第6話 幕間 ―女神の微笑―

「おや、お帰り乙女桔梗」


使い込まれた木目の調度品が並ぶ室内、緩やかな音楽の流れる店で、濃い蜂蜜色の髪と目をした美しい存在が大きな鏡を見つめながらそう呟いた。


すると、壁に取り付けられた鏡から、小さな少女がひょこりと顔を覗かせる。


「タダイマモドリマシタ! オンカミサマ!」


紫色の小輪を幾つも濃紫の髪に咲かせた少女は、元気よくそう言ってからまるで水から浮き出るようにゆっくりと、鏡の中から抜け出て見せた。


少女の身体を包む白い薄衣が、宙にふわりと舞い広がり波のように揺らめき揺蕩う。

磨き上げられた大きな鏡面には、空中でふわふわと浮かぶ美しい小天女の姿が映し出されていた。


「ご苦労様でした」


オンカミサマ、と呼ばれた濃い蜂蜜色髪をした存在が、少女に白魚の様な手を差し出せば、少女は嬉しそうに指先に頬ずりをし、そのまま掌の上にちょこんと座った。

それから髪に挿した小輪と同じ紫色の大きな目をにこりと緩め、ふふふ、と楽しそうな笑い声を零す。


―――彼女らの名は『華精霊かせいれい』。


人間が神話や童話で慣れ親しんだ精霊と、存在を似するものである。


「良い働きをしてくれましたね乙女桔梗。感謝しますよ」


「アリガトウゴザイマス。ワタシ、オンカミスキ。サヤモ、スキ!」


乙女桔梗と呼ばれた華精霊は、主の賞賛に対して返礼と、今し方幸福を見届けた人間の女性の名を口にした。


彼女ら華精霊には『御神』、人間には『箕郷』と称される存在は、そんな少女を見て女神が如き・・・・・・いや、まさしく女神の微笑でもって応じる。


「良い女性でしたね。誠実で、思いやりのある素敵な方で。乙女桔梗である貴女の誠実さを受け取るに相応しい方でした」


「サヤ、シアワセニナレル。モウダイジョウブ!」


「そうですね」


乙女桔梗の華精霊は、座っているのとは反対の主の手に撫でられて、満足そうに頷き言った。

箕郷は、嬉しそうに顔を綻ばせる乙女桔梗を眺めながら、髪と同じ蜂蜜色にも黄金にも見える瞳を緩く眇め、手元に無事戻った華精霊を労い微笑む。


箕郷の店で手渡されたカードに宿る華精霊達は、渡り先である人間が幸福の花弁を掴んだ瞬間、役目を終えて主である箕郷の元へと戻る。


―――この美容室『AFRODITE』の主であり、名の通り美と愛の神である箕郷の元へと。


彼女ら華精霊達はこの世に在る花の数だけ存在し、それぞれに花言葉という意味を持つ。


彼らの主であり行き先を采配する役割を持つ店主、箕郷はそんな彼女らを、店を訪れる客達の元へ使わし幸福の花弁を届けるのだ。


美と愛の女神の采配によってカードに宿った彼女達は、渡り先である人間の本来の美しさを引き出し、気付かせる為の手助けをする。その代償は渡り先である人間の一部、つまり箕郷の手によって切られた彼女達の髪だった。


沙耶の切った髪も、箕郷によって華精霊らの#華力__かりょく__#へと変換され、そして乙女桔梗の力となった。


しかしそれは、誰にでも訪れるものでは無い。


本来の自分を求め、そして叶えたいと願う人だけが、箕郷の店へ辿り着くことができるのだ。


「・・・・・・誰の中にも、眠り出でていない美しさがある。見目を変えるのは簡単。けれど本来在るべき美しさは、心が伴ってこそ。それに気付いた時、人間は本当に自分が求める美しさを手に入れるのでしょうね」


店主である箕郷は、白く細い指先で乙女桔梗の濃紫の髪を梳きながら、淡く桜色に色付いた唇を開きそう言った。人間の沙耶には男性に見えていた箕郷だが、今はそれとは言えぬ空気と線の細さを纏っている。


箕郷の長い蜂蜜色の髪から黄金色の光がきらきらと沸き出すのが、店の壁に取り付けられた大きな鏡面に反射していた。


それはさながら、かのオリンポス十二神に名を刻む、女神アフロディーテそのものの、神々しい姿であった。

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