第2話 何も知らない三ヶ島さんに接触を開始する
「三ヶ島さん……見つけた」
学校の最寄り駅へと到着すると、ターゲットである三ヶ島さんはすぐに見つけられた。
同じクラスに所属しており、俺が横恋慕を抱いている少女である。
その黒髪は清流のように綺麗でサラサラ。前髪は水平に切りそろえられた、いわゆる前髪パッツン。そして、長い髪を纏め上げてポニテールを作っている。
顔立ちはどことなく稚さを携えており小動物を連想させる。身長150cmほどの平均より少し下くらいの小柄な体型が、それを助長させているのだろう。
その小さな体と非対称でアンバランスとも言える胸部はとにかくデカい。現在、彼女はジャージを着用しているのだが、上半身がパンパンに膨れ上がっているので大きさについては詳細に語るまでもないだろう。
誰しもが羨むイケメンの堀道に対して、釣り合いが取れるほどの美少女である。
だが、堀道との違いがあるとすれば、三ヶ島さんは献身的な側面があるところだろう。
あれは5月に開催された体育祭での出来事。俺は帰宅部特有の運動不足のせいで、途中で体調を崩してしまったのだ。
先生に相談し保健室で休憩する許可をもらうと、ふらつく体を必死に制御しながら目的地へ一人きりで向かおうとした。
そんな俺の状態を心配してか、「一緒に保健室へ行こうか?」と声をかけてくれたのが三ヶ島さんだった。
彼女が肩を貸してくれたおかげで、俺はなんとか保健室へと辿り着き、ベッドに身を預けられた。
『ありがとう、三ヶ島さん。もう大丈夫だから』
簡素なお礼を彼女に告げて、お別れするはずだった。しかし、三ヶ島さんは首を横に振りながら、
『駄目だよ。だって、一人きりだと寂しくなっちゃうでしょ?』
なんて言葉をかけてくれて、彼女自身が出場する競技以外の時間はずっと側に居てくれたのだ。
これが、俺と三ヶ島さんとの出会い。そこから、クラスで話す程度の仲になり、彼女に抱く感情が恋へと変わるのに時間はかからなかった。
「懐かしさに浸っている場合はないな。早く声をかけないと」
思考を切り替えて、三ヶ島さんを改めて観察する。
ジャージ姿を見るに、練習試合を終えたばかりなのだろう。幸い、他の陸上部員も見当たらないし、偶然を装って接触すればいい。
そう考え、三ヶ島さんに声をかけようとした瞬間、彼女は自身の両頬をパチンッと叩くと、
「よっっっし!! 追加で走り込みしよう!!」
と、告げて走り出してしまう。
さすがは陸上部員。脱兎の如く瞬きすら許さない速度で俺の視界から消え去ってしまう。
「関心している場合じゃない!! 追いかけないと!!」
だがしかし、彼女は研鑽を続ける陸上部。方や俺は体力クソ雑魚の帰宅部員。結果なんて目に見えている。三ヶ島さんの背中はまたたく間に点となって遠くなっていく。
「ぜぇ……ぜぇ……今度から運動をしよう」
三ヶ島さんを必死に追いかけてみたものの、数秒と満たないうちに俺の体力は底をつく。当然だが三ヶ島さんを見失った。
「体力が無いのは仕方がない。このまま直感頼りに探すくらいなら頭を使おう」
息を整えて、三ヶ島さんが向かいそうな場所の候補を考える。
さっき走り込みをしようと言っていたし、近場で走るのに適した場所は……。
「河川敷だな」
学校近くにある河川敷は運動部がよくランニングに使う場所として有名だ。あそこなら走り込みに適している。
とりあえず行ってみて、予想が外れたら明日に仕切り直せばいい。そう考えつつ、俺は河川敷へと移動を開始する。
そうして、なけなしの体力を使い河川敷の道路側へと到着すると、俺は視線を左右に動かして三ヶ島さんを探し始める。
「三ヶ島さん、居ないな」
肝心の彼女は見当たらない。
それこそ、夕刻ともあり、三ヶ島さんどころか人の気配もまばら。河川敷の道路も、川沿いの芝生にも人影は一つもない。
あと探していない箇所は、河川敷に架けられた橋の下くらいだ。
「一応、見ておくか」
今居る位置だと高架下は死角なので、道路側から川沿いの芝生広場へと移動する。まさか、居るはずないよな……と、考えながら橋の下へと視線を移すと同時に、とある声が耳へと届く。
