第24話 稲瀬の過去、バスケから逃げ出した理由②


 バスケを始めたのは父から逃げるためだった。


 他の人が聞いたら不純とも言えるかもしれないけど、俺にとっては重要なきっかけだったんだ。

そうせざるを得ない理由が家庭にはあったから。


 簡潔に言うならば、俺と母は父からDVを受けていた。

DVが始まったきっかけは、父が事業で大きな失敗をしたのが始まりだった。


 仕事を失った父に代わり、母は仕事を増やし、献身的に支え、家庭を維持しようと懸命に努めていた。

だけど、プライドが高い父からしてみれば、自身の惨めさが露呈して、気に食わなかったのだろう。


 おかげで、父はより一層堕落して、DV家庭の出来上がりというわけだ。


 怒鳴り声の響く喧嘩は日常茶飯事で、酷い時は暴力が飛んでくる。顕著だったのは女性関連。父が自身で稼いだ収入を家庭ではなく、別の女に貢いでいたのだ。


 そんな酷い父であっても、俺の親であるのは変わりない。

当時、小学4年生だった俺は、父を心の底から恨めなかった。


「お父さん、昔みたいに戻ってくれないかな……」


 それこそ、物心ついた頃は平穏な家庭環境だったと思う。

その過去の幻想が、俺と母を縛り付けていたのかもしれない。


 おかげで、離婚までとはいかず、家庭は崩壊一歩手前の所で留まっていた。

しかし、家庭環境は改善どころか、悪化をしていく。


母は仕事で家に居る時間は少なくなり、反比例するように父は仕事を不定期に休んで、家に居るのが多くなった。

そうなると、小学生の俺が父と同じ空間に居る時間が多くなるわけで。


 学校が終わり帰宅すると父が居る。

 少しでも機嫌を損ねれば怒号が飛ぶ。


 そんな生活に母は俺の身を心配したのだろう。


「サク、クラブ活動に興味ない?」


 母は俺が学校に居る時間を増やそうと、クラブ活動への参加を勧めてくれたのだ。

正直、自分も父とは同じ空間には居たくなかったので、願ってもない提案だったのを覚えている。


 そして、いくつかある候補から選んだのバスケだった。

理由としては、所属人数が10名以下で活気がなかったから……なんてバスケ好きが聞いたら叱られそうな内容である。


だけど、自身が想像していた以上に俺はバスケにのめり込んでいったのだ。


「やった、シュートが入った!!」


 練習を重ねて、ボールがゴールへと入るだけで嬉しかった。

それこそ、人数が少ないクラブだったので、試合形式の練習も少なく、個人技術が磨けたのも大きかったのかもしれない。


「目指せゴールシュート百発百中!!」


 そんなアホみたいな目標を掲げられるくらいには心の余裕が出来ていた

おそらく、練習をしている時は、家のことを忘れられたから夢中になれたのかもしれない。


そして、5年生になった時、とある女子と出会う。


「アタシも……君みたいな綺麗なシュートを打てますか?」


 それが浦春ツバメとの出会いだった。

最初は同学年にデカい女子が居て、苛められていると耳にした。


 この時の俺は、「自分がバスケで救われたので、浦春ツバメもバスケで助けられるかも。身長が大きいならバスケで活躍できるかも!!」と考えており、今にして思えば随分と幸せな思考回路だったと思う。


