第四章③

 戦闘訓練を終えての夜、アケーロンシティの外れにある酒場で、テュランとミルが夕食を取っている。ミルは外套を被り、耳を露出させないように気をつけてはいるものの、腰の尻尾は嬉々として振られていた。

 二人の寄った酒場は、簡素で、静かな場所であった。余計なものは何ひとつ介入せず、落ち着いた雰囲気に調えられていた。数名の客がカウンターに座り、必要最低限の店員だけが厨房にいた。

 ヴァイオレットとの決闘に勝利し、一躍有名になったテュランは、限定的ではあるものの、〈獣人けものびと〉のミルを連れても酒場に入店できるようになった。支部隊長の計らいもあって、約束は守られたのである。

「美味しいね、コレ!」

 テュランは満面の笑みで、卓上の飯を頬張っていた。マヨネーズや塩などのソースを混ぜ合わせた簡易的なドレッシング。それをふんだんにかけた山菜のサラダを、テュランは最初にたいらげた。次に手を出したのは、ベーコンエッグとキャベツのサンドウィッチだった。テュランは黙々とそれらを食べ終えた。ついでに、喉に詰まったモノを流し込むため、果汁一杯を一口で飲み干した。

「少年って、めっちゃ食うんだな」

「だって美味いんだもん」

「ってもそんなに食わねぇーよ」

 憎まれ口をたたくミルであったが、満更でもないのか、嬉しそうに追加注文を頼んだ。彼女は、テーブルに並べられた料理をテュランが次々に食べていくさまを、感心して眺めた。見ているうちに腹が刺激されたのか、ミルは、サラダも付いた牛の肉料理を注文し、その肉にセルフサービスの胡椒をかけて、それを食べながらブドウ酒を飲んだ。彼女は、普段は野生の動物を捕まえて腹を満たすのだが、テュランのおかげでそういう食生活からは卒業できそうである。

「今日のさ、僕の戦い見てた?!」

「見てたよ。てかこの話すんの何回目だよ」

 ミルが冗談交じりに笑った。

 ヴァイオレットに勝てて嬉しいのか、テュランがその質問をするのは今日で六回目である。

「僕、あんなに戦えるなんて思わなかった!」

「うちもだよ」

「えぇーひどい!」

 不満を垂らしつつも、あくまで彼の注目は料理にあった。元気溢れる勢いで飯をたいらげながら、口にモノを入れたまま今日の自慢話をしている。

「僕って”才能”あったりすんのかなー?」

 目をキラキラと輝かせながら、頬に食べ物を詰め込んだ状態でテュランが訊く。

 そんな彼のおでこに、ミルが優しくデコピンした。

「ばーか。浮かれてると〈吸血鬼ドラキュラ〉に喰われちまうぞ」

「わかってるよ、そのぐらい」

 痛い所を突かれて憤慨するテュランだったが、ミルの指摘は正論だったので大人しく黙ることにする。訓練で結果を残せたとしても、実戦で生き残れるとは限らないのだ。

「つっても、こうして飯を食えてんのは少年のおかげだ。ありがと」

「う、うん。こちらこそ」

 素直に感謝されてテュランは頬を赤くした。普段なら下手に弄ってくるミルも、今回ばかりは真剣だったようだ。

「僕もなれるかな、〈守護者ガーディアン〉に」

「んまぁ……少年なら平気じゃね? あのクソババアをぶち抜いたんだ。浮かれんのはよくねぇーが、矮小になんのも間違ってんぞ」

「クソババアとか言っちゃダメだよ」

「しっしっしー。しょーねんも言うようになったなァー」

 ミルはそう言って、がぶり、と牛肉に嚙みついた。肉の脂が赤い唇に付着して、いつもよりも厳めしくなった。欲に眩んだテュランも、勢いの乗った食べっぷりで目の前の飯にありついた。食べながらテュランが喋り始める。

