第150.5話 勝蔵は、お仕置きの中で友を得る

永禄11年(1568年)8月上旬 近江国小谷 森勝蔵


ここは、虎哉和尚の学問所。学問なんて、戦場に出たくない臆病者のすることだと思っていた俺だが、今こうしてここで机を前にして、和尚の授業を聞かされている。これは、先日のお仕置きの結果、父に命じられたことだ。ただ……


(はぁ……つまんねぇ。何言っているのか、さっぱりわからん)


本当に同じ人の話す言葉なのかと疑いたくなるほど、その音は頭に入ってこない。


「勝蔵殿。そなたに問うが、『馬の耳に念仏』とはどういう意味であるか、答えてくれぬかのう?」


「……知らねえよ、そんなこと」


「かぁあっつ!それは、今のおまえさんのことをいうのじゃ、この馬鹿たれが!その意味が何であるのか、庭で草をむしりながら考えておれ!」


ああ、またきっとこの話が親父の耳に入って、今夜も叱られるのだろうなと思いながらも、正直な話、ここで正座をして理解不能な念仏を聞いているよりかはマシだと、どこかでホッとした。


そして、授業が続く中で俺は一人庭に降りて草をむしる。やはり、座っているよりか、こうして体を動かしている方が性にあっているらしい。しかし、そんな風に時間を潰していると……見慣れない童がいつの間にか俺がさっきまで座っていた席にシレっと居るのが見えた。


(なんだ?あいつは……)


だが、そんな童は俺とは違って、和尚の話を一生懸命に聞いていた。だから、変った奴だなと思った。自分から好き好んであんなつまらない場所に入っていくなんて……と。


「さて、これで朝の授業はおしまいじゃ。……おや?これは莉々姫様。また忍ばれましたか……」


「えへへ、来ちゃいました♪」


姫?すると、あの童は女の子ということか!?益々、意味が分からんようになってきたぞ。なんで、女が学問をしようと思うのだ?


しかし、そんな莉々姫を見て、和尚はため息を吐かれただけで、それ以上は何も言わなかった。見ると、どこか疲れたような顔をしているような気がしたから、もしかしたらいつものことなのかもしれない。そう思っていると、先日の宴で親父と話していた佐脇藤八郎殿が部屋に入ってきた。


「さて、この後は剣術の時間だ。今日は、寧々様に喧嘩を売った森殿もおられるとか?どちらにおられるかな?」


「俺はここだ!」


俺は声を上げて、その場に立ち上がった。すると、佐脇殿はそんな俺に木刀を放ってきた。


「どうだ?もっと体を動かしたいのではないのかな。よければ、お相手するが?」


「おお!望むところだ!」


木刀を受取り、俺は早速それを構えて、藤八郎殿と正対した。ただ、その瞬間、この人は強いと思った。慶次郎殿の叔父というだけあって、やはり只者ではないということか。


それでも……何度も何度も打ち合った挙句、俺はその藤八郎殿に勝利する。


「いやあ、流石は寧々様に喧嘩を売るだけありますな」


「しかし……あの方には全然敵わなかった……」


「敵わなくてよかったのではありませんかな?目標が高いからこそ、これからも努力できるでしょう?そうなれば、勝蔵殿はもっともっと強くなれるでしょう」


そうだな。確かに、寧々様という高い壁があるからこそ、もっと頑張らなければと思う自分がいる。藤八郎殿は弱いが、剣術の先生としてはとてもいい先生なのだろうと思った。


だが、そんな余韻に浸っていると……


「ねえ、勝蔵兄ちゃん。あたしと勝負して頂けませんか?」


などと言う声が聞こえてきた。少し目線を下げると、そこには先程和尚の顔を疲れたものに変えた莉々姫の姿があった。


「剣が好きなのか?」


「うん!あたし、強くなって、お兄様を守ってあげるの!」


妹に守られるお兄様って一体……などと思っていると、困った顔をした男の子の姿が見えた。なるほど、あいつは和尚の話を最前列で聞いていたほどの学問好きだ。きっと、究極に弱いからこの子は心配なのだろう。


「おい、そこの。情けなくないか?妹に心配されて」


「そうですね。そんな心配はしないで良いと言っているんですが、先程の勝蔵殿と同じでして……」


「それって、俺に喧嘩を売っている……そういうことで良いのか?」


「別に売っているわけではありませんが……」


「いや、売っているな。だから、俺と勝負しろ」


それは何となくだった。何となく興味を覚えたから、俺はその万福丸とかいう小僧に勝負を挑んだ。すると、逃げるかもしれないと思っていたこの男は、「仕方ないですね」と言いながら木刀を受取り、俺の前に立ちふさがった。


「いいのか?妹の前で赤っ恥をかくぜ?」


「かかないよ。たぶん、君はボクには勝てない」


「な……!」


馬鹿にされた。そう思って、俺は問答無用に剣を振った。しかし……


「どこに行った!?」


次の瞬間、万福丸は目の前から消えていた。そして……背後から首筋にピタリと冷ややかな感触が伝わる。


「うそ……だろ?」


容易には信じられなかった。だが、そんな俺に万福丸は種明かしとして、「ボクの方が、体が小さいので……」と言った。おそらくは、それだけ小回りが利くのだと言いたいのだろうが、きっとそれだけではないと思った。


「強いな……おまえ」


「それでも、まだまだ母上には遠く及びませんよ。どうです、森殿。共に打倒母上を目指して、頑張りませんか?」


「勝蔵でいい。これより、俺たちは志を共にする仲間なのだからな!」


そう言って、俺と万福丸は固く握手を交わした。ただ……そこに、もう一つの小さな手が伸びてきた。


「莉々姫?」


「あたしも仲間に入れて。あの鬼は、いつか退治しないといけないから!」


いっつも、あたしだけ叱って酷いのよと言いながら、シレっと仲間に加わってきたこの女の子に、俺も万福丸も思わず噴き出したのだった。

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