2-3 猫 救出作戦



「全くどこの馬鹿だ、今時正面から不正接続クラッキングとは!」

 情報部の中央制御室に脚を踏み入れるなり、健二は部屋中に響く声で怒鳴り散らした。無数の端末とそれに向かい合う技士たち、そして慌ただしく駆け回る助手たちは、副社長の怒りを気にも留めない。そんなものを気にしているほどの余裕がないのだ。

 恵里を引き連れて一段高い責任者席に腰掛けると、健二は正面の主モニタを睨み付けた。EMO社が誇る大規模量子計算機のクラスタ模式表示が中央に陣取り、その脇を数々の伝達事項、作業進行度グラフが彩っている。

 いらだつ健二を冷たく見据え、恵里は落ち着いた声で応える。

「現在のところ、不正接続者クラッカーの身元は不明です」

「分かってるよ! 修辞的疑問文ってやつだ」

「副社長!」

 情報部長が、健二の姿を見つけて駆け寄ってくる。もう五十路を過ぎた彼の額には、汗の一滴も浮かんではいない。さすが老練。混乱の二十一世紀初頭を生き抜いた男の貫禄だ。健二は対抗心のようなものを燃やして、ゆったりと椅子に背中をあずけ、落ち着いたそぶりをして見せた。

「部長、詳しい状況を聞こう」

「はい。本日一一三七、外部からの不正接続クラッキングを第二次防壁が感知。この時点で既に第一次防壁は突破されておりまして、現在は空き計算領域を総動員して侵入ルートの解明と攻撃プログラムの解析に全力を挙げております」

「なんとかなりそうか?」

「正直に申しまして、じり貧です。こちらの監視の目が光ってますので、敵も派手には動けないようですが……それでも解析の予測所要時間は第二次防壁の耐久時間を僅かに上回っております」

「回線の物理遮断は?」

「全ての回線を安全に遮断するには、とても時間が足りません」

「それを聞いて安心したよ」

 どうしてこう、平気な顔をして絶望的なことばかり言えるのだろうか。健二は体を投げ出すようにして背もたれを軋ませた。

「回線を切って後で株主に怒られるのだけは、避けられそうだ」

 冗談でも言っていないと気が休まらない。口元に小さく笑みを漏らした情報部長に視線を送り、健二は小さく手を振る。

「とにかく、なんとかしてくれ。何か許可が必要なら可能な限り出す」

「分かりました。全力を尽くしましょう」

 小さく会釈をして情報部長は仕事に戻っていった。

 健二は技術的なことには全く疎いので、ここにきてもできることは少ない。せいぜい状況を見守るくらいである。しかし、だからといってゆっくり休んでいるわけにもいかない。いざというときに判断を下せる権限を持つ人間がいないと、部下は正式には何もできなくなってしまう。

 どうしても間に合わないとなれば、大規模量子計算機に強烈な量子状態ジャミングをかけて、全てのデータを抹消することも、決断せねばなるまい。大損害だが、データを盗まれるよりはいくらかましだ。

 しかし、一体どこの誰がこんなことをやらかしたのだろうか。EMO社の大規模量子計算機は、明確な自我こそ持たないものの、大人工知能連続体ネクサスの一角を担う、大阪でも最大級のコンピュータだ。理論上は、それと同じかそれ以上の性能を持つコンピュータでなければ、とてもこんな荒技はできないはずである。

 とすると、敵はどこかの大規模企業、あるいは政府筋、でなければ余程大量の小規模コンピュータをクラッキングして無理矢理分散コンピューティングさせているか……

「恵里」

 ひとしきり考えた挙げ句、健二は真剣な顔をして、秘書の名を呼んだ。

「はい」

「コーヒー淹れてくれない? もう喉が渇いちゃって」

 恵里は沈黙すると、冷たく目を細めた。

「……私は秘書であって家政婦ではないのですが」

「ままま、そう固いこと言わずに。頼むよ、ね?」

 渋りながら、恵里は肩を怒らせて出ていった。頭の固い人である。あの、物事を固く固く捉えるところさえなんとかなれば、すぐにでも口説きたくなるようないい女なのだが。

 そのとき、恵里と入れ替わりになるようにして、飛び込んできた女性が一人。栗色の髪に、印象的な深い色の瞳。見間違うはずもない、もちろんナルだが、その形相は必死だ。後ろからとぼとぼついてくるハジメも、沈痛な面もちをしている。

