第461.5話 越後の龍は、最期の時を……
天正6年(1578年)2月中旬 越後国春日山城 上杉謙信
近頃、上野が何かと騒がしい。軒猿からの知らせによれば、三郎が密かに北条らと会っていて、よからぬ事を企んでいるようだ。何でも、虎千代丸こそが正統な上杉の跡取りなのだから、喜平次に家督を返上させて、自分がその後見の座に座ると望んでいるようだ。
「あの、たわけめが……」
密書を折りたたみながら、我はそう呟いたが……もうこうなってはどうすることもできない。何とか思い止まって欲しいと願っても、例え諫める書状を送ったとしても、三郎は止まらないだろう。
ならば、もう我が迷う必要はない。鈴を鳴らしたことによって現れたお船に告げる。軍議を開くので、重臣たちに使いを出すようにと。
「ですが、御実城様。今日はかなりお飲みになられているのでは?」
そういえば、そうだったなと……目の前に転がっている徳利を見て思い出す。だが、この程度ならば、いずれ酔いは醒めるであろう。どうせ、すぐに集まれるわけではないのだから。
「畏まりました。では、開催は2刻(4時間)後でよろしいでしょうか?」
「うむ。遠方におる者はまたでよい。取りあえず、方針を確認したいから、城下にいる者だけ集めてくれ」
時期的には三国峠の雪はそろそろ解けるかもしれないが、いずれにしても、武具・兵糧の準備があるので、すぐの出陣は難しいだろう。それに、能登に虎千代を送る段取りも同時並行で進めなければならないのだ。今日はそれらに対してどう準備を進めるかを確認するだけで十分だ。
「御実城様、申し上げます。能登より寧々様からの文が届いております」
「そうか。では、入るが良い」
「はっ!」
そして、部屋に入ってきたのは、与六であった。
「どうぞ、これを」
「うむ」
差し出された文に目を通すと、能登で起きていた畠山の旧臣たちの反乱は平定したので、早く虎千代を連れて来るようにと記されていた。さらに、美味しいお酒を見つけたので、一緒に飲もうとも……。
「ほう……美味しい酒か。それは楽しみだな」
「御実城様?」
「ああ、すまぬ。寧々がうまい酒を見つけたから飲もうと誘ってきたのだ。だから、つい独り言を漏らしてしまった。忘れよ……」
「はっ!」
「返事は書くが……その前に厠に行ってくる。悪いが、そなた……暫し後にもう一度来てくれるか?」
「畏まりました。では、所用を一つ済ませてから改めて参ります」
与六はそう言って、この部屋から去ろうとした。それは、別にいつもと何か変わったわけではない。だが、どういうわけか、我は「待て」と気がつけば言っていた。
「御実城様?」
「え……ああ、特に何か用があったわけではないはずなのだが……何か言わなければならないようなことがあったような気がしてな……」
「はぁ……」
あ……ダメだ。これは呆れている顔だ。きっと、「これだから酔っぱらいのおばあちゃんは物忘れが激しくて困る」とでも思っているのだろう。何か言わなければ……。
「与六よ……。お船とはどうなのだ?上手く行っておるのか?」
「え……そ、それは……」
「そうか。中々、前に進まぬか」
「はい……」
「だが、諦めるでないぞ。そなたがお船と一緒になれば、それは必ずこの上杉のためになる。その力で、どうか……喜平次を支えてやってくれ」
「ご、御実城様!?い、一体どうしたのですか!ま、まるで、遺言のような……」
遺言……か。もしかしたら、そうなのかもしれない。寧々が申していた我の命日は、もうすぐそこまで来ているのだ。ああ、いかん。どうやら飲み過ぎているようだ。
「とにかく、頑張れよ」
それゆえに、些か照れ臭く感じて、我はその一言だけ与六に告げて、逃げるように厠へ向かった。後でまた顔を合わすが、その時は酔っていた時の言葉として、知らぬ顔をしよう。そう思いながら、厠の扉を開けた。
しかし……その時不意に、首筋にチクリと痛みを覚えた。
「なんだ?」
虫に刺されたわけではない。まだ今は冬で、いるわけがないのだ。だから、その先を見つめた。そして、そこには一人の侍女のような者がいたが……
「う……」
ダメだ。頭がくらくらして、意識が保てない。そして、その場に崩れた我は床の冷たさを感じながらも、やがてそれすらも感じなくなり……。
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