第5話 九頭竜家のお屋敷


(こ、ここが…………)


 とうきようの一等地。長い塀の先に――その大屋敷はあった。

 数寄屋門の前に立ち、伊織はぽかんとして見上げる。

 表札には――『九頭竜』。


(ほ、本当に……九頭竜十夜さまなんだ……)


 繋がれたままの手を見る。それから――十夜の顔を。

 どういうつもりでつれてこられたのか、――伊織には分からなかった。


「……あ、あのぅ……」

「なんだ」

「……どうしてわたしのこと、ご存じなんでしょう……?」


 伊織は、彼に名乗らなかった。しかし、十夜は伊織を見て、羊垣内だと言った。


(…………なんでなの……?)


 十夜は伊織をチラリと見ると、ふいと顔をそらして言った。


「………………『リスト』で見た」

「り、リスト……?」


 聞き返したが、それ以上返事は返ってこない。

 十夜は黙ったまま、家の門を開けた。


 伊織は、

(なにも、わからない……)

 と、びくびくしながら、九頭竜家の門をくぐった。





 十二支トップの『龍』の家――それがここ九頭竜の家である。

 九頭竜十夜は、この祓い屋・九頭竜家の次期当主である。優秀な能力と品行方正な態度、膨大な仕事量をこなすことで支持を集めている。歳は二十三歳。綺麗な黒髪と青い目をした青年だ。



 そして同時に、九頭竜財閥の次期当主でもある。


 九頭竜財閥。それは多くの傘下企業を抱えたグループである。

 十二支の家は古くは祓い屋として。鎌倉時代には本家を守護、分家を地頭として働き、やがて広い荘園を手にした。

 それから数百年が過ぎ、九頭竜家のもつ土地に銅山がいくつも見つかった。

 これが、九頭竜財閥の始まりである。今では、祓い屋家業の副業として、日本を代表する会社をいくつも持っている。そんな家だった。




 敷地は広く、庭……というよりもはや道路があり、大きな屋敷や五重の塔がいくつもあった。

 なんだか別の街に来たみたいで、伊織はきょろきょろとしてしまう。


「こっちだ」

 手を引かれるがままに砂利道を歩き、途中、門を二つほど通る。

 三つめの門を通ったあと、伊織は十夜に話しかけた。


「あの、」


 伊織は、十夜のことを『九頭竜さま』と呼ぶか『十夜さま』と呼ぶか一瞬迷い――


(ここは九頭竜家なんだから、みなさん九頭竜さまのはず……)


「と、十夜さま……」

「…………なんだ、伊織嬢」


(――!)


 自分も名前で呼び返されるとは思わず、目を丸くする。


 途端、


「きゃ……っ」


 伊織は、地面に躓いて転んでしまった。


「…………」


(は、恥ずかしい……)


「なんだ。大丈夫か? ……怪我は?」

「……だ、大丈夫です……」


 十夜が手を差し伸べる。その顔色に変化はない。


(うぅ、わたしだけが、照れて……)


 伊織はそう思いながら手を取ろうとし――

 

「痛っ……」

 足を押さえて座り込んだ。


(足を捻った……?)


「…………」


 十夜は黙ってしゃがみ、そして伊織を抱きかかえる。


「へ……っ?」


 突然のことで、伊織の胸はドキドキと高鳴った。


「あ、あのっ……歩けます……っ」

「つかまっていろ」

「で、でも……っ」

「暴れるな」


 十夜がそのまま――伊織をお姫様抱っこで歩くので、伊織はなにもしゃべれず、ただただ顔を赤くした。




 やがて大きな屋敷が見え、十夜は玄関に近付いた。


「ここは……」


 伊織が口を開きかけた時、――


「まあ! そちらはどなたなんですか?」


 家の中からぱたぱたとひとりの女性がかけてきた。エプロンをつけていることからして――使用人のようだ。こんな夜更けまで家にいるところを見ると、住み込みの女中だろう。歳は五十歳ほどに見える。


