第二章③
「なにが……起きたと言うのだ……」
あまりの惨状に、地主のパッツァオ伯爵は言葉を失い、ハンカチで顔の汗を拭った。ここは、山間に隠れた小さな集落だ。麦畑を収穫することで金を儲け、生活の殆どを自給自足で補っている。百年以上前から存在する村だ。
——そんな集落が一夜で滅んだ。私の村が……。
昨夜、傭兵から連絡があった。村が破壊されたらしい。覚悟はしていたが、この有様はパッツァオの予想を遥かに凌いでいた。村人たちの体には無数の刀傷がつけられている。全身を覆う暴力的な傷跡を見て、拷問好きのパッツァオですら息を呑んだ。彼の顔には、疲労の色が濃く広がっている。そんなパッツァオの様子を見たシェルマイド・ワンが、重苦しい調子で話しかけてきた。
「”
「誰がッ……そんなことを」
パッツァオは怒りの声を漏らした。鋭い目つきで集落を一望する。
「”
「なぜ分かる?」
「〈魔力〉だ。〈魔力〉の痕跡が一種類しか見られない」
シェルマイド・ワンは地面に膝をつくと、〈
シェルマイド・ワンの〈
「——”赤”だ。やはり〈魔力〉の種類が極端に少ない。単独犯と考えて問題ないだろう」
パッツァオは驚愕した。
犯人は、単独で数十名の人間を惨殺したのだ。どんな精神状態だったのだろう。怪物の手が迫っているような気がして、パッツァオは身震いした。
「シェルマイド……つまり貴様は、私の”
「そうだ」
「馬鹿なッ! たかが一匹で”
「だろうな。不可能だ」
パッツァオは、地面に転がっている首無し遺体に目をやった。この地獄を生み出した怪物は、人を殺すことになんの抵抗感を持たない。その残虐性に加え、”
「これは俺の予想だが……」
外套を被ったシュルマイド・ワンが立ち上がり、口を開く。
「”
「——クソがッ。なぜ、よりによって私の村を襲うんだ。どっか他所でやってくれッ」
「だが、この仮説も完璧ではない。むしろ大きな矛盾を抱えている」
「なぜだ?」
「そもそも〈
集落には何十名もの死体が散見される。それらの死体から広がる腐敗臭は、パッツァオの鼻腔にも届いた。とんでもない激臭だ。
「貴様らだって喰わないこともあるだろ」
「あるな。だが、これほどまでに甘い血の香りを吸って、理性を保てる奴などいない。『全部』とはいかなくとも、一人や二人ぐらい捕食するはずだ」
「お前でも……か?」
「あぁ。コイツら、俺の保存室に持って帰ってもいいか?」
「——三人、だけだ」
「うひょー」
パッツァオがそう言うと、シュルマイド・ワンは嬉しそうに笑った。パッツァオは呆れたような態度でシュルマイドを一瞥したが、まったく気にする素振りはない。この村を襲った奴もかなりの狂乱だが、シュルマイドも同様である。内心、パッツァオはシュルマイドのことを忌避しているが、傭兵としての実力は認めている。
シュルマイド・ワンは、パッツァオの知る中で最強の傭兵だ。
だから、一方的に手放すことはしない。貴重な人材だからだ。
「そうだ、騎士はどうなった?」
パッツァオは、周囲を見回した。
「死んでいた。首を切断され、甲冑が焼かれていた。炎系統の〈魔術〉を浴びたんだろう」
シュルマイドは的確に説明し、パッツァオは納得したように頷いた。
「炎系の〈魔術〉は種類も多く、難易度も千差万別だ。〈
パッツァオは一軒ずつ、家を見歩いた。高床倉庫の前で、ふと思い出した。
「倉庫には……”ガキ”がいたよな。”処刑間近”の男児が」
途端に、シュルマイドの表情が濁った。
「パッツァオ、オマエの名簿を見せてもらった。だが……どうしても一名足りないんだ。死体と村人の数が」
「———なにが言いたいッ?」
「処刑のガキは、おそらく生きてる」
パッツァオは眉をひそめた。不信の目をシュルマイドに向ける。
「どういうことだァ? 村人は全滅したんじゃないのかッ?」
「無論、その可能性もあり得る。だが噂によれば、処刑のガキは〈魔術〉を扱えると聞いたぞ」
「——ッ!」
パッツァオは唾を飲むと、親指を噛み始めた。苛立ちを隠せない。そんなパッツァオを責め立てるような口調でシュルマイドは話を続行する。
「ただの子供なら気にする必要もない。だが〈魔術〉を使えるとなると話は変わってくる。そいつの宿す”術式”が何たるか……内容によっては、俺の推察も変化するだろう」
「〈魔術〉のことは知らんッ。子供は私の脅威ではない。気にしなくていい。ガキの一匹が生きていたところで何も変わらんだろがッ。今の私にはどうでも良いことだ」
パッツァオは、自分に言い聞かせるように答えた。死刑囚の存在は薄らと把握していたが、〈魔術〉については何も知らない。
——処刑のガキは、”
疑問が、脳内を駆け巡る。
虫唾が走る。”
「パッツァオ伯爵!」
傭兵の一人が、こちらに手を振り呼んでいる。
「なんだッ」
渋った顔で、パッツァオはシェルマイド・ワンと共に移動した。
「これ、馬の足跡です」
道路脇のぬかるんだ道に、獣のような足跡が見えた。雨は降っていないが、日陰で湿った道は多くの痕跡を残してくれる。
「なぜ馬の足跡だと分かる?」
「指の形が特徴的なんです。熊にしては細すぎますし、鹿にしては太すぎます。車輪の痕は残ってませんが、おそらく馬車のものと思われます」
パッツァオは、シュルマイドの横顔をちらりと見た。シェルマイドは顎に手を添えて答えた。
「行商人……もしくは〈
「Wopikuju!(くたばれッ!)」
麦畑の近くに、家屋の瓦礫が見える。パッツァオは、その一つを持ち上げると、馬の足跡に向かって叩きつけた。大きく息を吸って、彼は呪詛を吐き散らかす。
「馬車のクソッタレが、ガキを拾った可能性がある。今頃、村の惨劇を街に伝えてるかもしれんッ……んあッックソガキがッッ!!!」
パッツァオは、貪るようにオールバックの髪を掻きむしった。乱れにみだれて、浮浪者のようなヘアスタイルに変貌する。
「あの……これからどう――
足跡を発見した傭兵が声をかけようとした時、鮮血が宙を舞った。
シェルマイド・ワンが、傭兵の脳天を素手でぶち抜いたのだ。傭兵の頭はぽっかりと開いて、白目のまま絶命した。頭を潰したシェルマイドの右腕に、大量の血液がどろどろと付着する。彼は、その血液を舐めながら口火を切った。
「ここから一番近い街はアケローンシティだ。処刑のガキも馬車も、アケローンシティに向かっただろう」
「アケローンシティか……」
パッツァオは、どうにか怒りを抑えようと試みた。先ほど息絶えた傭兵の死体を何度も蹴りながらストレスを発散する。彼は、快楽を得るために子供を拷問するような人間なのだ。根本的に何かが欠如している。
「アケローンシティなら知り合いがいる。そいつに仕事を頼んでみよう」
「知り合い? そんな奴いたか?」
伯爵なので金と権力はそれなりに持っている。大金をチラつかせれば、大抵の愚者は交渉に応じてくれるだろう。馬車の行先とされるアケローンシティにも多少の伝手はあるのだ。
「傭兵か?」
血を堪能しているシェルマイドが、それとなく訊いた。
パッツァオは、首を横に振った。
「違う。〈
勝ち誇ったような眼で、パッツァオはシェルマイドを見た。意図を汲み取って、やがてシェルマイドも笑ったのだった。
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