第四章④

 イカロゼとパッツァオが裏で暗躍する中、ヴァイオレットによるテュランの育成は着々と進められていった。伝説の決闘から三日後の朝、テュランとミルは”ガーディアン支部”に召集された。

 新たな任務だろうか。緊張と好奇心を融合したような心持ちで、テュランはミルと一緒に支部隊長室に入った。室内には、窓外の町を眺めるヴァイオレットがいた。彼女は二人の入室と同時に振り向いて、神妙な趣で彼らを凝視した。ギロリと光る眼が、テュランたちを射抜く。

「二人には会って欲しい人がいるのよ」

 ヴァイオレットが、真剣な声色で宣言した。テュランとミルは互いに見合って、「何も知らない」と言わんばかりに首を振った。ヴァイオレットは「焦らないで」と告げて、ゆったりとした動作でソファに座り、

「時が来たのよ。あなたたちは”鑑定士”に会って預言を授かるの」

 と答えた。テュランはさほど驚かなかった。ヴァイオレットの言葉から何度も”鑑定士”の存在は聞いていたので、いつの日か、こういう日が来るんじゃないかと覚悟してたのだ。

「”鑑定士”はどこにいるの?」

「私と一緒に暮らしてる。すぐに会えるわ」

 予想外の言葉に、テュランは絶句とした。ミルも、驚いた。もっと超常的な場所を想像していたから。

「私が”鑑定士”と出会ったのは戦時中よ。戦争孤児として戦場を彷徨っていたところを私が引き取ったの。それ以来、ずっと二人で暮らしてるわ」

 そう言ってヴァイオレットは立ち上がた。彼女に続き、テュランたちも足を進めた。

 ”ガーディアン支部”を出て、ヴァイオレットの家に向かった。彼女の住まいは、屋根が三角形であった。高く伸びた煙突と、深い茶色の外壁が落ち着いた印象を与えている。こじまんりとした感じだが、居心地は悪くなさそうだ。ヴァイオレットの地位と名誉と財産が生み出した立派な二階建てであった。

 鍵を開ける。燭台のろうそくに火を灯し、玄関を照らす。

 入ってすぐ、居間へ続く廊下と二階へ上がる階段が伸びている。ヴァイオレットの誘導に従い、二人は居間に進んだ。通路の先には台所と食堂があった。風呂と便所は、食堂の奥だ。風呂付きの一軒家は珍しい。支部隊長の家だけあって、それなりに豪華であった。

「二人はここで待ってなさい」

 ヴァイオレットにそう言われて、二人は居間のソファに腰を下ろした。ヴァイオレットは席を外し、すたすたと階段の方へ行ってしまった。テュランは、”鑑定士”についてミルと話したかったが、彼女は恍惚とした表情で部屋を見回していた。

「イイ家住んでんなー」

 手元のハルバートを床に置いて、ミルはカニのように足を広げて座り直した。

「”鑑定士”ってどんな人なんだろうね」

 ミルは、家そのものに興味を示しているようだ。

 一方で、テュランが気になっていたのは”鑑定士”の正体だった。イカれた猛獣ヴァイオレットを飼い慣らした”鑑定士”は、どんな人なのだろうか。

 そんなことを考えていると、ふと、ミルがとんでもないことを漏らした。

「うち……殺されんかな……」

「えっ?」

 ——何を言ってるの?

