37 博愛の魔女
これは、一人の魔女が生まれるまでの物語。
モーガンという人間が産まれるまでの物語。
むかし、むかし、一人の愚者が夢の木に言いました。
「夢の木。夢の木。教えておくれ。この汚らわしい世界を滅ぼすにはどうすればいい?」
愚者の願いを聞き届けた夢の木は一つの果実を落としました。
真っ赤な果実。血の色に染まった果実。
果実は本能に従って、人々を、文明を、全てを食らいつくそうとしました。
しかし、愚者と赤い果実――すなわち、私の行動を容認しない存在がいました。それは賢者の石を手に入れた一番目の子供――マーリンでした。
あの男は私に言いました。
「どうして、君は全てを食らおうとしているのかい?」
私は答えました。
「だって、本能がそうしたいって言っているから。なんというか、生きているって感じとか、栄えているって感じが、とにかく気持ち悪い。全部壊してしまいたい」
すると、彼は笑って言いました。
「それは偏見というものでは、ないかな。本当に全てが醜いかどうか、それは君の目で確かめてみるといい、人間と五百年生活してみて、本当に全てが醜いと感じるなら、その時こそ、全てを破壊してしまいなさい」
私は興味本位で彼の言葉に従いました。
えぇ、そして学んだのです。
人間は私が思っているよりずっと美しいものだって。
時には嘘をつき、時にはいがみあい、時には奪い合う。
全く救いようもない生き物ですが、それでも一人一人がまっすぐ未来を見て、少しずつ、少しずつ、未来へ進む。
そんな生き物なんだって。
彼らに親近感を抱いた私は、一人の少女を模倣して、今の姿になりました。あの子はもう寿命を迎えてしまいましたが……とても誠実で優しい女の子でした。
名前は伏せておきますが、彼女は私に教えてくれました。
広く全てを慈しみ、愛すること。
これを人々は『博愛』と呼ぶということを。
*
「昔話はここまでにしましょう。今は緊急事態です」
モーガンは、席から立ち夢の木を見据える。
「さて、この世界を破壊する為には、あれの活動を一時停止しなくては、なりません」
「どうすればいい?」
シデンが問う。
「木の幹に、強い魔力による刺激を与えて下さい」
「なんだ、それだけでいいの?」
すぐ傍に、紫色の光が走る。
まるで紫電のように。
シデンが抜刀した際に髪が揺れた為だ。
「そういう。分かり安いヤツの方が私は好きだよ」
*
夢の木近辺は、薄暗い森が広がっていた。
どこまでも続く広葉樹の中に一本だけ夢の木という大樹がそびえている。もし、夢の木が魔法植物ではなかった場合、近辺の養分を全て吸ってしまいそうだ。
「夢の木ってさ、ログレシアにとってはとても大切な物なんだろ? それにしては警備が甘くないか?」
キョロキョロと周りの木々を見渡しながら、シデンが呟く。
言われてみれば、その通りだ。
夢の木近辺には、こうして深い森が広がっているものの、警備用ゴーレムなどの監視装置は、一切見当たらなかった。
「警備など要りません。この森に入った大抵の人は、急に引き返したくなるんです。奥に進めるのは、本当に夢の木が必要な方だけですから。あぁ、多分ルシルドなら、この情報は持っているでしょう。あの男は元議長ですから」
「へぇー」
この世界に来たばかりの頃であったら、この様な話など到底信じられなかったが「毎日長さが変わる森」や「時間にとって構造が変わる」客船に遭遇してきた現在「入ると急に引き返したくなる森」に遭遇したところで何も驚かない。
しばらく、進むと夢の木へ辿り着いた。
浮遊島にあるどの建築物より高い大木、見上げてみたが、枝ですら、遙か彼方にあった。
「さぁて、一暴れしますかねぇ」
シデンが刀を抜きながら、木の方へ歩む。
彼女が今から何をするのか――なんとなく予想することは出来た。
身構えながらその時を待っていると、モーガンが耳元で囁いた。
「現実世界に戻って、一段落したら、また夢の木へ来て下さい。真実を見せましょう」
「真実……?」
「あの裁定神が隠している真実、そして、レイ博士の遺産を見せてあげます」
「遺産と、アルシエラ様に関係があるの?」
そう問いかけようとしたが、その前に、夢の木からすさまじい轟音が響いた。
木の方を見ると、とんでもない風景が広がっていた。
なんと、夢の木が空間ごと切り裂かれていたのだ。
木の中央、幹の部分には、時空のハザマと呼ぶべき時空の裂け目が出現していた。
「これは派手にやってくれましたね」
モーガンの深いため息と共に、空間が揺らぎ、夢の世界が崩壊した。
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