第20話 三ヶ島陽歩の大会への想いと稲瀬への想い

「体中が痛い……」


 空が茜色に染まる金曜日の夕方。俺は校門前で全身に迸る筋肉の痛みに耐えながらツバメが来るのを待っていた。


 さて、プロレス部に入ってから4日目。文化祭委員会の仕事が無い日はプロレス部へと参加し、毎日しごかれる忙しない日を過ごしていた。


『まずは肉体作りからだな』


 入部後、江波先輩から最初に命じられたのは筋トレであった。流石にズブの素人を殴ったり投げ飛ばしたり、なんて無茶な要求はされず、技の使用や受けるために必要な体つくりから始まったのだ。まあ、ですよねーという言葉しか見当たらない。運動なんてランニングしかしてないので、スタミナ以外はクソ雑魚もいいところなのだ。


 まずは受け身に必要な肉体作り。そこから、技の練習といったプランである。

つまり、俺はここ最近、普段使わない部位の筋肉を使っているがゆえ、全身くまなく筋肉痛なのだ。


「これ、耐えきれるのか? 文化祭当日には疲労困憊になるぞ」


 体中が痛いのなんの。それこそ、江波先輩を堀道断罪の協力者として迎え入れるためとはいえ、よもや肉体を差し出すはめになるとは思わなかった。恨むぞ、ツバメェ……。


 そんな、憎しみの対象であるツバメが来るのを健気に待っているのも変な気分であるけれど。

今日はプロレス部も委員会もないけれど、ツバメは部活がある日。彼女とは毎日一緒に帰る約束をしているので、こうして校門で寂しく……ではなく、痛みをこらえながら待ちわびている状態だ。


「とはいえ、ツバメを一人きりにするわけにもいかないしな」


 あの性的暴行未遂事件以来、堀道は大きな動きをみせていない。ヤツからしてみればツバメを襲う計画は失敗に終わり、俺に対する報復は済んでいない状態。なのに、ここ最近は大きな動きがないので不気味である。


 そうなると、絶対に安全とはいえないので、なるべく学外ではツバメの側に居てあげる必要がある。この痛めつけられた筋肉で、どこまで出来るか知らないけど。


 そう考えていると、遠くから俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。だけど、声の主はツバメではなく……


「稲瀬く~ん!!」


 明るく、元気で、さながら太陽みたいな活力ある声が耳へと届く。

俺を呼ぶ人物は三ヶ島さんであった。


 彼女は制服ではなく、ジャージに身を包んでいる。もしや、追加で走るつもりなんだろうか?

 まてまて……三ヶ島さんも今日は部活あったよね? その元気は一体どこからくるんでしょうか?


 そんなスタミナお化けな彼女は疲れなぞ微塵もみせず、両手をブンブンと振りながら俺の下へと駆け寄ってくる。


「稲瀬くん、お疲れ~。校門で何をしているの? 待ち伏せ?」


「おつかれ。待ち伏せって……まるで刺客を放つみたいな言い回しだね。待つという意味では当たっているけど。ツバメを待っているんだよ」


「ほお? ツバメさんと? あ~、ふむふむ、なるほど!!」


 なにやら三ヶ島さんは勝手に解釈をして、納得したのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、肘で俺の腹部を小突いてくる。


「稲瀬くんも隅に置けないな~。やっぱり、ツバメさんと仲良しじゃん~」


「それはない。勘違いしているけど、俺とツバメはそういう間柄じゃないよ。ちょっとした事情で、しばらくはツバメを一人にさせるわけにはいかないんだ。茶化せないレベルで、マジなので……」


