第506.5話 新九郎は、嫡男誕生を望まない

天正8年(1580年)6月上旬 越前国府中城 浅井信政


叔母上がお帰りになり、俺は福居に行くための準備に取り掛かる。だが、正直な気持ちとしては行きたくない。行った所できっと、また母上と喧嘩になるだけだ。そう思うと、やはり心は重い……。


するとその時、この部屋に誰かがやってくる気配を感じた。


「殿……」


「香菜か。どうしたのだ?そのように思い詰めた顔をして」


そうは言っても、実の所はおおよその見当が付いている。きっと、俺と叔母上の話が城内で広まり、香菜の耳に入ったのだろう。さて、どうしたものか……。


「畏れながら、申し上げます。わたくしへのお気遣いは無用にございます。どうか側室をお持ちくださいませ!」


涙目になってそう訴えてくる香菜に、俺は申し訳なく思う。悪いのは、子供を求めない俺であって、香菜ではないのだ。それなのに、かように悲しませてしまっている。


だけど……俺は心に決めている事があるのだ。曲げるわけにはいかない。


「香菜……そなたにも何度も申しているが、俺は側室を持つつもりはない」


「どうしてですか!このまま、跡取りが生まれなければ、浅井家でお家騒動が起きる事は、殿ならお判りでしょう!?わたしと体の相性が悪いのですから……どうか、もう他の方と……」


それ以上は言葉にする事がかなわず、泣き出した香菜を俺は本当に済まないと思いながら抱きしめた。そして……もう仕方なく、心に決めている事を話した。それは、この浅井家の家督を俺の次の代で兄上にお返ししたいということだ……。


「あの……武衛様に、ですか?」


「そうだ。本来であれば俺は次男で、この浅井家は兄上がお継ぎになるべきだったのだ。だから、俺はこのまま子を儲けずに、兄上の子を養子に迎えたいと思っている」


「ですが……武衛様は、お義父上様が城中の侍女にお手を付けられてお生まれになられた方ではありませんか。それに、今では名門斯波家の御当主で、70万石の大大名。こう申してはお叱りになられるかもしれませんが、それこそ要らぬ気遣いなのでは?」


「わかっている。たぶん、兄上もお喜びにはなられないだろうな。いや、寧ろ叱られるかもしれぬ……」


「でしたら……」


「だが、香菜には申し訳ないが、どうしても俺の気が済まないのだ。兄上は俺なんかよりもずっと優れているし、俺なんかよりも100万石の主に相応しいお方だ。だから、どうしてもその事を考えると……」


それ以上は口にしないが、いざ香菜とそういう事をしようとしても、俺のアレは起き上がろうとはしてくれないのだ。本当に、情けない事ではあるが……。


「だから、側室を持ったところで俺に子を作ることはできないだろう。そなたには誠に申し訳ないが、もうこの話はこれ以上しないでくれ」


だが……全てを告白し終えたその時だった。部屋の入口に松永弾正殿がお立ちになられていることに気がついたのは。流石にこれは無礼であると思い、俺の頭に血が上った。


「弾正殿!立ち聞きとは無礼千万!一体、いかなる理由か!」


「いや、なに。この城の主である寧々様より、若殿のご様子を見るように言われておりましてな。これも主命なれば、ご容赦を」


しかし、ニヤニヤ笑みを浮かべているその姿は、不愉快そのものであった。ゆえに、「下がれ!」と命じたのだが……弾正殿は「よろしいのですか?」と俺に訊ねてきた。


「先程のお言葉が事実とすれば……武衛様は、大納言様のお子という事になるわけで、寧々様が不倫でもしていない限り、斯波のお血筋ではない……そういう事なのでしょう?」


そして、このまま口封じもせぬまま下がったら、あちらこちらに言い触らすと脅してくる。公になれば、兄上のお立場が危うくなるだけに、俺は弾正殿に逆らうことができなくなった。


「……それで、何がお望みだ?」


「そう身構えずとも、簡単な話ですよ。これから申し上げる某の提案に耳を傾けて頂ければ、それで……」


「提案?」


何だろうかと思っていると、弾正殿は「要は男児を産まなければ、よろしいのでしょう?」と言ってきた。


「姫であれば、武衛様のお子を婿にして、孫にお市様のお血筋を繋げることができます。如何ですかな?これならば、香菜殿も悲しい思いもせずに済みますし、若殿のお望みにもかなうのではございますまいか」


その提案に俺は「なるほどな」と思った。だが、果たして狙って姫を産ませることなどできるのであろうか?


「その辺りはご心配には及びませぬぞ。某の理論は、すでに寧々様の時に実践済みですからな。9割9分9厘……お望みは叶いまする」


そうか。ならば、それも悪くはない。見れば香菜も頷いている。俺はこうして弾正殿の指南を受けて、姫を儲ける事を決めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る