第五章①
「俺も……あんたたちと戦うよ!」
そんなことを言われても、困るのはテュランたちの方だ。
——なんでイカロゼさんがここにいるの?
パッツァオの件は、門外不出の秘密作戦のはずである。
テュランはイカロゼを見るなり言葉を失い、戸惑いを隠せなかった。
「パッツァオは……〈
イカロゼは背筋をぴんと伸ばして、綺麗にお辞儀した。誠意は見せているつもりなのだろう。
その誠意を受け取って、ヴァイオレットが沈黙を破った。
「いいでしょう。私たちの計画に参加しなさい」
「おい……こんなヤツ信用できんのかよ」
ミルが、厳しい眼でイカロゼを睨んだ。
彼は、〈
「ミル……あの時はすまなかった。確かに〈
イカロゼは、表情を見てすぐミルの気持ちを察したようだった。握手するような関係にならないことは、本人が一番分かっている。
「テュランくんにも……悪いことをした。本当にすまない」
やせ細った顔から、確かな熱意が伝わってくる。テュランは無言で彼を見つめ続けた。
——悪い人ではないのかな。
信用できない部分もあるが、この謝罪を無下にすることもできない。迷った挙句、テュランはイカロゼを承認した。
「僕は……いいと思う」
「少年もかよ」
ミルだけは納得できないようだった。彼女は、奥の肘掛け椅子を占領し、足を組んで俯いた。信用する気もないが、敵対する気もない、ということだろう。仕方なくイカロゼの介入を受け止めた感じだ。
「つってもよー。どうしてオマエに〈契約書〉の在り処が分かんだよ」
「パッツァオに誘われたんだ、傭兵にならないかって」
イカロゼの表情は曇っていた。
「もちろん断ろうと思った。でも逆らえなかった。あいつの要件を吞まなかったら俺は殺されてた」
イカロゼの話によれば、パッツァオの傭兵になった後、彼は〈魔術契約〉の説明を受けたそうだ。パッツァオは、数名の〈
「パッツァオの話が本当なら、〈契約書〉はパッツァオ洞窟にある」
「パッツァオ洞窟?」
ミルが不思議そうに尋ねた。質問されたイカロゼの顔には、多量の汗が染みついている。
「パッツァオが管理する洞窟だ。テュランくんの村もパッツァオの支配領域だった」
「村――」
テュランは小さく呟いた。イカロゼが眉をしかめる。
「だがな、パッツァオ洞窟は二つあるんだ。どちらの洞窟に〈契約書〉があるのか、俺も訊いたんだが答えてくれなかった。ただ、パッツァオは『〈契約書〉は洞窟に隠してある。絶対にバレない』と言ってた。洞窟にあるのは間違いないだろう」
奇妙な話ではあったが、イカロゼの口調は熱っぽく、嘘をついているようには見えなかった。
「オマエらには……本当に酷いことをしたと思ってる。黙ってパッツァオの傭兵になって……裏切ったも同然だ。すまなかった」
しばし、支部隊長室に沈黙が流れる。テュランもヴァイオレットも、ミルも、彼の言葉に黙って思いを巡らせているのだろう。
三人が黙る中、イカロゼが畳みかけるように話を続ける。
「正直、俺ひとりで洞窟を襲撃するのも悪くないと思ってたんだ。せっかく掴んだ特ダネだったんだ、逃すわけにはいかないからな。でもよ、やっぱり無理だった。パッツァオの野郎、洞窟に〈
イカロゼが口元を締める。
「そしたら御覧の通り……俺と同じように、お前らもパッツァオの〈契約書〉を探してたんだ。正直、驚いたね。”運命”ってやつかと思ったよ」
ふっ、とヴァイオレットが軽く微笑んだ。
彼女は、イカロゼの熱弁を遮って、すっと身を乗り出した。
「問題は山積みね。警備の〈
ヴァイオレットは怜悧な目つきで、テュランとミルを交互に見つめた。まだ未熟なテュランと、〈
