1-3 瞬殺
「ま、かっこよくなるためには……努力あるのみ! ねっ」
浪速区恵美須町――
通天閣で有名なパチンコと風俗の街「新世界」と、旧世紀から電気街として名を馳せていた「日本橋」とのちょうど間に、恵美須アーケードはある。表向きは、子供が学校をサボって遊びに来るような昔ながらのゲームセンターに過ぎないが、一歩地下に踏み入れば、そこは暴力団が管理する高レートの違法カジノだ。
ハジメが昨日近藤と対戦したゲームセンターは、その二つの間くらいに属する店。違法の賭ゲームはよく行われるが、警察局が積極的に検挙したがるほどには可罰的ではない。正式な暴力団構成員になれないちんぴらが集まる店だった。
今日は練習だ。そんな店では頻繁に対戦を要求されて、静かに練習することなどとてもできそうもない。そこで、ハジメとナルがやってきたのは、アーケードからすこし外れたところにある、場末のゲームセンターだった。
ハジメも、ここに店があることは知っていたが、中にはいるのは初めてだった。薄暗い店内のあちこちで、高精細モニタが明滅している。一人台も対戦台も一通り揃っているが、数は少ないし、バージョンも古い。
先客は、店の一番すみにある脱衣麻雀と向かい合ってる、おちこぼれ大学生ふうの男一人だけ。男はちらりと入口のハジメたちを一瞥すると、ナルの姿を見て一瞬目を丸くして、ふたたびモニタに視線を戻した。何事にも興味がない、といったふうで、無感動にツモボタンを弾く。
ハジメはふと、一番近くの小型筐体に視線を落とした。耳に馴染んだテーマ曲が流れてくる。ソードーソー、ファーミレーミードー。懐かしさで胸が詰まる。
「すっげ……『宇宙大戦アトミック』だ。まだ動いてる店があったなんて……」
「昨日みつけたんだ、ここ」
ナルが得意げに胸を張った。目指すのは、もちろん店の奥にある、一番大型の筐体……「キャリオンクロウ」だ。パイロットブースが二つしかないワンライン台。それも、バージョンは二年程前から更新されていないらしい。
もっとも、さっきの『宇宙大戦アトミック』が十数年前の基盤であることを考えると、この店にしてはがんばって更新しているほうなのだろうが。
「さーてとっ」
ナルはご機嫌だった。鼻歌を歌いながら、パイロットブースのハッチを引き開けて、スカートのポケットから取り出した百円玉をいそいそと投入する。
筐体を前にすると、何となくそわそわしてくる……それはゲーマーという生き物の、拭いがたい習性である。
ナルもよっぽどの筋金入りらしい。ハジメと一緒で。
小気味よい電子音を聞きながら、ナルはヘルメットを手早くかぶり、
「ほら、隣入って。わたしが訓練つけたげる」
「訓練ってさ……」
腐っても、ハジメは近畿のサードランカーである。ナルがどれだけやり込んでいるのか知らないが、中学生やそこらの少女に負けるほど落ちぶれてはいない。
そんな事情を知ってか知らずか、ナルはハジメを置いて、ハッチを閉めてしまった。自分が遊びたいだけじゃないだろうな? と、ハジメは頭を掻いた。
しかたなくハジメも、ブースに潜り込んだ。お手並み拝見と行こう。
「手加減、しないからね」
「あったり前でしょ!」
ナルは得意げに、パイロットブースの中で声を出した。
画面が暗転し、脳波がゲームとリンクする。網膜投影HUDの映像を見つめながら、ハジメは神経を集中させていく。ゲームが始まる。
ウォーミング・アップだ。軽く捻って、ナルにいいとこ見せてやる。ハジメの頭は、そんな下心で一杯になる。にやっ、と意地の悪い笑みを浮かべて、
「十五秒で終わらせてやるさ」
*
三秒だった。
ハジメは昼食にと立ち寄った牛丼屋で、元気に牛丼を掻き込むナルを横目に見ながら、頭を押さえてうずくまっていた。
