第6話 九頭竜のもてなしと医者の双馬




 伊織が浴室から出ると――サキがタオルを広げて待機していた。


「くつろげましたか?」

「あ……はい……!」


 サキは、伊織の体を拭いていく。こそばゆいような気がした。


「こちらを」


 そう言って出された浴衣を着る。

 女物の柄の浴衣は、伊織の背丈にぴたりと合った。


(…………十夜さまの、ご家族のとか……?)


 伊織がそう考えていると、サキはニコニコしながら言った。


「こんなこともあろうかと! サキは新品の服をたくさん用意しておりましたよ! 来客用も来客用、特別な来客用です!」


「えっ……し、新品……?」

「もちろんです!」

「…………な、んでそんなものをわたしに……」


 もう、新品の服など何年も着ていない。伊織は、長年古い着物を繕ってやりくりしてきたのだ。


「伊織さまは、大事なお客さまですから」

「……えと、わたしは……たまたま……」


 たまたま、十夜に助けられただけだ。そう言おうとしたが、


(もしかすると、十夜さまは普段からこのような活動をしているのかも……)


 そう思うと口をつぐんだ。


「さあ、お風呂上がりはスキンケアですよ。スキンケアはスピードが命! さっそくやっていきますよ」


 そう言ってサキは、スキンケア用品をずらりと並べた。

 伊織でも聞いたことのある、高級ブランド品ばかりだ。


(ただの来客にも、こんなに手厚くもてなしてくれるのね……。どうして、十夜さまもサキさんも、こんなに……)


 伊織は、少し自分の家のことを思い出し――目を閉じた。

 サキにされるがままになっていた。




 ***




 髪を乾かしてもらった伊織は、客間へと案内された。

 上品な和室だ。

 

「では伊織さま、後ほど。もうすぐお医者様がいらっしゃいますので」

「あ……。は、はい。ありがとうございます……」


 サキが下がる。

 伊織は、勧められた座布団にちょこんと座ったまま、そわそわとしていた。


 やがて廊下で足音がし、ガラリと襖が開いた。


「ふぁ~あ。来たよーとーやくん~」

「あ……」


 入ってきたのは、白衣を着た男だった。眠たそうにあくびをしている。それは、二十代半ばほどの細身の男だった。肩につきそうな髪を、後ろで結んでいる。彼が、医者だろう。


「あれ? とーやくんじゃない。誰、君~?」

「えっと……」


 伊織は一瞬、名乗ることでなにか九頭竜家に不利益がないかと考えたが、自分のために呼ばれた医者なのだと気づき、名乗ることにした。


「よ、羊垣内伊織と申します……」

「え? 羊垣内?」


 医者は目を丸くした。


「昨日、いたっけ? 昨日って100人? 200人? 来てたっけ? あー無理無理、覚えてないよー」

「えっと……その……」


 昨日、というのは『会合』のことか。だとすると彼も普通の町医者ではないらしい。


「会合には、行っていません……」

「ふーん。珍しいね。ま、いいけど。オレ、うまみつなり。わかる? 双馬」

「あ……。えっと、『馬』の家、ですね……」



 うまみつなり。十二支の――『馬』の家だ。祓い屋の副業は医者で、一族で病院を経営している。歳は伊織の見立て通り二十五歳の男性だ。


「怪我をしてるのって、君だけ? とーやくんは? ま、いっか。はい、怪我見せてー」

「あ……はい」


 満成は、手早く鞄をあけると、伊織の怪我の手当てをし始めた。


 しかしそのほとんどは、今日の傷ではなく――昨日までの傷だった。


「………………」

「………………」


(気まずい……)


 傷を見られる度に――その傷が古くて大きいほど、伊織はうつむいた。


(これって、羊垣内家に、連絡されてしまう……かな……?)


