~黄泉の教会(Evil church)~(『夢時代』より)

天川裕司

~黄泉の教会(Evil church)~(『夢時代』より)

~黄泉の教会(Evil church)~

 神々しいまま実り豊かな思春の春には旋(つむじ)が立て込む〝理性〟が顕れ、気心識(し)れ行く理想の晩春(はる)には、〝慌て上手〟の二履(にば)きの坊から気色を気取れぬ孤高の主観(あるじ)が俺へと落ち込み、未(いま)か未(いま)かと燻(くす)ねた余命(いのち)を把握しながら、独り解らない余韻(おと)を離れて人間(ひと)へと解(と)けた。

 苦渋が漲る朝な夕なに日常(かたち)に追従(したが)う斬新(あらた)の〝ぬめり〟が孤独を携え成就され逝き、昨日を憶えて明日(あす)を識(し)らない二履きの労苦が体裁好くして、気味の〝君(きみ)〟から〝現前(まえ)〟の君まで、遠い郷区(きょうく)へ留(とど)めておいた。意味を識(し)らずに現行(いま)を留める斬新(あらた)な寝巻は宙(ちゅう)へと運ばれ、想像豊かな女児(にょじ)の才智を虚空に留めて抑留する儘、「明日(あす)」を棄(な)げ出す豊穣(ゆたか)な人陰(かげ)から好く好く昇れる朝陽を見殺し、何にも止(と)めない旧来(むかし)の労苦を意図も何度も現(げん)に置く儘、永い年紀(ねんき)に一睡さえ無い古来(むかし)の過去さえ既視(おおめ)に観て居た。

 可愛い処女から上気を保てる少女が保たれ、浮足掲げた保積(ほづ)みの安保(あんぽ)は活歩(かつほ)を呈さず安気(やすき)を知らしめ、〝明日(あす)に咲くのは夕(ゆう)の花だ…〟と有利に身構(かま)えた道標(みちしるべ)を識(し)り、文句(ことば)に絶えない「連呼の安堵」をその掌(て)に抜く内、幻想(ゆめ)へ失(き)えずの永久(とわ)の女体(からだ)を進歩に任せて丈夫に操(と)り得た。文句(ことば)の限りに魂(いのち)を訴え、暗(やみ)に割き逝く異国の暴徒が欲を着せ替え不純に溺愛(おぼ)れて、明日(あす)へ過ぎ去る身欲(みよく)の神秘を既視(がいし)に捉えて大泣きして居た。

      *

 又E教会の面々が出て来た。その内にまた栄子も居るようだった。栄子は恐らく中学校の理科の女教師に落ち着いて居る。高校にしては小(こ)じんまりと雰囲気が暖かく、小学校にしてはやや形式張って強張っている。可成りの美形教師に成って居り、髪の毛を頭頂にて左右二つに分けて束ねてあり、団子と迄は行かない結い方で少々中国の美女を想わせる。奇麗な二重瞼を煌めかせて時折り男子学生を魅了するその姿は、明るい教卓の下(もと)に一輪咲いた悪い女教師にも近付いた。

