第4話 勧善懲悪

「ドッペルゲンガーを見たので、自分は死んでしまう」

 ということをみんなに触れ回り、実際に、皆から冷めた目で見られていたやつの知り合いが殺された。

 殺人現場は、夜間の人通りの少ない道で、

「通り魔殺人なのか、計画的な犯罪なのか?」

 ということは、一見では、判断がつけられなかった。

 というのも、このあたりでは、最近、通り魔殺人というのが結構蔓延っていたが、殺されるのは、女性が多かった。

 友達は男なので、もし、通り魔殺人だとすれば、パターンに合わないといってもいい。

 だが、

「木を隠すには森の中」

 という言葉があるように、

「パターンが違っていても、人が死ぬということに変わりはないということであれば、通り魔殺人の中に入れ込んだ」

 ということであれば、普通にあることであろうか?

「通り魔殺人ではないか?」

 という理由の一つに、殺害方法が、ナイフによる殺傷事件であったことと、手口が似ていたことからだった。

 手口が似ているのは、

「こういう犯罪というのは、大体似たり寄ったりだ」

 と言われるのだろうが、実際に、

「犯人でなければ知らないはずのことの共通点があったからだ」

 それは、

「通り魔殺人のパターンと同じだ」

 と言い切れることではなかったので、同じだということは、

「逆にその人のくせというものがあるからではないか?」

 と考えられるのであった。

 問題は、その殺された女性の身元調査をしていると、彼氏がいるということが分かったからだ。

 彼女は近くの大学に通う大学生で、外国語を専攻していた。特にドイツ語に、高校時代から興味があったようで、高校時代の友達の中で、特に、

「ドイツという国が好きだ」

 と言っていた人が、彼氏になっていたのだ。

 その人は、ドイツ語に興味があったというよりも、むしろ言語以外のところで興味を持っていた。

 フランケンシュタインや、ドッペルゲンガーのような話が、ドイツ系の話と混乱し、さらには、ドラキュラ伝説も会いまうことで、

「ドイツというところを研究していると、ワクワクしてくるんだよ」

 と言っているのだった。

 大学において、二人が接近していることを最初は誰も知らなかった。

 二人とも、何かのサークルに所属しているわけでもないし、友達が多いというわけでもなかった、

 特に女性の方は、

「誰かと一緒にいるところを見たことがない」

 というほどで、目立たないというよりも、

「暗い」

 と言った方がいいかも知れない。

 だが、男の方は、暗いというよりも、目立たないという方であり、いわゆる、

「石ころのような存在」

 といってもいいのではないだろうか?

 石ころのような存在というと、相手には、その存在が見えているのに、意識しないということであり、

「そこにあって当たり前」

 という状態であることが、感覚をマヒさせるということにつながるのではないだろうか?

 二人は、見る人にとっては、

「よく似た人」

 という感覚で見えていて、しかし、さらによく知った人から見ると、


「似て非なるもの」

 というところではないだろうか?