 三ヶ島さんは明らかに男女の恋愛方面で勘違いしている節があるな。誤解を解くために、俺は真面目なトーンで伝える。

すると、空気感で察したのか、三ヶ島さんも崩れた表情を正してみせた。


「そっか、ツバメさんの事情じゃ、しょうがないよね。私にも言えない話……なのかな?」


「ごめん。俺経由で話すべき内容じゃないから。気になるとは思うけど、ツバメの気持ちもあるし」


「ううん、私も変な勘違いをしてごめんね。誰だって個人的な事情はあるはずだし、気にしないで」


「本当にごめん。俺から伝えられるのは、ここ最近、ツバメと一緒に帰っているという情報だけ。今もツバメが来るのを待っているんだよ」


「ふふ、分かった。でも、仲良しじゃないなんて否定したのは納得いかないな~。だって、ツバメさんに何かあって、頼られてるのは稲瀬くんなんだから。それで、親密な関係じゃないなんて言葉はツバメさんを傷付けちゃうよ」


「そうなのかな? だけどまあ、ツバメとは幼馴染だし、家族みたいなもんだから、大切なのは確かだよ」


 それこそ、ツバメとは腐れ縁みたいなもんだけど、彼女が傷つくのは辛いし、そのような事態が発生すれば胸が痛くなるのは事実だ。


 そんな返事に三ヶ島さんは視線を落とし、指先を重ねながら

「いいな……ツバメさんは大切にしてもらえて」と、小さく漏らす。


 ギリギリ聞き取れるくらいの小さな声量。その嫉妬が混じる言葉は、堀道に大切にしてほしいから出たのか、それとも、ツバメと俺の関係に羨んで出たのか。真相は分からない。


その点について言及しようか……。

そう迷っていると、三ヶ島さんは追求されたくないのか、顔を上げて無理やり笑顔を作りあげると、露骨に話題を変えてくる。


「そういえば、稲瀬くんは文化祭の委員会はどうかな? 仕事は順調?」


「ああ、順調……なのかな? 難しい仕事は生徒会とか正規の文化祭委員会の先輩達がやってくれるし、俺みたいなクラス代表で選ばれた生徒の殆どは雑務だけだよ」


「へぇ〜、そうなんだ。どんな、お仕事を任されているの?」


「体育館にステージがあるでしょ。あそこを使用するクラスとか部のタイムスケジュール調整だね。申請が出ているところから、何分ステージを使用するかの組み合わせ考えながら調整する仕事」


「なんかワクワクするお仕事だね!! つまり、壇上の権利は全て稲瀬くんが実権を握っている状態。出し物をする人たちは逆らえないや……」


 三ヶ島さんは背中を丸めながら、胡麻をするように両手をニギニギし始める。一体、どんなイメージだよ。


「いやいや、そこまで大きな権利とかないから。先輩が出し物の精査をして、俺は時間が溢れないように計算しているだけだから」


「そっかぁ〜、稲瀬政権は発足ならずか。でもでも、どんなステージがあるのかは事前に知っているんだよね? 

もしかして、稲瀬くんも壇上でプロレスとかするの?」


「しないよ!? 流石に狭いステージの上だと危険だから。というより、俺がプロレス部に所属したの、知っていたんだ」


「うん、ツバメさんから聞かせてもらったの。プロレス同好会を部にしたいと願う先輩が居たから、稲瀬くんが入部して助けてあげたんだって。こうやって自然と人助け出来ちゃう稲瀬くんはさすがだよ〜」


「んあ、へへ……どうも」


 三ヶ島さんに褒めれられてキモい笑みを浮かべてしまう。真実はツバメの策略によって半ば無理やり入部した形なのだけれど。会話の流れ的に黙っておこう。


「それで、稲瀬くんも技とか練習中なのかな!? ラリアットとか飛び蹴りとか!!」


「残念ながら今は肉体作りに専念しているよ。一応、ドロップキックの練習はしているけど」


「ほおお〜!! 凄く映えるアクション!! お披露目の機会が楽しみだね〜」


 聞き馴染みある技名に三ヶ島さんの感情は高ぶったのか、両手をブンブンと振りながら、目を輝かせる。そんな無垢な眼差しを向けないでくれ……。


 ちなみに、なぜドロップキックかと言うと、江波先輩曰く「ロマンだろぉ!!」とのこと。うむ、分からん……分からないけど、三ヶ島さんのリアクションを見る限り、ドロップキックは憧れの対象なのかもしれない。