      *

 虚空を見上げて俺の生気は蜃気の範疇(うち)へとその実(み)を隠され、明日(あす)に成っても昨日へ還るも、一向解(と)け得ぬ孤高のもどろの〝もどろ〟に憤懣して往き、孤独を欲しがる幾つの盲人(ひと)には〝悪い教師〟の残影が退(の)き、姿態(かたち)を成さない本能(ちから)の限度(かぎり)は夢想に耽溺(おぼ)れて欲心(よくしん)を観た。昨日の刺身に自己(おのれ)を覗ける数多幾重(あまたいくえ)の所業の範囲(うち)から、引く手数多の頭脳の果(さ)きへと身欲を案じる仮(かり)の〝安堵〟が白紙に浮き立ち静(しず)んで活きつつ、気楼が配する俺の後姿(すがた)は孤独を把(とら)えて孤高へ脱する無欲の同感(シンパ)に矛盾を引き留(と)め、他(ひと)の姿態(すがた)に自己(おのれ)の意(い)を切り現前(うつつ)を呑むのは苦し紛れの孤踏(ことう)の最中(うち)にてその実(み)を啄む労気(ろうき)に似ていた。俺の生歴(きおく)に文句(ことば)限りの怒調(どちょう)が仕上がり固陋に豊かな初春(はる)の芽吹きが細(ほっそ)り差す頃、土偶を置き遣る孤独の家屋は未知のmonkをそのまま引き連れ、昨日まで見た気色の重味(おもみ)を散々呼び出し流行(ながれ)へ失(き)えた。純白(しろ)い恐怖は〝蜂の巣〟から観た景色を訴え、独り善がりに私動(しどう)を交せる黄泉の深理(しんり)へその身を招かせ、俗世(このよ)に呼吸(いき)する全ての既物(もの)から俺を除かせ闊達報せて、明日(あす)の明日(あす)まで黙(しず)かに活き得る〝俄かの遠路(えんろ)〟を他(ひと)へと遣った。他人(ほかのひと)とは一切適合(あ)わない破局の淡路を自己(おのれ)に秘め込み、宙(そら)を見上げて他(ひと)を識(し)らない〝欲深紳士(よくぶかしんし)〟はその実(み)を建てつつ、感覚(いしき)を識(し)れない他(ひと)の労徒(ろうと)は矛盾に活き得る旧い旋律(しらべ)にその実(み)を預けて、俺の過失を充分識(し)らない魅惑の豪語に口を開(ひら)いた。奇妙に畳める〝あらまほしき…、〟の矛盾の寝室(ねむろ)に、俺の心身(からだ)の未完(みじゅく)を掲げる「外(そら)への刺激」を擁して居ながら、純白(しろ)い気色は〝景色〟を観ながら段々翻(かえ)れる夜半の辺りに馴染んで入(い)った。孤独の労苦を不順に掌(て)にする〝一つ報せ〟の幻想(おもい)の丈(たけ)には俺と幻(ゆめ)とが俗世(このよ)で居座る無知の配慮を揚々引き留め、未完(みじゅく)を欲しがり未完(みじゅく)を相(あい)せる黄泉の深理(しんり)を追究し始め、俗世(このよ)の見事に身元を求める滑稽(ふしぎ)な労苦を撰奨(せんしょう)して居た。これまでそわそわ宙(そら)に浮べた〝蛻の殻〟へと暗(やみ)に見紛う滑稽(おかし)な牙城(とりで)を無意(むい)の許容(うち)にて放棄しようと可成り怜悧(つめ)たく在った俺だが、未覚(みかく)の進化に真価を留(とど)めて、活きる覇気へと身元(もと)を掌(て)にした俺の老化は神髄を観て、遥か遠くの楼気(ろうき)に架かれる未覚の懸橋(はし)へと前進していた。暗い黄泉から自己(おのれ)の鋭気をこんこん射止める私義(しぎ)の威力に活発を識(し)り、俗世(このよ)の流行(ながれ)に私運(しうん)を重ねて陽気に憤(むずか)る〝一人遊戯(ひとりあそび)〟の保身を引っ提げ、他(ひと)と芥(ごみ)との区別の付かない現代人(げんだいじん)への嫌悪を目にして、慌て眼(まなこ)で黄色を識(す)る〝不価値〟の行方を〝場末〟に見ていた。女性(おんな)の放香(かおり)がキリスト信徒の人間(あいだ)を擦り抜け、擦(ず)る剥けして来る膝の頭を山葵醤油で擦(こす)るが如くに、俺が被(こうむ)る以前(むかし)の旧傷(きず)まで〝終(つい)〟に失くせる手腕を保(も)たされ、純白色した白身(しらみ)の主観(あるじ)を密かに牛耳る俺の「艀(はしけ)」は未来(さき)へ通ずる晴嵐(あらし)の楽園(その)から真向きに迎える〝孤独の信者〟を歓迎していた。漂白(しろ)い魔の掌(て)は女性(おんな)の身許にぽつんと居座り、果ては識(し)れない苦悩(なやみ)の宮(みやこ)を意図も容易く世間へ棄(な)げ売り、初めから観た男性(おとこ)と身許の絶壁(かべ)の内(なか)から、既視(すで)に見送る詩人の詩(うた)さえ、初めから無い虚無の懐(うち)へと吟遊豊かに喉笛鳴らし、男性(おとこ)の真似して概(おお)きく靡立(なびた)つ無為の生歴(きおく)を大事に観て居た。俺の心身(からだ)は俗世(このよ)の空気(しとね)に活きる内から進化の目下(ふもと)へ揚々跳び発(た)つ無適の鈍化へ考慮をしながら、やがては掃け逝く神秘(ふしぎ)な許容(うち)にて彷徨う身許を、男性(おとこ)の視(め)からも女性(おんな)の視(め)からも始終に纏わる空気(しとね)の晴れには揚々活き着く不活の集成(シグマ)がどんより成った。

      *

 しかし口の上、鼻横に少し目立つ黒子が出来ていたようで、これが妙に俺に「他人」を想わせて来て、又、余計に不美人である事を栄子の顔に無理やり閉じ込めさせようと計画して来た様(よう)だ。俺は又栄子に魅了された挙句に、栄子に惚れて居た様(よう)だ。何よりも、家庭的で暖かなあの教卓の上で薄いピンク色のカーディガンを羽織って、俺が立って居た同じその社会で、あの幼馴染が懸命に成って働いて居る姿に感動し、ぞくぞくとさせられ、何が何でも一緒に成りたい、なんて思わせる引き金を構築して居たのだ。とにかく栄子は、以前に見た時よりもすっきりと痩せて、奇麗で可愛い美人に成って居た。

