ミィロ


 僕は気がつくと真っ白な、無限に広がっているようにも見えるし、そこには何もなく壁で覆われているかもしれない、不思議な空間にきていた。

 目の前の重そうな、古びた扉が一つだけある。


 扉に近づき、さびがかったドアノブを下げて中へと入る。



 僕は一度ここに訪れたことがあった。

 死んだ後だ。


 導かれるように扉を開いた。

 


 中は暖かい。

 リビングのような空間に二人座れる大きさのソファーが二つと間にテーブルがあり、その横に机が置かれており、広くはない。

 ランプの灯りがソファーに座るミィロの顔を明るく照らしている。

 机の上には、羽のついた筆記具やら書類の山やらが無造作に並べられていてあまり整理整頓はしていないみたいだ。

 床の木材がきしみ、ギィーと音を立てる。

 壁には見たこともない異国のタペストリーが飾られて、その周りに衣服やら家具やらが積み重なっていた。



「座って」

 彼女が口を開き、僕は赤い布地にゴテゴテとした金の装飾が目立つソファーに浅く腰掛けた。

 ミィロは露出は少ないが、ボディスーツのようなピチッとした赤いドレスに身を包み、更に髪も赤く、情念のような女性のその匂いが僕の鼻にとても毒だ。

 脚を組んで座り、スカートの裾が太ももにまとわりつくその仕草からはこれが大人の色気なのかと思ってしまう。

 また、顔も小さく、その大きな厚い唇が揺れる度になぜか少しドキッとする。



「ひとまずアリサを救ってくれてありがとう」

 穏やかな表情だ。

 僕はどうやら一人の女性を救ったらしい。

 ミィロがテーブルの上に置かれた紅茶の入ったティーカップを手に取り、口をつける。


「さっきまでいたあの場所は、どう?」

 僕が転生した所は、彼女のもつ国家だと言う。

 彼女は伝承として伝わり、一部の国民が信仰しているとのことだった。


「まだ……わかりません」

「まぁそうよね、」

 そう言って彼女は、僕の転生の仕組みを教えてくれた。


「あそこは、あなたが見ている走馬灯のようなものよ。帰ろうと思えば帰れるわ。でもその時ここでのことは忘れてしまうの。覚えておいて」

 走馬灯、それは人が死ぬ時に見る一瞬の夢のようなものだった気がする。


「あなたはその雫を使って暮らしてもいいし、現実に戻ってもいいわ。多分死ぬけど」

 淡々と彼女はいうが、いつか帰ろうと思う日がくるのだろうか。



 しかし、気になることがあった。

 それはアリサのことだ。

 彼女は何者かに指示され、殺される運命だった。


「まだ、戻れませんよ」

 指示した男を探し出すまで、問題は解決していない気がする。

 

 僕の言葉を聞いたミィロは、手に持っていたティーカップを戻して、「そう……」とだけ呟いた。


「そろそろ目覚めるわ、時間ね」


 再び、あの異世界へと行く準備をする。

 僕は入ってきた重い扉を開けて、白い世界へと足を踏み出した。


ーーーーーーーー


 目を覚ますと、朝が来ていた。

 壁にもたれるケイがうとうとしている。

 本当に夜中見張りをしていたようだ。


 やがてアリサが目を覚まして部屋にやってきて、荷物をまとめ、男を連れて宿を立つことになった。


「あなたには、私の屋敷まで来てもらいます。そこで話しましょう」

 僕にそう言ったアリサに、去り際に宿の支配人が出てきて深々と頭を下げていた。


「この者は連れて行きます。後のことは追って連絡がいくことになるでしょう」

 アリサが睨みながら伝えて僕らは馬車に乗り、出発した。


 ケイは疲れてしまったのだろう、馬車の揺れ僕らを揺らしているが、すぐに眠ってしまった。アリサは無言で座って何か考え事をしている。

 しばらくして彼女から声をかけられた。

 


「正直に言います……あなたのことを疑っていました。今日宿で置いていくつもりでしたが、あなたがいてくれてよかった。感謝しています」


 置いていかれていたら今頃どうなっていたんだろう、でも昨日とは違って、緊張がほぐれて顔つきも少しだけ穏やかな彼女を見てその不安は消えた。


 彼女は口に手を当てて声を小さくし、続ける。


「私の命を狙う者が確かにいるようです。今回の出立は秘密だったのですが、どうやら何者かに漏れてしまったようなんです」


 この人は貴族か何かなのかな、と考えるが、浅かった。


「まだお伝えしていませんでしたね。

 私はユアン国第二王女アリサ。提案があります。私の部下になり、ケイと共に私の護衛をしてくださいませんか?」


 今までの彼女の言動から考えれば納得できないこともない。

 衣服こそ違うが、髪の綺麗さや態度からは高貴さというものを感じる。

 途端に自分が無礼を働いていなかったか、と不安になった。

 そもそも王女に対して、無礼じゃないことの方が少ないんじゃないか、と思っているとその様子を見た彼女がもう一度口を開いた。


「聞こえませんでしたか?

 私の部下になっていただけます」


 語気が強く、圧力というものを思い知る。

「は、はい……」

 僕はなす術なく答えた。



 ガタガタと馬車の揺れを感じ、気がつけば道が石畳になっていた。

 アリサが僕に再び、話しかける。


「思えば、ケイには大変な役目ばかり押し付けてきました。

 今回の隣国訪問では気の休まる暇もなかったでしょう。先ほどの返事ですがすぐにとは言いません。彼の手助けをし、友になってあげてほしいのです」


 彼女の真剣な横顔が目に入ってくる。

 その綺麗な赤色の眼差しから、ケイに厚い信頼を寄せていることが分かり、二人の関係が羨ましくなった。


 激しくなった馬車の揺れでケイが目を覚ました。

 髪をかき上げて、「居眠りするなんて……」と顔を赤らめている。

 そして軽く伸びをした彼の、「おっ、着いたか」という声で、僕は顔を上げた。

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