第399.5話 弥八郎は、「馬鹿娘」が只者ではないことを知る

天正4年(1576年)11月上旬 若狭国後瀬山城 本多弥八郎


寧々様が出立なされて、俺は与えられた役目を果たすために莉々姫の部屋に入ると……既にそこはもぬけの殻だった。


「うそだろ……たった今、叱られたばかりなのに……」


与えられていた宿題は、主に書物の書写だと聞いている。対象となる書籍は机の上に積まれていたが、『古今和歌集』に『論語』、それにどうやって手に入れたのかはわからないが……礼儀作法の心得が記されている『幻庵覚書』まである。


あれ……?他にも『貞観政要』まであるぞ。必要あるのか?


「まあ……そんなことよりも、まずは莉々姫を探し出さないとな……」


40近くにもなって、隠れん坊に付き合わされることになるとは思いもしなかったが、かといって放置するわけにはいかない。そんな事をあの女狐に知られてしまえば……またどんな嫌がらせをされるかわかったものではないからな。


だから、あちらこちらをさまよった挙句、莉々姫の侍女を務めるお通殿を見つけた時はホッと胸をなでおろした。彼女ならば、その居所を知っているはずだと。


「え?姫様がどこにいるか……ですか?」


「そうだ。そなた、知っているのであろう?」


「それは……そうですが……」


「言わねば、寧々様が戻って来たときに、そなたの事も伝えるぞ?莉々姫様の逃走に加担したとしてな」


「お、お待ちを!誰もまだ教えないとは言っておりませぬ!」


聞けば、お通殿は以前に、莉々姫様を庇うあまりに打ち首寸前まで行ったことがあるそうだ。それゆえに、俺がこうして少し脅しただけであっさりと居場所を吐露した。


莉々姫様がおられる場所は……


「若殿様の部屋だと?」


「はい……こちらに戻られてから気鬱気味な茶々様をもっと労わるようにと、助言をされるそうで……」


助言!?全くもって意味が分からない。「される」のではなく「する」だと……?


「弥八郎様……ご無礼を承知で申し上げますが、姫様はああ見えてもお優しく、気遣いもできる方です。ですので、どうか……暖かい目で見て頂けませんか?本当に良いお方なのです……」


「そうなのか?」


……そういえば、俺の莉々姫様に対する理解は、寧々様の側に立ったものだったと気づいた。ゆえに、このお通殿の言うとおり、見方を変えれば違う一面があるのかもしれない。


ただ、それもあくまで仮定に過ぎないため、俺は直に自分の目で見て判断を下すために、今言われた若殿様の部屋へと参る。すると……しばらくして、子供たちの賑やかな声が聞こえた。


「莉々姉様!もう一度見せてもらえますか?できれば、少しゆっくり目で……」


「いいわよ、茶々。じゃあ、まずはカエルを作るから、いっしょにやろうね」


「はい!」


縁側に茶々姫と座る莉々姫様は、若殿様への助言を終えたのか……今はどうやらあやとりを茶々姫様に教えてあげているようで、その様子を若殿様が優しい目で見守り、於義伊様と石松丸が目を輝かせながらワイワイ声を上げて、微笑ましくも楽しんでいる様子が窺えた。


なるほど……お通殿が言っていた「優しく、気遣いができる」というのも、まんざら嘘ではないのかもしれない。


しかし、そんな暖かい時間も、俺が姿を見せたことで終わりを迎える。


「あ……みんなごめんね。今日はここまでみたい……」


「「えー!!」」


莉々姫様は俺の姿を見るなり、渋い顔をされて……でも、潔く宿題に戻るため、席を立たれた。


「よろしいのですか?何でしたら、今日はこのまま見なかったことにしてもよろしいですよ?」


「いいえ。それでは、弥八郎が母上に叱られてしまうでしょう。あの子たちと遊んであげることも大事ですが、だからといってそれはわたしの本意ではありません」


「左様ですか……だったら、最初から居なくならないでください」


「ごめんなさい。母上を見送る場にいた茶々の表情が気になったから、ついお節介をかきたくなったのよ……」


母親が凄すぎるからこれまでわからなかったけど、この莉々姫も相当なお方には違いないのだろう。若くして才能を認められて、大領を与えられた武衛様の事といい……本当に若狭浅井家は、凄い家だ。

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