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 俺はけれども俗世(このよ)の暗間(やみま)を透る最中(さなか)に男性(おとこ)と女性(おんな)の文句(ことば)の異質を揚々睨(ね)め付け、足蹴(あしげ)にされ逝く〝闊歩の姿勢(すがた)〟は俺の幻想(ゆめ)から遠退き始めて、俗世(このよ)に居座り剛気(ごうき)を養う浮浪の態(てい)した餓鬼の人群(むれ)から俺の万葉(ことば)は修飾(かざり)を削(そ)らされ、一糸に纏えぬ不可視(ふかし)な用句を至順(しじゅん)に葬り女肉(にょにく)を握(つか)み、はっとする間(ま)もほっとする間(ま)も、浮世に跳び発(た)つ俺の言(げん)から斜交い懸(かがり)にその実(み)を射止めた無意の人智に抑揚(はね)を付けられ、俗世(このよ)の総てに〝斜交い〟から成る私欲の独気(オーラ)を風上に保(も)ち、怯む間も無く孤独を擁する旧来懸(むかしかがり)の臆病から観て、俺の進途(しんと)は明くる間(ま)の無い神秘(ふしぎ)な蛇の目へ這入って行った。鼓動を遮る虚空の青白壁(かべ)には故人(ひと)が浮き立ち人間(ひと)を摩り替え、俺の周囲(まわり)へ狂喜と集える旧来(むかし)の初歩(いろは)が至難を抱えて純情に発(た)ち、一切退(の)かない〝旧巣(ふるす)の鬱〟には古びた居間から至純(しじゅん)に上(あが)れる旧来告白(むかしがたり)の労力(ちから)が冷め生き、〝居間〟の空間(すきま)に純(じゅん)と覗ける俺の身をした寝台(ベッド)が佇み睡魔を引き連れ、旧く成らない精神(こころ)の進化を揚々訓(さと)せる旧来(むかし)の色路(いろじ)は、幻想(ゆめ)の範囲(なか)にて独創(こごと)を着流す鬱の霊から新参して居た。

 夜目(よめ)に利き生く古びたmonkの改竄辺りは俺の生歴(きおく)を交互に示せる既視(デジャブ)の深紅を真面に着せ替え、幻想(ゆめ)の許容(うち)にて独身(ひとり)を愛せる迂闊の成らない未完(みじゅく)の表情(かお)にて、如何(どう)とも言えずの男性(おとこ)の文句(ことば)をその掌(て)に葬り、明日(あす)の未来(さき)から〝小手調べ〟をする旧い気力の技量(ちから)の活歩(かつほ)が俗世(このよ)の暗(やみ)から暫く上(あが)れる浮気を示せる上気を識(し)った。黙々上(あが)れる〝浮気の蜃気〟は過去に仕上がる孤独を識(し)りつつ、幻想(ゆめ)の最中(さなか)へ向かい落ち込む不屈の蜃気を射為(いな)して居ながら、純白(しろ)い不気味に揚々棚引く人気(ひとけ)を知りつつ、不倖(ふこう)へ割かない黄泉の旋律(しらべ)を物の見事に推考して居る。未純(みじゅん)に酔わせる非力の人から純粋を観て、常識(かたち)に沿わない〝一人孤独〟の門戸を観ながら俺の自活(かて)には行き来を要する不利の安身(やすみ)が散見され得て、俗世(このよ)に活き得る女性(おんな)の内実(なかみ)に幻(まぼろし)を観て、卑屈に伴う柔(じゅう)の言動(うごき)は暗間(やみま)に寝そべる浮きの間(ま)に間(ま)に自由を操る鼓動を識(し)り抜き、自活(かて)を識(し)らずに〝行き来〟を要する〝往来仕立ての旧(ふる)き安堵〟を、この身に脚力(ちから)に揚々投げては辛気(しんき)を識(し)らない無活の尽気(じんき)を体裁(かたち)にしていた。

 現在(いま)を於いては俺の才でも見付けられなく、現行(いま)に活き得る恰好(かたち)を気にした現代人(げんだいじん)には、暗(やみ)の算(さん)など丈夫に成り立ち、手持ち無沙汰の哀れな生(せい)など活きる糧には一切成らぬと、切っては葬り、足蹴(あしげ)に葬り、段々仕上がる〝奈落の底への人間(ひと)の謳歌〟を商売仕立てに躍起を見張り、俺の才へと諦念(ねん)を遣る等、俺の思惑(あたま)は昼な夕なに底も識(し)れない論議の許容(うち)に辛賛(しんさん)している。俗世(このよ)に生れて持参していた滑稽(おかし)な虚無から二算(にさん)が仕上がり、一つの人生(みち)には突飛も無いほど少年(こども)が仕上げる純粋(うぶ)が見付かり、もう一方には、世間が配する世情の歴史(かこ)から現行(いま)の人間(ひと)へと託する〝火の粉〟が不断に訓(おし)える義務が群がり、明日(あす)の気色を自分に射止めて遣って生くには、随分名高い歴(れき)の散布が要され行った。

