4-6(終) ナルとハジメのゲーム(後編)



『くっ』

 振り下ろした拳とピストンは、寸前で超振動剣バイブロカタナに阻まれる。しかしナルは体勢を崩し、一気に地上まで落下。地面すれすれで推進器を噴かして体勢を立て直す。隙だ。初めてナルが隙を見せた。

 この機会を見逃す手はない。

 反動を推進器全開で殺し、そのままハジメは急降下。狙いも付けずに小銃の弾をばらまき、ナルに牽制を見舞う。弾かれたように飛び退いたナルの後ろを取り、稲妻のような彼女の起動に必死で追いすがる。

『諦めが悪いのよ! なんでわたしの好きにさせてくれないの!?』

 ……むかっ。

 ハジメは急に、ナルへの怒りに襲われた。なんだその言い草は。散々人に心配かけておいて。戦闘の興奮も手伝って、ハジメの怒りはもう止まらない。気が付けば口が勝手に動いていた。

「好きにさせられるわけないだろ! 勝手ばかり言って!」

『勝手!? なにそれ! ケンカ売ってんの!? こういう時って慰めてくれるんじゃないの!?』

「先にケンカ腰になったのは……」

 推進器の《リミッター解除》。限界を超えた推力を浴びて、一気にハジメは間合いを詰める。

「そっちだろうがあッ!」

 ナルの頭上に躍り出て、そこで《MAF停止》、自由落下の勢いを借りて体重を載せた拳を叩き込む。しかしナルは容易に体を捻り、拳をかわして一挙動にハジメの後ろに回り込む。

『笑って許すのが男の甲斐性っ!』

「いつもいつも笑ってられるかっ!」

 ナルが超振動剣バイブロカタナを振り上げる。今からでは回避は間に合わない。

 ――それならっ!

 ハジメは推進器を逆噴射、背中からナルにつっこみ、間合いを崩す。予想外のハジメの機動にナルは回避も間に合わず、ハジメの背中に押されて吹き飛ぶ。その間にハジメは遁走、ビルの谷間を縫うようにして多層高架道路レイヤーズに入り込む。

「だいたいそうやって一人で辛がって……」

 蜘蛛の巣のように入り組んだ柱と層の合間を飛び抜けながら、ハジメはナルが追ってくるのを待つ。この複雑な地形なら、高機動型増加推進器アクティヴ・ブースターを装備したこちらが有利。

「僕だって辛いんだ! 金も地位も力も何にもなくて、何かしてやりたいのに何もできなくて!」

『何かしてやりたいなんて割にはご飯の支度手伝ってくれたこと一回もないじゃない!』

 ナルの声。通信電波をコンプが分析、発信源は……真下。Y字に別れた道路の分岐点で、下の層から飛び上がってくる赤い影。ハジメは慌てて身をひねる。高速の突きが脇腹をかすめて過ぎていく。その瞬間走る電撃のような痛み。体重がだんだん重くなる。ドレスの密閉が破れてMAFの出力が落ちているのだ。慌ててバックパックからシールを取り出し、傷口に無理矢理貼り付ける。

「それはナルが自分でやるって言い出したんだろ!?」

『それでも手伝ってほしい時くらいあるのよこの鈍感!』

 ぐさり。

 鈍感の一言が傷より痛い。だめだ、気合いで負けてはいけない。萎えかけた気力を振り絞り、ハジメは追ってくるナルを後部カメラに捉える。

「鈍感で……」

 急速反転、そして突撃。

「悪かったなああああああッ!」



   *



 ざわめきが、広がっていく。

 ナルとハジメは気付いていない。いつの間にか、この場末のゲームセンターに、観衆ギャラリーが集まり始めていたことに。

 最初はたった一人だった。彼は偶然足を止め、映し出される戦闘をしばし眺め、その異常なまでのレベルの高さに言葉を失った。すぐさま仲間のゲーマーを電話で呼び出し、観衆ギャラリーは三人に増えた。

 三人が六人。六人が十二人。人だかりは人だかりを呼び、普段ならこんな健全なゲームセンターにやってこないようなちんぴらまでもが、噂を聞きつけて駆けつける。やがて始まる二人の痴話ゲンカ。その間も休みなく続く激闘。巻き起こる歓声。時折漏れる苦笑。

