第323.5話 十兵衛は、遠江の顛末を主上に報告する

天正2年(1574年)2月中旬 京・内裏 明智光秀


遠江で起こった事態の一部始終を関白殿下に報告したところ、どういうわけか俺まで内裏に参内することになった。


何でも、日頃より東郷局様の『主上の御心』を盾にした傍若無人の振る舞いが公卿方の間でも問題視されていて、俺に証言させることで主上をお諫めしようということらしい。特に『錦の御旗』を勝手に使用するなど、あってはならない事として……。


「しかし、殿下。綸言汗のごとしと申されるのに、一度下した御宸翰を取り消すことなどできるのでしょうか?」


「取り消すのではない。東郷局に使用を制限する詔を新たに下すのだ。さすれば、あの女の頭も少しは冷えるだろう。愚かな者ではないので、あとは自分で身を律するはずだ」


「なるほど……」


……などと、相槌は打ったものの、半兵衛殿からは「失敗を何度もして、恥をかいているのに、いつになったら身を律して酒を止めてくれるのか」と聞いているので、殿下の試みはきっとあまり意味はないだろうな、と思っていたりする。口にはしないけど。


しかし、そうして殿下の後ろを歩いていると、どうやら主上のおわす清涼殿に到着したようだ。


「お上。遠江の顛末について、新選組局長・明智日向守が報告に参りました。お目通りのお許しをいただけますでしょうか?」


「うむ、許そう」


「ははっ!畏れ入ります。では……日向守」


「はっ!では、申し上げます」


目の前の御簾の向こうに主上がおられると思うと、緊張して何度も声が震えそうになるが、東郷局が徳川とのいくさで『錦の御旗』を掲げたこと、そして……『主上のお心』という立場を悪用して、三河守殿を私怨で裁こうとしたことをお伝えした。


そして、あとから武藤殿から聞いて驚いた『京の市中を300回引き廻した上で、六条河原で嘘つきの舌を引っこ抜いた状態で逆さ磔の刑』を初めは言い渡そうとしていたことも付け足すと、主上は大笑いされた。


「おもしろいのう。三河守は一体どれだけ恨みを買うような真似をしたのだろうな」


「お上、笑い事ではございませぬぞ。これでは、御身の名誉にお傷が……。どうか、東郷局には、御宸翰の乱用を戒めるお言葉を賜りますよう……」


関白殿下は、ここが勝負所を言わんばかりに、御簾の向こうにおわす主上に少々強めに言上された。だが、どうしたことか。主上はこの進言を却下された。「その儀に及ばず」と仰せられて。


「お上!」


「よいではないか、二条よ。朕は東郷局を我が分身だと思うて、その行く末を楽しんでおるのだ。咎め立てせずに、好きに使わせてやるが良かろう」


「しかし……それではお上の名誉が……」


「ふふ、損なわれると思うておるのか?だとしたら、それは間違いだ」


「間違いですと……?」


「二条よ、考えてもみよ。かの者が朕の心だと皆に命じる。あるいは、朝廷の軍勢と称して錦の御旗を掲げる。……これに従う者は皆、朕の権威を認めてくれておるということだ。この御所の塀が壊れているのに、誰も見向きもしてくれなかった頃を思えば、素晴らしいとは思わぬか?」


そうか。主上が東郷局様に「我が心」と御宸翰を下されたのは、そういう思惑があったのか。なれば、傍若無人ともいえるその行動も、全部朝廷の存在感を高めるという点で多大なる貢献をしていたということだ。その深慮遠謀には心が震えた。


「よって、日向守よ。これからも東郷局から目を離さずに、知ったことは朕に伝えよ。よいな?」


「ははぁ!」

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