第六章⑤

 山火事から少し離れた場所――上流の滝が近く――にいたヴァイオレットとシェルマイド。二人の長引く戦いに終止符を打ったのは、紛れもなくパッツァオの敗北であった。

「終わったみたいね」

 剣を肩に乗せながら、ヴァイオレットが言う。彼女の頬には、幾つかの刀傷が見られた。

「あぁそうみたいだな」シェルマイドも賛同した。彼は上半身裸の状態であった。彼もまた、上半身に数多の傷を負っていた。

「私たちの勝ちね」

「思い上がるなよ、小童ども。パッツァオの敗因は酔っていたからだ。素面シラフならもっと強い。到底、貴様らの力では及ばん」

 シェルマイドは虚勢の張った声でそう言った。敗北は認めたが、ある程度のプライドも守りたいらしい。拳をぎゅっと握りしめたまま、鋭い眼光をヴァイオレットに飛ばしている。

「そうかもしれないわね。正直、魔力を使わないでアレは驚いたわ。まぁ、もしそんなことになってもテュランが勝つと思うけど」

「…………」

「ところでテュランはどうだった? 結構強かったでしょ」沈黙を破るようにヴァイオレットが質問した。

 彼女の眼は、嬉々として輝いていた。よっぽどテュランの活躍が嬉しいらしい。

「あぁ。やはり処刑しておくべきだった」

「しっしっしー」ヴァイオレットが嬉しそうに鼻を掻いた。

 彼女は、テュランが”魔境の王”になることを確信してやまなかった。遂にこの日が来たんだと、ヴァイオレットは歓喜の雨に打たれている。

「もう戦わないの?」続けてヴァイオレットが訊いた。

 シェルマイドは、答えにくそうに目を逸らした。

「パッツァオが死に、アンダーソンも逝ってしまった。戦う理由も生きる意味もない」

「私たちに対する怒りや憎悪は? 復讐しないの?」ヴァイオレットが言及する。

 だがシェルマイドは、もう答える気力をなくしていた。自分の首に鉤爪を突き刺すと、満足したように笑って言葉を吐き捨てた。

「その感情は……とっくに捨てたさ。この期に及んでそんなものを抱えてしまったら辛いだけだ」

 結局シェルマイドは、一度も〈鬼化ヴァーザード〉を使わなかった。彼は、漆黒の鉤爪をのこぎりのように使って自身の首を斬り落とし、遂には自殺してしまった。


 次いでヴァイオレットが向かったのは、パッツァオ邸の庭園だった。パッツァオ邸の庭園は、山々を燃やす炎の光に反射して、夜にも関わらず昼間のように明るかった。意味もなく火粉を運ぶ熱風は、花壇の花々たちを強烈に痛めつけていた。花壇のまえには、数多くの人間の寝姿――パッツァオの傭兵たち。気を失っている――が見られ、その中には安眠についたテュランの姿もあった。ヴァイオレットはテュランを背に運びながら、ヴァイオレットのもとまで足を運んだ

「随分と、醜悪な姿になったわね」ヴァイオレットが言った。「怪我してるわ」

「あんたもだろ」

 地面に背をつけたまま、ミルが掠れた声で言った。苦しんだ様子を浮かべているが、特に目立った外傷はない。イカロゼに刻まれた刺し傷は疾に回復したし、全体的な疲労も幾分マシになった。

 でも、それでもなお、ミルは歩くことはおろか、起き上がることすらできない。

「村での一件、あなたがテュランに話したのね。どうしてよ」

 ヴァイオレットは丁重な動作でテュランを地面に寝かせると、ヴァイオレットのまえに腰かけ質問した。衰弱したミルの手を取り、真剣な態度で目を見つめる。

「あんたに告げ口されるよりマシだから」

「しないわよ、告げ口なんて」ヴァイオレットは軽く笑った。「速やかに処刑し、テュランには適当な理由をつけてあなたが町を去ったと伝えるわ」

「うわっ詐欺師じゃん」冗談半分でミルが笑う。ヴァイオレットも笑った。「あの時の言葉、思い出したわ」

 そう言ってヴァイオレットは、寮部屋での一件を思い出した。

――”処刑”の時間だわ』

 ミルが村人を殺したことに気づいた時、ヴァイオレットは真っ先にミルの抹殺を案として採用した。ところが、実行する直前でテュランが〈魔夢キーテクト〉から目覚めたことで、その運命は捻じ曲げられた。もしあの時、テュランが目を覚まさなかったら、ミルは処刑されていたかもしれない。

「んでどーすんの? うちを殺す?」ミルが、軽い笑みを浮かべながら言った。

 するとヴァイオレットは、

「いやはや、あなたは運がいいわね」

 と言って、トレンチコートのポケットから一枚の紙を取り出した。それは紛れもなくパッツァオの〈契約書〉だった。

「パッツァオの〈契約書〉を見つけたから、全部パッツァオのせいにしてあんたの罪は闇に葬るわ」

「やってること悪党のソレじゃん」

 またもやミルは笑った。ヴァイオレットは「合理的判断をしただけ」とだけ呟き、己の正当性を少しだけ訴えた。

「死人に口なしってやつよ。悪いのは、あなた達に負けたパッツァオのほうよ」

「んやっぱ……あんたは悪党だよ」

 それだけ言って、ミルは苦い表情を見せた。痛みにあえぐ苦しみの顔であった。思わぬ態度に出たミルを見て、ヴァイオレットの顔に困惑の色が混ざり始める。

「どうしたの?」ヴァイオレットは、少し低い声でそう言った。

 ミルの腹を摩り、体に異常がないか確かめる。するとヴァイオレットは、血液の半分を外に流したんじゃないかと心配になるほど青ざめた表情を見せた。

「ちっと少年の〈魔術契約〉が強力すぎてな。あっという間に契約が成立しちまったんだ」

 喉に痰が詰まっているのか、ヴァイオレットの声はガサガサだった。

「まさか……」虚無を衝かれたようにヴァイオレットが目を見開く。

「ヴァイオレット、弟子の最後の頼みだ。聞いてくりゃぁ」

 ミルはそう言って、ヴァイオレットの手をぎゅっと握った。その手は温かったが、握力がほとんど皆無だった。

「少年を…………テュランを頼む」

 テュランの名を呼ぶその声だけは、全く掠れていなかった。

「頼む……」

 もう一度だけ声を出す。それだけ真剣だったのだ。

 やがてミルの手元から熱がなくなると、彼女は静かに眠りに就いた。

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