第16話 しとは何か
「ふぅ…」
木の上でしばしの休憩。
狼に追いかけられながら、
広大な森を虱潰しに探すのは非効率だと、
体が言っている。
身体的な疲労ではなく、魔力の方だ。
短期間で多く魔法を使いすぎた。
歪みの先の物語の世界での戦闘が本番だ。
ここでの過度な消耗は避けたい。
狼が齧り付いている幹が折れる前に、
方法を考えなくては。
「ひええ…」
鎧を拭いて、
夕飯を済ませた後の何でもない時間。
ユウキは僅かな斜陽で本を読んでいる。
だが何故か、
先程から眉をひそめ手が止まっている。
難しい字でもあるのだろうか。
「ねぇ」
唐突にこちらを向いて、話しかけてくる。
「どうしたんだ?」
「しってなに?」
しってなに。
幼児特有の滑舌で
一瞬何を言っているのか分からなかった。
少したって、
『し』とは何かと訊かれたとわかる。
「ああ、し、しね」
わかったように言ったが、
どの『し』なのか検討がつかない。
「あーでも『し』っていっぱいあるからな、
一体どれのことだ?」
軌道修正がわざとらしくなる。
「あのね、ここのところなんだけど、
あ…読めないか」
悪気は無いのだろうが、少し胸に来る。
「なんかね、そこでおはなしがおわってるの」
「へぇー」
ということは死か?。
「んーそうだなー」
右を説明しろと言われているように、
深堀しようのない言葉を噛み砕くのは難しい。
ましてや幼児に、死を説明するなど。
身近な体験があればやりやすいが、
死が分からないのなら訊いても仕方がない。
ここは自分のを例に出すか。
「死っていうのはな、二度と会えないってことだ」
自分も最初、家族の死が分からなかった。
「顔も見せてくれないし」
父は戦争で死に、母は焼けた家の下、
姉は自分で土を被せた。
だというのに、私は最初死が分からなかった。
おそらくは、漠然としていたからなのだろう。
「声も聞かせてくれない」
二度と会えない、
だけであって自分の心の中では
まだ彼らは脈打っている。
ただ二度と会えなくなっただけ、
話せなくなっただけ。
それが悲しく思えたのは、
心の整理がついた少し先のことだった。
「本当にただ、それだけの事だ」
「え…?」
ユウキは何かに躓いたような顔をしながら、
服に縋ってきた。
「じゃあ、
おじいちゃんにはもうあえないってこと?」
「…」
幼い顔が歪んでいく。
声が滴り涙が響く。
親の気持ちが分かる。
可愛い子の涙のためなら、
死を隠避したくなるのも。
「よしよし」
言い訳のように頭を撫でる。
ユウキの悲しみは何も変わらない。
だがせめて、落ち着けるように。
涙も嗚咽も治まってきた。
斜陽は消え月明かりが差し込んでくる。
ユウキは顔を上げた。
「ごめんなさい」
「いいんだ、気にするな」
撫でる。
「何度でも慰めてやる」
「なんどでも…」
ユウキは確かめるようにそう言った。
「にどと…」
ユウキは何かに気づいたようにそう言った。
「にげよう!」
ユウキは縋っていた服を
破かんばかりに引っ張る。
こちらは微動だにしない。
「おいおいいきなりどうした!?」
「逃げなきゃ!」
「一体何から?」
「ドラゴンから!」
ドラゴンから?。
空想上の生物だ。
だが。
「本当に、来るんだな」
「うん!だから!」
「私は逃げちゃだめなんだ」
ユウキはこちらを振り向き、
話を聞く気になる。
「なんで?」
「私は騎士で、人を守らなくちゃいけないからだ」
「でも…それじゃ…」
腕にしがみついてくる。
「シルファンがしんじゃう…」
ユウキはまた、確定した未来を話すように言う。
「思うんだが、どうしてドラゴンが来ることや、
私が死ぬことが分かるんだい?」
「ん…それはね…」
ユウキはあの本を取り出した。
「これ」
これと言われても、題名も読めない。
「この本にね、シルファンのことが書いてあるの」
「ほう?」
私を象った英雄譚か何かか?。
許可を出した覚えはないのだが。
「どんなことが書いてあるんだ?」
「んとね、まずきょうのゆうがたに
おおかみをたおすってかいてある」
今日の夕方に狼を倒す。
的中している。
狼に遭遇する以前にこの本を見ているので、
後から書いたわけではないだろう。
だがそれ以前に。
「信じよう」
本がどうとかの前に、ユウキを信じたい。
この半日でだいぶ
絆されてしまったように感じる。
「ほんと!?」
「ああ」
「やった!」
外れたとしても恥をかくのは私だけで済む。
「ドラゴンがやってきた時の状況を、
詳しく教えてくれないかい?」
「うん、わかった」
ユウキは文字を指しながら説明してくれた。
まず出現時刻は、曖昧ながら夜。
私が起きた頃には、
村に火が上がっているという。
裏を返せば、
ドラゴンの初撃を私の家は免れている。
方針は固まった。
「村人たちをこの家に集めよう」
「うん!」
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