 テュランが訊こうとした時、階段の方から物騒な音が聞こえた。

「待たせて悪いわね。引きこもりを連れ出すのに少々苦労したわ」

 ヴァイオレットは、買い物袋を掲げるように片手を頭上にかざして登場した。彼女の腕は別の人間の襟元を掴んでいて、その人物は無理矢理二階から連れてこられたようであった。ヴァイオレットはズケズケと居間に割り込んできて、その足音とともに不安げに体を震わしたのは、小柄な”少女”であった。

「うぅぅ……ひ、人だ……コワイよぉ」

 その少女は、小さな声で鳴いた。半泣き状態であった。

「こ、この人たちはだれなの? コワイよ、ヴァイちゃん。部屋で寝たいよぅ」

「黙りなさい。さもなくばコチョコチョ百回の刑に処するから」

「ヒィィッッ!!」

 ヴァイオレットの強烈な脅迫に少女の体はビクッと固まった。

「紹介するわね。こちらが……かの有名なウルトラヘビー級天使系美少女鑑定士、リボンよ」

 寒い沈黙が場内を支配した。ヴァイオレットは毅然とした顔で立ち、ミルとテュランは骨を抜かれたような気分で固まった。やむを得ずテュランが口を開く。

「その人が……”鑑定士”なの?」

「そうよ」

「ち、違いますから!」

 正反対の言葉が返ってきて、テュランたちはどよめく。

 ヴァイオレットは残念そうに眉根を下げると、

「リボンは人見知りなところがあるから謙遜してるのよ。彼女は正真正銘の”鑑定士”よ」

 と、興奮した様子で語った。リボンの頬を指で突き、彼女の小さな肩をすくませて、

「せいぜい拝みなさい、愚民どもよ。この可愛らしい美少女のご尊顔を拝せるのも今のうちよ」

 と、犯罪者のようなことを言い出した。続けざまに、彼女のマシンガントークは止まらない。

「私のイチオシは、この萌え具合よ。小動物のようで可愛いと思わないかしら」

 ヴァイオレットに薦められて、テュランは仕方なく眼前の少女を観察した。

 リボンは、小柄であり童顔であった。黄金色こがねいろの瞳は涙で潤い、リスのような可愛らしさを内包している。ウェーブのかかった栗色の髪は彼女の襟首を隠し、白い頬に広がる桜色の肌は、彼女の血の気の良さを物語っているのだろうか。身長はテュランと同じぐらいで、年齢もさほど変わらないだろう。

 ——この人が、”鑑定士”なの?

