第7話 桃と志吹②


 急な浮遊感を感じたように目を覚まし、目元のタオルをどかして目の前――――

 優しく微笑んでいた彼女がいた。


「…………雫?」

「はあ?」


 視線の先から指が近づいてきて、僕の額を、ぱちんと弾く。


「あいたっ」


 思い出した。志吹だ。僕は今、志吹と遊園地にきていたのだった。


「寝ぼけてないで、平気なら次いくよ。せっかくきたんだから、全部のアトラクションに乗ってやるくらいの勢いで楽しまないと損でしょ。あと、アドバイスだけど、女の子とふたりきりでいる時に他の女の子の名前は出さないこと――分かった?」


「そりゃ分かってるけど……雫ならいいでしょ。僕だってさすがに他の子の名前はまずいって分かるよ」


「雫でもダメだよ」

「雫でも? なんで」


 雫は僕の彼女だ。別の子の名前を出すことを浮気とするならば、こうして志吹と遊びにきていることが浮気と言えるのだけど。


「今はあたしと遊んでるんだからっ、あたしだけを見るのが礼儀でしょ!?」

「…………それもそっか」


 横になったまま、上からの圧に頷くしかなかった。

 志吹の言い分も、まあ、分からないでもない。


「気分はどう?」

「大丈夫かな……ジェットコースターはもう嫌だけど」


「苦手だって認めるんだね?」

「短時間で何度も乗れば苦手じゃなくても『もういい』ってなると思うけど……苦手じゃなくてもね」

「まだ強がってる……」


 ただ、ついさっき苦手だということを認めた記憶も薄っすらとある。夢か現実か覚えていないけれど。なので強がりを強く否定することはしなかった。なんかもうどっちでもいい。

 弱点を教えたくないほど、志吹のことを、天敵だいきらいとは思っていない自分がいる。


「じゃあジェットコースターはやめて……次は……じゃあホラーハウスに、」

「あ、ミラーハウスにしよう」


「ホラーハウス」

「ミラーハウス。もしくは氷点下の世界にいこう。そうしよう」


「ふーん。……絶叫マシンと、お化け屋敷も苦手ってことね」

「誤解しないで。違うから!」


「じゃあ、ミラーハウスと氷点下の世界にいった後でホラーハウスでもいいんだよね?」

「…………。そこまでの時間はないんじゃないかな?」

「あるよ。何時間ミラーハウスで迷うつもり?」


 氷点下の世界も含めて……でも長時間もいれば氷点下の世界は凍ってしまいそうだ。


「もう諦めなさいよ。男の子なんだから覚悟を決めて。ほらいくよ!」

「呪われたら舞浜のせいだからな……!」


 冗談のつもりでもないのに、聞いた志吹がぷっと噴き出した。

 言っておくけど、呪われない確証なんてないんだからなっ!?



 夕方になった。

 一通り、アトラクションを楽しんだだろう。途中、やっぱり言い合いの喧嘩があって、険悪な雰囲気になったりしたけど、遊園地にしたのは正解だった。


 アトラクションで誤魔化し、お互いの気持ちもアトラクションでリセットできる。顔を合わせればさっきの喧嘩を多少引きずってはいたけれど、遊園地の中なので話題は尽きない。次はどうする、あれいこう、なんて話せば、離れた距離も元に戻っていた。


