4-5 ナルとハジメのゲーム(前編)
たった一人。
ナルは、「キャリオンクロウ」のパイロットブースの中で、立った一人、明滅する画面を見つめていた。
全て終わった。これでもう、何の未練もない。大丈夫、ハジメは立ち直れる。自分なんかいなくても大丈夫。ハジメは優しいから。素敵な人だから。きっと、いい人を見つけて、幸せになってくれる。
今となっては、もうそれを願う以外に、何もすることはない。
これから、どうしようか。
帰る場所も、待っていてくれる人も、もういない。すべてかなぐり捨ててしまった。
どうしようかな。
「馬鹿みたい」
ナルは自嘲気味に微笑んだ。
「馬鹿みたいだね」
「ああ」
ナルは弾かれたように顔を上げた。誰かが独り言に応えた。声のした方をかぶり見る。パイロットブースの扉が開かれる。外の光が、蛍光灯の無情な白い光が、ナルの瞳に飛び込んでくる。
目を細めたナルの目に映った、逆光に黒く染まった影。
「馬鹿だよ、ナル」
ハジメがそこにいた。
「ハジメ……なんで!」
「電話で、知ってる曲が聞こえた。今時『宇宙大戦アトミック』なんて置いてるのは、大阪中でもここだけだ」
そう。
ここは、二人が初めて出会った次の日に、二人でやってきた恵比須の場末のゲームセンターだったのだ。ナルにとっては、ゲームセンターの音なんてどこも同じだと思えたかもしれない。だがハジメにとっては違う。
ハジメは聞き逃さなかった。
ナルが意図せず漏らした、助けを求める最後の悲鳴を。
それでもナルは視線をそらした。顔を背けた。薄暗いゲームセンターの灯りの下でも、顔を見てほしくない。そう思ったから。
「勝負しよう、ナル」
ハジメは静かに言った。ナルは意味もわからず、ハジメの顔を仰ぎ見る。彼は真剣そのものだった。真剣に、真っ直ぐに、ナルの瞳を真っ正面から見つめていた。
「『
「……なに言ってるの」
「たかがゲーム。でも、こいつは僕らを引き合わせてくれた。なら……僕らが最後の決着をつけるにも、こいつが一番相応しい」
蘇る思い出。心の中をよぎる光景。十五歳だったあの頃の、無邪気だった自分の、全ての感覚が再びナルの中に浮かんでくる。
「きみが勝てば、好きにすればいい。僕はもう何も言わない。でも……僕が勝ったら、そのときは」
神経を研ぎ澄ませば、世界が見える。
「帰るんだ。僕らの家に。二人で」
ナルは大きく息を吸い込んだ。そして細く吐き出した。慢心だ。ハジメの慢心。痩せても枯れても、ナルは生物兵器。フロートドレスで戦うために生み出された生命体。たかが人間が、ハジメが、わたしに勝てるわけがない。
そう。わたしが負けるわけがない。
「いいわ」
ナルは応えた。
「勝負よ、ハジメ」
*
また。
また、ここに帰ってきたんだ。
豊中市
ハジメは地面を蹴り飛ばし、コンプにMAFの起動をコマンド、一気に空に飛び上がる。真っ白なヴィクセン・アクティヴの調子は良好。いつのまにかヴァージョンが更新されてたおかげで、最新の愛機が使える。
推進器全開、西から一気にビル群へ。硝子張りのデザイナー・ビルの影にかくれ、神経を研ぎ澄ます。レーダー波も飛ばさず、ただひたすらにMAF
肝心なのは
網膜投影HUDに
あの時と同じに!
「ナル!」
叫んで空を仰ぎ見る。真上から真っ直ぐ降り注ぐ真紅の閃光。推進器全開。こちらも上昇。右の
「このおッ!」
振り下ろされる
――まずい!
慌ててハジメは《推進器偏向》をコマンドし、その場で大きく宙返り、ナルの腹を蹴り飛ばす。質量千分の一でのキックはほとんどダメージを与えられない。しかし二人は反動で、逆方向に吹き飛ばされる。
『ハジメェッ!』
声。息つく暇もなく再び迫るナルのグルヴェイグ。矢のようなその突撃を、推進器全開で回避する。そのまま目指すは地上。ナルの空中での機動は完璧。ならば機体性能の差を生かして、障害物を頼りに戦うしかない。
昼間に設定された
『痛くしないわ! すぐに終わらせてあげる!』
「
並木の一本を片手でつかみ、それを支柱に回転。真っ正面にナルを捉え――
「《アクティヴ》!」
八十MPSで一気に突撃。相対速度は百三十を越えている。いくらナルでもこの速度はかわせるはずがない。《MAF停止》をコマンド、千倍に拡大された体重の、全て右の拳に込める。
「どっせぇええええええいっ!」
『賢しい!』
ナルは避けない。それどころかさらに加速する。
――タイミングをずらすつもりか!
パンチは当たらない。それを悟るなりハジメはすぐさま体を捻り、ナルの剣の動きに合わせて両腕の
――強い。
脳裏をよぎる絶望を振り払い、ハジメは並木を両脚で蹴りつけた。空中に飛び上がるハジメの後ろで、並木の一部が音を立てて折れ飛ぶ。ナルの小銃を喰らったか。一瞬遅ければああなっていたのはハジメのほうだ。
『ハジメじゃわたしには勝てない』
分かってる。
『絶対に勝てないのよ!』
「そんなことは分かってるッ!」
《重心移動/(8・0)》、急速反転してナルに突っ込む。そうだ、逃げてどうする。勝てないからって逃げてどうする。敵わないからって諦めてどうする。決めたんだ。決心したんだ。
真っ正面から――
「それでも僕は……」
ナルにぶつかるんだと。
左腕の内蔵
――これだっ!
足首のジョイントに接続されていた
こんなものナルが相手では役に立たないはずだ。すぐに気付いて光学処理をコマンドしている。それでもいい。ナルがコマンドリストを検索するわずかコンマ一秒の隙は、ハジメに五メートルの接近を許す。その五メートルで、ナルを射程圏内に――
――捉えた!
ハジメは拳を振り上げて、内蔵コンデンサの充電を確認。リニアレールに回路接続。推進器全開。
「《インパクト》!」
(つづく)
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