任務

 


 異世界での暮らしは慣れないことが多い。

 特に水だ。


 稽古の後、汗を流すため僕らは川で水浴びを行う。これが冷たく、なかなか慣れない。

 暑いときは気持ちが良さそうだけど。


 街を円状に園芸用の水や飲み水に使用するための水路が流れ、午後にはそこで水を汲む。

 木桶で水を汲み屋敷まで運んでいく。これが重い。さらに冷たい。

 現代のボタン一つでお湯が出る暮らしとは大違いだ。


 その日も午後に食器の洗い物を済ませたアンさんから水汲みを頼まれ、水路へと向かった。

 町の北を東から西へと流れる大きな川から流れるその水路は、南東部の街の入り口まで作られており、この街の人間には生きる上で欠かせないのだろう。




 水を桶に組んで帰ろうと思い立ち上がった瞬間、一匹の猫が僕を見ていた。

茶色い斑模様のある普通の猫のように見えるがじっとこちらを見るその目に何か得体の知らないものを感じ、そそくさと立ち去ろうとする。


 離れて振り返ってみた。まだこちらを見ている。何かあるなら言ってほしい、と思いながら家までの道のりを帰った。


  ◇



「ありがとうございます、休んだらご飯の買い出しに行きましょうか」


 二人で買い出しに街のお店へと足を運ぶ。

「魚があればいいのですが、あ! ありました!」

 僕は着いていくだけだ。


 今来ているのは入り口の広場から伸びる大通りを進んでいったところにある城や、街の住人のために作られた比較的大きなお店で他にも野菜や、果物など、新鮮な食材が木箱に入れられて並んでいた。


「じゃあこれ、持ってください」

 アンから食材の入った木を編んで作られた籠を渡される。重い。

 中にはパンや干し肉、玉ねぎや人参などの野菜が詰め込まれている。


 魚の入った木箱を抱えた彼女と一緒にガーデニングされた広い庭園のそばの緑道を歩いて帰った。


「いつもは一人ですから、大変なんですよ」

アンが笑いながら言う。

 丁寧な物言いが少し慣れない。

 僕もアンさんと呼んだ方がいいのだろうか。

「アンさん、他にも手伝えることありますか?」

僕の呼び方に違和感を感じたのだろう、

「アンでいいですよ」と言われてしまった。


  ◇



ーーその日の夜、城の一室で椅子に深く腰掛けるアリサが話し出す。


「それで……私を狙った者が何者か、やつは吐きましたか?」


「いえ、新しくわかったことは……その者が女性の声だったということだけです」


 答えたのはアンだった。

 しかしメイド服は着ておらず、足が太ももまで出ているえんじ色の薄い着物を身にまとう。


「そう……それで、コウキの方は?」

  調査に進捗のないことを多少、不満に感じてアリサが話題を逸らす。

「はい。彼の能力なのですがーー、わかったことがあります。偽証を察知できるようです」


「よく調べましたね」

 アンをねぎらい、アリサは黙り込む。考え事をする彼女は、指で机をトントン、と叩いて再び口を開いた。


「仕方がありません。彼にも働いてもらいましょう」

 アンはそれを承諾すると、屋敷から姿を消したーー。




  ◇


今日も僕はケイと共に剣術の修行、つまり木刀の素振りをしている。


「ただ振るんじゃなくて、こう、腕全体を使うんだ」


 僕は腕を振っているつもりだったのだがちがうのだろう、

 横で木刀を振るう彼の動きは流暢で努力したのだろう、ということがわかる。

 それに体を見比べるとその筋肉は住んでいた世界が違うことをまじまじと僕に見せつけた。


 しかし、体を動かすことは久しぶりだったし、か努力することも久しぶりな気がする。

 悔しいけどそれは思いの外、気持ちのよいものだった。



 そこへ何やら思いありげに眉をしかめながらアリサがやってくる。


「お願いがあります。あなたのその力で、見てもらいたい人たちがいるのです」


 誰だろう。僕でよければ、

 その依頼のような、命令のようなお願いを引き受けた。

  

  ◇


 午後になり、アリサ、ケイの二人と共に城へと向かうことになった。

 王族のための馬車に乗るとなぜだか少し緊張する。

 護衛になったんだ、と自分に言い聞かせた。


 走り出して間も無く、小高い丘が現れてその上に石で造られた塔が見えてくる。

 一本の大きな塔の周りに何本かの塔が石壁で繋がれており、その正面には広い緑の庭園が広がる。


 サザンピーク城だ。



 小さめの城門を抜けて中へ進んでいく。


 玄関ホールが見えた。

 馬車からおり、「着いてきてください」というアリサに続いて中へと足を踏み入れる。

 ホールの中に敷かれた絨毯が厚く、僕に緊張と重苦しい雰囲気を運んだ。

 



 ホールの左手にある石の階段を登り、二階の広めの廊下を歩いている最中に前方に曲がり角から女性が現れて話しかけてきた。


「おやアリサ、今日は二人連れているな? 新しい従者の者か?」


 そう言ったのは背が高く、赤と白のタキシードを着る女性だ。大きい目と口、紫の口紅と短めの金髪がよく似合っている。


「えぇ、オリヴィアお姉様、今後この者を見かけたらよくしてやってください」


「私は武闘派だからな、例えアリサの従者でも容赦はしないぞ」


「よ、よろしくお願いします」


 挨拶をしてオリヴィアの顔を見た。

 笑ってはいるがその目が笑っておらず、まるで獲物を見つけた獣のようにこちらを眺めてくる。

 自然と草食動物の気持ちになり恐縮してしまう。

 