「やあナル、どうしたのそんなに慌てて」

「ねっ、猫がいなくなったの!」

 猫。こちらのトラブルはまたほのぼのしていることだ。

「猫はあっちこっち歩き回るもんだろう? 心配しなくたって、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃない! 危ない所はいっぱいあるんだから……とにかく、立入許可をちょうだい! ランク4の、一番上等なやつ!」

 無茶を言う。ランク4というと、常務以上の取締役級の人物にしか渡されない、館内フリーパスの立入許可証である。おいそれと発行できるものではない。

 露骨に嫌そうな顔をした健二を見ると、ナルは噛み付きそうなほどの剣幕で健二の肩につかみかかった。

「はーやーく! 許可出してくれなきゃどこにも入れないんだから!」

「しょうがないな……わかったから、ちょっと落ち着いて。今ちょっと取り込み中……」

「副社長!」

 情報部長が遠くで声を張り上げた。悲鳴にも似た甲高い音が混じったその声は、事態の急変を告げるもの。弾かれたように健二は立ち上がり、無数の人々の中から、情報部長の姿を探し出す。

「どうした!」

「大規模量子計算機の本体内部に動体反応があります」

 まずい。敵はこっちが混乱している間に、本体の方を狙ってきたとも考えられる。本体の一部ごと、データを持ち去るつもりか。あるいは爆弾でも仕掛けて、交渉の材料にでも使うつもりか。

 いずれにせよ、もう猫なんかにかまっている暇はない。健二は声を張り上げて、機敏に命令を飛ばした。

「計算機本体内部の監視カメラ、映像を主モニタに回せ!」

 主モニタに映っていた模式図の上に、新たに大きなウィンドウが表示される。そこに映し出されたものを目の当たりにして、その場の全ての人間が息を飲む。信じがたい光景。一瞬、理解を拒みたくなるほどの。

『なー』

 鼻をひくひくさせている猫の顔のどアップが、モニタにでかでかと貼り付いていた。



   *



『いいかハジメくん。うちの社員はいま手が離せない。猫の救出はきみにやってもらう』

 体中にベルトを取り付けながら、ハジメはうんざりしていた。ベルトのあちこちには金属のリングがついていて、ここにワイヤーを通してつり下げられるようになっている。大規模量子計算機の本体と、それを取り囲む断熱壁の隙間にある、狭くて暗くて深い暗闇に飛び込むために、だ。

『いま、うちのコンピュータの一区画は、生物の侵入を感知して自動的に停止している。もしこのまま再起動すれば、断熱のために生じる熱で猫は焼け死ぬだろう。しかし再起動しなければ、クラッキングへの抵抗が間に合わない。

 そこでナルの出番だ』

 金属リングにワイヤーを通し、その反対側の先端が、小型のウィンチに繋がっていることを確認する。それを操作するのは、しばらく仕事がないからという理由でくっついてきた恵里だ。今は、きれいな金髪を掻き上げながら、ウィンチのマニュアルとにらめっこしている。

『通常の八十倍の計算速度を持つナルの脳を神経リンクし、停止した区画の代用品として用いる』

「八十倍の計算速度?」

『君が知りたがってたナルの秘密。彼女の脳は我が社謹製の特注品なのさ。

 しかし大規模量子計算機なみの処理を任せるのは、脳に負担がかかりすぎる。長くは保たない。安全が保証できるのは五分まで……それが過ぎたら、僕は猫を殺してでも停止した区画を再起動するつもりだ。

 君がそこにたどり着いて装備を取り付けるまでで、すでに二分が過ぎた。

 三分。それがボーダーラインだ』

「分かりましたよ」

 口元のインカムを調整しながら、ハジメは身震いした。ぞっとするほど深い、足元の奈落を見つめて。

「それまでに猫を助けりゃいいんでしょ!」



(つづく)

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