33.遠い記憶~オティーリエ目線~

 わたくしは無学な我儘王女と酷評されていた。

 我儘に振舞わなくては、自分の生活を守れなかったからだ。

 隙を見せればつけこまれる。蔑ろにされる。

 要求を通すには、横暴で冷酷でなくてはならなかった。


 七歳の時、インジャル王国に輿入れすることが決まった。

 待遇は少し良くなったが、気を抜くと食事さえ忘れられることがあった。使用人達は、母におもねってさえいればいいのだから。


 十四歳になった頃から、わたくしには新しいものを与えてくれなくなった。後で知ったのだが、母とわたくしに割り当てられた予算が大幅に削減されて、それを母がほぼ独り占めしたのだ。成人の儀にはイブニングドレスが新調されたが、一度着たきりだ。母が「次期王妃が同じものを着まわすなんて恥ずかしいわ」と言って持って行ってしまい、自分の古いドレスを代わりに置いて行った。


 わたくしは第三妃の娘で、顧みられない王女であり、人質としてインジャル王国に送られる捨て駒だ。


 母はインジャル王国に行ったら贅沢し放題だから、我儘に物を強請って、いいものを自分に送れと言う。

 振舞いを教え込まれ、決してインジャル王国で舐められないようにカテーナ語以外話さないように言いつけられた。

 バシュロ殿下に送る手紙も、可愛らしく抜けた女の子を装うように指導された。

 小さな間違いや、無邪気な様子をみせるようにと、書かされた手紙は幼稚で無知でみっともなかった。


 ねえやもばあやも解雇され、わたくしの味方はいなかった。

 母には逆らえなかった。時には優しくしてくれたから。わたくしには身内は母しかいないも同然だった。


 敵地に行くのだから、側妃などに負けないように威張り散らしなさいと教えられた。

 きっと側妃はお前の座を狙って、色々しかけてくるだろうからと。


 ところがベルナデット様は違った。

 優しく穏やかで、敵意など欠片も感じない。


 わたくしは、バシュロ様に見向きもされないことを、八つ当たりするようなことまでしてしまったのに…

 ベルナデット様のおかげで、長年捉えられていた枷から解き放たれた。ベルナデット様の境遇はわたくしにとてもよく似ていたのに、我が身との違いが恥ずかしかった。

 ベルナデット様のご慧眼によって、長年悩まされていた顔のしみも腫れも消えた。

 なんとありがたいことだろう。


 カテーナ王国は解体され、わたくしから「王女」の肩書がなくなった。形ばかりの王太子妃から側妃に降格したが、わたくしの心は平和だった。


 しかし母の実家のストラウケン男爵家では、ベルナデット様を害する計画をたて、再びわたくしを捨て駒とした。それでわたくしが罪に問われても、口を拭って言い逃れをするつもりだったのだろう。

 こんな親族には微塵も未練はない。

 全員がそれぞれ処罰され、これからわたくしに接触することが不可能になったことを喜んだ。


 わたくしは側妃の地位を下ろされたが、肩の荷が下りた思いだった。

 こんなわたくしなのに、カテーナ女伯爵の地位を与えられ、今まで通り銀星宮でベルナデット様、今では王太子妃殿下の話し相手(コンパニオン)として、もったいないような待遇で残ることになった。


 わたくしはベルナデット様のために、フェディリア王国の王弟殿下の第四妃に、喜んでなろうと決めた。


 春になって、フェディリア王国の王弟殿下がやってきた。

 夜会でダンスに誘われた時、なぜか懐かしい声だと思った。


 ダンスをしながら、クンラート王弟殿下は

「立派な淑女におなりですね」

 とおっしゃった。わたくしはその意図がわからず、首を傾げた。

「あなたは覚えていないかもしれませんが…もう十年も前のことです」

 十年前と言えば、インジャル王国への輿入れが決まった頃だ。

「私はカテーナ王国へ、国境線の問題の話し合いに行ったことがあるのです。そこで七歳のあなたに会いました。あなたは庭園の茂みで泣いていらっしゃった」


 思い出した。

 わたくしはねえやとばあやと離され、将来遠い国へ一人で行かされることを聞いて、寂しさと不安で毎日のように庭園で泣いていた。そこならば、母にみつからないから。


 その時に、慰めてくださった男性がいた。

 わたくしはその人に

「寂しい。遠くへ行くのが怖い」

 と打ち明けて泣いたのだ。

 その人は、わたくしを優しく抱きしめておっしゃった。


「あなたが望むなら、私があなたを迎えに行きますよ」

 わたくしは嬉しくて

「きっとよ?きっと迎えにに来てね」

 と縋ったのだ。


「その時私は二十一歳でした。もしあなたが覚えていて望むのならば、国へ連れて帰ってうんと可愛がろうと思っていたのです」

 クンラート王弟殿下は笑った。

「こんな年上の男は嫌ですか?オティーリエ・カテーナ女伯爵。今ではあなたは側妃ではありません。あなたが望むなら、私はあなたが欲しいのです」


 クンラート王弟殿は魅力的な方だった。優しく穏やかな声は昔と変わらない。


 わたくしは自分の幸運に酔いそうだった。こんな幸運がわたくしにあっていいのか。


 曲が終わり、わたくしは名残惜しくその手を放して礼をした。

「よいお返事を待っています」

 クンラート王弟殿下は、真剣な顔になっておっしゃった。


 わたくしの答えはもう決まっていた。


 夜会の翌日、国王陛下に謁見を願い出た。謁見はすぐに許された。


「わたくし、クンラート王弟殿下の第四妃になります」

 そこにはベルナデット様への恩以上に、わたくしの意思が大きかった。


 望まれた場所に行く。

 それはなんて素晴らしいことだろう。


 今ではわたくしを縛るものは何もない。


 国も家族もとうに捨てた。


 わたくしを求めてくださる方の元へ行く。

 その上、今までの恩に報いられるのだ。


 わたくしはこれまでに覚えたことのない、晴れ晴れとした気持ちに包まれていた。

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