 志吹との心の距離は、昨日よりもちゃんと縮まっていた。

 帰りは一緒の電車に乗る。車内は人が多かったので僕たちふたりに会話がなくとも変ではなかった。地元の駅まで帰ってきて、改札を出ると迎えてくれたのは雫だった。


 志吹と同じワンピース姿に薄いカーディガンを羽織って日傘を差している。……これだよ。こういう理由あるオシャレが志吹には足りないのだ。


「仲直りはできた?」

「やっぱり無理」

「ちょっと!!」


 冗談だって。志吹と軽口の応酬。それを聞いていた雫は珍しく目を丸くさせて、


「できたみたいで良かった」

「でも仲良くはないよ」

「いいよ、それで。急に仲良くなれって難しいでしょ? わだかまりさえなければいいの」

「……まったくなくなった、ってわけでもないけどね」


 変わらず、過去は許さない。でも、今と、これからを理由もなく非難する気はない。

 志吹が話しかけてきて、理不尽に無視をすることはない……つもりだ。


「桃くん、すっかりと体調崩さなくなったよね」

「あ、そう言えばそうだね……って、こういうのって自覚したら――」


 忘れていたから一時的に吐き気を感じなかった、わけではなかった。志吹の顔を見ても、以前までの嫌悪感はなく、当然、吐き気が込み上がってくることもなかった。


 遊園地で楽しんでいる内に、内心では認めていたのだろう。志吹はもう『彼女』の妹であると。僕をいじめてきた主犯の印象は、かなり薄まっていたのだ。


「……今日は楽しかったよ、ありがと、志吹」

「ううん、こっちこそ、楽しかった……ありがと。これからよろしくね、桃くん」


 志吹はしばらくしてから「あれ、いま名前で……」と気づいていたが、掘り下げられても恥ずかしいだけなので逃げるように雫に声をかける。


「日傘、僕が持つけど」

「もう日も落ちるし、畳むから大丈夫。さて、疲れてるでしょ? 早く帰りましょ」


 さっきまで明るかったのに、夕方を過ぎれば一気に夜になった。そして、疲れてることを自覚してしまえば、体が思い出したように休息を欲しがった。あくびが出る。すると、僕の横でも同じようにあくびをしている志吹がいた。僕のあくびがうつったかな?


「妹と、弟みたい」


 雫が微笑んでいた。……僕は彼氏なんだけど。



 高校受験を控えたこの一年は、雫とのお付き合いは順調に進み、険悪だった志吹との仲も改善され、受験生にしては勉強以外も充実していた一年だったと思う。


 生徒会に在籍していたおかげで人望もあった。まさか僕が後輩から慕われていたなんて……。雫じゃなくて僕に声をかけてくれる後輩が多かった。


 感謝のメッセージカード、中にはラブレターもあったけど、雫とお付き合いをしていることは公言していたので、告白の答えはいらないのだと思う。

 雫以外に気持ちが揺れる素振りを見せたつもりはなかったのだから。


 三人が同じ高校に受験することになったので、図書室でよく勉強会が開かれた。雫の指導のおかげで受験勉強も苦戦するところはなく――ただ、志吹は苦手分野が多いとのことで、しかめっ面が多かったけれど。


 夏が過ぎ、秋を越え、冬の真っ只中。試験の手応えは充分だった。たとえ落ちてもやれるだけのことはやったつもりだから、悔しくても後悔はない。


 ――そして、僕たちは同じ高校へ進学することになった。


 亜麻色の男子制服。

 桜色の女子制服が特徴的だった。


 成長期を過ぎた僕は、双子よりも身長が随分と高くなってしまった。以前までは目が合ったのに、今では僕が少し屈まないと雫と目線を合わせられない。屈むくらいどうってことないけど、雫の方が小さい、というのが僕の中では違和感だったのだ。


「桃くん、おはよ」

「おはよう、雫。と、志吹も」

「おはよ、桃くん」


 鏡映しのようにそっくりな双子。雫は赤い髪飾りを、志吹は青い髪飾りを付けている。


 去年、志吹との仲が改善されてから、僕の中の違和感は膨らんでいっていた。徐々に、だ――ふたりを見て、雫か志吹か分からなくなっていたのだ。それでも長年の感覚で見分けられていたけれど、今日、確信した――――分からない。


 今、目の前にいるふたりが、どっちが雫でどっちが志吹なのか、見分けられない。


 髪飾りで判断すれば左が雫なのだろうけど……でも。

 意図して作った基準は欺くための道具に使われる、と危惧したのは僕だったはずだ。

 ……それでも。せっかく作ってくれた基準を無視するのはふたりに悪い。


「入学式が始まるよ。いこ、桃くん」

「うん……」


 雫が僕の手を取った。赤い髪飾りを付けた方だから――きっと雫だ。

 僕たちを後ろから眺め、微笑みながらついてくる妹の、志吹。


「あたしのことはいいから、気にせずイチャイチャしなよ」

「うん――また三年間よろしく、志吹」

「はいはい」


 雫に腕を引かれ、新入生の波に乗って進む。



 ――双子と過ごす、高校生活が始まる。

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