってきた。
よかった、と思い、声をかけようとする。
だがその姿は痛ましく、タイツは破れ、無数の切り傷が破れた着物越しに顔を覗かせている。
「大丈夫!?」
慌てて肩を寄せて空いている部屋のベッドへと運び、応急処置を試みる。
幸いだが、深い傷口はない。ひとまず着物を脱がせ、更紗の姿にし、横たわらせる。
タオルで傷口の血を拭き取り、布を当て、包帯を巻いていく。
慎重に彼女の体を見ないよう、タイツを脱がせていく。
ここまで走ってきたのだろう、息が荒く、呼吸が辛そうだ。
「ごめんなさい、僕のせいで、」
彼女に任せて逃げたことは間違いだった。
それを聞き、呼吸を落ち着かせたアンが体を持ち上げ、話し出す。
「それは違います」
「あの者とは決着が着かず、窓から飛び降りたんです。この怪我は木にぶつかった時の怪我です。あなたのせいではありませんよ」
「で、でも……」
嘘ではない、が、信じられない。
「それを持ち帰ったではありませんか。これは二人の成果です。私は横になりますから、中を確認してみてください」
こんな時でも彼女は丁寧だ。
僕にできることを探した。
応急処置を済ませ、アンの横に腰掛け、本をパラパラとめくり始めた。
読み始める。
何の変哲もない、ただの日記のように思える。
丁寧な文字で、日付と時間が書き記されている。
しかしあるページに触れた瞬間、僕の胸の雫が光り出した。
ページに羅列された文字の中に浮かんで見える文字がある。
一見するとそれは何かを購入した請求書のページなのだが、浮かんできた文字が指し示す時間と日付は宿を襲う日のものだった。
そして恐らく隠語だろう、雇う男の条件などを指し示す計画書がそこに姿を現した。
「やりましたよ、アンさん!」
僕が喜ぶのも束の間、部屋の窓が音を立てて割れた。
そして、そこから一人の女性が飛び込んできた。
クラリスだ。刀を手に持っている。
まさか追ってきていたのか。
「そんな……、まずい!」
突然の襲撃に、アンは立ちあがり、短剣での抵抗を試みるが、うまく力が入っていない。
動揺もあるだろう。
クラリスに押し込まれて壁に弾き飛ばされ、短剣を手から落としてしまう。
コンッと短剣が床に落ちる音がして、クラリスが僕に冷たい声で話し出す。
「殺しにきたわけじゃない。それをこちらに渡せ」
まずい、このままでは、と思うが、足がすくむ。
「何事ですか!」
そこへアリサとケイの二人が争う音を聞き、部屋の扉を開けて中に入ってきた。
ケイは「大丈夫か」と壁にもたれるアンの肩を支える。
僕は右手に持った日記を握り締め、クラリスをチラッと見る。
「これはいいところに、あなたには
彼女は標的をアリサへと変更したようで、近づき刀を振り上げていた。
しかし、僕の胸の雫が再び光りだす。
クラリスが今言ったことは彼女の狙いではない。
今この状況で狙うもの、それはこの日記しかなかった。
だから決めた。
あえてクラリスに向かっていくことを。
地面に着いた右足に力を込め、蹴り出す。
彼女はその行動を予測していなかった。
僕は彼女の刀が振り下ろされるよりも早く、横から体当たりをし、彼女を吹き飛ばすことに成功した。
チッと彼女が後退りし、舌打ちをする。
「よくやった、」
アンを横たわせたケイが、既にクラリスへと向かっていた。
彼女は慌てて更に距離を取ろうとするが、彼の拳がその鳩尾に入る。
鈍い、唸り声のような吐息を立てて彼女は刀を落とす。
落とした刀がカツンとその音を立て、彼女は気絶した。
一瞬の出来事に遅れてアリサがふう、と息を吐いてこの場を収めた。
「ひとまず、何があったか話してもらいましょうか」
こうして僕らはクラリスを拘束することに成功したのだった。
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