「……羊垣内のご令嬢――羊垣内伊織嬢だ。皆を起こせ」

「あらあら! まあまあ! そのようなご関係のお嬢様がいらっしゃるとは!」

「え、えっと、……」


 関係も何も、十夜とは先ほど会ったばかりで――と伊織は言おうとして、はたと気がつく。自分は今、十夜に抱っこされて運ばれているのだ。人に見られたことで、伊織は再び恥ずかしくなり、小さくなった。


「医者も呼べ」

「はいはい。かしこまりました。お電話してまいります。あとはお風呂の準備とご飯の準備、それからお部屋の準備ですね」


 女中はにこにこと笑って、ぱたぱたと家の奥へかけていった。


「…………」

「…………」

「あ、あのぅ……」

「なんだ」

「もう、下ろしていただいても……」


 十夜は伊織をチラリと見ると、


「……風呂場まで運ぶ」


 と言ってスタスタと家の中を歩き出した。



「…………あの……十夜さま」

「なんだ」

「…………お、重くないでしょうか…………?」


 十夜は眉をひそめた。


「ギャグなのか?」

「え……?」

「ならば俺も言おう。仙人をやめろ、霞のように重量がない」

「…………は、はい……」


(……?)


 伊織は、十夜が何を言っているのか分からなかった。

 けれど、十夜がクスリと笑ったような気がして――なんだか、まあいいかと思ったのであった。



 風呂場の入り口に付くと、十夜はそこでようやく伊織を下ろした。


「サキ」

「はいはい、おりますよ若さま!」


 先ほどの女中が現れて、


「ささ、伊織さま。どうぞこちらへ」


 伊織を浴室へと案内した。





 浴室は広く、壁や天井は木でできており、まるで小さな温泉宿のようだ。床は白っぽいタイルで、部屋は明るい印象だ。浴槽は石造りで、浴槽の笠木が檜なのがおしゃれだった。


「あ、あの……っ」

「はいはい、なんでしょう。伊織さま」

「ひ、ひとりで洗えます……!」


 お風呂の中にまでついてきた女中――名前はサキという――が、タオルに泡を立て始めたので、伊織は慌てて遠慮する。


 しかし、


「いーえっ! お任せください!」

 と素早く洗われてしまった。

「…………」

 羊垣内の家ではお風呂は皆と同じ浴室が使えた。だから、そこそこいい浴室を使っていた、と思っていたけれど――、

「……なにが、こんなに違うんでしょう……」

 浴室の造りが大幅に違うのはそうだが、それだけにとどまらない。香りの良い石けん、体を洗うタオルは柔らかく、温かなお湯からは入浴剤に頼らない良い香りがした。


 サキは「ふふ」と笑うと、

「こちら、温泉を引いておりますの」

「お、温泉……!」

「ゆっくり浸かってくださいましね」

「……あ、ありがとう、ございます……」

「ではサキは外で控えております」


 サキはにこりと笑って、浴室から出て行った。


(温泉……これが……。初めてだわ……)


 温かなお湯が、多数の小さな擦り傷にしみる。しかし、それすらも温かい、と思える。

 伊織はお湯に浸かると、腕の傷をさすった。





 サキは浴室を出ると、十夜の部屋へと向かった。

 声を掛けると、十夜はすぐに出てきた。

 

「若さま」

「なんだ、サキ」

「伊織さまですけれど、……少々、お怪我が多いようで」

「…………医者はまだか?」

「もうまもなく」

「急がせろ」

「深夜ですからねぇ」


 サキは時計を見る。時刻は――夜の十二時近い。


「ああそれから――あのような方がおられるなら、『リスト』を渡す前におっしゃってくだされば良かったですのに」

「……いや。あれのおかげで助かった。礼を言う」

「あらあら? そうですか」


 十夜はなんだか落ち着かない様子で、そわそわしている。

 

