愛すべき悪

 何かを感じた雪広は家接の体を強く押した。次に彼女の体が感じたのは、痛みでも苦しみでもない。


 ぼんやりと見える家接の姿だった。


「雪広さん、雪広さん!」


 押し倒された家接は重い体のことに気にも留めずに立ち上がる。


 血肉に飲まれた彼女を救い出そうとするが、手は届かない。やがて体は完全に見えなくなって赤黒い球体が完成する。蜘蛛の巣のように張り巡らされていた血の糸は何かが切れたように一瞬で血に戻って地面を濡らすと彼女が飲み込まれた球体はだんだんと体積が小さくなっていく。


「錬炎、満たすまで燃やし尽くせ」


 火傷をしてしまうかもしれないけれど、今家接ができる最大限のことは魔術をこの得体のしれない球体にぶつけることだった。


 魔力はあまりもうないというのに、なんどもなんども魔術で殴る。それでも目の前のそれは表面の肉が焦げただけでダメージになっていない。それでも家接は諦めずに何度も魔術を使った。


「なんで効いてないの」


 さっきと今とで何が違う。


 あんなに効果のあった魔術じゃないか。


 もう何が悪いのかわからずに自暴自棄になりながらもその手だけは止めない。だが、しびれを切らしたかのようにその球体は小さくなることを辞めず、最後に彼女の履いていた靴を一足残して完全に消え去った。




 どんな顔をしてカラ爺に会えばいいのか皆目見当もつかなかった。


 僕を庇って彼女がいなくなったんだ。何をされても返せる言葉が見るかるはずもない。


 家について靴を脱ぐ。手には残された靴を持って彼の部屋に向かう。


 今日も彼は忙しく作業を進めていた。家接に気が付いて思っていたよりも帰ってくるのが早かったと彼は驚いた顔で言ったが、憔悴しきった彼の顔を見てそんな笑顔をひっこめる。


「どうしたんだいそんな顔して。とりあえず座りなよ」


 カラ爺は押し入れから座布団を一つ出して彼の前に敷いた。


 彼は靴を自分の膝に置いて、ゆっくりと自分の経験したことを語る。


「それで彼女はここには戻ってこれなかったのか」


 押し黙る二人。冷静に慌てることもないカラ爺に、何もできなかったはずの家接はぶつけようのない憤りを感じた。


「どうして、そんなに冷静でいられるんですか」


 聞かないと収まらない。自分のことを棚に上げて彼は訪ねた。


「別に冷静じゃないよ僕は。心の中では口にできないような制裁を相手に加えたい、なんてことくらいは思ってるよもちろん。だけど、僕は常日頃から俯瞰的にものごとを見ているだけなんだ」


 そう言って彼は家接の膝にある靴を手に取る。


 それを彼の手に渡すと後ろを向いて一枚の札を取り出す。


「どうして、その靴が残されたと思う?」


「……分からないです」


 札を持っていたカラ爺の手が一瞬煙に包まれて、出てきたのは一匹の鴉だった。


「彼女のその靴には魔力が込められている。ただ相手にしてやられるようなタマじゃないよあの子は」


 鴉は彼女の靴に止まると羽にメッシュがかかった。それで魔力を感知したのか鳴き声を上げながら飛び立つ。


「あの子は僕の使い魔の一人。話はあとでするとしてついていこう」


 カラ爺は家を出るために机に置いてあった何枚かの札を無造作に取って袖に入れると襖を閉める。家を出て鍵をすると車庫に向かっていく。


 だけどそこにあるはずの車はなく、家接は気が動転しすぎて車を置き去りにしてしまったことを思い出した。


「ごめんなさい、車おきっぱです」


「あ、そうか。なら仕方ないね」


 そう言って彼は車庫に取り付けれらていた電気のスイッチのようなところを押す。するとシャッターが開いてさらに奥からバイクが一台顔をのぞかせた。ヘルメットを持って家接に渡すとエンジンをかけて跨る。


「完全に服装を間違えたけど、そんなことを言ってる場合じゃないしね。ほら早く乗ってよ家接くん。行くよ」


 バイクは減速を知らないかのように走り出した。


 家接はとにかく振り落とされないようにと懸命にカラ爺の腰に手を回してくっついているが当の本人は鴉を追うことを第一に、赤信号のタイミングで一度止まる。


「もしもし、緊急事態だ。何人か僕のところに来てほしいんだけどいいかな」


 電話をかけた先は蝋火会。名目上は魔狩師協会の傘下であるもののほとんどそこには姿を現さない、伝統を重んじた組合。トップと面識があるといったような話は嘘ではなく、実際彼が今話をしているのは会長の蛍火久佐だ。


「お前が俺に助けを求めるなんて珍しいな。どうした、あの娘がやられでもしたか?あははっ、それはないか」


「端的に言うなら連れ去られた。やられたと言っても間違いではないかな」


 すぐには返事はなかった。しばらくしてから彼の大声が電話越しに響く。


「二人、そっちに送る。場所はどこだ。どうせ白瀬から聞いたあの新しい奴と関係してるんだろ?仕方ないから手を貸してやるよ」


「恩に着るよ、久佐」


「代わりと言っちゃなんだが、今度会ったら奢ってくれればいい」


「もちろん。それじゃあ、場所はメールで送る」


 電話を切ってすぐにバイクを走らせる。半分くらいしか電話の内容を聞き取ることのできなかった家接も、応援が来ることは分かった。


「言っておくけど、これは全てきみが悪いわけじゃない。半分は僕のせいだ。だからそこまで気負うことはないよ」


 バイクは止まることなく進んでいく。人気の少ない道に出てさらにそこを猛スピードで搔っ切っていくと山道に突入する。山脈というほどの大きさのない小山だが、人が整備した痕跡はない。そんな山の中を鴉は突き進んでいく。


「状況はあまり良くないなぁ」


 独り言のように呟くカラ爺の言葉通り、この山に入ってから感覚的に何か不穏なものを覚える。


 バイクは一つの廃墟の前でスピードを緩めた。


 錆びた門に止まった鴉は一声鳴くと姿を再び札へと戻す。


「ここが雪広ちゃんの連れ去られた場所」


 錆びた車輪、褪せた文字。開くことのないゲート。回ることのない遊具。


 廃墟と化してしまった遊園地がそこにはある。おびただしい魔力がそこには渦巻いていて、彼女の居場所はおろか、彼女を連れ去った存在ですらたどることはできない。


「行くよ、家接くん。夜までには彼女を連れ出そう」


「……はいっ!」


 錆びた門をくぐる。


「今日の入場者、5名」

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