 テュランは戸惑いを隠せなかった。

「無論、リボンの魅力はこれだけじゃないわ」

 ヴァイオレットは得意気に笑いながらリボンの背後に回るなり、後ろから抱きついた。

「きゃっっ!!」

「まだ十一のくせに、この胸のデカさよ。素晴らしい才能だわ」

 顔を赤くするテュランの足を、ミルが軽く蹴った。

「ヴァイオレット、余計な話はいらん。本題を話せ」

 ミルが厳しい語調で責め立てる。

 するとヴァイオレットは機嫌を悪くして、

「ここは私の家よ。話すことは私が決める。指図しないで」

 と、理不尽な反論を仕掛けてきた。

「あなたたちを呼んだのは、リボンから預言を授かるためよ。まずは互いを知ることから始めないと空転するわ」

 真っ当な意見を聞いて、二人とも意外な顔をした。それなりの考えがあって二人を家に招いたようである。

「でも、モノみたいに扱って……その子が可哀想じゃん」

 羞恥のリボンをチラリと見て、テュランが軽く指摘する。

「あら。確かにテュランの言うとおりね。降ろすわ」

 テュランの言葉は、リボンの眼を射抜いたようだ。彼女はヴァイオレットの拘束から逃れると、付近の椅子に腰を下ろした。

「なかなか気の利く言葉をかけるじゃないの、テュラン」

「…………」

 褒められているのか恨まれているのか分からなかったので、テュランは何も言わなかった。

 すると、ヴァイオレットが力業とも言うべき提案を打ち出した。

「私はね、常々思っているの。リボンの伴侶は”魔境の王”が相応しいんじゃないかって」

「えっ?」

 リボンの顔が、炎のように赤くなる。

「ヴァ、ヴァイちゃん……ヘンなこと言わないでよ! は、恥ずかしくて死んじゃうよ」

「まあ。その態度は”脈アリ”かしら」

「ち、違うから」

 リボンが、ちらっとテュランに視線を寄こした。

「テュ、テュ、テュランさんも……気にしないでくださいね!」

「いや……僕はぜんぜん……」

 テュランは、ほぼ不随反射的に首を横に振った。

 そんな二人を見てヴァイオレットが、

「なかなか釣れないわね」

 と、退屈そうに言った。

「歳も近いし……かなりお似合いだと思うのにねぇ。う~ん……最近の子供は難しいわね」

 リボンは顔を赤くしたまま、

「そ、そんな簡単なことじゃないのッ!」

 と反論した。しかしヴァイオレットは、

「恋愛は、単純で純粋なのが一番良いのよ。過度に複雑化したところで時間と心を浪費するだけだわ」

 と、食い下がる様子を見せなかった。帰郷した娘に、強引に結婚を勧めるような厄介オバサンのようであった。

 埒が開かない。

 議論は平行線を辿ると思われた。

 だが、ミルの鶴の一声が、この会話に終止符を打った。

「さっさと預言しろッ、インチキババア。少年は誰にも渡さねぇーからなッ!!」

 ミルは激しい剣幕でそう言い放ち、テュランの体を庇うようにぎゅっと抱きしめた。突然の暴走に、テュランは胸を高鳴らせた。ミルの柔らかい温もりが全身を包み込む。甘い匂いが鼻腔を撫でて、思わず気を失いそうになった。

 ヴァイオレットは、驚いたように口をポカンと開けて、それからすぐ、壊れたように盛大に笑った。

「クックックックック。なるほどね~”やきもち”、というわけだわ」

 意地悪な笑みをたたえるヴァイオレットを、ミルがギロっと睨んで応戦した。本気で怒っているようだ。さすがのヴァイオレットも観念したのか、口を窄ませながら「悪かったわ」と、珍しく己の非を認めたのであった。

「んっ……も、もういいから!」

 我慢が限界を迎えたのか、テュランはいたたまれず席を立った。「早く預言をください」と言って、リボンに向かってお辞儀をする。リボンは困ったようなリアクションを取って、

