第8話 目覚めの朝




「………………ん」


 十夜が目を覚ましたとき――部屋は明るかった。目を閉じたときと同じように、十夜は部屋の壁にもたれて座っていた。そして、いつのまにか掛け布団を掛けられていることに気がついた。


「…………?」


 最近はいつも寝たと思っても夜中に起きることが多く、夜明けまで寝たことはない。


 昨夜は、寝たふりをしていただけだった。目を瞑っているだけの、寝たふりをしたつもりだった。

 しかし、朝だ。おかしい。いつの間にか、朝になっている……。


「これはいったい、どういうことだ……? 俺は今まで、寝ていたのか……?」


 こんなことは、初めてだ。

 体を少し動かす。体が軽い。頭も痛くない。すっきりしていて、気持ちが良い。


「驚いたな……」

 本当に、驚いた。最近では朝まで眠れたことはなかったのに。



 九頭竜十夜は不眠症だった。

 いつも涼しい顔をしているが、ぐっすり眠れたならもっと良いだろうにと常々思っていた。

 しかし、それは弱みになると思って――十夜は誰にもそうとは話していなかった。

 元々あまり眠れない質だったが、最近は輪に掛けてひどくなった。

 祓い屋の仕事、――表の会社の仕事。当主跡継ぎ、お見合いの話、最近出没する妖怪の多さ……そのすべてが、十夜をぐっすりとは眠らせない。


「睡眠導入剤薬を飲んだら?」と言われても、十夜は「仕事のパフォーマンスが落ちる」と拒否していた。うまみつなりに言わせれば、「うーん。寝不足の方がパフォーマンスは落ちると思うんだけど……」という具合なのだった。

 

(俺が不眠症なのを彼女は知らないだろうから、単純に一般的な知識として目を瞑るように言ったのだと思ったが……)


 実際、十夜は毎晩そうして過ごしている。

 しかし、それだけでは疲れはとれないものだ。



(そうだ。彼女はどうなった?)

 

 十夜が部屋を見ると、少し離れた部屋の隅で、伊織は寝息を立てていた。

 布団も被らず、横にもならず、座って眠っている。


「…………」

「すぅ……すぅ……」


(なんでこんな隅に……? せめて敷き布団を使えばいいだろう)


 ゆっくり、近付いてみる。


 そこで十夜は、伊織の髪のあいだから羊のような巻き角が生えているの気付いた。


「これは……」


 伊織、眠ったままだ。



 角にそっと触れる。――それは触れることが出来た。


(羊、か……)


「…………」


 目が冴えた状態で見た彼女は、――なんだか昨夜よりもキラキラ輝いて見えたし、白い肌は透き通るようだった。

 

(……? いや、俺はなにを……)

 

 十夜は、目を細めて伊織を見る。

 小さくなっている伊織は、ふわふわした髪と相まって、なんだか本当に子羊のようだ。


(……元から、こんな感じだったか?)



 十夜が伊織を見ていると、伊織の頬をつぅ――と涙が伝った。


「う……っ。うう……」

「……お前は、……また、泣いているのか……?」


「…………」

 十夜は掛け布団を持ってくると、そっと伊織に掛けた。




  ***




「うぅん……」


 伊織が目を覚ますと、体に布団が掛けてあった。


「あれ……」


 なんだか、温かい。これは、布団のぬくもり、いや――


「とっ……! ……十夜さま……!?」


 すぐ隣に、十夜が座っていた。

 伊織は、いつの間にか十夜に寄りかかって眠っていたらしい。慌てて少し離れようとすると――その手がパシッと掴まれた。


「起きたか」

「と、十夜さま……!」


 カアと顔が熱くなる。


(と、十夜さまといっしょに眠っていただなんて……! ど、どうして……!?)


「わ、わたしすみません、そんなつもりじゃ、……離れて眠っていたんですけど、どうしてこんなことになっているのか……!」

「俺がお前に布団を被せた後、お前の頭があまりにもかっくんかっくんなるものだから、俺の肩を貸した」

「そ、そう、なんですか……。お恥ずかしい……です……」


(十夜さまの肩を枕にしてしまうなんて……)


 伊織は恥ずかしさで小さくなった。


 十夜は言った。


「その角は?」

「え? つの、ですか?」


 一瞬、なんの話をされたのか分からず、伊織はきょとんとする。


(つの? ……角?)


 真っ先に思い浮かんだのは、妹の梨々子や父の頭に現れる角のことだった。

 伊織は、自分の頭を触る。――なにか、硬いものがある。形をなぞると――それはくるりと巻いていることが分かった。


「え、え……!?」

「なんだ、知らなかったのか」


 部屋の中には小さな机があり、机の上には手鏡があった。

 十夜はそれを取ってくると、伊織に向けてやる。


「あ……」


 それは、梨々子が能力を使うときに生える角とよく似ていた。もちろん、父のものとも。とすると、


「これは、羊の角、です……。わたしの家族にも、同じものが能力を使うときだけ生えます」

「なるほどな」


 鏡を見ていると、やがて伊織の角は、スゥーっと消えていった。


「あ……消えました……。妹のも、能力を使った後は角が消えます」

「とすると、今お前は能力を使っていたのか?」

「え? え……。わ、わかりません。わ、わたしは……。その……。ただ、十夜さまがよく眠れますようにって、祈っただけで……」

「……なるほどな」

「えっと…………、その。わたしにこれといった能力は、ないはずなのですが……」


 妹の呪符の――手伝いというか、下準備というか。それくらいしか、できないはずだった。


(どうして、角が……)



 十夜は、「ふむ」と腕組みをする。


「……実は、俺は昨夜、今までになく眠れた。……確か、以前の羊の当主に、人や動物を眠らせることができる者がいたと聞いたことがある。つまりは、それがお前の能力なんじゃないか?」

「わたしに、羊の能力が……」

「そうじゃないと、あり得ん」

「え?」

「……いや。こっちの話だ」


 十夜は涼やかに笑って、伊織の手を取った。

 

「……いい力だな」

「そう、でしょうか」

「ああ。素晴らしい能力だ」


(わたしにも、力があったんだ……)


 伊織は、無能と今日まで罵られてきた。――つい、昨日も。


(でも、)


 十夜の顔を見る。


「――どうした?」

「あの、わたし……。十夜さまの、お役に立ったってことでしょうか……?」

「ああ。そうだ。ありがとう」

「そう、ですか……!」


(十夜さま、顔色が昨日よりいいみたい)


 そのことが、なによりも嬉しく感じた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る