第三章③

 町の中心を流れるのは、大きな長方形の形をした川だった。川縁の横に広がる道端には、酒場や宿屋といった店が並んでいて春の陽気を感じさせる。川のせせらぎは明晰さを内包し、町の一部に溶け込んだ柳が川岸に柔らかな枝を垂らしていた。

 テュランとミルは横並びになって、街路を歩いていた。テュランは首を左右に振りながら、忙しなく町の様子を観察した。夕方なのに人の数は多く、ミルは縮こまったように外套を被っている。職人らしき男と肩がぶつかった際は、何度も頭を下げて逃げるように歩いた。男は怒鳴ろうとしたが、テュランと目が合うと「気をつけな」とだけ言って踵を返した。二人ははぐれないように手を繋いだ。

「どした?」

「ミル、あそこ入りたい」

 テュランが指差したのは、町の中心に建てられた酒場だった。食欲をかきたてるパンの香りが鼻を伝わり、テュランは興味をそそらえた。客の数もまばらで、休憩するには打って付けだ。

「あの店か……。やめといたほうがいいかもなー」

「どうして?」

「色々あんよ……」

 ミルの顔は相変わらず曇り空だった。濁すような言葉ばかりを吐いて肝心なことは話してくれない。ガーディアン支部を出てから、ずっと沈黙が流れている。林檎の時だってそうだった。

「お腹すいた……」

 テュランが小さな声で呟く。村を出てたら何も食べていないのだ。腹が減るのも不思議じゃない。

 テュランは俯きながら、もう一度あの酒場を示した。

 それを見て、遂にミルが根負けした。

「仕方ない。試してみっか……」

 ミルは大きくため息を吐いた。コクっと嬉しそうに頷くテュランを見て軽く笑みを浮かべる。

 テュランは彼女の手を離し、身を翻して酒場の方に歩き始めた。


「今日は混んでんだ。他をあたれ」

 酒場に入ってすぐ、店員の男がそう言った。店内は涼しい。酒を飲んで楽しそうに談笑する職人たちが伺える。カウンターの中にいる店主も余裕な佇まいをしており、客の入りは三割といった感じだ。

 新来の客を拒否するほど混んでいるようには見えない。テュランは怪しげに店内を見渡した。

「お兄さん。全然空いてんと思うんやけど」

 外套を深く被ったミルが、店員に向かって低い声を放つ。彼女の尻尾が、ふさふさと揺れている。男はミルを一瞥すると、あしらうように舌打ちした。

「予約が入ってんだ。あんたらにやる酒はない。出てけ」

「僕は飲みません」

「関係ない。宿に帰んな。予約があんだよ」

 店員は横柄にテュランたちを拒もうとする。どこか納得いかない。

 アケローンシティを訪問する人々の半分は行商人や旅人であり、シティの住民を差し引いても、事前予約で酒場の席が埋まるようなことはない。そもそも酒場に予約などとという概念があるかすら怪しい。腑に落ちない。

「少年、撤退すんぞ」

 冷たい声でそう言うと、ミルはテュランの腕を強引に掴んだ。テュランは戸惑いながらも命令に応じ、店員に踵を返した。二人は後ろを向く。背中を見せたことで、ミルの尻尾が店員の目に映った。店員はそれをドブのような目で見つめた。

 二人は酒場を抜け、外に出た。夕日が西から差し込み、様々な影が地面を彩っていた。あらゆる建物の形状が克明と反射され、その上をたくさんの人間が闊歩する。テュランとミルは手を繋ぎ雑踏に紛れながら、川岸へと続く階段を降りて、近くのベンチに腰掛けた。目に映るのは光に満ちた川面であり、変哲もない風景ではあったものの、その景色はテュランの心に哀しみをかきたてた。それらの風景のどこに哀愁を感じるのか、本人ですら分からない。でも、ただただ、哀しいと思った。