 それこそ、

「ドッペルゲンガー」

 の発想に似ているのかも知れない。

「ドッペルゲンガー」

 というのは、

「世の中に三人はいる」

 という、

「似ている人間」

 ということではないのだ。

 似ているだけではないということは、逆に、

「似ていることは、ある意味、正対していると、その化けの皮が剥げるのではないだろうか?」

 と考えられる、

 その理屈としては、一つ思い浮かんでくることで、前述の、

「カプグラ症候群」

 というものがあると言われる。

 これは、最近になって、言われるようになったことであるが、これは、あくまでも、

「言われるようになったのが、最近になってからということであって、実際には、昔から言われていたのではないか?」

 ということである。

 だが、実際に、文献やネットには、

「最近言われるようになった」

 と書いていることから、この現象が、最近になって起こったかのように思われるのだが、実際にはそうではなく、

「昔から言われてきた現象を、症候群として、病気の一種のように考えるようになったのが、最近になってからだ」

 ということであった。

 つまりは、

「実際に現象として起こっていたことと、症候群という病気の一種としての認識を一緒に考える」

 ということが、問題になっているということである。

 そういう意味で、

「ドッペルゲンガー」

 というが、言われている中での、

「精神疾患」

 から来ているのだとすれば、

「ドッペルゲンガーというものの現象というものは分かってきたのが今であり、これから、それがどのような病気なのかということを、解明する」

 という時期だと考えれば、

「ドッペルゲンガーの全容が明らかになってから、ドッペルゲンガーという考えがその時に生まれたものだ」

 と言われるようになるのではないだろうか?

 そういう意味で、

「ドッペルゲンガーも、カプグラも、現象というものが、先に常に動いていて、それを証明するまでに、かなりの時間がかかるだろう」

 そして、

「すべてが分かってしまった時、ドッペルゲンガーというものは、現象から一度洗い落とされ、すべてが、洗い落とされた時から始まったかのような演出がされる」

 そんな考えを、彼氏の方が持っていたのである。

 彼女も、まわりからは、

「あの子は変わっている」

 と言われているようだが、それでも、

「彼の足元にも及ばない」

 ということのようだ。

 ちなみに、彼の名前を、

「細川史郎」

 といい、彼女を、

「松重そら」

 というのだという。

 そらは、中学時代からアイドルに憧れ、高校生の時に、アイドルグループのオーディションにいくつも受け、そのうち、二つ合格を貰ったのだが、一つは、

「これからの人材を育てる」

 ということで、

「これからということに特化した女の子をとにかくスカウトする」

 というのが目的であり、実際に、そらも、

「君はまだまだ、未熟ではあるが、これからを感じさせる逸材だと思っている」

 と言われ、

 さすがに、

「未熟」

 という言葉はショックだったが、

「これからを感じさせる」

 という言葉は、欠点を補って余りあるということで、余計に印象深く心に残ったのだ。

 何かのコンテストで、グランプリを貰うよりも、よほどいいことに思え、一時期、自惚れてしまったことだった。

 実際に、高校時代は、皆勤賞を貰えるくらいに、レッスンには出ていた。

 だから、友達も自然と離れていくというもので、彼女の中には、

「一つの目標をターゲットにしたら、迷うことなく突き進むというのが、当たり前のことなのだ」

 と考えるようになったのだ。

 そらが、高校時代に、アイドルを目指していたというのを、細川は知らなかった。

 だが、それは、彼女が隠していたということで、それは、見つかりたくないという彼女の気持ちを汲んで、分からないふりをしていたといっても過言ではないだろう。

 だが、そらは、アイドルになるのを急にやめてしまった。

 まわりの人がそれを知った頃には、とっくに頭の中から、アイドルということは、すっかり消えていて、

「まわりと、そらの頭の中は、まるで、相対性理論における時間の流れのように、まったくスピードが違っているものだった」

 と言えるだろう。

 細川の方は、奇妙な話に興味をもち、それは、

「ドイツだから」

 ということでなく、全世界的な奇妙なことに興味をもつようになった。

 要するに、

「軌道修正をした」

 ということになるのだろう。

 そういう意味で、欧州の、特にドイツ系のオカルトや、ホラー話が日本にやってきて、日本の怪奇な話とどのように結び付いてくるのか?

 ということを考えると、

「実に面白い」

 と言えるのではないだろうか?