「海に行くのに、必要なお金ってどのくらいなんだろ」

「九体、ってとこだな。九体ぐらいは〈吸血鬼ドラキュラ〉殺さんといけねぇーだろうよ」

「……そっか。頑張んないとだね」

「おっ。ケッコーやる気じゃん」

 テュランは、大自然の景色に並々ならぬ羨望を抱いている。彼の心には、夢にときめく清冽な意思が芽生え始めていた。

「もしお金が溜まったら、僕と一緒に来てくれる?」

「う~ん」

 テュランが訊くと、ミルは曖昧な語調でうなずいて、パンの欠片を口に放り込んだ。

「一人で行きたい、とかは思わんの?」

「イヤだよ、一人旅なんて」

「どーして?」

「だって寂しいじゃん」

「ふうん……」

 ミルが歯切れの悪い返事をする。

「僕、ママと一緒に読んだ図鑑が忘れられないの。ずっと前に無くしちゃった図鑑なんだけど、今でも覚えてて……。ママはとっくに忘れてると思うけど約束してたんだ。『この図鑑に載ってる全部の場所を二人で巡ろう』ってね」

「…………ッ!!」

 ミルは、暗澹たる空虚な双眸でテュランの紅顔を眺めた。

「僕が≪ママのいえ≫を使うようになってからは何もかも変わっちゃったけどね」

「そう、なんだ……」

 付け足すように語るテュランを見ながら、ミルがバツの悪そうな顔をする。彼は、その異変に気づかぬまま、ただただ食事にありついた。

「うちは……一緒には行けねぇーかもな」

「どうして?」

 突然の告白に、テュランは青ざめた顔になった。

「うちが〈守護者ガーディアン〉として活動できるのはこの町だけなんだ。ヴァイオレットの支配下にあるって感じだな。だから遠出とかはできひんだろうな」

「ヴァイオレットを説得すれば、どうにかなるんじゃないの?」

「少年、あのババアが素直に認めてくれると思うかや?」

「…………」

 そう言われると、言葉に詰まってしまう。自由奔放なヴァイオレットの支配を出し抜いて、未来永劫の自由を獲得するのは容易ではないだろう。

 テュランが思い悩んでいると、ミルが付け加えるように話を続けた。

「少年の夢はオカンとともにあるんだろ。だったら一人で行きな」

「ケジメ、ってこと?」

「んまァ……そーゆーかんじ」

 ミルは歯切れの悪い返事をすると、話を終わらせるような勢いで肉を咥えた。テュランもそれを察して、何も言わずに卓上の料理を消化することに精魂を注いだ。とはいえ、納得はしていない。「ケジメ」などと言われても、彼の夢が消えることはないのだ。

 ——でも、やっぱり僕はミルと一緒に行きたいよ。

 口には出さなかったけど、内心ではそんなことを思っていた。


 このようにテュランたちは、ヴァイオレットの決闘に勝利したことで、アケローンシティ内での自由が大幅に認められたのであった。だが、そんな彼らの処遇に異を唱える者もいた。その一人が、イカロゼ・ハッシュターンである。

 幼き頃、〈守護者ガーディアン〉に拾われた彼は、十二歳の時、本格的に〈守護者ガーディアン〉の活動を開始した。彼にとって〈吸血鬼ドラキュラ〉とは、金を稼ぐための道具でしかなかった。

 〈獣人けものびと〉に”執着”ともいうべき殺意を抱いたのは、”神の軍勢”が台頭し始めた頃である。”神の軍勢”の戦いに巻き込まれて、彼の家族が戦死したのだ。

 丁度その頃、ヴァイオレットとともにミルがアケローンシティにやってきた。イカロゼの怒りは、〈獣人けものびと〉のミルに向けられた。

 〈獣人けものびと〉は、人間より強く、獰猛であることが多い。《獣化ビースト》を発動したならば、ソレは人の姿をいつわった怪物となるであろう。人々の恐怖や差別が〈獣人けものびと〉に向けられるのも不思議ではない。その上、”神の軍勢”が世界のどこかで人間の領土を襲っているのだ。イカロゼのように、〈獣人けものびと〉に特段の殺意を抱く者も少なくない。

 ——なんでミルが人の店に入れるんだよッ! 来るんじゃねぇーよッ!

