第四章②

 昼の日差しが燦々と照りつけている。

 アケローンシティの小川は、くっきりと町の全容を水面みなもに反射し、立ち並ぶ建造物は、人々の熱気を孕んでいた。純粋で澄み渡った空の青さは、太陽の光を全く遮ることなく平野に伝えている。その平野の中心に広がるのが、生命の城、アケローンシティだ。

 アケローンシティを歩く人々の眼差しには、清々しく輝く黄金の景色があった。彼らは、千差万別の民衆である。商人、守護者ガーディアン、職人など。彼らは一挙に集まり、とある反り橋に注目していた。

 雄大な、町の反り橋の上に――二人の〈守護者ガーディアン〉が立っている。二人とも木刀を所持し、激しい剣幕で互いを睨み合っている。彼らの佇まいは、大勢の人間の関心をかき集め、熱狂させた。

「おいおい……あの子供は誰なんだ? 見ない顔だぞ!?」

「あのガキ、終わってるぜ。ヴァイオレット様に喧嘩を売るなど百年早いわ」

「あぁ、死んだね」

「あいつ……〈獣人けものびと〉にくっついてた奴じゃねぇーか」

 テュランとヴァイオレットによる、戦闘訓練が挙行されたのである。

 支部隊長とサシで殺し合う〈守護者ガーディアン〉は、この町にはいない。類を見ないのである。

 アケーロンシティに巻き起こる人々の波は、一種の祭りを催していた。歓声が響き、今か今かと二人の対決を楽しみにしている。群衆の中にはテュランの身を案じる優艶な者もいたが、大半が熱狂の渦に絆されて正常な判断を怠っていた。

 そんな中、ミルはフードを深く被って二人を見守っていた。できることなら対決させたくなかったが、テュランの固い意志に負けて彼を尊重することにした。

 テュランとヴァイオレットは互いに木刀を握り、厳しい目を放ちながら構えた。

「勝ったら……本当に僕らの自由を約束するよね」

「もちろんよ。アケーロンシティのでは、ね」

 そう言い放ち、ヴァイオレットは地を蹴って突進した。風を切るような速さで迫る彼女の動作を目で捉えながら、テュランは木刀を振った。木刀がぶつかる。休む間もなく、二人の木刀は連続的に振り下ろされる。目に追えない光のような剣技が次々と繰り出され、周囲の熱気は急激に上昇した。

「お、おい……ヴァイオレットとやりあえてるぞ!」

「なんなんだあの子供はッ!!」

「人間の動きじゃねぇ……」

 観衆の驚愕を他所にして、二人の剣舞は激闘を繰り広げる。

 ヴァイオレットが一気に距離を詰めてきた。テュランの連撃を軽やかな身のこなしで避けきると、彼のふところに入り込み、石をも砕く右拳をぶちこんできた。テュランは、急いで受け身を取ったが間に合わず、空気を揺らすような大打撃が脇腹を襲った。息が詰まる。うめきながら彼は後退する。剣を落としそうになる。しかし、彼女の攻勢は止まらない。一瞬たりとも追撃の手を緩めないで、さらに迫ってきた。テュランも負けじと堪えきり、刹那の時間に態勢を整える。柄を両手で握り、さらに速度を上げる。宙を飛び、剣技と回し蹴りの怒涛の連撃をヴァイオレットに放つ。空中で剣を持ち替え、攻撃のタイミングと位置を紙一重ので切り替えながら、まさに神業とも称すべき離れ業で反撃を続行する。テュランの嵐のような連続攻撃は、その一つひとつに膨大な殺傷能力を有しているため、さすがのヴァイオレットも苦しい顔で剣を振りながら後退せざるをえない。テュランがヴァイオレットを押し込むという「まさか」の展開に、観衆の一同は驚嘆するしかない。

「駄目だわ。あなたはもっと速いはずよ!」

 テュランの連撃を捌きながら、ヴァイオレットが荒波の怒号を放つ。

「…………ッ!」

 挑発されて癪に障ったのか、辛酸をなめるような表情でテュランが速度をブチ上げる。激しい動きに体が悲鳴をあげようとも、四肢が錆びれたように痛もうとも、テュランはミルの自由を獲得するために己の限界を超えるつもりで動き回る。

 ——勝たなきゃ!

 短い呼吸音とともに、テュランは欄干を蹴って、蜥蜴のような素早い動きで宙に飛んだ。猛勢の乗った動きで、四回転と半回転に及ぶ大旋回を空中で成功させ、ブラフにブラフを重ねた二十四回ものフェイトを織り交ぜた変幻自在の剣舞でヴァイオレットを混沌に落とし込む。こうして混乱の渦に呑まれた彼女の頭部に、彼は満を持していかずちの如く木刀を振り下ろした。

 しかしヴァイオレットも負けてはいない。上半身を捻り彼の攻撃を回避する。テュランは焦る。攻撃を躱されて呆気に取られた。勢いそのままに地面に着地するも、着地時は隙が生まれやすい。無論、歴戦の猛者であるヴァイオレットがその隙を見逃すはずがなく、彼女の強烈な回し蹴りがテュランの腹部を襲った。

 一蹴された瞬間、肉の痺れる感じがした。テュランの体は軽々と遠方に弾き飛ばされた。意識が飛びそうになり、朦朧とする視界の中、なんとか地面に膝をついて呼吸に専念する。血が口から漏れ出て、重苦しい感覚が全身に圧し掛かる。