 実は、そらも、アイドルになるのを諦め始めた時、

「このまま何もないのでは、アイドルになる夢をあきらめた意味がない」

 ということは、そらの中で分かっていた。

 しかし、

「どうして諦めたのか?」

 と聞かれると、

「なぜなのか分からないけど、急にやる気が萎えたのだ」

 としか言えなかったのだ。

 そう思っていると、自分が進もうとしたところに、目の前にいたのが、細川だったのだ。

 それまで、そらも細川も、お互いのことを意識しているという感覚はなかった。

 どちらかというと、

「自分が進もうとする前を邪魔している存在だ」

 ということであった。

 それは、お互いが、

「螺旋階段を描いているように、まるで、錐もみしながら進んでいるように見えるのだった」

 と言える。

 どちらかが前にいる時には、後ろを意識することはない。

 だから、お互いに、前しか向いていないわけなので、その顔が見えるわけはない。

 後ろにいる時、

「ああ、邪魔だな」

 という意識を持つとことまでは同じなのだが、前にいる人間の顔も評定も見えないので、感じることと言えば、

「邪魔になるだけだな」

 という苛立ちしかないのであった。

 それを考えていると、急に浮かんだ思いというのが、

「鏡に映る自分」

 というものだった。

 ある時、友達から、言われたことがあった。

「鏡というのは、左右が対称だけど、上下は対称にならないということを不思議に感じることはなかったか?」

 ということであった。

 ああ、なるほど、確かに、左右や、書かれている文字は反対に見えるが、上下は逆さま異見えるわけではない。

 確かに、上下と左右とでは、見え方も違うということは分かっているので、それが影響しているのではないかと思うのだが、果たして、その理屈に合うのだろうか?

 その時、友達に言われたことがあった。

「じゃあ、そもそも、左右対称がおかしいのか、上下対称というのがおかしいのか?」

 ということを聞いてきた。

 普通であれば、

「上下対称にならないのがおかしいのではないか?」

 というと、友達は、

「いや、そうではないのではないか?」

 という、

「なぜなのか?」

 と聞くと、

「左右対称がどうしてそうなのか? ということを解明できたとすれば、その勢いで上下が対称ではないということの証明が分かるというものだ」

 というのだ、

 つまりは、

「上下対称がありえないうところを証明するには、左右が対称になることを証明しないと、いつまで経っても、先に進めないということになるだろう、

 ということを言っていたのだ。

「皆が、上下対称にならないことを証明しようとするから難しいのであって、ならないということは、なるということの狭い範囲のそれ以外全部ということになり、その広さがどらだけ広いかということを考えると、分かるというものだ:

 という。

 さらに、

「野球でバッターが三割を超えると、一人前の打者だというが、いくら一人前といっても、6割以上が、打てなくても一流だと言われている。その境目というのが、何を根拠にそういわれているのか?」

 ということが問題なのであろう。

 それと同じ発想で、

「反対の発想」

 というものが、狭い部分をこじ開けるために広く見せるために必要なのが、

「逆説」

 と呼ばれるもので、いわゆる、

「パラドックス」

 のことである、

「パラドックスの裏側には、本当に表があるのだろうか?」

 その発想は、まるで、

「異次元の扉を開く」

 と言われている、

「メビウスの輪」

 の理論と同じなのではないだろうか?

 そらは、自分がアイドルになるのをあきらめたことを、細川に話した時、

「俺は、そらちゃんがmきっと、そう言いだすんじゃないかって思ったんだよ」

 というので、

「どうして、そう思ったの?」

 と、そらが聞くと、

「そらちゃんが、この間、自分の目の前に誰かが立ちふさがっているような気がするって言っていたでしょう?」

 という話を細川が始めると、

「うん。言ったよ」

 とそらが受け答えた。

「その時思ったんだけど、目の前に立ちふさがった人物こそ、最初は、ドッペルゲンガーではないかと思ったんだよ。でも、それは、実は今の自分ではなく、少し前を歩く自分なんだよ。そして、それが普通であれば見えるはずのない自分が見えているということで、そらちゃんは、それを僕だと思い込んだんじゃないかって思うんだよね? 自分が気にしていて、一番そばにいてほしい人だと思うと、理屈としては合うからね。だけど、そうじゃないと考えると、それがもう一人の自分であり、こちらを振り向かないのは、ドッペルゲンガーではなく、同じもう一人の自分なんだけど、少しだけ前の時間を歩いている自分だと思うと、理屈が分かる気がするんだ」