「わ、わかりました……わわわ私の部屋に……お入りください」

 と言って、テュランと一緒に階段を登った。

 ミルとヴァイオレットは、一階で待機することになった。


 リボンの部屋は二階にあった。

 ヴァイオレットの武器だろうか。部屋の壁には、剣や斧が設置されていた。部屋の奥にはリボンの寝床があって、床には数多くの寝間着が散乱していた。

 木窓のまえに花瓶が置かれている。陽に照らされたヒマワリの花瓶は、燦々と輝いていた。

 リボンは自分のベッドに座り、立ったままのテュランを眺めた。

「き、汚い部屋でごめんさい……」

「いえ。僕は平気です」

 無意識のうちに、テュランの背筋が伸びる。二人の眼が合う。

「僕を、占ってくれるんですか?」

 テュランがそう言うと、リボンがクスクスと笑った。

「そんな緊張しないでください。ヴァイちゃんは私のことを過大評価してるんですよ。私の魔法は、”預言”と呼べるほど大層なものじゃないですから」

「魔法? 魔術じゃないんですか?」

「あぁ……。そこは気にしないでください。方言みたいなモノですから」

 リボンの声は、砂糖のように甘く柔和であった。生ぬるい声に絆されて、テュランは少しだけ照れている。

 ——この人の気配は……なんというか不思議だな。僕のリズムが狂いそうだ。

 テュランは、リボンのことを妖精のようだと感じた。

「僕は……その、いわゆる”魔境の王”なのでしょうか?」

 テュランが訊くと、リボンは軽く微笑んで、

「それは……テュランくんにしか分かりませんよ。最後は……テュランくんが選ぶんです」

「選ぶ?」

「はい。あくまで私やヴァイちゃんは道を案内するだけです。実際に道を歩くのは、テュランくんです」

 難しい話だな、とテュランは思った。困惑した顔をしていると、何かを察したのか、リボンが「紅茶、飲みませんか?」と優しい声で訊いた。

「じゃあ……お言葉に甘えて」

 テュランがそう答えると、リボンは自部屋の台所に移動して紅茶を作り始めた。舌を撫でるような匂いが部屋に広がる。

「困った時は……紅茶を飲むのが一番良いんですよ」

 リボンが紅茶を入れる姿は、窓からの陽光も相まって、とても綺麗だった。テュランは、「ヴァイオレットとは似つかない人だな」と感心した。そう思ったら、突如として疑問が湧いてきた。

 ——二人は、どんな風に出会ったんだろう。

 気づけばテュランは、その疑問をリボンに投げかけていた。

「二人は……何がきっかけで出会ったんですか?」

 唐突な質問ではあったが、リボンは優しく微笑んだ。

「私は……戦争孤児だったんです。元々、修道院で暮らしていたんですけど、戦争で全壊しちゃって。途方に暮れていた時に、ヴァイちゃんに拾われました」

「そう、だったんですね……」

「私は、〈未来予知〉の術式を持っていました。先天的です。テュランくんの≪ママのいえ≫みたいなモノです。ヴァイちゃんが私に惚れ込んだのも〈未来予知〉がきっかけでした」

「≪ママのいえ≫を知ってるんですか?」

 テュランは乗り出すように訊いた。

「はい。ヴァイちゃんから聞きました。素敵な術式ですね」

 天使のような顔で微笑むリボンを見て、テュランはうっかり見惚れてしまった。

 ティーカップを受け取り、彼女と一緒にリボンのベッドに腰下ろす。紅茶を飲みながら、テュランは話の続きを聞いた。

「ヴァイちゃんが私の〈未来予知〉を妄信するようになったのは……私のせいなんです。ヴァイちゃん、悩んでたんです——”自分の行いは、正しいのか”って」

「…………」

 ヴァイオレットは戦士として戦場に駆り出されていた。命を奪うたびに、精神の削ぎ落されるような感覚が彼女の地肌を舐めた。

「その頃からです、私の〈未来予知〉を”預言”と呼ぶようになったのは。でも……確かに私の〈未来予知〉は”預言”の側面もあります。私が修道院で暮らしていたのも、そういう事情がありましたので」

 リボンはそこまで言って、ゆったりと紅茶を飲み始めた。テュランも、会話の隙間を埋めるようにティーカップを口に付けた。

「ヴァイちゃんは”魔境の王”を信じているんです。私の〈未来予知〉が本当に正しければ、この時代に”魔境の王”が現れるのは必然です。もちろん、私の予知が正しいとも限りませんが……」

 そこで話を区切って、今度はテュランが話し始めた。

「よく……分からないんです。まだこの町にやってきて数日しか経ってなくて……。僕はただ、ミルと一緒に暮らしていければ充分なんです。”魔境の王”がどんな存在かよく知りませんが……僕は、そこまで大きな存在じゃないんです。僕は……本当に”魔境の王”なんでしょうか?」

 テュランが訊くと、リボンは小さく頷いて、じっと彼の眼を見つめた。ティーカップを傍の机に置いて、彼の目蓋まぶたに手をかける。

「ちょっと……し、失礼しますね」

 リボンが、照れたように言う。テュランは黙ったまま首を縦に振った。リボンの指が彼の目蓋にかかり、眼が大きく開かれる。リボンは、覗くように慎重に紅梅色の眼を凝視した。