 聴衆はヴァイオレットの勝利を確信したようだ。今日一番の熱狂が二人を包み込んだ。そんな空気に絆されて、ヴァイオレットが偉そうに口を開く。

「なぜ負けたのかしらね、テュラン」

 ヴァイオレットは、勝ち切ったような目でテュランを見下した。

 勝敗は決したように思えた。

「分からないよ。僕は……ミルのように強くないから」

「そうかしら……なかなかに素晴らしい動きだったけど」

「〈魔夢キーテクト〉を読んだからでしょ」

「確かに一理あるわね。でも今のあなたは、体の使い方を覚えただけであって、体そのものが強くなったわけじゃないわ」

 そう言われて、テュランは己の貧弱な体を見た。

 先程までの動作が夢幻のようだ。たとえ体の使い方を覚えたとしても、実際に体を動かせるとは限らない。筋肉をはじめとする、肉体の”強度”が足りないからだ。

「どうして僕は……ここまで速く動けたの?」

「魔力よ」

 ヴァイオレットが澄ました顔で断言した。

「〈魔夢キーテクト〉を読み取ったことでキミの魔力が目覚めたのね。あなたの体には〈身体強化〉が施されてる」

「じゃあ僕の敗因は魔力不足?」

 テュランが訊くと、ヴァイオレットは首を横に振った。

「負けた理由は魔力じゃない。”想像力”よ。あなたの想像力の無さが、あなたの限界を決めているのよ」

「精神論ってこと?」

「違うわ。私は、魔術に対する最も基本的なマインドを話しているの。魔術とは、術者の表象を具現化することよ。今のあなたは、今の自分の動きが最高速度だと思ってる。内心では、あなたは私に勝てないと思ってる。その腑抜けた感情があなたの〈身体強化〉に反映されてるの」

 ヴァイオレットの声は厳しく威勢がついていた。

「木から離れた林檎は、重力に負けて落下するわ。でも、魔力を使えば宙を飛ぶよ」

「そんなこと有り得ない。現実的じゃない」

 テュランは血を吐きながら、苦しそうに言い放った。負けた挙句、意味の分からぬ戯言を突き付けられて腹が立っているのだ。

 ヴァイオレットは、テュランの情けない姿を見て、眉をしかめて悲しい顔になった。沈痛な口調で、諭すように喋る。

「いいえ。魔術に”現実”は関係ない」

「…………」

「なら逆に訊くけど、≪ママのいえ≫は現実的かしら。キミの術式は物理法則に反してないのかね?」

「…………ッ!」

 テュランは黙ったまま、驚いたように目を見開いた。

「どうかな。気づいたかしら」

 ヴァイオレットは、なにかを企んだような笑みをたたえて、ここでひとつ、温厚な態度で首を縦に振った。彼女は、テュランに気づいてもらいたかったのだ。魔力による恩恵がどれほど偉大で素晴らしいものかを。

「立ちなさい。勝負はまだ終わってないわ」

 ヴァイオレットは、嬉々とした語調でテュランを挑発すると、再び木刀を掲げた。

 それを見て、テュランも渋い顔をしながら、弾かれるように立ち上がった。全身が鉄のように重く感じるが、ここで倒れるわけにはいかない。大きく息を吸って呼吸を整える。神経を研ぎ澄ませる。未聞の大熱戦を前にして、凛々しい表情で構えた。

「さぁ、かかってきなさい!」

 ヴァイオレットの号令とともに、テュランが飛び出した。凄まじい剣幕で彼女の間合いに接近する。二つの木刀がぶつかりあい、轟音が鳴り響く。小柄であったテュランは、転がるように縦横無尽に駆け回り、攻勢を仕掛ける。

 ブラフを重ね、再び彼女を混乱の渦に落とし込む。隙を狙って、不意打ちの一撃を放った。だが、素手で止められた。

「まだよッ! もっと速くッ!」

「———ッ!」

 ヴァイオレットに指摘されて、さらに剣技を加速する。テュランはふところに潜り込み、彼女の背部へ回った。剣に魔力を乗せて、渾身の一振りを放つ。背後を取られたせいで対応に遅れたヴァイオレットは、崩れかけの半身を即座に捻ることで、その一太刀を回避した。

 直後、テュランは、猛烈な吐き気と痛みに襲われた。目を下げれば、木刀で突かれた腹部が目に映る。喉から血が上がってくる。気を失いそうになるが、一縷の光を手繰り寄せるような思いで、彼は持ち堪えた。

「頭を使うなッ! 本能で動きなさいッ!」

 怒号が飛んで、ヴァイオレットが迫る。血走った眼で彼女を視認したテュランは、思考を手放すつもりで剣を振りまくった。

 その姿を、観客たちは信じられない思いで眺めている。

「うそだ。人間の動きじゃない」

「み、見えねぇ……」

「マジかよ」

 いよいよ二者の戦いは、世のことわりに干渉し始めた。

 偏見、バイアス、思い込み、先入観、固定概念……あらゆる足枷あしかせを捨て去った者の身体運動は、千手観音像の如き様相を呈していた。二本の腕が千手に見え、無数に思える斬撃が敵の全身を絶え間なく斬り裂くのである。

 ヴァイオレットは、神のようなテュランの動きに感涙し、戦闘中にも関わらず、極楽の安堵に達した。


 ……………………。


 気づけばテュランは、ヴァイオレットの木刀を真っ二つにっていた。


 我に返った気分だった。熱中していたせいで、しばらくの間、テュランは自分が何をしたのか把握できなかった。眼前には、菩薩のような柔らかな笑みを浮かべるヴァイオレットが立っている。彼女の木刀は、雷に遭った大樹のように破壊されていた。

「おめでとう、テュラン。キミの勝ちだ」

 ヴァイオレットが嬉しそうに宣言する。その瞬間、観客たちがファイヤした。

 その炎に呑まれて、アケローンシティは最大級の熱狂に包まれたのであった。

 


 

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