 という。

「それはどういうことなの?」

 と聞いてくるので、

「そこで考えたのが、どうしてこちらを見ないか? ということが、ドッペルゲンガーではないということ以外にも意味があるのではないかと思った時、鏡を思ったんだよ。それも、どうして、左右と上下で見え方が違うかということをね」

 という。

「それで?」

 と聞いてくるので、細川は、友達と話した時の、

「野球の打率としての、三割以外の七割という発想」

 を思い出して、話をしていた。

「普通であれば、左右が対称に見えるのが正しいと思うことが、そもそもの間違いで、上下が反転しないのが、どうして当たり前なのかと思わなくてね。それは、あくまでも、鏡というものが、左右は対称なんだと思い込まされていることでの思い違いだと考えると、左右が対称でならなければいけない理由がどこにあるのか? ということになるんですよね?」

 というのだ。

「でも、それをどうやって証明するの?」

 というので、

「それが、目の前にいる、そして、決してこちらを振り向かないもう一人の自分の存在なんだよ」

 という。

 そらは、自然に、頭の中に、たくさんのクエスチョンマークを円のように描きながら、

「どうしてなんだろう?」

 と、半分斜め上を見ながら、口をすぼめる形で可愛く見せたのだった。

「それはね。自分から見えるもう一人の自分が、必ず、前を向いているということなんだよ。つまりは、本当は自分が見ているのは、鏡に映っている姿ではなく、後ろから見ている自分の姿を見ているはずなんだけど、こちらを見ている姿を想像することで、どうしても、左右対称だと自分で思い込んでいるんだよね」

 という、

「そこが分からないのよ」

 とそらが聞くので、

「いいかい? 自分は、もう一人の自分をドッペルゲンガーだと認めたくない。認めてしまうと、近い将来死んでしまうと思うからね。だから、こっちを見ているのは、本当はもう一人の自分ではないと思い込みたいことで、それが、絶対に自分だと思いたい。本当は違うのにだ。だから、どうしても、こちらを向いている相手が自分だという正当性を持たせたい。だから、自分が鏡に映っているのは左右が対称だと思ってしまう。そう思うと鏡の向こうに世界が広がっているように思え、すべてが左右対称だと思うんだよ。本当は、左右が対称なのではなく、後ろから見ているので、対称になっていないのが当たり前なんだよ。これは、一種の鏡を使った、ドッペルゲンガーに対しての、人間の本能が作り出す。錯覚という、対策方法なのではないだろうか?」

 と、細川が言った。

 かなり強引ではあるが、無理のない発想ではないだろうか?

