23.ためらう心を振り切って

 オティーリエ王女の教育は再開されたが、遅々として進まない。

 毎回、オティーリエ王女の癇癪で授業が中断している。

 度々、オティーリエ王女の授業の補佐に呼ばれた私は、ふとある疑念が生まれた。


 オティーリエ王女は実はインジャル語もフェディリア語も、それなりにわかっているのではないか。それを隠しているように私には思えた。


 夏がやってきて、私は十七歳になった。

 朝から贈り物が運ばれてきていた。

 その日の午後、王妃殿下が私の部屋へ訪れた。

 美しい真珠のティアラを渡された。


「十七歳おめでとう。今日はあなたに言い渡したいことがあって来ました」

 改めた口調でおっしゃる。


「明日の夜、バシュロがあなたを訪ねます。決して断らないように」

 私は驚いた。王妃殿下が設けた一年の猶予にはまだ一か月余りある。

 私の顔は蒼白になったらしい。王妃殿下が私を抱き寄せた。

「不安なのはわかります。全てバシュロに任せなさい」

 私は必死になって言った。

「まだ期限ではございません」

「ああ、そのこと…」


 王妃殿下は私をソファーに導き、隣り合って座った。

「もう十分です。わたくしは見切りを付けました。それにバシュロもオティーリエ王女を認めないと言っています」

「でも…」

「バシュロが嫌ですか?側妃になった時に、受け入れたはずですよ。妃の務めを果たすのです」

 王妃殿下は優しく私の手をとった。


「あなたも知っての通り、三国協議が半年以内に行われます。そこでオティーリエ王女から"王女"の地位がなくなります」


 三国協議では、カテーナ王国は解体され現在の四公爵が共同で治める公国となる。カテーナ公国はインジャル王国とフェディリア王国の監視と援助の元で、自治制になる。軍部は上層部がすでに捕縛され、罪を問われている。王族は一貴族の伯爵位となり、領地と年俸を与えられることになってる。もう中央には戻れず、領地で暮らすのだ。


「もしも次の新枕の儀が失敗に終われば、わたくしは三回目を行わないことに決めました。この決定は国王陛下も承認なさいました。あなたはこの国の唯一の妃となるのです。そして」

 ぎゅっと手を握った。

「近いうちに、あなたは正妃となるでしょう」

 私は震えた。

「それでは、オティーリエ王女は…」

 言葉が出ない。


「粗略にはは扱わないつもりです。でも…」

 少し口ごもってから続けられる。

「覚えていますか?フェディリア王国の王弟殿下の話を」

「まさかオティーリエ王女を第四妃に?」

「できれば避けたいのですが、あちらが強く求められているのです。できるだけ努力しますが、もしかしたらということもあります」


 私は項垂れた。

「あんまりではありませんか。わたくしの家族よりひどいです…」

「ええ。冷酷ですね。これが政治なのです」


 王妃殿下は私の顔を両手で挟んで上を向かせた。

「堂々となさい。そう教育したはずです」

 そして優しく頬にくちづけられた。

「可愛いベル。あなたはあなたの幸せを大切にしなさい」

 頬がかっと熱くなる。王妃殿下にも私のバシュロ様への思いが気づかれていたなんて。そんなにあからさまだっただろうか。


 その夜は私の誕生日を祝う晩餐会があったが、何を食べても砂を噛む思いだった。バシュロ様の顔をまともに見られない。


 翌日は何をして過ごしたか、ほとんど覚えていない。公務がお休みになったことが、余計私を落ち着かない気分にさせた。


 夜、魔導ランプの光度を落とした寝室で、私は白いナイトウェアにガウンを羽織った姿でベッドの縁に座らされた。新枕の儀の時と同じだ。


「バシュロ王太子殿下がお見えになりました」

 侍女が告げれば、心臓の鼓動が痛いほど早くなる。


「こんばんは、ベル」

 バシュロ様が部屋に入ると入れ違いのように侍女達が退出する。

 薄暗い部屋では、バシュロ様がどんな顔をしているかわからない。


「傍に行ってもいい?」

 問われるバシュロ様。

 私は声が出ない。

「君の許可がなければ近づかないから、安心して」

 それでも私は震えた。


 心の半分ではオティーリエ王女への酷な扱いに憤っていたが、もう半分ではバシュロ様を欲していた。私だけを愛して欲しいという、勝手な気持ちに戸惑っていた。


 本当はわかっていた。

 居間にある雪に閉ざされた湖のタペストリー。

 寝室に一枚だけ高い場所に嵌め殺しになっている、星のステンドグラス。

 毎朝届く、露に濡れた一輪の花。


 震えながら私は両手をバシュロ様に伸ばしていた。

 ゆっくりとバシュロ様が近づいてきて、私の両手を優しく握った。


 翌朝、私は少しけだるい幸せな気分と、花の香りで目覚めた。

 なぜこんなに幸せなのか、最初分らなかった。多幸感に包まれてふわふわした気分だ。

 目を開けると、部屋は花で埋め尽くされていた。


「おはようございます。ベルナデット様」

 侍女が嬉しそうに微笑んでいる。

 身支度を手伝ってくれながら言う。

「ご覧ください。この花は全部王太子殿下が、手ずから摘んで運ばれたのですよ」

 そこへドアが開いて、大きな籠一杯に花を入れて持ったバシュロ様が入ってきた。


「おはよう、ベル」

 バシュロ様は花籠を置くと、私にくちづけた。


「あなたはあなたの幸せを大切にしなさい」

 王妃殿下の言葉を思い出す。


 今は、今だけは自分のことだけを考えてもいいだろう。


 今、私はこの上もなく幸せだ。

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