 しかし、満成は意外にも――誰にやられたかは聞かず、どういう状況だったのか――火傷なのかかぶれなのかなにで切ったのか――だけを聞いた。


 満成の指示で水などを持ち運びしているサキだけが部屋を出入りし、満成と伊織はあまり会話もない、静かな手当の時間だった。


 そうして一通り手当てを終えると、満成は鞄を閉めた。


「まあ、こんなところだね」

「あ、ありがとう、ございます……」


 先ほどまでの真剣な表情とは変わって、満成はにこにこしながら聞いてきた。


「で、とーやくんとどういう関係? 無理矢理くっついてきたの?」

「え、えっと……なんと言ったらいいのか……。保護(?)していただきました……」

「ええー? 保護ー? 本当は当たり屋みたいにとーやくんにぶつかっていって目の前で転んで見せたとか?」

「い、いえ……! そんなことはしていません……!」

「だろーね」

「えっ……?」

「あはは! 九頭竜の方からこーんな真夜中に『至急!』って言って起こされたんだよー? あはは!」


 満成が笑い声を立てると、襖がスパンと開いた。


「うるさいぞ」

「あ、とーやくん!」

「あ……。十夜さま……」


 伊織が振り返ると、十夜が立っていた。十夜の黒髪は艶やかで、青い瞳が美しい。――が、なんだかむすっとした顔をしていた。


「おい。なんでお前が来てるんだ」

「えー? 呼んだのはとーやくんだよ?」

「俺は双馬の婆さんを呼んだんだ」

「こんな真夜中に老体は無理だよー。で、オレがきたってワケ!」

「…………」

「あれー? 怒ってる? 寝不足だからじゃない? 相変わらず目の下のクマひどいよー?」

「怒ってない」

「……」


 十夜は、伊織を見ると、少し息をのんだ。


「お前……」

「……? はい、なんでしょうか?」

「いや、なんでもない」


「はあー」

 満成は、わざとらしくため息をついた。

「それで怒ってるんだ? あのねー。まあ気持ちは分からんでもないけどさ、そんなん気にしてたら、医者は聴診器禁止になっちゃうよー?」

「…………」


 十夜は、満成に返事をせず、伊織の方を向いた。


「何か変なことはされてないか?」

「は、はい……。普通に、診察していただきました……」

「……そうか」

「だからそー言ってるじゃんー。オレは外からでも怪我の位置は見えるからね。無駄に見たりしてないよ」

「…………まあ、助かった。双馬の腕は信じているさ」

「認めてくれてんだかなんなんだか……」



 それから十夜は、こう言った。


「治療費は九頭竜家から振り込んでおく」

「はいはーい。よろしく頼みまーす」

「え……っ!?」


 十夜が思いがけないことを言い出したので、伊織は目を丸くした。


「そんな、大丈夫です! あの、……お代は、ち、父に……頼みますから……」

「大丈夫だ。心配するな」

「と、十夜さま……」

「もう九頭竜からの依頼だっていう請求書切ったもんねー」

「……。そういうことだ」

「そ、そんな……。いいんでしょうか……」

「気にするな」


 十夜はそう言って、伊織の手を取った。


「大変だったな」


 その表情はクールなままだったけれど。見ているとなんだか胸の辺りが温かくなってきて。


「ありがとう、ございます……」


 伊織はそっと胸を押さえた。




 満成は「そうそう」と、明るく言った。

「――彼女――伊織ちゃん、少々痩せ過ぎてるね。食事は消化の良いモノからはじめると良いよー」

「そうか。……サキ」

「かしこまりました。そのようにいたします」


 十夜が手を上げ合図を出すと、後ろに控えていたサキが部屋から下がった。

 それを見て、満成も立ち上がる。


「じゃ、オレは帰ろうかな」

「あ……」


 伊織は、頭を下げる。


「ありがとう、ございました……!」

「…………」


 満成は伊織を眺めると、ふふ、と笑った。


「かわいいね。頭まんまるで。お月様みたい」

「え……?」


 伊織が頭を上げる。――が、その視界は大きな背中で遮られた。


(――わ)


 それは、十夜の背中だった。


(いつの間に前へ……)


 十夜は腕組みをして――満成を睨む。


「さっさと早く帰れ」

「えー。せっかくド深夜にきたあげたのに。それに、素直な感想だよ」

「……早く帰れ」

「帰るってば。じゃあね伊織ちゃん。お大事にー」

「あ……。ありがとう、ございました……」


 伊織は、再び頭を下げた。

 満成は、伊織に手を振りながら帰って行った。






「……はぁ」


 満成が帰ると、十夜は大きく息を吐いた。

 伊織はぺこりと御辞儀をする。


「あ、あの……。お医者様まで、呼んでいただけるとは思いませんでした。あ、ありがとう、ございます……」

「ああ。いや、本当は婆さんを呼びたかったのだが。……男の医者で嫌ではなかったか?」

「は、はい。ずいぶん丁寧にしていただきました」

「そうか。……いや。アイツも双馬の端くれだからな。きちんと、手当だけは真面目にされているだろう」


 伊織は、最初に「十夜はいないのか」と聞かれたことを思い出す。


「あ、あの、双馬さんは帰ってしまわれましたが……、十夜さまはお怪我などされてないのでしょうか……? 双馬さまも、十夜さまにお怪我がないかと心配されていました」

「そうか。俺は大丈夫だ」

「あ……。よ、よかった、です」

「…………ああ」

「…………」


(お怪我がなくて良かった……。もう少し、話しかけてもいいのかな……。でも、どう話せば……)


 伊織がそう考えながら何もできないままでいると、再び部屋にサキが入ってきた。

 

「きたか。……俺は風呂に入る。サキ、彼女を頼む」

「はいはい。わかっておりますとも」

「――なにかあったらすぐに呼べ」

「くすくす! はいはい。いってらっしゃいませ、若さま」

「あ……」


(行って、しまわれた……)


 十夜がスタスタと部屋から出て行くのを、伊織は少しさみしく思ってしまう。

 ふたりの様子を見て、サキは笑う。

 

「くすくす。伊織さま、もうすぐご飯をお持ちいたしますからね」

「え? あ、ありがとうございます……?」


 伊織は、サキがどうして笑っているのか理解できず、頭にハテナを浮かべた。

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