「う~ん」

 リボンが低いトーンで声を漏らす。

 と同時に、彼女の手がテュランの眼から離れた。

「どう、でしたか?」

 テュランの質問に、リボンは苦い顔をした。

 それを見て、結果を察したのか、テュランが声をこぼした。

「やっぱり……。僕じゃないですよね」

「う、ん……。残念だけど……違うのかもしれませんね」

「ヴァイオレットは……思い違いをしてるんですかね?」

 リボンはテュランの質問には答えないで、再び紅茶を喉に流し込んだ。

「自分が”魔境の王”なのかどうか……ソレは、本人が一番分かってるはずなんですよ、テュランくん」

「…………僕は、”魔境の王”じゃないですよ。僕はただ——」

 そこで言葉に詰まった。

 ——僕は、”魔境の王”なんかになりたくない。僕はただ、ミルと一緒にいたいだけなんだ。ママと暮らしてた時と同じように……。やっぱり僕は……。

「テュランくん……”魔境の王”になることは、汝を決めることなんです。自分が何になるか、ソレを決めるのは、私でもヴァイちゃんでもミルさんでもないんです。テュランくんなんです」

「僕は……”魔境の王”じゃない」

 テュランが断言するように答えると、リボンは観念したように首を振った。

「そうですね……。力はありますが、違いますね。なんか……すみません」

 悲愴な声で謝罪し、リボンは紅茶を飲み干した。テュランも慌てて謝った。

「謝らないでください。僕は…………」

「いえ。不必要に混乱させてしまいました。ごめんなさい」

 まるでお見合い合戦のように、二人はペコペコと頭を下げた。やがて可笑しくなったのか、二人はむず痒くなって笑いあった。

「なんか変ですね」

 テュランが言う。

「そうですね。”預言”も終わりましたし、そろそろ戻りましょうか」

 リボンにそう言われて、ベッドから立ち上がった。

 紅茶の風味が、まだ口内を漂っている。

 ティーカップを台所に置いて、二人は部屋を後にした。


 一階へ戻ると、ミルとヴァイオレットがソファに座って待っていた。二人とも厳しい顔をして腕を組んでいた。暗い影が二人の間に差している。

「なんかあった?」

 テュランがそれとなく訊いてみた。

 しかし、「なんでもねぇーよ」とミルが雑に答えるばかりで、明確な解は得られなかった。

 冷たい空気が流れる中、リボンが気を取り直したように口を出した。

「テュ、テュランくんの預言は終わりました。なので……”首”の話をしようと思います」

「首?」

 ミルが突っかかると、ヴァイオレットが不機嫌な声色で説明を始めた。

「あなたたちが持って帰ってきた〈吸血鬼ドラキュラ〉の首……リボンの〈魔力解析〉を使って調べたの」

 そう言って、ヴァイオレットがソファから立ち上がった。

「あの〈吸血鬼ドラキュラ〉は、”とある男”と〈魔術契約〉を結んでいたのよ。契約の内容は、村の子供を攫うこと。テュラン、心当たりは?」

 質問されたので、テュランは無言で首を振った。

 ——子供を攫う? あの襲撃は、誰かの命令で行われたものだったの?

 テュランは訝しげに眉をひそめた。

「一回目の〈魔力解析〉では、契約者の名前までは分からなかった。でも……リボンが何度も〈魔力解析〉を行ったことで犯人が分かった。裏で〈吸血鬼ドラキュラ〉を操っていたのは——」

 室内に緊張が走る。

 子供を攫い、ミルの前任者を返り討ちにし、あの夜、テュランの処刑と同時に現れた謎の〈吸血鬼ドラキュラ〉。その怪物と契約を結び、裏で暗躍していたのは……。

「パッツァオ伯爵よ。村と、その一帯の山々を領地とする地主……黒幕の人選としては適切ね」

 そう宣言したヴァイオレットの顔は、強く厳しく、背筋が凍るほど険しかった。前途に構える苦難があまりにも大きくて、思わずキツイ顔になってしまったのだ。彼らの敵は、ただの〈吸血鬼ドラキュラ〉ではなく伯爵なのだから。