だけど、その単純な考えのおかげで、ツバメは前を向き笑顔を作れるようになったのだ。


「サク、これからも一緒にバスケをしようね!!」


 小学校を卒業する時、ツバメとそんな約束をした。

俺もツバメとバスケをするのが楽しかったし、中学生になっても、この関係は長く続くんだって信じて疑わなかった。

だけど、その約束は俺の中で、とある恐怖を助長させる役割を担ってしまう。


 この恐怖に気づく前兆は、中学でバスケ部に入ったのがきっかけだった。

小学校のクラブ活動と異なり、中学の部となると、必然的に『楽しむ』よりも『勝つ』へと意識が偏っていく。


そうなると、俺も周囲に影響されて、勝利への執着が強まっていった。


しかし、現実とは非情である。

俺よりもバスケが上手な人間なんて沢山存在している。

シュートだけが取り柄で、総合力に欠けている俺は一気に取り残された。


「頑張らないと……もっと努力しないと……」


 そこからは、周りに追いつくように、懸命どころかオーバーワークといえるほど練習量を増やしていった。


 なにより、俺の焦りを助長させたのは……


「アタシ、レギュラーに選ばれたの!!」


 ツバメが女子バスケのレギュラーに選出されたのだ。元々、女子の中では身長は高かったし、バスケの腕前も抜きん出ていたので、同然の結果ともいえるだろう。

それこそ、シュートを除いては、俺よりも上の存在に彼女はなっていた。


「いつか俺もレギュラーに……」


 おかげで、補欠の俺は焦りが増すばかり。

いつも隣に居た幼馴染が遠い存在のように感じられた。


 そして、見計らったかのようなタイミングで、俺の心に、とどめを刺す事件が訪れる。


「お父さんがね、別の女の人を作って家を出ていっちゃった……」


 俺が14歳になった時、頬こけた母の口から出たのは家庭崩壊の知らせであった。

『きっといつか、父は元に戻ってくれる』と、信じてた母と俺に待ち受けていた結果がこれである。


そして、俺は「どれだけ信じていようと、人はいつか消えてしまう」という事実がたまらなく怖く感じてしまったのだ。


 次に脳裏に浮かんだのはツバメの存在だった。

「これからも一緒にバスケをしよう」と、約束した彼女と俺の間には見えない差が作られつつある。


 きっと、時間が経つにつれて、ツバメも俺の前から消えてしまうのだろう。

恐怖と不安は俺の中で徐々に増幅していった。


 右肩下がりのバスケの調子。

 過剰ともいえる練習による肉体的な疲労。

 焦りによるメンタル低下に、追い打ちをかけるような家庭崩壊。


 思春期の男子中学生の心を折るには十分な材料となりえた。

気づけば、大好きだったはずのバスケを辞めていたのだ。


「サク、部活をやめるってどういうことなの!?」


 当然ながら、ツバメには問い詰められた。

だけど、理由については言えなかった。


だって……ツバメもいずれ心が変わり、俺の前から消えてしまうのが怖いという理由だったから。

俺の気持ちを伝えてしまえば、きっとツバメはバスケよりも俺を優先してしまうはず。


だから、口を閉ざした。そうすれば、俺とツバメの間で最も繋がりが深いバスケから逃げ出せるのだから。


「ごめん、ツバメ」


 理由を話せいない俺は、ただ、彼女に謝罪するしかできなかった。


「アタシ……サクが居ないと寂しいよ」


 ツバメはずっと泣いていた。

あの時、逃げ出さずに向き合えばよかった。

だけど、心の弱かった俺は逃げ出してしまったんだ。


 それ以来、ツバメは変わってしまった……いや、俺が彼女を壊してしまったのだ。

誰かと接する時、人に合わせて態度を変え、俺に対しては辛辣な態度を取る。


 いっそのこと、罵り、嫌ってくれれば良かったのに。

だけど、ツバメは俺との関係を絶たなかった。

結局、縁を切るのに失敗した俺は中途半端な状態のまま、今に至るのであった。



「これが、俺がバスケを辞めた理由だよ」


 何回かゴールへ向けて放ったシュートは見事に入る。

 全てを語り終えて、俺は三ヶ島さんへと視線を向けた。


「あまり、聞いてて気持ちの良い話じゃないよね。だけど、俺が伝えたいのは、ここからで……」


「稲瀬くん、待って。その前に言いたいことがあるの」


 すると、三ヶ島さんはベンチから立ち上がり、スタスタと速歩きで近づくと、俺の両頬を力一杯につねりだした。


「いひゃい」


「ツバメさんの痛みはそれ以上だよ!!」


 三ヶ島さんは大声を張り上げながら、涙をポロポロと流し始める。


「稲瀬くんの気持ちも分かるよ。どれだけ努力しても結果が残せなくて、誰かに失望されたり、目の前から消え去ってしまうのは凄く怖いもん。だけど、それを免罪符にして、自ら大切な人を傷つけるのは……違うよ……。ツバメさんは今まで、どんな気持ちで……」


