第4話 声の気持ち
彼の事を、特別に思ってしまうきっかけになったのは、あの一本の電話が全てだったのだと思う。
素敵な声を持つ人、声に一目惚れ、なんて言ったら笑われてしまうかもしれない。
けれど、もしその人が容姿すら完璧だった場合は?
……胸がときめいてしまっても、それは仕方の無いことだと思う。
「―――それでは今日は、オペレーションのモニタリングをしていただきます。聴いていただくのは誰のでもかまいませんので、こちらの席表に書いてある電話機番号を入力して、このヘッドセットマイクで聴いてください」
席表と、モニタリング用のヘッドセットマイクを手渡す。
その時に触れた指先が、少し熱く感じるのは気のせいじゃないと思った。
いけない。ドキドキしてる場合じゃないわ。
仕事なんだから、ちゃんと研修担当として教えなきゃ。
そう自分に叱咤しながら、高村さんに機器の扱い方を教える。
広いフロアにはおよそ五十人ものオペレーターが列ごとに並び、それぞれのコールに対応していた。
オペレーター以外に、SVやSVチーフを合わせれば、このフロアだけで優に七十はいるんじゃないだろうか。最も、ここは注文受付専用フロア、他に問い合わせ窓口と相談窓口専用フロアがあるのだけど。
縦長の区切りされたデスクには各自のデスクトップPCが備え付けられ、電話機と直結したヘッドセットマイクをつけたオペレータの入力によって、次々と注文内容が画面に入力されていく。
今は月末。もっとも注文が殺到する時期でもある。
ひっきりなしにコール音が鳴り響き、対応するオペレーター達の何十もの声がフロアに木霊するその光景は、初めてコールセンターを見る人にとっては圧巻だろう。
モニタリングとは、フロアに居るオペレーターの対応をリアルタイムで視聴する事。
うちのコールセンターでは、本来なら入社した新人社員はまず一週間の知識研修の後、このモニタリングを行う。
けれど高村さんはこの知識研修を、僅か二日でクリアした。前職がテレマーケティング業務に関わりがあったそうで、元々知識があったらしい。まだ研修を始めて二日。けれどたったこれだけの期間で、私は彼の有能さを知った。
頭の回転が早い人、というのをよく耳にするけれど、どうやら彼はその部類の人間らしい。
教える側の私としては、なんともやり易かった。
モニタリングに入る今日が研修三日目。
一ヶ月の新人研修をと園田部長には言われたけれど、このペースでは恐らくそれ未満で終了するんじゃないだろうか。
高村さんに説明をし終えてから、フロアを見渡す。
忙しい割りに、今日は人員が足りていない。研修中とはいえ、私もコールに出るべきだろう。
最優先すべきはお客様だ。
「今日はちょっと忙しいみたいですね。私もコールに出ますので、高村さんはモニタリングをしていてください」
「わかりました。」
にこりと微笑んで答えてくれた彼に、周囲の女性社員からの視線が集まっていた。
この忙しい中、皆コールに出ながらだというのに、やはり高村さんの容姿は目を引くらしい。
柔らかそうな髪に濃いブラウンの瞳、今日は初日と違うライトグレーのスーツで、彼の上品な物腰がより際立っている。これじゃ注目されても仕方ない。
知識研修の間は他のスタッフに会う機会もさほど無かった為、今が彼のお披露目状態。
コールセンターはその仕事の性質上、女性が多い職場なのでものすごい注目度だ。
オペレーター用のデスクには間仕切りがつけられている為、座れば周囲の視線はさほど気にならないけれど、彼が席に着くぎりぎりまで多くの視線が彼に向いていた。
小さく溜息をついて、私は高村さんのすぐ隣にある席に座り、ヘッドセットマイクをつけた。
電話機に自分のIDを入力してログインする。
受信を受けられる状態にした途端、コール音が鳴り響いた。
「お電話ありがとうございます。アリア化粧品、ご注文受付センターの麻倉でございます」
マニュアル通りの第一声、それを発した直後に、強い視線を感じた。
私はお客様への応対を変わらず行いながら、視線の元をたどる。
―――た、高村さん!?
濃いブラウンの瞳を柔らかく細め、微笑む彼。
彼の瞳は、私に向けられていた。先ほど手渡したヘッドセットマイクを、片手で支えて耳に当て、モニタリングをしながら。
も、もしかして……
視線をお客様情報の表示された入力画面に戻し、注文内容を復唱しながら入力していく。
緊張で手が強張ったように感じる。
高村さんてば、もしかして私のオペレーションをモニタリングしてるの?