『それから洗濯する身にもなってよね! ポケットにティッシュ入れっぱなしだし! 靴下裏返しに脱ぐし!』

『洗濯は交替でやってたろ!?』

『論点そこじゃないのよっ! だらしないって言ってるの!』

『人のこと言えるか! 座る時あぐらかいて大股開いて……』

『いーじゃない家の中なんだからー。だいたいそれ見て喜んでたのはどこの誰よ?』

『喜んでないっ! 断じて喜んでないぞ!』

『前にお風呂も覗いたでしょー? あーやだわー男ってー』

『覗いてないって! 濡れ衣だそれは!』

 またざわめきが起きる。完全にハジメを捉えたかに思われた超振動剣バイブロカタナが、まるでそれを予知していたかのように突き出された左の手甲ガントレットに弾かれる。反動で互いに距離を取り、ハジメは多層高架道路レイヤーズの上空へ。それを追うナル。

『だいたいハジメは……』

 青空に刻まれるMAF航跡ウェーキの確かな煌めき。ナルはそれを追いかけ、捉えて、放さない。

『馬鹿正直で! カンが鈍くて! すぐうじうじして!』

「ナルだって……」

 再びビル群に飛び込み、絡まり合う空中通路の間を縫って飛び、

「わがままで! 気分屋で! 子供っぽくて!」

 旋回。ナルの姿を正面に。

『大ッ嫌いよ!』

「大嫌いだ!」

 二人は真っ直ぐ激突する。

 超振動剣バイブロカタナ単分子装甲モノモラクルが寄り添い合って火花を散らす。熱い炎を大空に飛ばす。凍り付いてなどいない。眠ってなどいない。ナルの刃は、ハジメの拳は、互いに互いの中心を、貫き通そうと燃え上がる。

「それでも!」

 ハジメは叫んだ。

 全ての力を言葉に載せて。

 自分の持っている全ての想いをただ言葉に託して。

「僕はきみのそばにいたい!」

 衝撃。

 弾かれ合うハジメとナル。お互い推進器を全開にして、反動の全てを抹殺する。そして訪れる一瞬の対峙。惹かれ合い弾き合う二人の均衡点。その奇妙な均衡を。

「歳を取ったってかまうもんか。中年になっても、老人になっても、僕はずっときみのそばにいる。最期の瞬間まで、僕はきみを愛し続ける!」

 叩き壊すために。

「僕が――」

 言葉の後に残された、命の全てを。

「僕が好きなのはきみだけだ! ナル!!」

 拳に託す!

『ハジメェェ――――ッ!!』

 ナルの背中のポッドから、放たれる蜘蛛糸のような無数のミサイル。

「《アクティヴ》!」



 ――本当に。

 稲妻と化したハジメの体は、全てのミサイルをくぐり抜け、捉えた。

 ナルを。

 わたしを。

 ――本当に、あなたは馬鹿正直で、鈍感で、うじうじして。

 零距離ナルに迫った、たった一人の大切なハジメを見つめる。

 ――でも、わたしは、そんなあなたが……

 彼の最後の拳を。

 かわす術は、ない。

 ――大好きだよ、ハジメ。

『《インパクト》ォッ!』

 暗転。



   *



 一瞬、ハジメの世界が寸断された。

 あの時と同じに。いつもと同じに。

 ハジメはパイロットブースから這い出すと、いつの間にか集まっていた観衆ギャラリーに、目を丸くした。あちこちからハジメを賞賛する声が聞こえる。ありがとう。心の中だけで礼を言い、ハジメはすぐさま、隣のブースに駆け寄る。扉を開く。

 ナルは、シートの上に、ぐったりと横たわっていた。

「ナル」

 優しく呼びかけ、彼女を抱き起こす。首筋から脳波リンクのケーブルを抜いてやる。敗北を告げる明滅する画面が、ナルの白くて、まだ十分に若々しい顔を、照らしている。

「ハジメ……」

 ナルは静かに目を開き、弱々しく声をあげた。

「ごめんね、ハジメ……本当に、ごめんね……」

「いいんだ。そんなこと……一緒に帰ろう。ずっと、一緒にいよう」

 ナルの体の震えが、手のひらを通じて伝わってきた。ナルは泣いていた。産まれて初めて、泣いていた。時々息に詰まり、苦しそうに肩を震わせるナルを、そっと抱き寄せる。胸の中に。かつてナルが、ハジメにしてくれたのと、同じように。

「ねえ、ハジメ……」

「……ん?」

「キス、してもいい?」

 ハジメはナルの顔を見た。涙を堪え、必死に笑顔を浮かべていた。

 その姿は、美しかった。

「こんなおばさんになっちゃって……嫌かもしれないけど……」

 ゆっくりと。

「キス、してもいい……?」

 ナルを抱き寄せ、ハジメは唇を、彼女のそれに、触れ合わせた。

 ずっと二人はそうしていた。唇の震えが止まるまで。互いの心が解け合うまで。二人を覆っていた厚い雲が、風に吹かれて消えるまで。

 光が、差し込むまで。

 ずっと二人は、よりそっていた。



4:ナルとハジメのゲーム 完

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