 「勝手に始まる生(せい)の進路が我の前方(まえ)でも矛盾と仕上がる合理を顕し、泥濘から成る滑稽(おかし)な虚無には呆(ぼ)んやり開始(はじ)まる二跌(にてつ)の長(ちょう)など一日(いちじつ)を着せ、躍起に成らずに調子を続ける〝生(せい)〟の謳歌を準じて被(こうむ)る…。俺の跌には生(せい)の落差が宙(そら)から根廻(ねまわ)り、明日(あす)の局地を何処(どこ)で得るのか、全然分らず呆(ほう)けを幻見(ゆめみ)て、昨日の出来事(こと)から今日の事象(こと)まで神秘(ふしぎ)に寄り添う姿勢(すがた)さえ無く、〝歴史(かこ)〟の空間(すきま)にのんびりして活く旧来(むかし)に倣える未純(みじゅん)が湧き立つ…。蒼茫から識(し)る五月蠅(あわ)い残骸(むくろ)の人間(ひと)の香肉(かにく)は生きる範囲(うち)にて身欲(みよく)を頬張り、活きる勝手に淀味(よどみ)を知れない暗腔(トンネル)から観た光明(こうみょう)が鳴る。一日、一日、〝光明(ひかり)〟を遮る人間(ひと)への呼笛(あいず)は俺の目前(まえ)から幾末(いくすえ)まで識(し)り、妄想(おもい)の範囲(うち)にて『人間(ひと)』を読み解く愉快な仕種に翻弄され得る…。漂白(しろ)い理性(りくつ)は欲の〝水面(みなも)〟で粉砕され活き、夕餉の前にて斬新(あらた)な芽を観て残骸(むくろ)を置き去り、人間(ひと)の俗世(アジト)に一気を頬張る旧来独白(むかしがたり)の支準(しじゅん)を設けて、『天上天下に悪は割けず』と現代人(ひと)の身欲(みよく)を美欲(びよく)へ化(か)えた…―――」。

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 微温(ぬる)い涼風(かぜ)から初春(しょしゅん)に降り立つ東屋が観え、俺の心身(からだ)は純粋ながらに思野(しや)の端(すそ)から我欲が燃え立ち、居ても立っても結束出来ない他(ひと)と現代人(ひと)との共存を観て、明日(あす)まで急げる〝無理〟の労徒(ろうと)が至難を越え活き生きて行くのを、如何(どう)にも活きない〝無純の調子(しらべ)〟にぼんやり識(し)った…。虚空の向きさえ〝あわよくば…〟に立つ俺の我欲にその実(み)を縮めて、可細(かぼそ)く成り立つ〝暴挙〟の一角(すみ)にてどんよりしており、虚空が保(たも)てる未信の暴挙の衒い等さえ、冴えなく煌(ひか)れる夢遊の悪事を推奨して居る。煙たがるのは現代人(ひと)の瞳(め)だけで、「物の哀れ」を何とも識(し)れない古来独語(むかしがたり)の〝一見(いちげん)さん〟には、生(せい)に纏える神秘(ふしぎ)な木(こ)の音(ね)が幾つに分れて聞える対照(もの)でも生来感(かま)ける無純の連想(ドラマ)は思想の藪へと放られ始める…。…――。

      *

 俺はけれどもその場所でその栄子に話し掛けて話し合いの場所を持つ事も出来ない儘で、次の場所へ行かねば成らない様子に在った。E教会が主催するキャンプへ行った様(よう)だった。キャンプと言っても何故か屋外ではなく、何処かのビルの何室かを借り切って催していたようで、白い煙を出して焚きながら、皆はバーベキューをして居た。俺はバーベキューを食べる為に一階ではない何階かの部屋の辺りが広い椅子に腰掛けて、今か今かとバーベキューのウィンナーや、玉蜀黍、そして肉が焼けるのを待って居た。するとそこへ、安沢牧師が遣って来た。何時(いつ)もの通りに恰幅が好く、何か堂々として居て、俺は何時(いつ)もの威厳と威嚇の様(よう)なものをその人から受けており、又か、と言った調子に落胆して居り、早く調子良く約肉を食いたかった。

      *

 見知らぬ白壁(かべ)からにょきっと突き出た数多の白腕(うで)から期待を承けて、俺の心身(からだ)は宙(そら)を眺める盲者(もうじゃ)と成り活き、宙(そら)と空間(すきま)の空気(しとね)の周辺(あたり)で結束され生く不埒な信義(しんぎ)の在り処を観て居る。遮二無二弾ける信仰(まよい)の下(もと)にて〝信者〟が蔓延り、「清め」の正否を盾にするまま素人描写で何方付(どちらつ)かずの利益を芽にした悪態を吐(つ)き、卑しい〝信徒〟の理性(かたち)の漏流(ながれ)が人脈(バリア)を目掛けて独走(はし)って入(い)った。入(い)った果(さ)きには人煙(けむり)が上(あが)れる気色が飛び交い、現代人(ひと)の活歩(かつほ)が世上を見詰める概(おお)きな活力(ちから)が宙吊りされ活き、身形が好いのを乱歩に当てつつ、自己(おのれ)の自尊が退(ひ)いて歪むを滅法厭(きら)える〝牧師〟が成り立つ。俺の前方(まえ)から目前(もくぜん)まで来た〝牧師(おとこ)〟の羽振りは艶(あで)や派手から少々避け得る細小(ちい)さな配慮が人を刺しつつ、行くは活気の我体(がたい)が好いのを白壁(かべ)に晒して浮き彫りを魅せ、俺の目前(まえ)では退(ひ)いても退(ひ)かない旧来告白(むかしがたり)の輪舞曲(ロンド)が仕上がる。互いを謗れる〝古き世〟に観た〝我体(がたい)〟の神秘(しんぴ)は、単色主義(モノクロリズム)に端(たん)を発せる中期の頃見た妖精から発(た)ち、自由を認める合せ鏡は生(せい)と黄泉との二重(にじゅう)の匣から私闘に拡がる空転(まわり)を利かせて、俺の寝床を一瞬跳び発(た)つ黄泉の空間(すきま)を準じて打った。