「冗談だ。それで、どうしてこの者を? 何か理由があるのか?」


「それは、例の件です」

 彼女の疑問にケイが前に出て答えた。

 宿のことだろうか、


 なるほど、と彼女は小さく頷き納得した様子を見せ、

「ならば充分な戦果をあげてもらおうか」

 そう言い残して颯爽とその場を立ち去った。


「あの人はいつもあぁなんです。たまに前線にも出ているみたいで……」


 アリサが説明しながら廊下のドアを開け、中へと入った。

 彼女が座った木のデスクに、書類が山積みになっているのが目立つ。

 あまり広くはない。

 執務室のようで、壁に書類の並んだ本棚や、机の上に飲料を保存するポットが置かれている。

 僕とケイもデスクの前に置かれた低めのテーブルに、簡易的な木の丸椅子に座ってつき、話の本題に入っていく。


「アリサ様。例の話を」

彼女の声のトーンが変わる。

「会ってもらいたい者たちとは、この国の男爵たちです」


  

ーーーーーーーーーーーーーー



ーーローウェン。彼はユアン国の男爵である。

 主に国境付近の問題の処理し、建物の管理を行っている。





「今から行くのが、ローウェン男爵の執務室だ」とケイが言う。


 僕らが会うのは次で三人目になる。

 一人目と二人目を交えた会話では雫は反応せず最初こそ緊張していたがそれも消え、次も平気そうだな、と僕は油断していた。


 執務室の前でアリサが扉を叩き、

「ローウェン様、アリサです。少しお話があるのですけれど」と訪問を告げると、「どうぞお入りください」と女性の声が中から聞こえた。

 扉が開き、中から背の低い黒髪を後ろに縛り上げたポニーテールの少女が現れ、僕らを招き入れた。



 彼は座っていた。

 彼の前には大きな木製のデスクがあり、そこに両肘をつき、指を組んで顎を乗せる。

 客人用の黒いソファーへと通された僕らは腰を掛ける。

 アリサの部屋よりなぜか少し豪華だ。



 座るローウェンという人物を横目でちらりと見る。

 白髪が多く、目の横にシワが目立ち、上半身は黒いタキシードのようだが胸のポケットに金の装飾のついた筆記具が入っているのが目に入る。

 今まで会った男爵と違う落ち着いた雰囲気とその目から少し冷たさを感じる。


「何か御用ですかな?」

 彼がゆっくりと口を開いた。

 その物言いは丁寧で一音一音がはっきりと聞こえてくる。



「えぇ。先日、刺客と思しき者に襲われまして、何かご存知ではありませんか?」



 アリサは毎回これを聞いていた。

 確かに男爵の内の誰かが情報を持っていても不思議ではない。


「ふむ。分かりかねます。そんなことがあるなんて、物騒ですなぁ」

 これでは嘘か分からない。チラリとこちらの様子を伺うアリサ。

 雫が反応を示したら頷くなり手を挙げるなりの合図を送るということになっていた。




「私を狙う者がおります。ローウェン様、何かご存知であれば、伺いたいのですけれど、」


鹿。二人とも、?」




 彼はそう発言した。


 途端に雫が光り出す。


 それは彼が喋っていことの内容が真実ではないということを表す。


 ミィロの声は聞こえてはこない。見てくれているだろうか。




 しかしこれは、

 この男は誰が首謀者かを知っているし、アリサのことをなんとも思ってない。

 見つけてしまった。

 なんとかしなければ。

 荒くなる呼吸を整える。




 アリサがそのセリフを聞いたのち、もう一度チラリと視線をこちらにやる。

 頷き、サインを送る。


 僕と彼女がアイコンタクトをとるその瞬間をポニーテールの少女が見ていた。



「そうですか。話はこれだけです。時間をとらせてしまい、申し訳ありません」

 アリサが撤収を促す。



 しかし、立ち上がり部屋を出ようとする僕の腕を掴む者がいた。

 少女だ。

 そのまま「何者だ」と聞かれ、心臓が飛び出そうになる。

 彼女の爪が僕の皮膚へと食い込み、骨が軋むのを感じる。



「やめなさい、クラリス」

 ローウェンが少女に静止をかける。



「この者は私の従者です。何か御用でも?」

 アリサが低い声で圧をかけ、しばしの間沈黙の時間が流れる。


 クラリスと呼ばれた少女は僕の顔を蛇のようにジロリと一瞥し、手を離した。

 よく見るとスカートだ。

 深い紺色の大きめのスカートに、胸元に小さいフリルのついた、白いブラウスのようなシャツを着ている。

 



「申し訳ありません。失礼な事をしました」

 クラリスの一礼で解放されたことを知り、僕らはそそくさとその場を立ち去る。



「大丈夫か? 腕を見せてみろ」

「う、うん。大丈夫」

 廊下に出てすぐにケイに心配され、自分にも言い聞かせるように返事をした。



 執務室へと戻り、二人に報告を行う。


「見つけました。彼です。彼は首謀者を知っています」


  ◇



ーー「あの者、アリサが出発した時には姿が見えませんでした。探りますか?」

 クラリスの報告を受け、ローウェンは椅子に座ったまま、「いや、あの小僧では何もできまい」とその眉を動かさずに答えた。

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