1-7 インパクト!



 ハジメは反転、ミサイルとの相対速度を低下させる。追ってくるミサイルの群れを従えて、並木の揺れる遊歩道に突っ込む。ようやく芽吹き始めた灰色の木々を、ミサイルの誤爆がなぎ倒していく。爆風を背中に浴びながら、後部カメラで数を確認。並木の壁をくぐり抜けたのはおよそ百。

「こンのおッっ!」

 推進器は全開以上。急がなければ耐久性の限界に達しつつある。急いでたどり着いたのは多層高架道路レイヤーズ。見えてきた柱と道路の絡まり合い。ミサイルを引き離すには打ってつけの地形。

「《アクティヴ》!」

 柱の中に飛び込んで、コンクリートの林の中を、針を通す正確さで飛び抜ける。追い切れなかったミサイルがどこかの空へ飛んでいき、機動を制御しきれなかったミサイルが柱に衝突して炸裂する。全弾ロストの表示がHUDに浮かび、ハジメはほっと胸を撫で下ろす。

『残念』

 上から通信。近藤本体を忘れたいた!

 はっとしてハジメは身をひねる。上から降り注いだ高熱炸裂弾が、高架道路ごとハジメを吹き飛ばす。着弾点が近すぎる。ハジメは推進器を全開して、着弾点から全力で遠ざかるコースを取る。爆風の勢いが少なからず相殺され、相対速度の幻の中に融けて消える。

『とどめッ!』

 上空から接近してくる近藤。この崩れた体勢を狙って撃たれれば避ける術はない。

 どうする? 左の小銃を撃ったくらいでは牽制にもならない。もっと突拍子もないことをして奴の裏を掻けば、予想外の行動ができれば、半秒でも奴に隙ができれば――

 左の手甲ガントレット

 これだ!

 コマンドリストから選択。

「《パージ》!」

 装備解除をコマンドされて、左の手甲ガントレットのジョイントが切れる。そのまま大きく振りかぶり、真上の近藤目がけて切り離した手甲ガントレットを投げつける。

『なぁにぃッ!?』

 視界を塞ぐ巨大な弾丸に、一瞬近藤の気が怯む。動きが鈍ったその瞬間。

「《アクティヴ》!」

 ハジメの翼が火を噴いた。

 青いプラズマの尾を引いて、ハジメは近藤に突撃する。近藤の手が手甲ガントレットを払いのける。硬直する近藤。今度は、払いのけられないほど巨大な弾丸。

 コンデンサ充電確認。リニアレールに回路接続。

『くそッ』

 近藤は小さく悪態を吐くと、推進器全開で逃走する。無駄だ。距離を離せやしない。いくら闇御津羽クラミツハの出力が大きかろうと、高機動型増加推進器アクティヴ・ブースターの推力を合わせた脅威の八十MPSから逃げられるはずがない。

「近藤ッ!」

 電撃のような軌道を紡ぎながら、ハジメはありったけの声を振り絞った。

「僕は勝つ……おまえに勝つんだ!」

『勝つ……おまえが? おれに!? ハッハー! 馬鹿なやつだな! 妄想してるな! 夢見がちだよな、若いもんなァ―――ッ!!』

「夢じゃない!」

 その声に答えるかのように、近藤がいきなり急上昇する。

 来た!

 敢えてハジメもそれを追って急上昇。水平飛行に戻った時には近藤の姿はどこにもない。空を彩るMAF航跡ウェーキの煌めきも。まるで夢でも見ていたかのように、何もかもが幻だったかのように。

 だが違う。

「これは、現実だ!」

 下へ!

 死角に入ったつもりで、今しもハジメの背後に上昇しようとしていた、漆黒の闇御津羽クラミツハがそこにいる。

『……んなっ』

 推進器全開。燃料切れの高機動型増加推進器アクティヴ・ブースターは重荷になるから即刻《パージ》。全ての余分な重荷を捨てて、ハジメはひとすじの槍となる。

 近藤を。

 優子を。

 ハジメを縛る全てのタガを。

 貫き通すための槍。

「《インパクト》ォッ!!」

 瞬間。

 世界が暗転した。



   *



 暗闇の中にとけ込んでいた意識が、現実の隙間に抽出される。

 ハジメは目を見開いた。蒸し暑いパイロットブースの中、画面だけが明滅している。体が重い。腕一本持ち上がらない。だが、それが非現実感ではないことに、ハジメは気付いていた。これは疲れ。現実の、疲れだ。

 勝つということは現実なんだ。

 明滅する画面が、そのことをハジメに告げている。

「ハジメっ!」

 外からパイロットブースの戸が開けられた。ナルが中に飛び込んできて、まだヘルメットを脱いでもいないハジメに、ぎゅっと力強く抱きついた。軽い接続酔いのめまいがハジメを襲う。でも、まだ楽しめる範囲のめまいだ。軽い酩酊状態と言ってもいい。