 ヴァイオレットの寵愛を受けるミルを見るのが、たいへん心苦しい。イカロゼの憤怒は限界を超えようとしていた。殺したくて仕方がなかった。


 そんな時だった——。

 イカロゼのもとに、パッツァオ伯爵がやってきたのは。


「久しぶりだな、イカロゼ」

「お招きいただきありがとうございます、パッツァオ伯爵」

 二人は今、パッツァオの館にいる。

 以前、二人は〈吸血鬼ドラキュラ〉の討伐を兼ねて交流を持っていた。約一年ぶりの再会である。

「元気にしてたかな?」

 イカロゼの頬には包帯が巻かれていた。ヴァイオレットにテーブルナイフで負わされた傷を塞ぐためである。

「おかげさまで。伯爵はいかがですか?」

 イカロゼが訊くと、パッツァオは仄かに微笑をたたえてソファに座った。手を伸ばし、「座りなさい」とハンドサインをイカロゼに送る。イカロゼは恐縮な顔をして、よそよそしくパッツァオの隣に腰かけた。

「キミの町に、見慣れない顔の”子供”を見なかったか?」

「子供、ですか……わかりませんね」

「なら質問を変えよう」

 パッツァオは足を組んで、大きなため息を吐いた。イカロゼの肩がビクッと震える。

「”ガーディアン支部”に十歳ぐらいのガキが来なかったか?」

 パッツァオの声は鋭く、それでいて心臓を掴むような威圧があった。質問を受けた瞬間、イカロゼはすぐさまテュランの顔を思い浮かべた。

「単刀直入に言おう。そのガキを殺して欲しい」

「…………どうしてですか?」

 イカロゼは、驚きを隠すのが精いっぱいであった。慌てふためながら、どうにか言葉を繋げる。

「心当たりならありますが……わたくしの見解と致しましては、殺す値打ちもないような子供です」

「殺す値打ちもない、か……」

 パッツァオは、しみじみとイカロゼの言葉を反芻した。緩んでいた顔は、やがて厳しい表情へと変わり、途端に、叱声を放った。

「貴様は私の要求に反対するつもりなのかな、イカロゼ」

「…………ッ!」

 強烈な威圧を浴びて、イカロゼは言葉が出ない。

 パッツァオは狡猾な目をあけて、イカロゼを見ながら、冷たい罵声を投げつけた。

「今の私は……その『殺す値打ちもないガキ』に追い込まれているのだ。詳しい事情は話さんがどうしても殺したい」

「わ、わかりました」

 伯爵の怒号にすっかり気取られたイカロゼは、非常に情けない顔をして要求を呑むしかなかった。しかし本音をいえば断りたかった案件である。伯爵からの頼みといえど、暗殺は法に反するのだ。〈守護者ガーディアン〉としてのプライドが心にブレーキをかけていた。

「し、しかしですね……子供を殺すのは少々手こずるかもしれません」

「なぜだ?」

 質問されたので、イカロゼは言葉を慎重に選びながらアケローンシティの現状を報告した。

 支部隊長を認めさせたという事実は、大きな恩恵をもたらす。ヴァイオレットは、良くも悪くも目立つ女である。そんな怪物を抑え込んだ九歳の神童を歓迎しない者はいない。

 テュランの存在は”ガーディアン支部”の中でも大きく膨れ上がっている。無謀な挑戦が引き起こした爪痕と功績は、結果として、パッツァオの暗殺計画を現実から遠ざけた。

 加えて、テュランの隣には常に〈獣人けものびと〉のミルがいる。まともに戦えば、イカロゼはミルに勝てない。無論、”ガーディアン支部”の最高戦力であるヴァイオレットもテュランに加担している。

 これらの苦難を考える時、パッツァオの目論む暗殺計画が如何に無謀なものであるか、火を見るよりも明らかである。イカロゼに課された命令は偏頗な脅迫に近かったのだ。イカロゼは、パッツァオの逆鱗の隣を撫でるように言葉を吟味しながら、なんとかこの要求を退けようと躍起になった。