 先進して生く虚空の情緒は向い合せの観客(きゃく)との間(あいだ)に横倒れに在る不義の内実(なかみ)を日の輪(わ)を目掛けて投げ掛け始めて、真昼に湧き発(た)つ人間(ひと)の身欲の定目(さだめ)の懐(うち)から、梵天さながら微温(ぬる)く垂れ出す邪魅の翻弄(あそび)に本能(ちから)を見出し、〝合せ鏡〟は人こそ識(し)らねど自然(あるじ)に把(つか)まれ、嘆く代わりの呆(ほう)けた主観(あるじ)へ溺愛して行く二色の生声(こえ)には、明日(あす)の空間(すきま)に天を握(つか)める純(うぶ)な暗調(ちょうし)が仄かに発(た)った。万葉(ことば)の限りに身欲(よく)に溺れる孤天(こてん)を省み、虚空の端(すそ)から純(じゅん)に見紛う他(ひと)の気色と刺し違えが在り、〝向き〟を変えない貪欲(よく)の主情(あるじ)は情緒(こぶん)を従え連鎖を被(こうむ)り、経過(とき)の連鎖に連動して生く無機の主観(あるじ)を俊敏に観た。人鬼(おに)の貌(かお)した二色(ふたつ)の人影(こだま)は、文句(ことば)を異にした異言(いげん)を聴き付け、可能の限りに連動して生く連鎖の基準(ひずみ)に物憂さを識(し)り、機能無沙汰の人体(からだ)の血流(ながれ)は女性(おんな)に産ませる具露差(ぐろさ)を見せ付け、俺に見紛う二色(ふたつ)の四肢(てあし)の出歩く果(さ)きには昨日に観得ない粉塵(ちり)の肌理から不可視(ふかし)な噂がどんより流出(なが)れて、慌てて失(け)された〝ユダヤの印(いん)〟から現行人(ひと)の調子が乖離(はが)れる迄には、経過(とき)の連鎖が始動を鳴らせる無為の既知まで遠さを魅せない…。俺の歴史(かこ)からふらりと上がれる曇った上気の女性(おんな)の表情(かお)から、何時(いつ)しか気にして女性(おんな)を刈られる夜伽の暴露が俺まで上がり、上気を逸する俺の思惑(こころ)は周囲(まわり)の空気(しとね)にどんどん放られ、自分の〝夜伽〟を円らに識(し)れない黄泉の神秘に躰を預けて、ゆっくらおっちら、途方に眩める不思議な輪舞曲(ロンド)を追い駆け入(い)った。入(い)った先には幻(ゆめ)に纏わる悲惨の上気が混沌(カオス)に在って俺の思惑(こころ)を俗世(このよ)で射止める穢(よご)れた情緒を黙々仕上げて、俗世(このよ)の常識(かたち)に認められない調子を狂わす波動の酒宴(うたげ)が、如何(どう)にか斯うにか身分を繕い、純白(しろ)い彼方に自分を見遣れる無機の調子に凱旋して居る。漂白(しろ)い彼方は俺の暗間(やみま)をするりと抜け得る文句(ことば)の多くを持参して居り、俗世(このよ)の目下(ふもと)でずんずん活き生く自分の審理が滅法分らず、自分の死地から遠くに働く鼓動の進化は宙(そら)を見上げて微動だにせず、行く行く他(ひと)へは調子を損ねる無為の進化を見送り出すのだ。初めから無い旧い魅力の楽園(パラダイス)に観て、私闘を重ねる男性(おとこ)の虚ろは三日坊主に覇気は失くなり、俗世(このよ)の仕事が男性(おとこ)に強い行く大量から成る〝知識〟の場末(すえ)には、男性(おとこ)の心身(からだ)をすらりと透して、俺の生歴(きおく)が挽回出来ずに黄泉の方へと仕方なく往く〝人間嫌いの罵倒〟が立った。俗世(このよ)の経過に黄泉への連鎖が順々仕上がり、俗世(ぞくせ)の連鎖へ絶望するうち我欲を呈せる心動(しんどう)を聴き、〝自分ばかりが不倖(ふこう)なのだ…〟と如何(どう)にも退(の)かない白壁(かべ)の前にて邪鬼(じゃく)に呈する芥(あくた)の心身(からだ)を私闘に重ねて吟味しながら、俺の孤独は益々拡がり駄天を過ぎた。