「まあ、文化祭でお披露目する機会は訪れないけどね。メインは先輩達の技披露だし」


「むう、そっかぁ。馴れてないと怪我しちゃうしね。ちなみに、どこでやる予定なの?」


「体育館の端っこ。そもそも、数日前まで部じゃなかったから、取れる場所が無かったみたいでさ。無理やりねじ込んだんだ」


「隅っこかぁ。それでも、プロレス部の先輩達、嬉しいだろうな。今までの努力をお披露目できるから……」


 そう告げる三ヶ島さんは日が落ちたような陰りある表情を作る。

どこか不安げで緊張感ある声色。なんとなくだけど、理由に見当がつく。

三ヶ島さんにとって、成果を披露する場所は限られているから。


「三ヶ島さん、やっぱり明後日にある大会が不安?」


 三ヶ島さんは2日後の日曜日に秋大会があるのだ。

彼女が河川敷にある橋の下で泣き叫んでいた出会いから約1ヶ月。彼女は再び立ち上がり、今度こそと思い研鑽を積み重ねてきた。緊張するのも無理はないだろう。


 どうやら、俺の予想は的中していたらしく、三ヶ島さんは頬をかきながら弱音を漏らす。


「ふふ……稲瀬くんには隠し事はできないや。うん、今までで一番、緊張しているかも」


「今日まで頑張ってきたもんね。俺にして欲しい事とかある?」


 しかし、三ヶ島さんは首を左右に振りながら苦笑する。


「ごめんね、思いつかないや」


「ええ……?」


「ちょっと考えたんだけど、本当に思いつかなくて。いつも、側で一緒に走ってくれて、相談に乗ってくれて。これ以上ないってくらいに、稲瀬くんにはサポートをしてもらったから、欲しいものはないんだ」


 三ヶ島さんは、ふくらはぎに着けた水色カーフスリーブを指先でなぞる。俺が彼女にプレゼントしたものだ。


「そっか。なら、せめて三ヶ島さんの勇姿を見届けさせてもらうよ。大会は一般の見学も大丈夫?」


「うん、学生証を競技場の受付で提示すれば入れるよ」


「OK。なら、ツバメと観に行くよ。しっかりと2着の姿を目に焼き付けるから!!」


「そこは1着じゃないの!? もしかして、信じられてない?」


「そこはサボって2着を獲るみたいな。いや、いっそのこと大会を欠員するとか」


「そういうサボりは求めてないよ!! ん、でも……ふふふ、いい感じに力が抜けたかも」


 三ヶ島さんの表情から明るさが戻り、口元に手を軽く添えながらクスクスと笑い声を漏らしてみせる。

これなら、当日も良いパフォーマンスで走れるかもしれない。


「それじゃあ、最後まで頑張りますか〜」


 そう口にした三ヶ島さんは自身の両頬をパチンッと軽く叩き、闘魂を注入し直す。


「もしかして、これから走るつもりなの?」


「ここ数日は調子が凄く良いからね!! 疲れとか全く感じないくらいだし」


「それって、逆に危ないんじゃ……」


 しかし、この状態に入った彼女は止められない。瞬きすら許さない速度で三ヶ島さんは走り出す。


「稲瀬くん、またね〜!!」


 心の強さを得た三ヶ島さんはお礼を述べながら遠くへと消えていく。


 怪我にだけは気をつけてね……。

心の内で願いながら、彼女の後ろ姿が遠ざかっていくのを眺める。

不安混じりの息を吐き出すと……


「随分と良い雰囲気だったじゃない」


 意地悪な笑みを浮かべたツバメが俺の脇腹をつついてきた。


「サク、待たせちゃって、ごめんね」


「いや、大丈夫だよ。見ての通り、さっきまで三ヶ島さんと話していたし」


「そうね。次はアタシと楽しくお喋りしましょうか? これからの計画についても話したいしね」


「お手柔らかに頼むよ」


 こうして、俺とツバメは、これからの計画について話しながら歩き始めるのであった。

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