 だが、パッツァオの憤懣がイカロゼの意図を打ち砕いた。

「つまり、だ。貴様は”下等生物ケモノビト”にビビって腰を抜かし、伯爵への信頼よりも自分の静逸を祈るのだな」

「め、滅相もございま――

 言い終わる前に、拳がイカロゼの顔面を襲った。殴られた瞬間、イカロゼの体は宙を舞っていた。

 窓を突き破って、二階の談話室から外へと飛び出し、気がつく頃には急降下していて、魔力で体を強化する前に地面に激突した。串刺すような痛みが全身に広がり、途端に寒気を感じた。

 ——なんだ、今の力は……。あの伯爵、ここまで強かったのか。

 突然の奇襲を受けて、イカロゼは限界を迎えていた。イカロゼは死を覚悟した。

 だが、肉体を這うような激痛は、瞬く間に遠のいていった。

 ——”魔力治癒”?

 急激に回復していく自分の体に驚きながら起き上がると、彼の前方には二人の男が立っていた。

 ——コイツら、何者だッ?

 イカロゼの前にいたのは、パッツァオとシェルマイド・ワンだった。

 外套を被り、毛皮のコートに身を包むシェルマイドが、てのひらから緑の光線をゆらゆらと放出させた。摩訶不思議な色合いであった。その光は負傷したイカロゼの身に吸収されていき、やがてすべての傷が嘘のように消えていった。

「これは……”魔力治癒”ですよね。そのかたは何者なんですか?」

 ”魔力治癒”とは魔力操作の一種であり、魔力を練り合わせることで体の傷を癒すことができる。高等技術として知られ、使える者は少ない。扱えれば、一流の魔術師といえるだろう。

「私の”傭兵”だ——どうだ、ここでひとつ、私と”契約”しないか?」

 ワインを飲みながら、パッツァオがイカロゼを見下した。

「貴様の話が正しければ……テュランは殺さなくても良いだろうな」

「ど、どうしてですか?」

「事情が変わったのだ。ミルさえ捕えられれば万事解決だ」

 パッツァオとシェルマイドは、何かを企んだような薄汚い態度で笑い、ゴミを見るような眼で、地べたに座るイカロゼを一瞥した。ワイングラスを投げ捨て、毅然とした態度でイカロゼに近づく。そして彼の金髪を乱暴に引っ張りながら、彼の眼前にしゃがみ込み、まるでヤクザのような画でこう言った。

「キッキッキー。貴様の因果は素晴らしい。近頃、使えねぇー傭兵が増えて人員を整理してたところだったんだ。オマエが良けりゃ、私の傭兵になるか?」

「…………」

 イカロゼは、震えながら、思わず唾を飲み込んだ。

 提案を断れば、殺されるであろう。迂闊にパッツァオ伯爵と関係を結んだ己の軽率な行動を、今頃になって恥じた。

 残された選択肢は一つしかない。

 イカロゼは、静かに頷いた。

「そうかそうか~。なら私たちは仲間だ。なァ、嬉しいだろッ?」

「う、うれしいです……」

 イカロゼは、今にも泣きそうであった。

 パッツァオは、興奮した様子で鼻息を荒げた。

「貴様は私にとって因果の宝庫だ。貴様のおかげで、”新たな玩具”が発掘できそうだ」

「玩具?」

「貴様の加入を祝して、〈獣人けものびと〉を壊れるまで可愛がってやろうじゃないか。見たいだろ、〈獣人けものびと〉の娘がギャン泣きで殺されるのを」

「ミルを、殺してくれるんですか?!」

 イカロゼが乗り出すように訊いた。長年、恨んできたミルを、眼前の男は殺してくれるかもしれない。そう思ったら、希望が湧いてきた。

「キッキッキー。そうか~貴様もか。私のような性癖を持つ者は少ないからな……嬉しいぞ、イカロゼ!」

 パッツァオは、玩具を与えられた子供のような態度でイカロゼの頭を嬉しそうに撫でた。

 彼は、子供や〈獣人けものびと〉を拷問するのが好きだ。誰にも言えぬような、特殊な性癖を持っているのだ。

 こうして、パッツァオとイカロゼは結託したのであった。

 

 

 

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