第二章①
テュランの住んでいた村を囲む、ここ一帯の土地を納めるのはパッツァオ伯爵である。パッツァオ邸は、山脈の頂上付近にある。辺境の地に位置するため、俗世間からは断絶されており、まさに秘密の館と言えるだろう。この館で何が行われているのか誰も知らないのだ。
だからパッツァオは、今夜も盛大に”拷問”を嗜めるのである。
「ん~もっと上品に血を吸ってくれないか……私の興を削がないでくれよ」
パッツァオは革製のソファに腰かけ、ワインを片手に優雅にくつろいでいた。眼前には、一人の少女がいる。
その少女は手錠をはめられていた。泣きながら「お家に返してください」と懇願するが、パッツァオは冷笑するだけである。
そんな娘を拘束するのは、長髪の男である。岩石のように硬い身体を持ち、獣のような歯を口に宿している。彼の名は、ルヴァリャ。パッツァオに雇われた傭兵である。ルヴァリャは、杜撰な手つきで娘の頭を引っ張ると、「黙れ!」と怒号を飛ばし床に投げつけた。少女の額から鮮血が飛び散る。それを眺めていたパッツァオは、狂ったように笑った。
「イイ……イイぞ……! 怯えるガキを見るのはこれ以上にない快感だ。最高な気分だ」
パッツァオは、ソファから立ち上がり少女に駆け寄った。膝を曲げ、彼女の顎を乱暴に掴み、顔を鼻の先まで近づけた。ワインを一口だけ舌に転がせ、狂乱の笑みを見せる。
「なァメスガキ。貴様は村に帰りたいのか?」
「———――は、はい。わ、わたしなんでもしますから。おおお願いします。ママとパパとところに帰らせてください……」
「キッキッキ……。悪いなァ~それはムリな話だなァ~」
少女の瞳から絶望が滲みでる。
その双眸を、パッツァオは嬉しそうに見つめる。
「この世界を支配しているものがなにか分かるかァ~?」
「…………」
少女は沈黙した。パッツァオは話を続ける。
「それはなァ、”原因”と”結果”だよォ。どれだけ素晴らしい王様も魔術師も、因果の鎖からは逃げられない。キッキッキ……貴様も同様だ。どれだけ私に祈りを捧げようとも、貴様がここで死ぬ”結果”は変えられない。分かるだろォ~? 分かるかなァ~?」
「うぅぅ……ゥぅぅぅぅぅ!」
「キッキッキ……。泣いたって無駄さ。ぜ~んぶ貴様の弱さと境遇が招いた”結果”なのさァ。すべて貴様が悪いのだァ。せめて生まれてくる場所を間違わなければなァ~。私はキミを殺したい。その意思は”偶然”なのかァ。それとも一種の”原因”が生み出した”結果”なのかァ。”美”とは、”魂”とは……キッキッキ、面白い」
パッツァオは少女から手を離すと、ルヴァリャから果物ナイフを受け取った。それを少女の目尻に当てて恐怖を煽る。少女は肩を震わせ、パッツァオに畏怖した。その態度は、余計に彼の性癖に刺さる。
「あァ……キミを殺すのは惜しい。最近のガキん中では、キミがイチバン可愛い玩具なんだ。でも仕方あるまい。キミがここで死ぬ”結果”は変わらない。ここで終わるのは貴様だァ。光栄に思うがいい。普段はルヴァリャの吸血で絶えるが、オマエは別だ。私が直々に殺してやろう」
パッツァオは果物ナイフを強く握りしめた。殺意が閃いたのである。
「死ぬがいい」
パッツァオが笑いながらナイフを振り下ろした。
ところが、その寸前、部屋の扉が乱暴な音を立てて開けられ彼の手は止まったのだった。パッツァオは訝しげに扉を見る。
「パッツァオ伯爵! 大変です! 村が”襲撃”に遭いました!」
扉を開けたのは、パッツァオの傭兵だった。小柄な青年である。彼はパッツァオの命令により、伯爵の領地調査を任されていた。動物の反乱や敵の侵略に遭った際、すぐさまパッツァオに状況を知らせるのだ。いわゆる連絡係である。
「襲撃? 村の状況は?」
「……全滅です」
「”
「死んでます……。首がありませんでした」
連絡係が素直にそう答えた瞬間、パッツァオの顔色が一変した。鬼のような表情に変貌したのである。
「Juibfuewopikujuijrhaouiufkuapipjifaouimpihfahiaifinmoi!(クソがッくたばれェ失せろ殺すぞォ畜生ッ死にやがれェぶっ殺すぞッ!)」
パッツァオはワインを豪快に飲み切ると、怒りに任せてワイングラスを壁に放り投げた。立ち上がり、オールバックの黒髪を荒々しく掻きながら、親指の爪を噛み始める。額に筋が走っている。
「どう、されますか……?」
触れてはならぬ花にゆっくりと手を伸ばすような慎重さで、連絡係の青年は質問した。パッツァオは爪を噛みながら、落ち着きのない様子で答える。
「私を村に連れていけ。現場を見たい」
「承知しました。馬車でお連れ致します」
青年は丁重に答えると、足早に部屋を去った。それを見たパッツァオは、小さく舌打ちを鳴らすと深呼吸を始めた。自分の怒りを鎮めるためだ。
ようやく怒りが収まってきた頃、ルヴァリャが、少女の処理についてパッツァオに訊いた。
「このガキはどうしますか?」
パッツァオは、厳しい眼光を娘に向けた。もはや笑顔はどこにもない。蔑むような顔つきだ。パッツァオは冷たい声で返答した。
「オマエが全部喰え。血の一滴も残すな」
「私が食べてもよろしいのですか?」
心底驚いたようだ。ルヴァリャの目が大きく見開かれている。
「あぁ。むしろガキの処理は全て〈
ルヴァリャは無言で頷いた。拘束されていた少女は、自分の身がどうなるのか理解したのか震えながら涙を流した。そんな二人を確認し安堵したパッツァオは、静かに部屋を出た。
「お、お願いします! 殺さないでください!」
娘の声が聞こえてくる。
「キャァァァァァァァァァァッッッ!!」
直後、パッツァオの耳に届いたのは少女の悲鳴だった。自分の手で殺せなかったのは不服だが、今はそれどころではない。パッツァオは、気を引き締めたのだった。
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