「こういうことは……よくあるの?」

 テュランが口火を切った。

「あるな。あの酒場みてぇーな店は多い」

 ミルは尻尾を膝の上に乗せると、毛づくろいを始めた。両手でチマチマと毛を触りながら塵を取っていく。

「うちは歓迎されてねぇーんだ」

 毛づくろいをしながらミルが言う。

「ミルが〈獣人けものびと〉だから?」

 テュランが訊くと、ミルは無言のまま頷いた。

 ——やっぱり、”予約”なんて嘘だったんだ。

 二人は入店拒否されたのだ。ミルが〈獣人けものびと〉だから。

「どうして……どうしてミルが」

「少年」

 ミルは目も合わせぬまま、彼の言葉を遮った。

「センソーって知ってるか?」

「うん……大勢で戦うんでしょ」

 テュランが答えると、ミルは毛づくろいをやめて川面に視線を向けた。眼前の運河は西日を浴びて白銀色に煌めている。美しい光だ。

「〈獣人けものびと〉を”神の使者”だと崇める奴らがいてな。そいつらは”神の軍勢”を名乗って、いろーんな国に侵略してんの」

 彼女は光を見ながら言った。

「噂によれば”神の軍勢”の半分は〈獣人けものびと〉で構成されてるらしい」

 テュランはミルの横顔を凝視した。顎の輪郭がスリムに流れ、シュッとした印象を与えている。桃色の双眸から伸びる睫毛はとても長くて、力強い意志を感じさせた。だが、その表情は弱さも兼ね備えていた。

「だから拒否られてるって話。アイツらにとって〈獣人けものびと〉は〈吸血鬼ドラキュラ〉とさほど変わんねぇーんだよ」

「……でもミルは関係ないじゃん」

「そーゆー問題じゃねぇーんだ。少年」

 ミルがテュランと目を合わせた。二人の視線が交差する。

「受け入れるしかねぇんだ。しゃーないんだ」

「……」

 砂で作ったような笑顔を見せたミルが、テュランの銀髪を軽く撫でる。

「もう慣れってから。心配すな」

 付け足すように話した。

 ——慣れることじゃないのに。

 頭を撫でられながらも、テュランはどこか納得いかなかった。村を出たばかりの世間知らずの自分が首を突っ込めるほど簡単な問題ではないことは重々承知している。だが、ミルには自由に生きて欲しかった。先天的な要素で自分を縛って欲しくない。

「ミル、お金貸して」

「?」

 猫のような動きで首を傾げるミルに向かって、テュランはリスのように純粋なまなこで手を差し出した。

「モノを買う時はお金が必要なんでしょ? 貸して」

「何を買うんってんだよ」

「内緒」

 一方的に金を貸すのは癪に障ったが、テュランなら良いかと甘い心に負けて、ミルはルバシー銀貨を一枚だけ彼の掌に乗せてやった。

 テュランはしげしげと自分の手の中の貨幣を見つめながら、目をキラキラと輝かせた。生まれて初めて銀貨に触ったのである。

「うわぁお……」

 無駄使いすんだよ、と小言を言いたくなったが、既にテュランは興奮冷めやらぬ様子で身を翻していた。水を得た魚のような勢いだ。

「ったく……大丈夫かよ」

 ミルは吐き捨てるようにそう呟いたが、実はそれが楽しくないわけでない。はしゃぐテュランを見るのが好きだからだ。

 テュランは十分ほどで戻ってきた。彼は満面の笑みをたたえて、両手で抱えるのが精いっぱいなほどに林檎を多く持っている。ミルは驚いて、目を丸くした。

「買ってきた!」

 テュランが嬉しそうに言う。紙袋の林檎を一つだけ取り出してミルに渡した。ミルはやや混乱気味に林檎を受け取った。

「どーして林檎なんて買うんだよ」

「あの果物屋さんも……ミルには売ってくれないんでしょ?」

「当てつけかよ」

 二人はベンチに腰掛けた状態で林檎にかぶりついた。嫌味を吐き捨てるミルであったが、胸中では嬉しく思っている。林檎はミルの大好物だ。

 このように、ぽりぽりと芯まで食べるミルを見ていると、≪獣化ビースト≫を発動した彼女の凶暴な一面を忘れてしまいそうになる。

「ありがとな」

 がぶり、と口いっぱいに林檎を詰め込んで噛み砕いてから、ミルはようやく満足したようにそう言ったのだった。


 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る