 両頬に伝わる力が緩んでいく。

三ヶ島さんの言う通りだ。当時、家庭が荒れていたとはいえ、俺は逃げ出して、大切な人を壊してしまった。

父に逃げられ、寂しかった。それと同じ経験をツバメにさせたのだ。大事な人が消え去ってしまう経験を……。


 俺は三ヶ島さんの力ない手を握りながら言葉を紡ぐ。


「俺が逃げてしまったから、ツバメに辛い思いをさせてしまった。だから、すぐにでも謝るべきだったんだ。それを気付かせてくれたのは、三ヶ島さんなんだよ」


「え……? 私?」


「うん。三ヶ島さんのおかげ。この後すぐに、ツバメと会って謝罪をするつもりだけど、その前に三ヶ島さんへ伝えたいんだ」


 それこそ、きっかけは三ヶ島さんが怪我をして泣きながら電話を掛けてきた時だった。

あの時は、しっかりと自覚できなかったけど、今なら確信できる。


「今の三ヶ島さんは昔の俺だ」


「昔の……稲瀬くん?」


「うん。三ヶ島さんは走るのが好きなんでしょ? でも、今は応援してくれる皆のために『勝つ』のに執着しているんだよ。それが、過剰な練習量になって、今回の怪我に繋がった」


「……あ!!」


 どうやら三ヶ島さんも気付いたのか、目を見開く。


 バスケが好きだった俺。

 走るのが大好きな三ヶ島さん。


 部活に入り、努力が足りないと思いオーバーワークとも言える練習をした俺。

 2着が続き、もっと頑張らなきゃと走り込んだ三ヶ島さん。


 それでも結果を出せず、共に歩んできた親友が消えてしまうのに耐えきれず逃げ出した俺。

 周囲の期待に応えようと努力したが、結果が伴わず河川敷の下で泣き叫んだ三ヶ島さん。


 いつの間にか、楽しむのではなく、周りの目を気にしてしまっていた。


 三ヶ島さんは俺と同じ道を進んでいたかもしれない。


「応援してくれた人、一緒に頑張ってくれた人から見捨てられるのが怖かった。失望されて消え去ってしまうのに怯えていた」


「本当だ……私、いつの間にか、自分の為に走るのを忘れていたんだ」


「だから、危ういと思った。でも、俺はバスケから逃げたから……だから、俺は自分の過去を全て話したんだ。そうしないと、三ヶ島さんに言葉は届かないから」


 最初、堀道の二股現場を目撃した時は、怒りの感情のみで動いていた。

それこそ、手段を選ばず、俺は過去に傷つけ壊してしまったツバメにさえ協力を求めたくらいだ。父と変わらない、人の気持ちを考えられないクズみたいな行動といえる。


 だけど、三ヶ島さんと交流を深めて、徐々に俺の中で自身の感情に任せる考えが減ってきた。

三ヶ島さんを悲しませたくないと強く願えるようになった。

ツバメが暴力未遂にあった時は、改めて彼女が大事な人なのだと気づけた。


 だからこそ、三ヶ島さんには俺と同じ道を進んでほしくない。


 俺は彼女の手を改めて握りしめて伝える。


「三ヶ島さん、俺は君の前から消えないよ。何度失敗しても、成果が出なくても、失望したりしない。2着だろうが、怪我をしてしまおうが、関係ない。だって……」


 そして、昔の俺が求めていた言葉を、彼女へと告げる。


「俺は三ヶ島さんと一緒に走るのが好きだから」


 頑張らなくていい。速くなくていい。ただ、朝方の斜めに差し込む陽の光を浴びながら、走るだけで楽しいのだから。


 俺の言葉を聞き、三ヶ島さんは再び涙を流しながら、乾いた声で笑ってみせる。


「もう……順番が逆だよ、稲瀬くん。まずは、ツバメさんに謝るのが先でしょ?」


「そうだね。だけど、怪我をして落ち込んでいる三ヶ島さんも放っておけなかったし……」


「うん、知っているよ。稲瀬くんの言葉、きちんと届いたから。だからね、稲瀬くん」


 三ヶ島さんは頬を伝う雫を拭うと、太陽みたいに赤く腫れた瞳で見つめてくる。


「今度はツバメさんにも、大事な気持ちを伝えてあげて」


 俺は深く頷くと、スマートフォンを取り出して、もう一人の大切な友人に連絡をいれるのであった。

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