 そんなことを考えていた本人である、細川の友達が殺された。

 その友達には、捜査を進めていくと、少し怪しいウワサがあったのだ。

 というのは、

「親友の彼女を寝取った」

 という話であった。

 その親友というのは、誰あろう、細川だったのだ。そして、細川も、もちろん、親友が、自分の彼女、当然、

「そら」

 ということになるのだが、そらと細川、そして殺された男の三人の間に、ややこしい話があったのは、分かり切ったことであった。

 だが、細川は、あまりそれを口にしたくなかった。だが、さすがに、

「事が殺人事件である」

 ということなので、黙っているわけにはいかない。

 黙っていると立場的に明らかに不利になるのは、間違いないことではないか。

 この殺された男の名前は、神崎信孝という。

 この三人は、同じ大学の同級生であったが、そもそも、神崎の方が、細川に近づいてきて、半ば強引に、

「親友気取り」

 になったのだった。

 その頃には、細川は、そらと付き合い始めた頃であり、後から思うと、

「そらのことを、最初から狙っていて、それで、細川に親友気取りで近づいた」

 ということだったようだ。

 どちらかというと、一人で女の子と仲良くなるなどできない小心者である神崎にとって、細川というのは、まるで、噛ませ犬のようなものだったのだ。

 小心者のくせに、そういう悪だくみはしっかりしている。

 いや、そういうところがしっかりしているから、小心者でも、何とかできるのであった。

「天は二物を与えず」

 というが、極端な善悪の二物は与えるのかも知れない。

 この神崎という男は、実に、人を欺くことに掛けてはうまいといってもいいだろう、

 どこか、同情を買うところがあり、それが、

「人間として完璧ではない」

 ということが、相手に同情を買うということを証明しているかのようで、うまく相手を利用できるということになるのだろう。

 確かに、

「人間として完璧ではないから、同情のようなものが生まれる」

 親友になるかもしれないという人間が現れると、最初に何を考えるかというと、

「自分にない、いい面をたくさん持っているのではないだろうか?」

 と思い、それを探し始める。

 だから、いい面を一つ見つけても、それで満足することはないので、他にも必死になって探すのだった。

 それがどういうことなのかというと、

「一つでは満足できない場合、それがいくつあっても、満足できないという境地に陥る」

 ということであり、それは、まるで、

「お金」

 と同じ発想になり、

「お金はいくらあっても、心配が尽きることはない」

 というものだ。

 それは、欲望というものが、お金に対しての執着ということになるのだろうが、

「その執着をいかに果てしないものにするか?」

 ということになると考えると、

「欲望というものは、果てしない」

 ということにある。

 これが、達成欲のようなものであれば、どんどん、求めるものがその先にもあるわけなので、決して悪いことではない。

 しかし、それが、征服欲、自己顕示欲、物欲などとなると、

「自分というものを見失ってしまう」

 ということになり、どうすることもできない心境に陥ってしまうのではないかと言えるのではないだろうか?

 警察が考えれば、この三人は、一種の、

「三角関係」

 であり、細川には、

「神崎を殺す動機は充分にあるのではないか?」

 と考え、

「第一の容疑者」

 として捜査が行われた。

 しかし、見た目に比べて、実際に、三角関係が大きいということもないということであった。

 しかも、肝心のアリバイが、細川にあったのだ。

 その日、細川は、そらと一緒にいた。それは、ちゃんと証明されていて、デートの現場にそれぞれ、防犯カメラの映像に残っている。

 だから、警察も、二人を疑うことができなくなってしまったわけだが、ある意味都合がいいともいえた。

「二人が一緒にいたということは、これ以上に二人を完璧なアリバイを示すものはない」

 といえるが、一歩間違えれば、

「どちらかのアリバイが崩れれば、相手も崩れるということである」

 ということが言えるのだが、それが、防犯カメラという、決定的な、

「動かぬ証拠」

 であれば、どうしようもないというものである。

 そもそも、三角関係というのも怪しいもので、

「ちょっとした痴話げんか」

 を大げさにいう人がいただけなのかも知れない。

 最初に聞いた相手が、

「あの三人は三角関係だ」

 ということを思い込んでいて、そのような証言をすれば、警察も人間なので、思い込みというのがあってもしかるべきだといえるだろう。

 しかし、本当は、

「そんな思い込みはあってはいけない」

 というのが、警察の捜査における心得なのだが、

「そうであってくれれば、どれほど、犯罪の動機として、ふさわしいことかと考えると、そこには、まるで、

「探偵小説における。叙述トリックのようだ」

 と言えることになるのだろう。

 捜査を続けていくうえで、

「神崎という男は、誰からも恨まれるような人間ではない」

 ということであるということから、

「やはり通り魔殺人なのか?」

 ということも浮上してきた。

 ただ、彼を恨んでいる人はいないのではないかということであったが、それは、彼が別に聖人君子だということからではない。

 ただ、何人かが口を揃えて話したのを総合して考えると、

「彼は、人を殺すことはあっても、殺されるようなことはない」

 ということであった。

「それだけ、狂暴な性格なんですか?」

 と刑事が聴くと、

「そういうわけではないんですが、彼の性格は、実直なところがあって、言い方を変えると、融通が利かないんですよ。だから、一度信じてしまうと、一途なので、よく人から騙されたり、利用されたりすることがある。それでも、自分では、嫌だとは思っていないようで、そのおかげで、まわりが緊張している時でも、大人の対応をしていて、そこだけしか知らない人は、彼を、本当に聖人君子のようにしか思えないでしょうね。でも、実際にはその後、皆の関心が他に移った時、急に怒り出すことがある。それが、彼の特徴だといえるでしょうね」

