第22話 忘れたいくらいの挫折

『稲瀬くん……ごめん、ごめんね』


 涙が混じる三ヶ島さんの声がスピーカーから聞こえてくる。


 一体、何があったんだ?

突然の出来事に脳の処理が追いつかず、俺は言葉を詰まらせてしまう。


 つい数分前、土曜日で予定も特に無い俺は、自室で動画配信を視ながら自堕落な時間を過ごしていた。

日曜日は三ヶ島さんの大会。別に俺が出場するわけではないが、何処となくソワソワして仕方がなかった。


 そんな時、三ヶ島さんから着信が入ったのだ。

三ヶ島さんも不安なのだろうか?

そう考えながら通話アイコンをタッチして応答すると、開口一番に……


『稲瀬くん……ごめん、ごめんね』


 震える声の三ヶ島さんが要件も告げずに謝罪してきたのだ。

明らかに不穏な空気。だが、俺が慌てれば三ヶ島さんは更に取り乱してしまうかもしれない。


 まずは状況を把握しないと。

深い呼吸を一度して、気持ちを落ち着かせると、ゆっくりとした声で三ヶ島さんに声をかける。


「三ヶ島さん、深呼吸をしようか?」


『……え? あ、そう、だよね。ごめんね、いきなり謝られたら驚いちゃうよね』


 すると、鼻をすする音と共にスゥハァと聞こえるくらいの呼吸が聞こえてくる。数秒ほどして、三ヶ島さんが再び声を届けてくれる。


『稲瀬くん、ありがとう。ちょっと落ち着いたかも。えっと、それでね、簡単に言うとね……』


 三ヶ島さんは一呼吸おいたあとに、泣いていた理由を言葉にする。


『足を挫いちゃって、大会に出られなくなったんだ』


「え……?」


『あ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ!? 今日、練習をしていたら、少し派手な転び方をしちゃってね。痛みが収まらなくて病院に行ったら、3日ほどは安静にしてなさいって。捻挫だってさ』


