第7話 なりたい自分に会う為に ~beauty karte.6 笙子の場合~
―――私は、男に頼る女というのが、心底嫌いだ。
「主任! すみません、この前の、
幾つかの島に別れたオフィス内で、デスクに座る私の元へ慌てた様子の男性社員がスマホ片手に歩み寄る。困り切ったように下がった眉が、事態の深刻さを物語っていた。
またか。という呆れと諦め、そして僅かな苛立ちを感じながら、それを気取られないように一瞥を返すと、デスクを挟んで向かい合わせの彼は、今時の青年らしい薄めの肩をびくりと揺らした。
・・・・・・怯えないでよ。
こっちが悪いみたいじゃない。
ミスをしたのは彼では無いが、彼とペアを組んでいる人間が侵した事だ。
管理責任があるのは彼で、確認を怠った事実は告げずに私に報告を寄越したのだから、自分にも非があることを理解しているのだろう。
「判った。対応は私が変わるから、直ぐ清橋君を呼んで受注データ持ってこさせて」
「は、はい!」
視線をパソコンのディスプレイに戻しながら告げれば、怯え顔は一瞬で嬉しげなものに変わり、元気な返事だけ残して席へと戻っていった。恐らく自分が後始末を付けずに済んで安心したのだろう。
でも、普通は顔に出さないでしょう、それ。
もう三年目になるのに、いつになったら新人気分が抜けるのかしら。
ペア組みだってしているのに。
文句めいた台詞が内心に浮かんだが、そんな事よりもまず事態を収拾するのが先だと思い直し、私はデスクにある受話器に手を伸ばした。人差し指でワンタッチボタンを押せば、機械的なコール音が耳に響く。
そういえば、最近ネイルもしてないわ。
髪もいつ切ったっけ・・・・・・。
磨いただけの裸の爪を見つめながら、そんな感想を抱いていると、二度目のコール音が鳴り終わったところで、先方と繋がった。
「・・・・・・いつもお世話になっております。
デスクの下で組んでいる足を組み替えて、私は頭にいくつかの謝罪文を思い浮かべた。
使い慣れた文言は、最早脳内でチャート形式のマニュアルとして刻まれている。
「いつもお世話になっております。三村課長、この度は大変ご迷惑をお掛けし・・・・・・」
少々興奮気味になっている先方へ、とにかく平謝りしていると、ミスした張本人である清橋君が走り込むように私の前へ駆け込んできて、何枚かの綴りになった書類を差し出した。
肩で息をしているあたり、かなり急いだのだろう。彼の黒い短髪が、少し乱れていた。
「すみません・・・・・・っ!」
私が通話中のせいか、清橋君が押さえた声で謝罪し頭を下げた。短髪に太い眉、横幅の広い目は、一見して体育会系だと判る。今年入った新入社員の中では覇気もあり着眼点も良い男ではあるが、細かいミスが多いのが玉に瑕だった。
私は電話越しの三村課長へ相づちと謝罪を返しながら、清橋君の差し出した書類を受け取り目を通す。
先方へ提出したサンプルには、最終打ち合わせで決まった部分が反映されていなかった。本提出は明後日で、今から提携する工場へ依頼したとしても、運搬するのには早くて三日。けれど私が自分の足で取りに行けば、なんとか間に合わせる事が出来る。
「はい、はい・・・・・・それは勿論、間に合わせます。今から私が工場へ向かいますので、明日の夕方には直接お届けいたします。はい、本当に申し訳ありませんでした」
その旨を説明すれば、なんとか納得してもらう事が出来た。
まあ、私自身は突然の出張と、明日は配達と謝罪訪問がセットになってしまったが。
通話を終え、一息ついたところで、デスク前にまだ清橋君が居た事に気がつき、ん?と方眉を押し上げた。
何してるのかしらこの子。いつまでいるつもり?