 現代人(ひと)が集まる蝙蝠傘から自己(おのれ)の心身(からだ)が段々遠退き、小雨(あめ)に濡れても豪雨(あめ)に濡れても驟雨(あめ)に濡れても氷雨(あめ)に濡れても、一向解(と)けない不解(ふかい)を頬張りその場に伏し寝て、阿弥陀の陰からぽんと出(い)で立つ旧い軒端の待ち合い人(びと)にも、自分が識(し)れ行く両刃の正味を如何(どう)にか斯うにか食べさせながら、頃合い計らう無機の古さに得てして見得ない文句(ことば)が届かず、滅法豊穣(ゆたか)な大海(うみ)の広大(ひろ)さは俺の背後に拡がり遠退き、俗世(このよ)を配する覚悟の程度(ほど)には人間(ひと)の延命(いのち)が散乱しながら現代人(ひと)が欲しがる我欲(よく)の身元は地位を欲しがり暗(やみ)へと失(き)えた。暗(やみ)に失(き)え行く人間(ひと)の瞳(め)をした現代人(ひと)の両眼(まなこ)は、俺の目下(ふもと)をどんどん遠退く進化を欲する嗜好の空間(すきま)に可成り目敏い我欲(よく)の神秘を充分煌(ひか)らせ、橙色(おれんじいろ)した小説(ノベル)の脚色(いろ)から零れた幻想(ゆめ)には、作品には無い優れた神秘が現代人(ひと)を訴え、図る事無く純粋(うぶ)を呈せる美欲(みよく)の進化を既視(おおめ)に見て居た。

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 何時(いつ)も思う事だが、教会は、そこから人が離れようとすると妙にその人に対して親切に成る様子で、そのバーベキューの時も安沢と栄子は俺に近付き、親切にしてくれて居た。俺がそのE教会から離れて、O教会へ移籍してから一、二年が過ぎた辺りの事であった。威厳と威嚇の様(よう)なものを感じて居ながらも、まるでその教会を見限った形で後にした俺を、見た目気持ち良く快く迎え入れてくれて居るE教会の住人の様子と内実が俺は本当に嬉しく、又そう思えるのは俺にとって都合の好い輩達だけが集まった空間に俺が浸る事が出来て居る時だけであるようで、嫌な奴が来た瞬間にその憧れ、温かい気持ちのようなものは、瞬時に消えて無くなる訳だ。惨(まい)ったものであった。その時も教会は俺の事を、いや安沢と栄子は俺に対して寛大を以て相対(あいたい)し、俺の事を快く引き受けてくれると言うような、活気が溢れ出す緩い優しさの様(よう)なオーラに二人の身は包まれていたようで、そのオーラとは二人が各自で作り上げた物の様(よう)だった。

      *

 童子(こども)の頃へと瞬時にぴゅんぴゅん帰還(もど)れる俺には、夜目(よめ)に小さな宮(みやこ)が正気を整(ただ)して己(おの)が生気を宿した様(さま)にて、文句(ことば)の限度(かぎり)を黙(もく)して識(し)らない浮遊の離脱を啄み掛けては〝一目散〟へと自粛へ逆行(もど)れる青臭(くさ)い芝居(げき)にて自己(おのれ)を偽り、そうして何やと誘(いざな)う果(さ)きには決って吟味(あじ)わう万葉(ことば)が暗転(ころ)がり宙(そら)を仰いで、〝俗世(このよ)の他所(ほか)にも現(このよ)に良く似た不死の宮(みやこ)が在るのじゃないか?…〟と俗世(そこ)から乖離(はな)れた天地を観ぬ儘、右妖(うよう)の棲家に吟味されない藻屑の神秘に肖り始める。俗世(このよ)の神秘に肖り始める俺の心身(からだ)は阿婆擦れから成り、羽目を外せぬ現代人(ひと)の常識(かたち)に白雲(くも)を向かせず自重を幻見(ゆめみ)て、慌て眼(まなこ)に擦(ず)る擦(ず)る退(さ)がれる稀有の生気を会得しながら、初めから無い無機の進化を愈々逆撫で葬る覚悟を、現代人(ひと)から離れて嘲笑(わら)える俺には貴重を成し合う私宝(たから)と成った。二色のの独裁気(オーラ)は現代人(ひと)を介して俺まで辿れて、無機の情乱(みだれ)を仔細に翻(かえ)せる陽(よう)の下向きに何処(どこ)かで放られ、俗世(このよ)を競歩(ある)ける素顔の主情(あるじ)は孤独を背にして孤独に強がり、躰の輝(ひか)りは活きる最中(あいだ)の要所で縮まる私論(しろん)の豊穣(ゆた)かな水面(みなも)に揺られて、生きる旅路でひゅうひゅう唸れる黄泉の理郷(くに)との交渉さえ抜け、〝慌て眼(まなこ)〟で世間を牛耳る物怪(もの)との交響(こだま)を愛して止まない。俺の発声(こえ)には卑屈に啄む晴嵐(あらし)が遠退き、藪睨みに在る三つの箴言(ことば)に純歩(じゅんほ)を重ねて順歩(じゅんほ)と成し遂げ、他(ひと)の躰に光沢(ひかり)が乗らない無局(むきょく)の交霊(こだま)を矛盾まで引き、活きる透視を一切問わない暗(やみ)の遠路に追随して来る。他(ひと)の貌(かお)には垂直(すなお)に射止める現代人(ひと)の奈落が微睡みながらに、幾つも幾つも卒業(はどめ)を越え活(ゆ)く現代人(ひと)の愚行(おろか)の矢先が窺え、真理(しんり)を視(め)にして審理に溺れる旧来独断(むかしせつわ)の威光が成らしめ、夏の涼風(かぜ)にも人影(かげ)の差せない「孤独の諸日(もろび)」を上手に挙げた。挙げた〝信徒〟は旧いお寺に自己(おのれ)を迷走(まよ)わせ何処(どこ)へ就けども冷風(かぜ)に見紛う人陰(かげ)を見出し、「殺生・説話」へ自明を拡げる無機の遊火(ゆうび)を割いては死んだ。活きた者から如何(どう)でも観得ない旧い億尾のざんぱら頭髪(あたま)は、現行(いま)を生き行く現代人(ひと)の夜目(よめ)には一切見取れず、自分の四肢(てあし)を一切認(みと)めぬ自明(あか)るい真義(しんぎ)に身軽を着せ替え、初めから無い自然(あるじ)の背後(せなか)は宙(そら)の内でも烈しく燃え行く。大発活(ビッグバン)から人間(ひと)の発生(いのち)が自分(おのれ)を見出し、併せ損ねた余裕(ゆとり)の呼笛(あいず)は一、二の三から暗(やみ)へと見紛う滑稽(ふしぎ)な懐古(レトロ)でその美(み)を晦ませ、狂々(くるくる)茂れる楔の文句(もんく)で偽造を掌(て)にして、俺の〝夜人(よびと)〟を歴史(かこ)へ返すも無機に翻(かえ)すも選り取り見取りの雑念(おもい)を幻見(ゆめみ)て、昨日の歴史(かこ)へとその実(み)を委ねる真(しん)に歪曲(ま)げない主観(あるじ)の他には、俺の身元(もと)へと寄り添う主観(あるじ)に奮起を宿せる存在(もの)は無かった。