「あああああああ!! もうやだぁぁぁぁ!! むりだよぉぉぉ!!」
そこには、橋の支柱に向かい泣き叫ぶ三ヶ島さんの姿があった。
普段の柔らかで大人しい振る舞いと異なり、まるで駄々をこねる子どもみたいにわんわんと大粒の涙を流している。
「え……?」
その意外な姿を目の当たりにして、動揺してしまい脚が止まってしまう。
次に考えてしまったのは「そっとしておいた方が良いかな?」というチキンな感情。同時に訪れたのは「つけいる隙では?」という邪な心。
だが、堀道の顔が脳裏によぎり、一瞬にして臆病な気持ちは那由多へと飛んでいく。
悪になると決めたんだ。葛藤なんて置いていけ。
「三ヶ島さん!!」
呆気なく覚悟を決めると、わざとらしく大きな声で彼女の名前を叫ぶ。
「え……? 稲瀬くん? なんで……って、ちょっと待って!!」
俺に気づいた三ヶ島さんは恥ずかしいのか頬を一気に赤く染め上げ、泣き顔を必死に隠そうとする。
「あああ……見ないでぇ……。その、大丈夫だから」
そう告げながら涙を拭おうとするが、一向に収まる気配が訪れない。誰から見ても深く悲しんでいるのが理解できる。
そして、この好機を逃す手はない。
俺は三ヶ島さんへと近づくとハンカチを取り出して涙を拭ってあげる。
「友達が泣いているのに、放っておけないよ。せめて、落ち着くまでは側に居るから」
「ううう……うああああああん!!」
優しい言葉をかけた瞬間、三ヶ島さんはダムが決壊したみたいに大声を張り上げて瞳に残る水分を全て放出し始める。
困ったな……想像以上に深刻みたいだ。
こうなるとチャンスとかではなく純粋に心配になってしまう。
ひとまず、三ヶ島さんを座らせて、落ち着くまで背中を優しく撫でてあげる。
そして、数分後、出せる水分を出し切った三ヶ島さんは鼻声でポツリと告げる。
「稲瀬くん、取り乱してごめんね」
「いや、大丈夫だよ。それに、三ヶ島さんだって俺が泣いていたら気にかけてくれるでしょ?」
「うん……そうだね。あと、側に居てくれてありがとう」
そう言いながら微笑む三ヶ島さん。相変わらず目は赤いけど、笑える程度には心が回復したようだ。
そろそろ本題に入ってもいいだろう。
「三ヶ島さん、差し支えなければ話してくれないかな。どうして一人で泣いていたの? その、興味本位とかじゃなくて、純粋に心配で……」
「うん、分かってる。こんなに泣いちゃったら気になるもんね。えっと……どこから話そうかな」
乾いた声で唸りながら三ヶ島さんは語り始める。
「稲瀬くんは私が陸上部なのは知っているよね。私の専門は短距離走なんだけど、今日の練習試合で負けちゃったんだ。結果は2着」
「それは、悔しいね……って、言いたいけど、ごめん。俺みたいな何も知らない人からの言葉は安っぽいよな」
「ううん。寧ろ素直に伝えてくれて嬉しいかな。えっと……それでね、2着の結果は一度だけじゃないんだ。陸上を始めたのは中学生からで、その頃からずっと2着続きなの」
「ああ、なるほど。それなら少しだけ気持ちは分かるかも。ずっと続けていて結果が出ないのは辛いよな」
「うん、どれだけ努力を重ねても勝てなくて負け続きで、それが苦しかったんだ。それに、毎回1着になる娘は中学の頃からの知り合いで、大会で何度も戦ってきた相手だから……」
1着の娘という単語を三ヶ島さんは口にすると、視線を下に落としてしまう。
部活動で練習に励む彼女を見ているが、努力が結果に結びつかない辛さは計り知れない。
「それでね、私の家族や友達、それに堀道くんだって”いつか絶対に勝てるよ”って、応援してくれていているのに、いつまでも2着続き。だから、今日は絶対に勝つぞって練習も頑張ったのに負けちゃって……それが、申し訳なくなちゃって、気づいたら涙が止まらなくなっちゃたの。あはは、ごめんね、こんなつまらない理由で」
そう告げる三ヶ島さんは顔を上げて不器用に笑ってみせる。
どうして、そんなに卑下するんだよ。君は誰よりも頑張っているじゃないか。
……なんて言葉はまやかしでしかない。むしろ、ネガティブになるのは当たり前だ。
