第5話 姉のお願い
(安土 桃太郎)3
舞浜姉妹。舞浜雫と舞浜志吹。このふたりを見分けられる生徒はいなかった――僕は、『僕以外』に見分けられた生徒をひとりも知らない。
ふたりの両親でさえ双子を見分けられていないのだ。一応、髪飾りや口調で判別はできるけど、それはふたりが意図的に残した基準だ。
たとえば雫が青い髪飾りをつけて志吹の口調を真似てしまえば、彼女は志吹にしか見えない。
当てずっぽうで「本当は雫でしょ?」と聞いて、「そうだよ」と返事があったとしても本当に雫かどうかも、指摘した側は分からない。
志吹のフリをした雫なのか、志吹のフリをした志吹なのか、判断なんてつかないのだから。志吹のフリをした志吹が、「本当は雫でしょ?」と指摘されて頷けば、これ以上はもう疑われることなく、志吹は雫になれる。なりすますことができる……。なまじ指摘し、肯定されてしまえば、それ以上に疑うという発想もなくなってしまうから――。
だけど僕には分かる。僕だけが見分けられる双子事情がある。
それは付き合いが長いから、なんて単純な理由ではない。それがまったくないとは言えないけど、言い出したら、僕よりも付き合いが長い生徒は他にもいる。
ただ、付き合いが長いことに加えて、僕にしかない特権がある――――それは。
僕は、姉と付き合っていて。
僕は、妹にいじめられていた。
だから、分かる。
「桃くん……どうして私が志吹じゃなくて――雫(私)だって分かったの?」
志吹のフリをして登校してきた雫の、周りのクラスメイトは気づいていなかったけど、僕はすぐに分かった。見るまでもなかった、とは言い過ぎか。さすがに見ないと見分けられない。それでも、僕はふたりを見て、見分けているわけではないのだけど……。
「分かるよ、雫のことだったら。だって僕は雫の彼氏だし」
「そういうのはいいから」
おっと、雫はお気に召さなかったようだ……ここだ、とばかりにちょっとカッコつけたのに……。やっぱり、僕にこういうことは似合わないのかもしれない。
「本当に、理由を教えて。だって見分ける方法がないでしょ。ちゃんと髪飾りだって入れ替えてるのに……話し方だってミスはなかったはず――――なのに」
「理由、か……見た目で見分けてるわけじゃないよ。ふたりの目の前に立てば分かるから。……雫の前に立てば癒されるけど、舞浜の前に立つと、その――」
実姉を前に言いづらかったことではあるけど、雫の急かす視線に堪えられなかった。
「舞浜を見ると、嫌悪感で吐きそうになるんだよ」
「…………そこまで言うか? あたしがなにをしたって言うんだよ」
背後。
雫と入れ替えた赤い髪飾りを付けた志吹が立っていた。前と後ろから、双子に挟まれているけど、天国と地獄みたいにはっきりしているふたりだ。……逆に、僕は見分けられないことが理解できなかった。こんなにも違いが明確なのに。
「――うぷ」
志吹を見たことでやってくる、喉が焼けるような感覚。
吐き気が込み上がってくる。慌てて片手で口を塞ぐ。
溢れた涙で視界がぼやけたが、雫を見ることで相殺する……あぁ、やっぱり雫を見てると癒される……。志吹とは天と地ほどの差があった。
「…………」
「なに、を、ショックを受けた顔、してんだ……。お前はっ、僕をいじめたじゃないか!! ……忘れたとは言わせないぞ……ッ!」
「そ、それは…………そうだったけどぉ……」
いじめの発端であり、主犯なのに……忘れていたように「あっ」と思い出したような顔に思わず手が出そうになったけど、他の生徒がいる前ではさすがにできない……。
一応、僕は副会長だ。もちろん、雫が生徒会長をしている。
雫のサポートをするためだけに就いた役職だけど、肩書きを持った以上は生徒会というブランド、加えて雫の顔にも泥は塗れない……なんとか自力で怒りを収めて手を引く。
怒りで我を忘れていたから――今になって戻ってきた吐き気に限界だった。急いでトイレまで走り、便器に直行、胃の中のもの全てを吐き出す。
手を洗って顔を上げた時に見えた鏡の中の自分は、まるで体重が数キロも一気に痩せたように、青い顔をしていた。
トイレから出ると舞浜姉妹が並んで待っていた。見た目では確かに分からない……というか志吹は早くどこかにいってくれないかな……。これじゃあ無限ループだ。
「舞浜、これで分かっただろ」
「…………あたしを見るとそうなるのね……」
「しんどいんだよ。だからさ、たまに雫のフリをして僕に話しかけてくるだろ? あれやめてくれ。雫のフリをすれば多少は吐き気もマシになるけど、顔を合わせて気持ち悪くなることは一緒なんだ。はっきり言って、迷惑だ。――僕に話しかけてくるな」
ぐ、と身を引いた志吹。身から出た錆だ。僕は遠慮なんかしない。
「僕はお前のことが嫌いだ。大嫌いだ! 雫と同じ顔と声で近づいてくるな!!」