 紺(あお)く報せる神秘(ふしぎ)の独気(オーラ)は鉛芯(ペン)を建て得る孤独の坊から、矢庭に茂れる両脚(あし)の腕力(ちから)で暗(やみ)に拡げる宙(そら)の順序に邁行(まいこう)して活き、星の要(かなめ)の一局(ひとつ)と一極(ひとつ)が現行人(ひと)の見定(さだ)める一致(ひとつ)に成る現行(いま)、昨日の巨躯へと概(おお)きく排した俺の定目(さだめ)は抜踏(ばっとう)させられ、暗(やみ)に小波(さざ)めく滑稽(おかし)な空虚が未知に下(お)り生く土台が仕上がり、俺と現代人(ひと)との活きる生路(みち)には寸択止まない白嵐(あらし)が咲いた。咲いた白嵐(あらし)は現行人(ひと)の白壁(かべ)へとその歩を進めて暗い夜路(よみち)を〝不意〟と競歩(ある)ける土定(とち)の錨を身横(まよこ)に掲げて、昨日眼(め)にした終(つい)の〝哀れ〟を萎(しな)めた一体(まま)にて、鼓動に位置する〝連ねた連鎖図(ドラマ)〟を奉納して居る。何に対して奉納するのか、納め切れない無告(むこく)の主筆(あるじ)は私義(しぎ)に呈する夢想(ゆめ)に顕れ、〝一(いち)〟を解(と)いても〝十(じゅう)〟を解(と)けない寡暮らしの男性(おとこ)へ寄り添い、無為に返(へん)ずる夢告(むこく)の原には、歴史(かこ)を問えない旧知(むかし)の女性(おんな)が静々(しずしず)居座る…。――。

      *

 始め、栄子が俺の座って居た前の座席に座り、最近自分の身の周りで起きたような世間話から始め、段々神妙に俺達は仲睦まじくさえ成って行く様子であり、栄子は良く静かに笑って居た。そして「一寸待っててな。肉か野菜取って来るわ。」と笑顔で食卓を離れた後でもきちんと俺の元へと還って来た。