って・・・ああ、結果が気になってるのか。そうよね。
だってそういうタイプだものね。貴方。
「清橋君、アクラ社のサンプルは私が明日届ける事になったから。だからもう仕事に戻りなさい。そんなところで突っ立っていられたら迷惑よ」
部下のミスは上司である私にも責任がある。だから彼らの後始末を付けることに異論は無い。異論は無いが・・・・・・それでも正直、気分の良いものでは無かった。
今年入った新人は清橋君以外にもいるが、ペアを組んだ中で最もミスが多いのが彼らの組だった。だから私が「気にしないで」なんて言葉をかけてあげられないのも、そのせいだ。
「はい・・・っ岡屋主任、本当に申し訳ありませんでした!」
「・・・・・・次から、気をつけて」
「はい!」
清橋君は、心底申し訳ないという顔をして、けれどはっきりとした返事をしてから席に戻った。
「清橋のやつ、返事だけはいいんですけどね~」
その直ぐ後、就業中だというのにシャツの襟元を緩め、ジャケットの前を開けた先程の彼、
笠井は、先程の清橋君より三年早く入社した男で、清橋君とペアを組んでいる社員だ。
茶髪で細身の今風な青年で、口調も態度も少々軽い。
本来ならば、私がやった一連の処理は笠井がやるべきだが、逃げ腰なのが見て取れたので今回は私が交代する事にした。
甘やかすというより、任せられなかっただけの話だ。
「以前よりは、ミスも減ったけどね」
なのに私の方まで上がってくるということは、アンタがちゃんと確認してないからでしょうよ。
そう含めながらじろりと睨み付けると、笠井はばつが悪そうな顔をして、誤魔化し笑いを浮かべながら離れていった。
清橋君は確かに細かいミスが多いが、それでも徐々に減ってきている。
だから彼は育てようによっては良い社員に育つはずなのだが、今回は当たったペア社員が悪かったという他無かった。ペア組は私が主任に昇格する前に決まったものなので、文句をつけようにも決めた当人は既に寿退職してしまって社には居ない。
変更しようにも、笠井は女とみれば直ぐ口説くし・・・・・・。
今年、うちの部署は男性社員が清橋君一人しか入らなかった。
それというのも、会社が『女性雇用の拡大化』を謳い大幅に女性新入社員を増やしたからだ。
だから、女性に手が早い笠井とのペア組は男性にする他無かった。
一体職場に何をしに来ているのかと言いたいが、笠井はうちの会社の取引大手の親族でもあるので、あまり強くは出られない。
なんとも、難儀な話だった。
◇◆◇
「んーとに、岡屋主任もめんどくせーよなぁ。さっさと辞めてくんないかね。ま、寿退社は無理だろうけどな。あの歳じゃ」
午前の仕事を終え、休憩スペースにある自販機へと立ち寄ろうとした私は、内心溜息をついていた。
真横に伸びる白い壁は丁度私の前で曲がり角になっており、その先では自販機と簡易台所、そして三つ程度のテーブルが並んだ休憩場所になっている。しかしそこには、嬉しくない先客がいた。
お茶、デスクにあったのに。
コーヒー飲みたいなんて思うんじゃなかったわ。
少し前の自分に後悔の気持ちが沸き上がる。
「そんな言い方・・・・・・笠井さん、駄目ですよ」
ああ、やっぱり笠井と清橋君か。
続いた聞き覚えのある声に、判っていながらも納得した。
彼らは私の存在には気付いていない。だからこそ、こうやって休憩スペースで面倒な上司の愚痴を口に出来ているのだろう。
「いー子ちゃんぶんなよ清橋。お前だって岡屋主任の事面倒くせーと思ってんだろ?頭はいつもひっつめてるし、愛想笑いの一つもしやしねぇ。っとにただでさえ歳くってんだから機嫌取りくらいやってみせろってんだよな。いつもクソ偉そうに指図しやがって」
「笠井さん・・・・・・っ!」
吐き捨てるように言う笠井に、清橋君が強めの声を出した。まあ確かに、誰かに聞かれたりしたらまずいとでも思ったのだろう。まさか当人が聞いているとは予想だにしていないだろうが。
それにしても笠井、軽率にも程があるわ。休憩スペースなんて、本当誰が来るかわかんないのに。
取引先大手の親族という事もあって、聞かれてもかまわないと思っているのかもしれないが、それにしたってなんだかな話だ。
愛想笑いの一つもしない、ね・・・・・・。結構な言われ様だこと。
でもそもそも、仕事に愛想笑いが必要だとは私は思わないのだけど。
歳食ってるのは事実だから反論しないけどね。
偉そうなんて、初めて言われたわ。
専門学校を卒業し、二十歳で入社した十年前。
四大卒業の年上の人達に囲まれていた私は、よく先輩社員から自信なさげだとか、身を小さくし過ぎだとか、色々言われて揶揄われていたというのに。
なのに三十になった今は偉そうだと言われるのだから、人間時が過ぎれば変わるものだ。
・・・・・・鉢合わせないうちに、離れよう。
私はコーヒーを諦め、彼らの話の続きを聞かずに踵を返した。
会社や、上司の愚痴を言うのは別にいい。だけど出来れば、それは会社の外か、もしくは家でやってほしい。でなければ、思いがけず当人の耳に入る事だってあるのだから。こっちだって人間だ。嫌な言葉は、出来れば耳に入れたくない。
ただでさえ、主任なんて曖昧な肩書きで、部下からも上司からも挟まれてしまうのに。
少し前、私の直属の上司である
『岡屋。君の担当だが、業績は落ちていないが向上もしていない。この意味は、わかるな?』
暗に成績を上げろと含められて、かといって新人を受け入れた叩き込みの最中では新規を開拓するのも難しく、しかし社に属し肩書きを持つ身では反論も出来ず若干の猶予を貰うだけで精一杯だった。
こんな時、同じくらいの立場の同期がいれば、互いに苦労を語る事も出来たのだろう。
しかし入社して十年も経てば、周囲の顔ぶれはかなり変わる。
私と同期で入社した女性社員は殆ど全て、結婚や出産で退職していった。
そんな中、残っているのは私と、男性社員の中でもめげずに生き残ってきた数人だけ。
たまに飲みに誘われることもあるが、部署も違い、かつ彼らも今や父親としての役割も持っているため、独身女一人で参加するにはどうしても気が引けた。
・・・・・・私、一体何に、どうなりたかったんだろう。
何を目指していたんだろう。
そんな暗鬱とした思いを抱えながら、今日何度目かの溜息を吐いた。
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