「〈吸血鬼ドラキュラ〉と〈魔術契約〉を結ぶことは法律で禁止されてる。〈守護者ガーディアン〉として無視できないわ」

 ヴァイオレットの話を聞いて、ミルが、嫌そうに頭をぼりぼり掻く。

「つってもどーすんだよ。どーせ、リボンの〈魔力解析〉って〈未来予知〉の応用だろ。伯爵に手を出しても許されるほどの証拠になんのかよ」

「結論から言おうか……多分、ならないわ」

 冷徹な顔で、ヴァイオレットがきっぱり答える。「どーして」とミルが訊くと、リボンがヴァイオレットの代わりに説明し始めた。

「〈未来予知〉も〈魔力解析〉も、全て”お告げ”みたいなモノなんです。上手に説明できないんですけど……頭の中に情報が流れてくる感じです。だから、証明材料にならないんです」

 申し訳なさそうに語るリボンの背中を、ヴァイオレットが優しく叩く。

「自分を責めないで、リボン。悪いのは、法を犯したパッツァオなんだから。私たちはやるべきことを淡々とこなすだけよ」

「ありがとう……ヴァイちゃん」

 二人の間に漂う甘美な匂いを嗅ぎながら、今度はテュランが質問した。

「貴族と支部隊長の権力ってどっちが上なの? ヴァイオレットの力で何とかならないの?」

 そう訊くと、ヴァイオレットが目尻を下げて、

「五分五分ね。証拠がない状態でパッツァオに喧嘩を売ったら、私たちは終わりよ。公開処刑ね」

 肺腑を掴まれるような思いであった。ヴァイオレットの表情から察するに、「公開処刑」というのは決して冗談話ではない。伯爵に喧嘩を売れば、殺されても仕方がないのだ。うっかり伯爵の毒牙を受けた彼らは、未聞の運命に足を踏み入れたと言えるだろう。

「埒が開かないわね。とりあえず……”支部”に戻りましょ」

 ヴァイオレットがそう言ったので、議論は一旦の終焉を迎えた。

 ——なんだろう、この胸騒ぎは……。

 この中でただ一人、テュランだけが先行きの見えない未来に対して、膨大な”何か”を感じ取っていた。


 リボンを家に置いて、三人は支部隊長室に戻った。

「どうしてリボンは外に出ないの?」

 テュランがヴァイオレットに訊いた。ヴァイオレットは少しだけため息を吐いて、悲しそうに答えた。

「あの子は……人が苦手なのよね。私も色々と試してるんだけど……やっぱり人ごみの中は駄目みたい」

 思った以上にヴァイオレットが慈悲深かったので驚いた。そのような優しさを、すべて削ぎ落したような人間だと思っていたからだ。

「さて、話を戻しましょうか。パッツァオについて、あなた達はこれからどうしたい?」

 ヴァイオレットはソファに座り、うっすらと笑みを浮かべながら言った。テュランは、ミルの方をちらりと見た。

「どうして僕に訊くんですか? 僕より優秀な〈守護者ガーディアン〉が他にいるでしょ?」

「そんなの決まってるじゃない。あなたが”魔境の王”だからよ」

「…………」

 ——僕は”魔境の王”じゃない。

 ”鑑定士”のリボンですら、テュランは”魔境の王”じゃないと言っている。もはやヴァイオレットが彼に加担する意味はなくなった。

 彼は今、全身を縛られているような状態であった。あらゆる感情がごちゃ混ぜになって、本人としても心の整理がついていないのである。

 そんな中、ミルがやや興奮したように言った。

「ヴァイオレット、うちは戦うべきだと思う。〈吸血鬼ドラキュラ〉と組んでる奴が伯爵なんて信じられねぇー。契約した〈吸血鬼ドラキュラ〉が他にもいるかもしれねぇーんだ。コテンパンに潰そうや」