「あたしにだけ当たりが強過ぎるって!! そりゃ理由は、分かるけどさ――普段は雫がいないと頼りないポンコツ副会長なのに、あたしに反撃する時だけ目を輝かせて活き活きしてるし!」
「輝かせてはないよ!? あと頼りないとか言うな! 最近は僕だってそこそこひとりでもできるようになってきたんだから……雫のおかげでね。もう昔とは違う。僕はお前を絶対に許さないからなあっ!!」
志吹を睨みつける。だけど睨んで数秒で胃の中が空っぽなのにまた気持ち悪くなって……口を塞いで目を逸らす。見なければ吐き気もやがて収まっていく……。
「ふぅ……」
「雫っ、こいつのこの態度なんとかしてよっ!」
「…………」
雫は人差し指を唇に添え、考え込んでいる様子だった。
僕たちの小競り合いを見てもいない。しばらく、声をかけても雫は反応しなかった。
『雫?』
やっと――――「はっ」として正気を取り戻した雫。
「ううん、なんでもないよ、って言っても信じないよね。桃くん、これは私のわがままなんだけど――姉としては、妹とも仲良くしてほしい……けど、難しいよね?」
雫のお願いだとしても、こればかりは無理だと思う……だって体が反応してしまっている。この
「うん、無理だね。雫のお願いでも、やっぱり嫌悪感は消えないんだ」
「いつもは弱気なのに、志吹のこととなると強情だよね……じゃあ……もう無理なのかなあ……」
雫の視線が僕からずれて、志吹へ向かう。
姉として……――今は僕の彼女でも、絶対に僕の味方になってくれるわけではない。
僕は彼氏で、志吹は妹で――志吹は家族なのだ。こういう時、優先されるのは僕じゃない。双子の妹は、雫(姉)からすれば半身みたいなものなのだから。
「………………もぅ」
雫の変化は、僕から目を逸らして一瞬もなかった。すぐに視線が僕に戻ってくる。
「ねえ、桃くん」
「…………やだよ」
「そう言わずに。志吹とも仲良くしてあげて…………お願いっ」
両手をぎゅっと包まれる。
昔とは違って僕も身長が伸びた。だから目線は雫とそう変わらない。
雫が前のめりになるだけで鼻先が触れるほど急接近する。「私を見て!」と言わんばかりの綺麗な瞳が近づいてくる。目が逸らせなかった。いや、引き込まれたのだ。
彼女のお願いを断ってこの瞳を濁すことは、してはいけないことだと脳が理解した。
「わ、分かったよ……仲良くするよ……雫が、言うなら、さ……」
「ありがと桃くん!」
とは言ったけど、仲良くすると言っても難しいことは変わらない。志吹を見ると僕は嫌悪感で気持ち悪くなってしまうのだから。
仲良くするために顔を合わせることも簡単なことではない。
僕ががまんすればいいだけではあるけど、顔を青くしながら吐き気をがまんして目の前にいられても、志吹が嫌がる気がする……。
「志吹だけを見るから気持ち悪くなる――のかもしれないね」
雫の考察はこうだ。志吹を意識するから気持ち悪くなるなら、志吹以外の「気を引くもの」で誤魔化せばいい、というものだ。
車酔いと同じで、飴玉を舐めたり人と話すことで車酔いから気を逸らし、気持ち悪さを軽減させる……つまり志吹と仲良くするために「志吹以外に」目を引くものを作ればいいのだ。
確かに、僕が志吹と会う時は町中や学校なので、なんの変哲もない背景に志吹がぽんと出てきたようなもので、志吹だけを意識せざるを得なかったから――。
「ベタだけど、一緒に遊園地でもいってくればいいと思うよ。桃くんも、志吹のことが嫌いでもアトラクションで誤魔化していたら、気づいたら大丈夫になってるかもしれないし」
「遊園地か……。でも、まずは雫といきたいんだけど……」
まだ雫といったことがなかった。志吹なんかよりも雫と――――
「今度いっしょにいってあげるから。今回は志吹といってあげて……ね? お願い、桃くん」
「…………うん、分かったよ…………はぁ」
露骨に志吹を批判する溜息が出てしまった。
「う、……そこまで分かりやすく嫌な顔する? ちょっとはあたしにも気を遣って、」
「気を遣う……? はぁ?」
「っ!? ……うぅ」
僕をいじめた手前、僕からの攻撃には反撃できない志吹だ。予想外だったのは、志吹は僕をいじめたことを、意外と気にして、後悔していたということだ。
気にせず忘れていると思っていたのだけど……それが『志吹』だと考えていた。
でも、実際は……?
「こんなふたりで遊園地にいって、楽しめるのかなあ?」
雫が呟いた。その不安は分かるけど、でも……志吹のことを気にしなければ普通に遊園地だから、楽しめるんじゃないかな……。
仲良くする、という目的を忘れてしまっているので意味がないだろうけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます