第3話 転換期②


 静かになった公園。

 途中で入ってきた低学年の子たちもいなくなっていた。……公園には僕ひとり。


 立ち上がって、雪で汚れた服を叩く。

 雪だけど水なので、薄い防寒着は濡れてしまい、寒さをしのいではくれていない。


 目の前のブランコに座る。靴の中まで雪が入って靴下が濡れている。指先が冷たくて……痛いし、痒いしで……最悪だった。最悪の雪の日だった。


「よっ」


 不意に声をかけられた。

 靴を脱いで中の雪を落としている時、目の前にいたのは志吹――――


「なっ!?」


 重心が後ろへ傾いた僕は、そのままブランコから落下する。

 低いので痛いのは一瞬だけど、頭を打っていたら危なかった。

 ……雪を下敷きにしたので、背中までびちゃびちゃになってしまう。


「なにしてるの? 手、貸す?」

「いや、いらない……立てるよ」


「そう?」と、志吹が隣のブランコに座る。「冷た」と体を震わせていた。


 突然現れた時には分からなかったけど、彼女は志吹ではなくて雫の方だった。

 彼女が見せた髪飾りは、赤だ。


「私は雫の方だよ。桃くんをいじめた志吹じゃないから安心して」

「…………」

「本当に雫だってば。ほら、座ったら? あとこれ……もう冷えちゃったけど、それでも温かいのは感じるだろうから……カイロ、貸してあげる」


 差し出されたカイロを受け取る。

 言った通りにほんのりと温かいだけだったけど、今はこれで充分だった。


 転げ落ちたばかりのブランコに再び座る。

 冷えてしまった体を自分で抱きしめ、マフラーで口元を隠す。


「志吹は酷い子だよね。なんにも悪いことなんかしていない桃くんを、人を集めていじめるなんてさ。志吹の指示通りに一緒になっていじめるみんなも悪いし……親にチクっていいんじゃない?」


 親が嫌なら先生にでも、と雫はアドバイスをしてくれたけど……でも。


「しないよ。だから雫もしないで。これは僕が弱いだけだし……それに、嫌ってほどでも――」

「え、嫌じゃないの?」


 分かりやすく雫が引いていた。


「…………嫌だけど」

「ほらー、嫌なんじゃん。嫌だって言えばいいのに」


「それは……言えないよ。いじめに見えても向こうはただ遊んでるだけかもしれないし……空気が読めないで場を盛り下げるのは……もっと嫌だから」

「桃くんが苦しくても、それはいいの?」

「場が盛り下がるよりはマシかな……」

「ふーん。桃くんはなにも悪くないのにね」


 きぃ、とブランコが動き出した。雫がゆっくりと漕ぎ始めたのだ。


「うひっ、寒っ」

「漕ぐからでしょ……」

「ブランコに乗ったら漕ぐでしょ、ふつう」

「雪の日は漕がないよ」


 揺れるブランコを、両足を地面に着けて止めた雫が目を細めて僕を見た。

 腰を上げ、僕の後ろへ。


「ほい」


 マフラーが後ろに引っ張られ、首が絞まって息が詰まるよりも先に、首に差し込まれた雫の冷たい手のせいで悲鳴が出た。


「ひぃえ!?」

「あははっ、『ひぇえ』、だって……ふふっ、なにそれ」

「い、イタズラするからじゃん……っ!」


 なにするんだっ、と睨みつけるけど、雫はどこ吹く風だった。


 ……僕に人を睨みつけて怯ませる迫力があるとは思えない、と自覚はしていたけどね……。

 雫のイタズラでちょっとの元気は出たものの、時間が経てば暗い気持ちが出てくる。

 どうして僕がいじめられるんだ。

 雫の言う通り、なにも悪いことなんてしていないのに――――


「桃くん、うちくる?」

「え?」


「志吹のせいで汚れちゃったし、体も冷えてるでしょ。大丈夫、志吹は別の子の家にいってるから夕方まで帰ってこないよ。うちで遊ぼ。嫌ならいいけど……。あーあ、せっかくのお休みなのに、家でひとり、ゲーム三昧なんて……」


 ちら、と期待したように僕を見てくる。


「嫌そうに見えるけど……それ、良い一日じゃないの……?」

「ひとりで、かー……寂しいなあ……」


 うろうろと、僕の周りを歩く雫。言え、という圧が強かった。


「…………分かったよ、いくよ。家までいくから、その……遊ぼ」

「しょうがないなあ」


 と言いながら、嬉しそうに雫の手が伸びてくる。当然、僕はその手を掴んだ。

 ぐっと引かれ、ブランコから立ち上がった――雫と距離が詰まる。

 雫の方は気にした様子もなくて…………


「お昼も食べていきなよ。あったかいうどんがあった気がする……お母さんに聞いてみないと分からないけど」

「うん…………あれ、ひとりじゃないの?」

「お母さんはいるでしょ。お父さんはいないよ。……安心した?」


「……別に。いてもいいじゃん」

「嘘。いるよ」


 と言われて、体が反応してびくんと跳ねた。お父さんがいても別にいいじゃん、とは思っているけど、いざいるとなると緊張する……。


 近所だし、同級生だし、だから雫のお父さんとも顔も合わせたことだってあるけど……でも、女の子の家にひとりでいくとなると、やっぱり……。

 僕なんかが入っていいのか、と気になってしまう。


「それも嘘だけど。本当にいないから緊張しないで」

「…………雫……」


「怒らないでよ。ちょっとからかっただけじゃん。こういう耐性、つけておいた方がいいんじゃない? あと、寒いから手を繋ぐけど、いいよね?」

「手袋は?」

「そんなの雪で濡れて使い物にならないし」


 と言うので、出された雫の手を握る。当時は雫の方が大きな手だった。

 彼女の手に包まれる。冷たいと言いながらもあったかい手だった。


「下、滑るから気をつけ、」

「え? うわっ」

「――ほら、滑るから気をつけてって言ったのに……良かったね、手、繋いでて」

「うん……ありがと、雫」


「志吹の尻拭いのつもりだったけど……桃くんって、どうしてか放っておけない『人の庇護欲を誘う』なにかを持ってるよね……」


「? ごめん、よくわかんない」



 ――よく覚えている。


 雪の日だった。小学五年生の二月だった。


 この日を境に、僕と雫の距離は縮まっていったのだ。

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