こんなにオペレーターは沢山いるのに。席表だって渡したのにどうしてわざわざ……
そう思いながら再び彼の方に目を向けると、なぜだかすごく嬉しそうな笑顔を返された。
……やっぱり私のを聴いてるんだわこの人。
思わず顔が熱くなる。
顔を抑えたいけれど、そんな事するわけにもいかないし……
すぐ横で、自分の声を聴かれている。
恥かしいを通り越して、緊張してしまう。聴かれることなんて慣れているはずなのに、相手が高村さんだと思うとどうにも落ち着かない。思えば知識研修の時もそうだった。
私を見つめる彼の瞳が気になって、普段通りにはできていなかったと思う。
どうしよう。他の人のを聴いてくれないかしら……
彼のコールを私がたまたま受けた事が、研修担当に氏名されたきっかけではあるけれど、それを考えると、もう一度聴いているんだし、他の人のを聴いてほしいと思う。
明らかに逃げ腰なのはわかっているけれど。
……まだ、気付かなければ楽だったのに。
少し恨めしい気持ちで、高村さんに目を向けるけれど、やはり極上の笑顔を返された。
なんだか恥ずかしいから、そんなに真っ直ぐ見ないでほしい。
まだ視線を感じる所を考えると、恐らくまだ聴くつもりなのだろう。
モニタリング時間はお昼休憩までの一時間程度。さすがにずっとは聴かれないだろう。
そう思って、私はなるべく気にしないように、応対を続けた。
「大分落ち着いたみたいですね」
言いながら、私は頭につけていたヘッドセットマイクを外した。
それと同時に高村さんもマイクをデスクに置く。
コールが集中する時間を抜けたようだ。フロアに鳴り響いていた音が心なしか静かになり、ある程度忙しさが緩和していた。そろそろモニタリングも切り上げ時かもしれない。
少し早いけれど、お昼の休憩まであと15分ほど。
午前の研修はこれで終わりにしよう。
そう思って高村さんに声をかけようとしたら、ヘッドセットマイクを置いた彼が「お疲れ様でした」と笑顔で私に言った。どうしてか、一瞬言葉に詰まる。
なんていうか、彼のこの顔、私弱いかも……。
「やっぱり麻倉さんのオペレーションは素晴らしいですね。お声も素敵ですし。思わず聞き惚れてしまいました」
にっこりと、微笑まれてそう告げられた。
そんな声でそんな事を言わないでほしい。
今の私、絶対赤くなってるような気がする。声が素敵、だなんてそれは私が彼に持った印象だ。
落ち着いた低めの声質に、しっとりとしたトーン。
話す時の間の取り方が絶妙で、とても心地良い気分にさせられる。
「ありがとうございます……というか、やっぱり聴いてたんですね」
ちょっぴり恨めしく思いながら口にした私に、高村さんはさも当然と言った顔で「ええ、もちろん」と答えた。
「他の方のオペレーションもモニタリングしましたが、やはり僕は麻倉さんが一番良いと感じました。なのでほぼずっと、聴かせていただきました」
……え!?
彼のセリフに、思わず顔がかあっと熱くなった。
ほ、ほぼずっとって……
忙しさでおぼろげになっていたけれど、確かにずっと視線を感じていたような。
私のオペレーションを聴いたのは最初の一本分だとばかり思っていたのに。
「そ、そうですか……」
恥ずかしくてしょうがない。
私は何と言っていいわからず、短い返事だけを返した。
「あ、えと、少し早いですが、今からお昼の休憩を取ってください。丁度切りも良いですし」
居たたまれなさを感じながら、とりあえず切り上げの言葉をかけた。
時間がお昼になると、コールは落ち着いてフロアはかなり静かになる。
それに交代でお昼を取るのがコールセンターのルールだ。
といっても、今の私たちは研修中だから、切りの良い所でとるのが無難だろう。
「麻倉さん、良かったらお昼ご一緒していただけませんか?」
立ち上げていたPCの画面を落としていると、既に片付け終えていた高村さんの声がかかった。
え、と言葉に詰まる私に、高村さんは微笑んだ表情のまま続けた。
「実はモニタリングしていて、いくつか疑問に思った事があったんです。休憩時間に申し訳ありませんが、良ければ教えていただけませんか。僕も中途採用ですし、なるべく早く現場で仕事が出来るようになりたいんです」
……どうしよう。
真剣な表情でそう言われてしまっては、どうにも断りずらい。
誘われて嬉しいという気持ちが確かにある。それがたとえ仕事でも。
だけど周囲の視線を考えると―――正直自分に耐えられるだろうかとも考える。
彼と関われるのは今だけかもしれない、なんていう気持ちも事実で。
どうしよう、と困る私に高村さんが苦笑いした。
「やはり、ご迷惑でしょうか?」
私は心で小さく溜息を付きながら、首を振った。
「いえ、大丈夫です。研修資料を置いてくるので、少し待っていていただいてよろしいですか?」
「はい。わかりました」
そうして私は高村さんと、お昼をご一緒することになった。
恋聲の蝶 国樹田 樹 @kunikida_ituki
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