 今なら空でも飛べそうだ。

「ナル」

 ぽつりと呟き、ハジメはメットを脱ぎ捨てる。その手はそのまま、ナルの柔らかい髪を撫でた。

「僕は、勝ったよ」

「うん……うん! おめでとう、おめでとうハジメ!」

 ありがとうの代わりにもう一度髪を触り、それからハジメはパイロットブースから這い出す。水を打ったように静まりかえっていた観衆ギャラリーが、一斉に怒濤のような歓声をあげた。賞賛も羨望も嫉妬も、全てがいま、ハジメのもとに集まっている。

「うッ」

 苦しそうなうめき声に振り向けば、隣のパイロットブースから近藤が転がりだしてくる。吐き出された胃液が床を汚す。ハジメは目をそらせずにいた。顔面を蒼白にして、ゴミのように転がる近藤から。

 優子が、彼に駆け寄り、そっと背中を撫でていたからだ。

「ゆ……」

 ハジメが何か言いかけたそのとき。

「脱げーっ!」

 観客の誰かが、出し抜けに叫んだ。

 ハジメは弾かれたように観客を睨み付けた。もう彼らの視線はハジメに注がれてもいない。初めは戸惑っていた観客たちの中に、掛け金の提出を求める声が、波のように広がっていく。

 脱げ。脱げ。脱げ。一つの声。いくつもの声。数え切れない悪意が、膨れあがり、場を一つに纏めていく。

「ハジメ……」

 背中にナルがすがりついてくる。自分のことではないとはいえ、彼女の恐怖が指先を通じてハジメにも流れ込んでくる。

 違う。

 怯えて近藤にすがりつく優子の姿に、ハジメは気付いた。

 違う、こんなことは。

 勢い余った誰かが、ステージの上に昇る。優子ににじり寄っていく。

「いや……」

 優子の声。

「やめろっ!」

 気が付けば、ハジメは声を振り絞って叫んでいた。接続酔いのめまいが酷くなった。バランスを崩しそうになる体を、ナルが必死に支えてくれる。脚に力を込め、踏みとどまり、ありったけの怒りを込めて、ハジメはもう一度、叫んだ。

「やめろ。もういい……もういいんだ。もう……そんなことはやめろ」

 それでも、最後には消え入りそうになっていた。

 ステージに昇った男は、つまらなそうに舌を打つと、すごすご降りていった。

 これでいい。これでいいんだ。ハジメは自分に言い聞かせ、ナルに支えられながらステージを後にする。その背に優子の声がかかった。

「ハジメ」

 足が止まった。絶対に止めまいと思っていたのに。それでも足が止まってしまった。あの時と同じ声に。戸惑いがちで、深く澄んだ、冷たい水のような優子の声に。ハジメは肩越しに振り返り、わずかに優子の姿をのぞき見た。床に膝をつき、その膝が吐瀉物に汚れるのも厭わず、優子の右手は気絶した近藤に添えられていた。

 ハジメには見せたことのない優しさで、優子は近藤を護っていた。

 ハジメは拳を握りしめた。手のひらに爪が食い込んで、じくじくと痛んだ。現実。これも現実。

「色々ありがとう、優子」

 震える声で、最後に一言、こう言った。

「さよなら」

 そしてもう二度と、振り返らなかった。



   *



 早足に歩くハジメを、ナルは小走りに追いかけた。地下鉄の駅に向かって、わき目もふらずに、逃げるように歩いていく。声を掛けても答えない。さりとてこないだのように、怒っている風でもない。

 せっかく苦労して勝ったというのに、勝利の余韻に浸ることもない。ナルはたまりかね、ついに大声を張り上げた。

「ねーハジメ! ちょっと待ってよ、どうしたの?」

 ハジメは一瞬、ぴたりと立ち止まると――

 今度は急に駆けだして、ビルとビルの谷間に飛び込んだ。慌ててナルは追いかける。ハジメの飛び込んだ、日の当たらないコンクリートの狭間にたどり着いた瞬間、ハジメの悲鳴がナルをその場に釘付けにした。

「来るな!」

 驚き、ナルは暗くてじめじめした空間に目を凝らす。ハジメはそこに一人立ち、ナルに背中を向け、小さく震えていた。微かなすすり泣きが、ナルにも聞こえた。

「情けない……こんなの、見ないでくれ」

 ナルは迷わなかった。

 一息に歩み寄り、そっと、ハジメの背中を後ろから抱きしめた。

 できるだけ、肌と肌とが触れ合うように。体の温もりが伝わるように。ハジメの震えが、自分にも伝わってくるように。

「好きだった」

 ハジメの手のひらが、ナルの手のひらに、すがりつくように添えられた。

「好きだったんだ、優子……」

「ハジメは優しいね」

 ナルは微笑む。

「わたしは、優しいハジメが好きだよ」

 彼女の腕に抱かれて、ハジメは一人、泣いた。



(つづく)

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