 電話越しから聞こえてくる三ヶ島さんの声は明るい。それが、空元気なのは痛い程に分かってしまう。

3日間の安静。つまり、三ヶ島さんは大会に出られないという意味になる。


『あはは……ごめんね。応援に来てねって約束したのに、破っちゃって。伝えたかったのは、それだけだから大丈夫だよ』


 そんなわけない。

三ヶ島さんは夏に心が折れかけて、それでも再び立ち上がり、努力を積み重ねてきた。なのに、挑戦すらさせてもらえないのだから。


 せめて、側に居てあげるくらいは……。


「三ヶ島さん、今は病院に居るの? すぐに向かうよ」


『うん、病院に居るよ。だけど、診察は終わったし、今から帰るところだから。心配してくれてありがとう。またね……』


 彼女は別れの言葉を告げると、通話を切ってしまう。彼女の口にした『またね……』の言葉は弱々しく震えていた。


「俺に出来ることはないのだろうか」


 しかし、どんなに思考を巡らせても、今の三ヶ島さんに届けられる言葉は思い浮かばない。

ましてや、俺はバスケから逃げだした身。どんな言葉も重みが無く三ヶ島さんには響かないだろう。


 瞼を閉じて、深い呼吸をする。

改めて、俺はどうして三ヶ島さんに惹かれたのかを思い出せ。

そこに、ヒントがあるかもしれない。


きっかけは体育祭で怪我をした時に優しくしてもらったから。

その後、彼女が陸上部でひたむきに頑張ってきていたのを知って、どことなく自分自身に投影していたんだ。


「そっか……三ヶ島さんは昔の俺だ。誰かの期待が重圧になって、怖さに繋がった」


 ふと思い出してしまうバスケから逃げた理由。それこそ、俺はツバメを……。

今まで現実から目を逸らしていた。いや、わざと気づかないふりをしていただだけなのが正確かもしれない。


「真剣には真剣でしか返せないか」


 逃げ出したのなら、再び向かい合うしかない。

俺は押入れの奥からバスケットボールを取り出す。空気は少しだけ抜けているけど、まだ使えるな。


「よしっ、行くか」


 トンッとボールを一度跳ねさせて、俺は自宅を出るのであった。


【三ヶ島視点】


「はぁ……稲瀬くんの前で泣いちゃった」


 私は軽い自己嫌悪に陥りながら、視線を斜め下へと落とす。


 病院からの帰り道。

お医者さんからは「走らなければ問題ありません」と、伝えられた。

どうやら、練習のしすぎで脚への負担が積み重なってたみたい。その疲れから、フォームが微妙にズレて、バランスを崩して捻挫になった。当然と言えば当然だよね。


「走らなければ……か」


 つまり、私は明日の大会には出られない。

でも、不思議と悔しさや悲しさはこみ上げてこなかった。むしろ、応援してくれた皆に申し訳ない気持ちの方が強かいかも。


『大会に出られなくなった』

そんな報告を両親にも、友達にも、そして、堀道くんにも伝えた。


 皆からは「大丈夫?」とか「ゆっくりと休んで」と返事をもらい、優しさや気遣いが嬉しかった。でも、やっぱり応援してくれたのに結果として応えられないのは辛いよ……。


 なにより、私を立ち上がらせてくれた稲瀬くんには申し訳ない気持ちでいっぱい。

電話をした時、本当は謝りたかったのに、泣いちゃって心配をさせちゃったな。


 もし、大会で勝っても負けても、稲瀬くんには「ありがとう」って、伝えるつもりだったから尚の事。


「気持ちが落ち着いたら、改めて謝らなきゃ」


 深呼吸、深呼吸……。

今は心をなだめて、足の怪我を治すのに専念しなきゃ。

ここで更に自分を思い詰めたら、心配してくれた皆に失礼だもん。


 私は両頬をペチンっと叩き、前を向く。


「よし、怪我を治すことだけ考えよう」


 それこそ、永遠に治らない怪我をしたわけじゃないし。しっかりと療養して、適度にサボって、次に繋げよう。

そして、心と体の整理がついたら、改めて稲瀬くんに謝って、お礼を伝えないと。


 こうして、気持ちの整理を終えた私は再び足を踏み出して歩き始める。

軽快……とはいかないけど、少しだけ軽くなった足取りで自宅前まで無事に到着。今日は部屋で安静にしてよう。そう考えていると、玄関扉の前に人影が見える。


「誰だろう?」


 お父さんとお母さんは仕事中だし、そうなると友だちの誰かかな?

 もしかして、稲瀬くん?


 だけど、私の予想は全て外れる。玄関に居たのは……


「大丈夫か、陽歩?」


「堀道くん……」


 彼は明るい笑みを浮かべながら、右手をあげて挨拶をしてくれる。


「堀路くん、もしかして、心配して来てくれたの?」


「当然だろ。大事な彼女が怪我をしたんだからさ」


「そっか、そうだよね」


 私は無理に頬を釣り上げながら笑顔を作ってみせる。

胸がチクリと痛む。だって、玄関扉から人影が見えた時、脳裏に浮かんだのは堀道くんじゃなくて、稲瀬くんの顔だったから。


 そんな、下手くそな笑顔を向ける私に、堀道くんは変に勘繰らず、身を案じる言葉をかけてくれる。


「陽歩、無理して明るく振る舞わなくて大丈夫だから。怪我をして辛いんだろ。あんだけ練習も頑張っていたんだから、悔しいよな?」


「あ、うん……。ごめんね、気を使わせちゃって」


「気にするなって。さっきも言ったけど、大切な人が怪我を負ったんだから、心配するのは当然だろ」


 チクリ、チクリ……。

堀道くんの言葉は私の胸を針で刺すみたいに痛みを与えてくれる。


 頑張っていたよ。

 悔しいよな。

 彼女を心配するのは当たり前。


 どの単語も右から左へと通り過ぎていき、心には留まらない。

今まで、何度も貰っていた言葉なのに……響かない。


 どうして、なんだろう?


「陽歩、ボーッとしているけど、やっぱり何処か具合でも悪いのか?」


「あ、ごめんね!! ちょっと、考え事していただけだから」


「明らかに平気じゃないだろう。せめて、部屋まで見送らせてくれ」


 堀道くんがそう告げると、私の隣に立って肩を貸してくれる。

彼は純粋に心配してくれているのに、私は最低だ……。


 今は堀道くんの厚意に甘えよう。

私は鍵を取り出して、堀道くんの補助を受けながら自宅へと上がる。


「陽歩の部屋は2階?」


「うん。でも、部屋は散らかっているから、リビングまでで大丈夫だよ。夕方までは誰も帰ってこないし」


「誰も……そっか。なら、それまでの間は側に居てやるよ」


 ニッコリと笑みを浮かべる堀道くん。

なぜかは知らないけど、その表情が何処か張り付いたような、別の思惑があるような顔に見えてしまう。


 いけないな。せっかく堀道くんは親切にしてくれているのに。

 

 私は目を逸らして、リビングにあるソファへと腰を下ろす。すると、堀道くんも続くように隣へ座った。


「足の具合はどう?」


「軽い捻挫だから痛みはないよ。数日間は走れないけど、歩く程度なら平気だってお医者さんが言ってた」


「大事に至らなくて良かったな。大怪我だったら、次に繋がないしさ。しっかり休んで、次の大会で頑張ればいいさ」


 堀道くんは励ましの言葉をかけながら、私の腰へとそっと手を回す。

いきなりの接触に、私は体を強張らせてしまう。


「陽歩、オレはいつでも応援しているからな」


 そして、堀道くんは耳元で囁き、今度は手を握りしめてくる。

その瞬間、違和感に気づいてしまう。


 ああ、そっか……。今の堀道くんは私を見ていないんだ。


 普段の彼は、私が気落ちした時には応援をしてくれる。必ず目を見て、優しく微笑んでくれるのだ。

だけど、今日の堀道くんの視線や仕草は、私の体へと注がれている。


 偶然ではないと思う。なにせ、私は結果の出ない時期が長く続いていたせいで、周りから向けられる感情に、人一倍敏感になっていたから。


 そして現在、彼から向けられる柔らかな笑み、励ましの言葉……家に上がり込んできてからの接触も。

まるで弱っている私なら抵抗しないだろうという確信があるような距離の詰め方なんだ。


 それとも、私が過剰に反応しているだけだけかな?

 きっと勘違いだよね?


 ちょっとした不安を抱きながら、私は堀道くんに下手くそな笑みを向ける。


「堀道くん、なんだか近いよ」


「別にいいじゃん。付き合っているんだしさ。それに、陽歩が落ち込んでいるから、オレなりに励まそうとしているだけだよ」


 すると堀道くんは私の髪を触り始める。

その瞬間、全身に恐怖が走る感覚を覚えてしまう。


 怖い……。


 だけど、彼は止めてくれそうな気配はない。むしろ、萎縮している私に喜びさえ感じているような気もする。

私が黙っていると、彼は顔を近づけてくる。このままだと……キスになっちゃう。


 すると、私は気付かないうちに彼の両肩を掴んで、その接触を拒んでいた。


「ごめん、堀道くん。今は……そういう気分じゃない」


「……なんでだよ?」


 ゆらりと、彼の纏っていた空気が変わる。


「オレの気持ちを蔑ろにすんのかよっ!!」


 雷が落ちてきたような怒号がリビングに響き渡る。そして、彼は私の腕を強く握り締めてきた。


「堀道くん、痛い」


 ズキズキと掴まれた腕が痺れていく。

 やめて……痛いよ。


 だけど、彼は止めてくれない。寧ろ、締め付けをより強くしてくる。


 恐怖に包まれた私は声さえ出せなくなってしまう。

 私、このまま乱暴にされちゃうのかな。


 そんな不安が全身に侵食し始めた瞬間、私のポケットに入れていたスマートフォンから着信音が鳴る。


 一体、誰から?

 でも、今なら。


「ちょっと電話に出るね!!」


 掴まれた腕が緩んだのを見逃さない。私はすかさず腕を振り払い、彼との距離を取る。そして、スマートフォンを取り出し、着信相手の名前も見ずに通話アイコンをタッチした。


「もしもし?」


『三ヶ島さん、助けが必要なら返事を2回して』


「!?」


 声の主は稲瀬くんだった。まるで、今の状況を見ているかのような一言。

何でかは分からないけど、今は指示通りにしよう。


「うん、うん」


『分かった。じゃあ、お父さんから連絡が来ている風を装って』


「うん、お父さん、どうしたの?」


『すぐに帰宅するって堀道に伝えて。帰宅理由は心配だから会社を早退したことで』


「……分かった、お父さん。ありがとう」


 私はお父さんと話しているのを装いながら、稲瀬くんと会話を続ける。

そして、数回ほど適当な相槌を打って、通話を終えると、堀道くんに伝える。


「堀道くん、ごめん。お父さんが帰って来るって。私の怪我を心配してくれて、会社を早上がりしたみたい」


 お父さん……そのワードが効いたのか、堀道くんの雰囲気が穏やかなものに変化する。


「なら、仕方がないか。陽歩のお父さんが来たなら、オレはお役御免だな」


 どうやら、堀道くんは諦めたのか、すぐさま荷物を持って立ち上がる。


「陽歩、今日のことは秘密にしておいてな。とくにお父さんには」


 そう告げながら、片手を立てて頼み込むポーズを示すと、すぐさま玄関扉を開いて姿を消してしまう。

ガチャンっと玄関扉の閉じる音が聞こえると、安心したのか全身の力が抜けていく。


「き……緊張したぁ……」


 あのまま、稲瀬くんの助けがなかったら、私はどうなってたんだろう。

少なくとも、腕の痛み程度では済まなかったかもしれない。

でも、どうしてベストなタイミングで連絡ができたんだろ?


 疑問に思っていると、玄関チャイムが鳴る。


「お客さん?」


 堀道くんが戻ってきたのだろうか?

それとも、本当にお父さんが?


 そう考えながら、インターホンのカメラを起動すると、そこに映っていたのは稲瀬くんだった。

 やっぱり、近くに居たんだ。


 小さな安堵の息を吐き出して、私は玄関へと向かい、彼を出迎える。


「稲瀬くん、こんにちは。えっと……」


 言葉に詰まってしまう。まだ、心臓がバクバクしてる。心が落ち着いてないみたい。

もちろん、恐怖に震える心音もある。だけど、稲瀬くんが来てくれた高揚感も少しだけ混ざっているのかも。


 そんな私の胸中など知らずに、眼前に立つ稲瀬くんは穏やかに笑みを向けてくれる。


「こんにちは、三ヶ島さん。近くの公園で話をしたいんだけど、いいかな?」


 いきなりの訪問。突然のお誘い。落ち着かない心音。

怒涛の展開ばかりが波のように訪れて、考える力は残っていない。


おかげで、私は稲瀬くんからのお誘いに「うん」と、呆けた声で返事をしてしまうのでした。

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