      *

 塗装の白壁(かべ)から二局(ふたつ)の乱舞が時折り出て来て、俺の表情(かお)から無機への嫌悪を事毎色付け脚力しながら、苦労に跨る局夢(きょくむ)の集積地(アジト)は真逆に差し入(い)る無機の温度を読み過ぎてもいた。女性(おんな)の貌(かお)から漂白(しろ)く爛れる夢告(むこく)の集地(アジト)は一方減り往(ゆ)き、俺の独創(こごと)が一点(ランプ)を奪(と)り合う個々の情緒を列蹴(れっしゅう)して活き、現行(いま)の〝黄泉〟から俗世(このよ)を誘(いざな)う神秘(ふしぎ)な生裸(オーラ)を絶界(ぜっかい)へと遣る無味の空気(しとね)が薄(うっす)ら仕上がる。幻(ゆめ)に見紛う努力の奥義は現行(ここ)に仕上がる数多の疑惑(めいろ)を自己(おのれ)の黄泉へと構築仕立てて、暗い〝暗夜(あんや)〟に透る文句(ことば)を「土手」の上から必死に傍観(なが)める〝未知の空似〟に類似している。容易く気取れる現代人(ひと)の「現代(いま)」から寡黙に仕上がる複雑怪奇は俺が認(みと)める文学(がく)の空間(すきま)に喪失して居り、現代人(ひと)の両手に決して懐かぬ俺を離れた無数の文句(もんく)は明日(あす)の延命(いのち)を微妙に活き抜く箇条の徒信(としん)に豪語して居り、昨日に連なる今日の〝告知〟は「黄泉」の〝水面(みなも)〟をあっさり切り捨て、旧知独語(むかしがたり)の五月蠅(あわ)い遁走(はしり)を無造(むぞう)の生歴(きおく)に認識している。現代人(ひと)の現行(いま)にて旧知(むかし)に変らず伝(つた)う伝言(ことば)は現代人(ひと)が頻りに欲して誤る幼稚と地位とに蹂躙せられて、〝怖い〟と頷く現代人(ひと)の感覚(いしき)に化け火(び)が小躍(おど)れる不解が現れ、俗世(このよ)の目下(ふもと)で立ち行く〝哀れ〟は、人間(ひと)の精神(こころ)を夜毎に通せる無為の茎にて夜宙(よぞら)を仕上げて、頬張る空間(すきま)は〝自殺〟を寄綴(たぐ)れる心豊穣(こころゆたか)な律儀が顕れ、〝一歩、二歩…〟とも詰りは合わない「俺と現代人(ひと)との延命(いのち)の流行(ながれ)」を明けた翌陽(よくび)に滅法腐心(くさ)らせ、二肢(にし)に三肢(さんし)に覇気が添わない男性(おとこ)の居場所を同時に言った。〝当然(あたりまえ)〟から不自然迄もが現代人(ひと)の皆無へ有理(ゆうり)に具わり、無機の〝向き〟まで端正(きれい)に準じる現代人(ひと)の利欲(よく)には努力が顕れ、皆(みんな)一緒に破滅を愛して孤高の進路に後退しなけりゃ〝我等が意図する褒美の在り処は決して無題には訓(おし)えられぬ〟と溶解し得ない無効の両刃(やいば)を概(おお)きく翳して熱輪(ねつりん)を観(み)せ、現代人(ひと)の愚行(おろか)は〝文(ぶん)〟をと遣った。紺(あお)い最中(さなか)は〝暗夜〟を通して俺へ辿って、既知の万葉(ことば)を徒労に還せる未有(みう)の景色に気色を握(つか)ませ、明日(あす)に出で立つ日輪(ひのわ)の影から〝徒労〟に突き出す滑稽(おかし)な温味(ぬくみ)を、遠い瞳(め)をした人間(ひと)へ対して俺に対して放逐して居た。…。…。…。――。――。…。…。

      *

 離れない、俺はそう思った。しかし雰囲気が緩んで次は安沢が俺の前にやって来て、最近の調子を聞くついでに俺を何とかまた自分の教会へと引き込めないものかと、心中にて算段して居たようにも見えた。俺はふと教会でする献金の事を後から思い付いていた。俺は〝始めに言っておきますが、〟と言った感じに〝いま自分はO教会に来て居て、ここを自分の本当の教会としている為、E教会に戻る気は無い〟とした旨を先ず安沢に告げていた。安沢は微妙な笑顔を浮べた後(のち)、二人の会話は始まったのである。話す内に、行ってはいけない教会の話へ辿り着き、間違った教会だけは(手で示しながら)こちらへ排除して、きちんと避けた上で行かなあかん、とでも言った様(よう)に安沢は俺に力説して居た。

      *

 無駄に読め得る思惟の種子(たね)から他(ひと)の脳裏に習癖(ドグマ)が咲き付け、併せ鏡に俺の文句(ことば)を怒涛の体(てい)して頬張りながらも自分を顕す教義の意図から寸分違(たが)わず努力を織り成し、やがては滅びる自他への労役(かぎり)を私闘へ任せて抗い続ける。抗う果(さ)きには現行(いま)に打ち勝つ理性(はどめ)が外され、〝牧師〟の態(てい)した一人の壮男(おとこ)が初めて与(く)め得る理解を持ち据え、俺の傍(よこ)へとぴたりと付け得る黄泉の順序を大袈裟に採り、多勢の威嚇を吐露に表し、豪語に保(たも)てる気熱(ねつ)の常識(かたち)を一端(いっぱし)にも云う。泥濘(どろ)の間を流行(なが)れる純水(みず)にも哀れな小男(おとこ)の気熱(ねつ)に依存(たよ)れる感覚(いしき)が仰け反り、身欲(よく)の水面(みなも)を波紋で埋め得る端麗(きれい)な幾何への潤進(じゅんしん)が発(た)ち、独歩に気違(きちが)う身元の内には幾何紋様(もよう)に対する悪態が向き、五月蠅(あわ)い流行(ながれ)に俗世(このよ)を射止める〝向き〟の鈍機(どんき)はやがて現代人(ひと)へと承けて剥かれる有機の旧巣(ふるす)へ還って行った。…………………――。

      *

 「教会を見極めるって難しいですね」と言う俺の言葉に対して安沢は、「否、段々数を重ねて行くと自然と培われて来る。見極められる様(よう)に成って行く。」と又当然の様(よう)に語り始めて、俺より一段上に立った気配を見せて居た。俺は仕方ないからそれで良い、とした。その辺りで目が醒めた。



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~黄泉の教会(Evil church)~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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