 というのだった。

「ということは、神崎さんは、まわりが自分を見ている時は、神対応ができるけど、ちょっとでも、興味が離れると、それまでのストレスが爆発するということになるんですか?」

 と刑事が聴くと、

「ええ、そういうことなんだろうと思います。ただ、実際には時間も経っているわけで、すでに頭の中では、冷めてきているように思えるので、それで、ストレスが爆発するとしても、爆発させるには、それだけの何かがあるといってもいいでしょうね、わざと起こって見せているということになるかも知れないですね」

 というと、

「じゃあ、何かあざとい計算でもあるかのように聞こえますが?」

 と刑事がいうと、

「そうなのかも知れません。そういう意味で、心底、相談になってくれるような親友は、彼にはいかなったのではないかと思うんですよ」

 と友達がいった。

「なるほど、人間関係が薄っぺらい感じに見えたという感じですか?」

 と刑事がいうと、

「そういえるかも知れないですね。でも、彼は性格的には、勧善懲悪のところがあったような気がするんですよ。でも、だからといって、人に対して、恨みを抱くということは少なかったような気はするんですけどね」

 というのだった。

「まるほど、勧善懲悪というのであれば、人を、完全に善悪の基準で判断し、その感情の優先順位は、悪か善かということが最優先だということになるんでしょうね。普通なら、許されないことの方が多いのかも知れないですけどね」

 と刑事がいうと、

「そうですね、彼は特に、世の中の仕組みなどにずっと憤りを感じていて、政府だったり警察などをよく批判していましたよ」

 という。

「それは耳が痛いですね」

 と刑事が苦笑いをすると、

「勧善懲悪ということを、自分でも、よく口にしていましたからね。それで、悪の権化は、警察であり、政府だといっていましたね」

 というので、

「それは、具体的には?」

 と刑事が聴くと、

「まあ、これは、神崎に限らず皆思っていて、口には出さないだけのことなんでしょうが、そこにも、神崎は不満があるようで、何も言わないんだったら、賛同したのと同じじゃないかってよく言っていましたね」

「というと?」

「ほら、子供の頃の苛めと一緒ですよ。誰かが苛められているとすれば、それを見て見ぬふりをするでしょう? 自分がかかわりになることを基本的に皆嫌うからですね。それは、当たり前のことで、苛めている方が、その相手に飽きれば、今度は自分が狙われるというのを、分かっているからですよ」

 という。

 さらに続ける。

「それも、自分がいうことで、自分から狙われるように仕向けてしまったようで、自業自得ということから、そんな自分が嫌になるでしょうね」

 というと、苦み走った顔になり、それを見た刑事は、

「この男の、実体験からの話ではないか?」

 と感じたのだった。

 そういう意味で、

「本当は警察や、政府が嫌だというのか、彼も同じなのかも知れない、だからこそ、神崎の気持ちも分かることから、彼の証言には、信憑性が感じられるのかも知れない。そう、彼は、神崎の言葉を代弁しているかのようではないか?」