「羊垣内家のご令嬢とのことですけれど。……羊垣内家に連絡はどうしましょうか?」

「するな。……なにかありそうだ」

「はい。かしこまりました」


 サキは言ってから、


「では、九頭竜家のご当主さまに連絡はしても?」

「……なぜだ。余計に言う必要がないだろう」

「いえ。ようやく若さまがお相手を見つけてきたんですから……」

「違う」

「え? 違うんですか?」

「彼女は、そんなんじゃない。……ただ、…………連れてきただけだ」

「……はぁ。そんなことが、ありえるのですか? こんな真夜中に、使用人全員を起こして」

「…………とにかく、丁重に扱え。頼んだぞ」

 そう言って十夜は、部屋へ入ると襖を閉めた。




 ***




 襖の向こうからパタパタと足音が遠ざかり、サキが去ったのを感じた後――十夜は髪をかき上げた。


「…………」


 ――羊垣内伊織。

 羊垣内家の長女で――歳は十八。能力は弱いらしい。


 ……と、『お見合い候補のリスト』に載っていた女だ。


 十夜は、机の上に広げられた『リスト』を見る。それはプロフィールシート――一枚に付き一人の顔写真とプロフィールが書いてある――で、未婚の十二支の家の令嬢がリストアップされていた。

 だいたいの令嬢は正面を向いた写真だったが、その中に一枚だけ横顔のものがあった。被写体までの距離も遠く、いかにも隠し撮りである。――それが、羊垣内伊織の写真だった。

 書いてあるプロフィールも簡潔に家族構成、特筆した能力が無いこと。あとは――跡取りには妹がなるとの噂が一行。

 伊織だけ簡素だから目立っていたなどということはなく――十夜は、仕事が忙しく、リストにはざっとしか目を通していなかった。だから、全員等しく興味がなかった。――はずだった。



 彼女は、十二支の会合にもやってこない。 

 だから、十夜が伊織に会ったのは、今日が初めてのはずだ。


 にも拘わらず。


「……どうして連れてきてしまったのか」


(この俺が――初対面の女を)


 それでも。


(――目が、離せなかった)


 夜の湖で、涙を流しながら立っている伊織は、満月の下で――美しかった。

 彼女の長い髪が、白い肌が、月明かりを受けて輝いて見えた。

 涙を溜めた瞳は宝石のように潤んで見えたし、長いまつげを初めて美しいと思った。


 彼女を一目見て、(ああ、これが羊垣内伊織なんだな)と気がついたが、あのぼやけた写真からなぜすぐに分かったのか、十夜は自分でも不思議だった。


 あの儚い光景は、まるで夢のようだった。

 

「…………くそ」


 十夜は、壁に腕をついた。


(家に、連れて、帰ってきて、しまった……)


 それがどうしてなのか――十夜にはわからなかった。


(あれは――入水する気だったのだろう。それは、止めなければならないと思った。止めて、なんとか彼女の家に送り届けようと思った。だが……)


 実際に口から出たのは。「家に送ろう」などというものではなかった。


「まあいい。彼女も一晩経ったら落ち着くだろう。――そうしたら、明日の朝、家へ送り届けよう……」


 十夜は、そう言って息を吐いた。



「……。昨日からずっと起きっぱなしだ。……疲れてるんだろう」


 鬼が出現したという報告を受けて、十夜は昨日、今日と、見回りに出ていた。今も、他の九頭竜の能力者が交代で見回りをしている。

 十夜はそんな見回りの途中で、伊織に出会ったのだ。



 ふと、伊織を抱いた腕の感触を思い出す。


 抱きかかえた彼女は小さくて、手足に力が入っていて、緊張しているのがすぐに分かった。しばらくぷるぷると体を震わせていたが、やがてそれが落ち着き、十夜に身を委ねたとき……。



 ――「十夜さま」

 彼女が口にした呼ばれた声を、反芻する。

 

「う……っ」


 十夜は、あわててかぶりを振って、自分の胸をぐっと掴んだ。


(また彼女のことを考えていた……)


「いったい、なんなんだ、これは……」


 こんな気持ちになったのは、初めてのことだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る