第205.5話 佐吉は、取り残された近江で路頭に迷う

元亀元年(1570年)8月中旬 近江国坂田郡 石田佐吉


父上が帰ってきた。今日は、御主君であらせられる京極様からお呼び出しがあったそうだから、何かお土産があるのだろうと楽しみに玄関先に迎えに行く。しかし……


「すまぬな、佐吉。それどころではないのだ……」


父上は、とても青ざめた顔をして、ボクの頭をなでてはくれたが、そのまま奥の部屋へと向かわれた。供をされていた一番上の兄上と一緒に。


「ねえ、お城で何かあったのかな?」


母上に訊いてみたが、答えは返ってこない。だが……しばらくすると、二番目の兄上が帰って来て、玄関先から手招きしてきたのが見えた。


「どうしたのですか?」


「大変なことが起こった。父上と兄上は?」


「今、お部屋で何かお話し合いを」


「そうか……ならば、急ぎお伝えしなければな」


そう言った二番目の弥三郎兄上は、ボクを放って、さらに母上の制止も振り切り、父上たちが籠られた部屋に入って言い放たれた。「もう、議論をしている場合ではないようですぞ!」と。


「弥三郎……?」


「先程、隣村で大野木殿の領地に木下の軍勢が攻め込んだと聞きました。何でも、領地の明け渡しに応じなかったとかで……」


「なに!?」


「ですので、父上。かくなる上は、京極様をもう一度担がれて、我ら近江武士の意地を見せる時では?」


それって……また戦になるということ!?でも、団結すれば、前のように勝てるよね?浅井だって諦めて、越前に逃げたわけだし……。


「その事なんだが……実は、お城で今日通達があり、京極のお屋形様は、今月中にも近江を退去なされて、京に向かわれることと相成った」


「え……?それでは、我らは……」


「我らは……我らには、この上は抵抗せずに、領地を大人しく織田の侍に渡すようにと。それが身のためだと言い残されて……」


「なんだそれ?ふざけんな!!」


弥三郎兄上の激高する声が響き渡った。ホント、ふざけているとボクも思う。これまでずっと京極様に代々仕えてきたというのに、見捨てられたのだ。一体、これからどうすればいいというのか!


「静まれ、弥三郎……」


「兄上、しかし……!」


「わかっている。だが、今はそのような話をしている場合ではあるまい。木下の兵が大野木殿の領地に攻め込んだのだな?それで、大野木殿は?」


「……わからない。隣村を通った行商人が言うには、それは昨日の昼過ぎだったということだ。だから、その後の戦況は……」


「そうか、昼過ぎか……。ならば、援軍に駆け付けても間に合わぬか……」


「父上?まさか……」


そして、弥治郎兄上が驚く中で、父上は決心されたようにはっきりと言った。「我らも決して領地を明け渡したりはしない」と。


「お待ちを!我ら石田は、精一杯集めても兵は50にも満ちません!戦になろうはずが……」


「だが、かの頼朝公は、24名で挙兵して勝利を収めたし、承久の乱のときの北条泰時公も……」


「あの時代とは違いましょう!どうか、お考え直しを!」


「ならば、おまえはこの石田村を木下何某とかいうわけのわからん奴に差し出せというのか!?噂だと、信長が飼っている猿ということらしいではないか!」


「本当に猿がこの坂田郡の大名になるわけないでしょう!どうか、家族・領民のために、もう一度冷静になってお考え直しを!」


しかし、弥治郎兄上の説得は通じず、父上は挙兵することをお決めになった。同じ境遇の国人領主たちにも声をかけるという。そうすれば、新しい領主も浅井のように話し合いに応じてくれるのではないかと期待して。


だが……この期待は、それから半月もたたぬうちにあっさりと打ち破られることになった。ボクたち石田家の者たちは、木下の兵隊に家も村も焼かれて、その後も執拗に追われることになるのだった……。

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