「洞窟は二つあるのよね……」
「あぁ、そうだ」
「二手に分かれて襲うしかないのかしら?」
「だろうな。洞窟の間は遠い。同時に襲撃するのが得策だろう」
うむ、とヴァイオレットが厳しい顔で頷いた。
——僕は、この人たちの足手纏いにならないのだろうか。
ヴァイオレットの話を聞いて、テュランは複雑な気持ちになった。自分の無力さに辟易したのである。
「だったら、三対一に分かれましょ。私は、一人で洞窟に向かうわ」
ヴァイオレットの宣託に、ぴんとその場の空気が張り詰めた。ミルが、怒りを隠すように笑った。
「それは馬鹿な提案だな、ヴァイオレット。うちにはテュランさえいれば充分だ。イカロゼはてめぇーのわんちゃんと一緒に仲良く留守番してろ」
「そんなに俺が信用ならないか?」
イカロゼが傷ついたような顔をした。ミルが、はっきりとした言葉で返答する。
「あぁ。まったく信用ならねぇー」
「…………」
イカロゼは寂しげな顔をして、黙り込んでしまった。ヴァイオレットがテュランと目を合わせる。
「テュラン、あなたはどう思う?」
「へっ?」
急に質問されたから驚いた。テュランは、目をキョロキョロさせて狼狽えた。
「僕は……イカロゼさんがいた方が安心かも」
ミルが「おい」と茶々を入れてくるが、彼の意志は固かった。
——万が一の場合、僕だけじゃミルを守れない……。
テュランは一度、目の前で母親を失っている。同じ失敗はしたくない。保守的な思考は、結果的にイカロゼに対する依存を招いた。
そのようなテュランの心情を察したのか、ヴァイオレットは残念そうにため息を吐いた。
「分かったわ。私は、テュランの意思を尊重する。イカロゼはミルと行きなさい」
イカロゼが頭を下げる。
「うち、外の空気吸ってくる」
そう言って、ミルは部屋を出てしまった。彼女を追いかけるため、テュランも廊下に出た。
「——ミル」
呼びかけると、ミルはこちらを振り向き、渋い顔を見せた。よっぽどイカロゼのことが嫌いなのだろうか。ミルは肩を落として目を細めた。
「うちだけじゃ、不満か?」
「———そういうわけじゃないよ。僕はただ……ミルが心配なだけなんだ」
そう答えると、ミルはふざけたように笑った。
「ガキがいらん心配すな。言っておくけどな、うちはめっちゃ強いんだよ」
「知ってるよ」
「じゃあ、うちだけでいいだろ?」
「万が一だよ。僕は……ミルがいなくなったら悲しいよ」
「いなくならねぇーって。オマエ、心配しすぎだろ」
ミルは、乱暴にテュランの頭を撫でた。雑に扱われるのは不本意であったが、彼女の口から「いなくならない」と言ってくれたのは嬉しかった。
そう思ったら、少しだけ本音がこぼれた。
「怖いんだ……」
「?」
「ミルは、いなくならないでね……」
その言葉を聞いた瞬間、ミルは、打ちひしがれたような顔をした。
小さな体に抱え込んだ、混沌とした孤独感。
その孤独を垣間見た時、ミルは自分の過ちに気づいてしまった。
——おじいちゃん。
脳裏に流れるのは、祖父との記憶だ。〈
——あぁ。うちは、なんて愚かなことをしたんだ。あの時、少年も一緒に■してあげれば良かったんだ。うちには、その覚悟がなかったんだ。
「ごめんな、少年」
ミルが、テュランの肩を優しく叩く。なぜミルが謝ったのか分からなくて、テュランはキョトンとしてしまった。
部屋に戻ると、ヴァイオレットが優しい目で二人を見つめた。ヴァイオレットは、ミルの気持ちに気づいているようだった。
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