現実は残酷で努力なんて報われないのが大半。三ヶ島さんは、その一人なだけである。
だが、優しい彼女からしてみれば、「才能がないから諦めるね」なんて簡単に割り切れる性分じゃない。
周りの声援は重圧になり、皆からの期待を裏切らないように理想的な自分を作り上げているのだろう。
だから、ひと目につかない高架下で弱い自分をさらけ出していたんだ。
同時に考えてしまう。これは、三ヶ島さんの隙を突く恰好の話なのだと。
おそらくだが、三ヶ島さんの精神は限界に近いのだろう。先程、泣きわめいていた際に叫んでいた言葉は「悔しい」ではなく、「もう嫌だ」「無理」といった弱音だったのだから。
だとすれば、彼女は現在、逃げ場を探しているはずだ。友達の前でも、家族の前でも、それこそ彼氏である堀道の前でさえ「皆の期待に応えよう」と必死になっている可能性がある。
ならば、俺自身が彼女の逃げ道になればいいだけだ。
「三ヶ島さん、話してくれて、ありがとう。泣いていたのはくだらない理由なんかじゃないよ。努力して結果が出てこないのは辛いもの。だからね、俺は三ヶ島さんの……」
その言葉の途中、三ヶ島さんの瞳が一瞬だけ曇るのを見逃さない。「ああ、また応援してくれる人が増えるな」という、心労が伺える。
だけどね、俺が三ヶ島さんに提案するのは、
「三ヶ島さんのサボる理由になるよ」
「え……? サボ……?」
「サボり、サボタージュだよ」
「え、いや!? ううん、言葉の意味は理解しているよ。その、てっきり応援するよとか言われると思ってたから」
「ははは!! 確かに意外かもね。だけど、応援は他の人で間に合っているでしょ? だったら、俺ができるのは帰宅部で培ったサボりの技術を提供してあげるだけだ。もちろん、部活や練習の時間は維持したままで提供可能な素晴らしいサボり技術だよ」
謎めいたサボり技術という単語。どうやら、三ヶ島さんはツボに入ったらしく、口元を抑えながら今日一番の笑い声を響かせてくれる。
「ふふ……あはははは、凄く不思議な提案だね。一体、どんなサボり方を教えてくれるの?」
「そんな大層な話しじゃないさ。人間ってのはリラックスしている状態が一番力を発揮できるでしょ? だから、今みたいに雑談をしながら肩の力をぬくだけ。日頃から人と話す時、陸上とか練習について考えてない?」
「あ……そうかも」
目から鱗なのか三ヶ島さんは分かりやすく瞳を揺らしてみせる。
どうやら、的中みたいだ。周りからの応援は裏を返せばプレッシャーになる。結果が伴わいなら尚の事、「頑張らないと!!」なんて思い詰めてしまうものだ。
「だからね、俺と会話をしている時くらいは陸上について考えるのはサボろうってこと。これなら練習量を減らさずに少しだけ休憩できるでしょ?」
「ふふ……それなら安心してサボれそう。それじゃあ、今度からお世話になろうかな。稲瀬くん、ありがとう」
そう告げると三ヶ島さんは自然と頬をほころばす。元気を取り戻したみたいだ。
「稲瀬くんと話していたら遅くなっちゃった。そろそろ帰るね」
表情に明るさを戻した三ヶ島さんは立ち上がり、走り出す。そして、数メートルほど先へ行くと、ポニーテールを翻しながらこちらへ振り向いて笑ってみせた。
「私が泣いていたのは二人だけの秘密だよ。またね、稲瀬くん!!」
三ヶ島さんは活力が戻った声色で言葉を届け終えると、再び走りだして、その場を後にする。
一人きりになった俺は茜色に染まる空を見上げながら握り拳を作る。
「またね……か。俺は君に会うほど立派なやつじゃないよ」
純真な君の心の隙間をついて誑かそうとしているのだから。
だけど、躊躇はしない。このまま放置していれば、三ヶ島さんは堀道に騙されたままだ。
「そうなると、早く次の計画に移らないと。流石に三ヶ島さんとの交流と、堀道の調査を並列して続けるのは難しいだろうし」
なら、アイツに協力を求めるのが良さそうだ。
俺はスマートフォンを取り出して、とある幼馴染へ協力要請を求めるのであった。
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