 ミルの言葉は、はっきりしていた。ヴァイオレットは、深い沈黙に沈んでしまった。ソファに座りながら、窓外の夕日を眺める。

「…………」

 沈黙を貫きながら、ヴァイオレットは困ったようにしわを寄せた。彼女の脳裏には、〈魔術契約〉の際に生成される〈契約書〉のことが思い浮かんでいた。≪魔境の櫃アーク≫を除き、通常、〈魔術契約〉は副次的効果として〈契約書〉を生成する。そして〈契約書〉は、特殊な場合を除いて、現世に残り続ける。もしパッツァオの〈契約書〉を見つけることができたら、パッツァオの犯罪を立証できる。

 だが、容易なことではない。無論、パッツァオも〈契約書〉の存在を把握している。安々とヴァイオレットに渡すはずがない。支部隊長の権限を行使しても、「伯爵」という鎧が毅然と立ち塞がってくるであろう。

 いま、現状を鑑みる時、ヴァイオレットたちに残された道は一つに思えた。

 ――無断で〈契約書〉を盗む。

 無理難題な計画であった。ところが、思い当たる突破口はコレしかないだろう。ヴァイオレットは辛酸をなめるような思いで決断しなければならなかった。パッツァオの領土に侵入し、〈契約書〉を盗み出す他に勝つ算段はない。もし実行するのであれば、少数精鋭でいくべきだ。大々的に侵略したならば、すぐさまパッツァオにこちらの計画が感付かれてしまうからだ。

 そう結論づけた時、ヴァイオレットは自然に、狂乱めいた言葉を吐いた。

「戦争をするわよ。覚悟して」

「戦うってことだな。だったら徹底的に潰そうじゃねーか! なァ、少年ッ!」

 ミルが、嬉々としてテュランの肩に腕を乗せる。

「えぇー。人間と戦うの?」

 テュランには、人と戦うことに一種の抵抗があった。

 顔を上げた時、ミルと眼が合った。ミルはテュランの眼を見ながら言った。

「安心しろー。少年はうちの”荷物運び”だァ!」

 ヴァイオレットは、〈契約書〉の奪還について詳細に話してから、二人の決断を促した。

「はっきり言うわ。命の保証はできない。パッツァオは”神の軍勢”の戦場を生き残った男よ。危険だわ」

 ヴァイオレットは、二人の反対を予期していた。

 特に、ミルは〈吸血鬼ドラキュラ〉を討伐するために〈守護者ガーディアン〉になった。人を殺すために命をかけるのは不本意であろう。ところが彼女は、意外にも即座に答えた。

「ふんッ! どーせ、断れば処刑されんだろ? だったらパッツァオとり合うほうがマシだわ。少年はうちが護る。あんたは好きなだけ暴れてろ」

 即答されて、ヴァイオレットは久方ぶりに面食らった。彼女は、盛大に笑った。

「クックック。あなたは……相変わらず強気ね」

 二人は声をたたえて笑い合った。二人の関係性は、様々な思惑の飛び交う、複雑な紐を帯びたモノであるが、今回ばかりは協力を選んだようである。そんな二人の笑う姿を見て、テュランも喜んだ。

 とはいえ、課題は山積みだ。

 まず〈契約書〉の在り処を暴かなければならない。手掛かりはない。

 才ある者たちに立ち塞がる壁は、山のように高い。開始早々、彼らは課題にぶち当たった。

 ところが、意外な方面から活路は見出された。

「〈契約書〉の在り処は俺が知ってる」

 そう言ったのは、予想外の人物だった。

 は、三人の作戦会議に割り込むような感じで、支部隊長室に乱入してきた。突然の登場に、テュランたちは息を呑んだ。

「イカロゼェェ!?」

 ミルが激しい剣幕で叫ぶ。

 三人の前に現れたのは、腰に剣を備え付けた厳めしい大男、イカロゼ・ハッシュターンであった。ヴァイオレットに負わされた頬の傷は、見る影を無くしている。

「俺も……あんたたちと戦うよ!」

 イカロゼは、真剣な顔つきでそう宣言した。

 この男の介入により、彼らの運命は大きく変わるのだった。


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