ここの牛丼屋は、安くて腹も膨れるので、恵美須に来た人間にとっては、ありがたい店である。なにしろ賭ゲームで有り金をほとんどすってしまうような奴も少なくないのだ。チェーン店の常として、味の方は美味くもなくまずくもなくという中途半端なものだが。
「ハジメ、食べないの?」
食べられる状況にないことはわかって欲しいものである。ハジメはお茶だけをずるずるすすりながら、うらめしそうにナルを睨んだ。
結局――
ナルの戦いぶりは、強いとかすごいとかそういう次元を通り越して、すでに神業の域に達していた。
そりゃあ、フロートドレスの最高速は、パーツ構成次第で百二十MPSを超える。二百メートル離れた相手に二秒弱で接近することも不可能ではない。凄まじいまでの動体視力と反応速度があれば、五十MPS以上で逃げるハジメを、刀の一撃で突き殺すことも、絶対に無理とは言い切れない。
しかしいくらなんでも……三秒とは。
思わず溜息が漏れる。
ハジメの、ランカークロウとしてのプライドは、ズタズタに引き裂かれたのだった。
その後、呆気にとられたハジメにナルが科した「特訓」……これまた凄まじいものだった。思い出すだけで接続酔いのめまいがひどくなる。おまけに、この牛丼のむせかえるような臭い。勘弁してもらいたい。
「なーんだ。あのくらいで音を上げちゃって、情けないの」
「あのくらいって……一体何者なんだ、きみは」
「んー? 悪の秘密組織が作った恐怖の人造人間、かな」
冗談めかして答えると、ナルはにやりと笑って見せた。屈託のない笑みの裏には、それ以上訊くなというニュアンスが、ありありとにじみ出ている。しかし。
「いったんうちに帰らなきゃ、家族とかも心配してるんじゃないのか」
まだ十四五の女の子が、おそらくは無断で外泊していて、家族が心配しないはずがない。ひょっとしたらもう警察に届けが出ているかもしれない。
もちろんこんな強力な対戦相手がいるのは、特訓のためにはありがたい。それでも、こんな少女をいつまでも連れ回し続けるのは、気が引けた。
「その『家族』とも、ちょっと、ね」
「ケンカか何か?」
「そんなとこかなあ」
ただの家出少女か。ハジメは気付かれないように、小さく鼻息を吹いた。
「戻らなきゃだめだよ。家族なんだろ? ずーっとつきあっていくんだから……ケンカしても、それを乗り越えなきゃさ」
「うん……」
ナルは少しうつむくと、いきなり牛丼のどんぶりを抱えて、残りを一気に口に放り込んだ。ろくに噛みもせずに、お茶でそれを流し込む。そうして全部平らげると、ナルは湯飲みをカウンターに置き、ハジメの目を見て悪戯っぽく笑った。
「よしこうしよう!」
「こうって?」
「ハジメが近藤に勝ったら、わたしはうちに帰る」
「……なんじゃそら」
「それまでわたしは、ハジメん
「おいおいっ!」
「いーじゃないのよー、絶対勝つんでしょ? それまでコーチが必要でしょ? ね!」
要するに、ナルもきっかけが欲しいだけ、ということか。言い出したら曲げそうにないし、確かに練習相手もしてほしい。ハジメは小さく微笑んだ。
「わかった、そうしよう」
「よし決まり! んじゃーさっそくー、練習メニューを練り直さなきゃねー。あのくらいで接続酔いしちゃうってことは、ゲームの後半は神経がばてちゃってるんだろうし……基礎体力の向上に対G訓練、技術的にもまだまだ未熟だから……」
頭を捻りながら指折り数えるナルを見て、ハジメは微笑みをひきつらせる。その指の一本一本が、一体どんな単位で折られているのやら。ナルはそんなハジメの不安を知ってか知らずか、元気よくハジメの肩を叩いた。
「がんばろうね、ハジメっ!」
「お、お手柔らかに……」
(つづく)
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