 と感じるからだった。

「世の中には、同じような考えの人はたくさんいるだろうが、身近にここまで近い考えの人がいるというのも珍しいのかも知れない」

 しかし、逆を考えれば、

「類は友を呼ぶ」

 という言葉があるが、まさにその通りで、

「出会うべくして出会った相手だ」

 といえるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、彼と、神崎は、

「一心同体」

 といってもいいかも知れない。

 だとすると、

「どっちが、どっちを引き寄せたのだろう?」

 ということになるが、

「お互いがお互いを引き寄せたのかも知れない」

 ともいえる。

 だとすると、

「神崎と、細川の関係というのも、お互いに引き寄せ合わないと成立していないのかも知れないな」

 ということであった。

「神崎さんのことなんだけど、彼は、親友と呼べる人は多かったんですかね? 見た目の友達は少なかったんでしょう?」

 と彼に聞くと、

「そうですね。最初の頃は友達も多かったと思っていたんですが、気が付けば孤立寸前に見えたんですが、彼にそんな雰囲気は見当たりませんでした。それは、彼が、友達の断捨離をしたからではないかと思っているんですが、実際に、親友と呼べる人が多かったからではないかと思うと、その理屈も分かる気がするんです」

 という。

「なるほど、だとすれば、神崎という人のまわりにいるのは、親友といっても過言ではないといえる人ばかりなんでしょうか?」

 と刑事が聴くので、

「それは、そうかも知れないですね。もちろん、断言はできませんが」

 という。

「じゃあ、ですね。今回の事件に関して、あなたはどう思われますか?」

 と聞かれて、友達は、

「勧善懲悪というのは、聞こえはいいですが、この自分に都合のいいことばかりを優先させようとする人間が多い中では、疎まれることも多いでしょう、だから、恨みを買うこともあるとは思うんだけど、神崎に関しては、恨みを買うといっても、少なくとも、相手が自己嫌悪に陥るようなことが多いですからね」

 という。

「だったら、逆ギレしそうな人から見れば、神崎を殺したくなるという異常なやつもいるんじゃないですかね?」

 というので、彼は、少し考えて、

「それはないとは限らないですが、確率からいうと、少ない気がするんです。そもそも神崎は、そんな変なやつとかかわりに遭うことは絶対にしませんからね。でないと、友ダッチの断捨離などという感情になるとは思えませんからね」

 というではないか。

「なるほど、それはいえるかも知れませんね」

 と刑事がいうと、

「とにかく、神崎は分かりやすい性格なので、こっちも話がしやすいんですよ。もっとも、そんな彼なので、人によっては、利用しようと考える人もいるでしょう、でもその方法としては、あくまでも自分の都合に合わせようとするんだけど、そこが、神崎の天邪鬼なとことで、相手に的を絞らせない。まるで嘲笑うように、相手の計略をすり抜ける感じになるんでしょうね」

 というのだった。

「じゃあ、何をどうすればいいのか? というのが相手には分からなくなって、結局離れて行くというわけですかね?」

 と刑事が聴くと、

「そういうことです。それが、彼の意識的なのか無意識なのか、自己防衛本能が形になったものではないでしょうか?」

 というのだった。

 刑事も、大体のことは聴けたということで、

「じゃあ、今日はありがとうございました。またご協力を願うことがあるかも知れませんが、その時は何卒よろしくお願いします」

 といって、友達との聞き込みを終了した。

 聞き込みは二人の刑事が言っていて、基本は一人が聴いて一人が筆記するものであったが、話を聞いた刑事が、筆記の刑事に話しかけた。

「君はどう思う?」

 と聞かれた刑事は、

「どうにもこうにも、何とも言えませんね」

 といって、筆記の刑事は、少し苛立っているかのように見えた。

 それを、聞き込みの刑事は分かっているようで、

「どうして、そんなにイライラするんだ?」

 ということを聞きたいのは、山々だが、

「きっと話をしているうちに自分がら言うだろう」

 と思ったのだ

 二人の関係は、聞き込みの刑事の方が先輩なので、遠慮があることで、

「最初は、黙っているのだろう」

 と思った

 だが、その思いは、中途半端なものなので、すぐに、考えをいいたくて仕方がないと思えたのだ。


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