トクモリオネガイシマス
海堂 岬
第1話
大規模サーバー攻撃から、もう数日が経過していた。
「冗談じゃない」
男のつぶやきに部下が頷く。不眠不休では効率がおちる。交代で勤務しながら二十四時間体制で対応しているが、未だに完全な復旧にはいたらない。
突然、サーバー室の扉が開いた。
「よぉ! 」
のんびりとした声の主は、緊迫した部屋の空気を意に介した様子もなく、気の抜けた足音を立てながら部屋に入ってきた。
「どちら様ですか」
新人が不信感もあらわに問いかけたときだ。
「室長! 」
男の口から懐かしい言葉が飛び出した。
「室長はお前だろうが。俺は引退したんだ、引退」
引退と繰り返した前室長は、画面を覗き込んだ。
「おー、老眼には辛いなー」
「あの、先輩、どうして」
「んー、サイバー攻撃って聞いて、俺の昔の血が騒いだんだよ。あー、これ、ここじゃね」
前室長が指摘した場所に、全員が感嘆の声を上げた。
「老眼じゃなかったんですか」
「疲れ目のお前らより見えてるよ。よし。腹ごしらえだ。出前とるぞ出前! 缶詰なんだろ。経費は会社で出せよ」
「今はウーバーイーツですよ」
スマートフォンをかざした新人は、老眼の大先輩には無理だと周囲になだめられた。
「んー、おれはいつものおばちゃんのカツ丼特盛が久しぶりに食いたい。店に声かけてきたんだ。注文するぞ、お前ら何人だ」
部屋に上がった歓喜の声に、現室長はシステム室を立ち上げていた時期を思い出した。
また開いた扉の向こうに、経営陣の一人が立っていた。
「どうだ」
進捗を確認する上役の声に、部屋の空気が凍った。
「お、お久し振りです」
「久しぶりだな。どうした。後輩の激励か」
「牛丼っすよ。缶詰だから経費でいいっすよね。あ、おばちゃん、久しぶり、俺だよ俺、牛丼特盛を」
スマートフォンに話し始めた元室長に上役が顔をしかめた。
「並でいい、並で、勝手に頼むな」
元室長が落としたスマートフォンを社員が拾った。
「ハイ、ソデス、トクモリオネガイシマス」
電話の相手に社員は丁寧にお辞儀をした。
「勝手に頼むな」
顰め面をしている上役に、社員は堂々と胸を張ってこたえた。
「ワタシ、ガイコクジン、ムズカシイニホンゴワカリマセン」
「こういうときだけ、日本語が下手なふりをするな」
社員は黙って指を立てた。指の数を数えた上役は自分の顔をさした。
「あります」
「まぁ、腹ごしらえをして、頑張ってくれたまえ。飲み物は私が奢ろう」
また部屋を歓声が包んだ。
トクモリオネガイシマス 海堂 岬 @KaidoMisaki
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